CHAPTER:07
オルトリンデを守らんとする騎士達が日々修練を行っている室内修練場へ、衛鬼は愛刀を手に訪れた。
快晴の日は主に外にある修練場が使われる。従って本日この部屋を利用する者はなし。
修練にはミリアの監視及び真剣の使用禁止、五十本の素振りと制限されているにも関わらず衛鬼は大刀を鞘から静かに抜き放つ。怒られても気にしないと思ってしまえる理由が規則を後回しにさせた。
オルトリンデへと戻り、ミリアが作った料理にティアナ達と舌鼓を打ち、一先ず疲労した肉体を休めるべく一時解散してからも衛鬼は魂の高揚を抑えられずにいた。
外での冒険が脳裏に焼き付いて離れない。思い返せば思い返す程にそれは更に強まり、だらしなく緩む頬を抑えるのに一苦労させられる。
少しでも発散させる為に――否、あの時の感覚を少しでも、もう一度味わう為に真剣での修練を行うことで衛鬼は取り戻そうとしていた。
大刀を構える。
中段と下段の中間。刀身の側面を相手に見せるように剣を運び、左掌は柄頭に添えるように軽く当てる。
祓剣流にこのような構えは存在しない。ただ修練や実戦を続けていく中で自然と身に付いていた。
祓剣流の修練は基本道場と言う環境を使用しない。使うとすれば刀を振るう基礎中の基礎を学ぶ為ぐらいなものであった。もしくは他流派との試合を行う事ぐらいなものなのだが、一度として他流派との試合を行った経験を衛鬼は持っていない。
最初の三年間は兎に角体力作りを重点的に行われる。そこで使われる場所は自然が生い茂る森や山の中である。人の手が施されていない、所謂獣道をひたすら速く走る事により、体力と同時に足腰を鍛えるのだ。
そしてその基礎が終わると、今度は自然の中に身をおいての戦技修練を行う。
この目的は足場等が不安定な状況下の中でも支障なく闘える技術を身に付ける。
斜面、木の枝の上、岩場など、兎に角あらゆる状況の中でも問題なく、尚且つ迅速に敵を討つ技術を身に付けていく。
そして幼少期の衛鬼にとって何よりも恐ろしかったのは、実戦を想定した模擬戦である。
当時師範代を務めていた父と周囲に一回模擬戦を行うことを強要されてきた。流派によって修練法が異なるのは当然として、武術を知らない一般人でも通常ならば怪我や殺傷を考慮して竹刀や木刀を得物として選びまた安全性から防具を着用すると想像するだろう。
祓剣の剣は、そんな生易しいものではない。
使用する武器は刃を殺した摸造刀。場合によっては殴殺も可能とする鈍器だった。
土産屋で売られている摸造刀のように亜鉛合金によるものではなく、日本刀本来の材料である玉鋼を用いて作られている為重量も強度も勿論真剣と変わらない。
それで本気で肉体に打ち込まれればどうなるかは、素人でも安易に想像が付くだろう。
母親の虐待疑惑に続き、父親にも虐待疑惑の烙印が押されて当然の仕打ちだがこの修練法は古来より受け継がれてきたものであり父も乗り越えてきている以上、衛鬼は逆らえなかった。
一刻も早く父に打ち勝たい。それは師範代の座を譲り受けるよりも、激痛から逃れたいが為に必死に試行錯誤を繰り返して――遂に刃崎衛鬼にとって最も適した構えへと到達する。
この構えこそが後に、双極の構えと呼び好んで取るようになった構えである。
「シッ!」
生み出した仮想の敵に対し技を振るう。ただの準備運動である素振りと違って実戦を想定しているので一太刀、一太刀に全力を込めて技を出せば肉体も疲労し汗が滲み出る。
「ふぅ、少し休憩するかな」
技を終えて、一息吐くと共に小休止を入れる。
すっかり汗で濡れてしまった衣服が肌に張り付く不快感に衛鬼は眉を顰めると、その上衣を脱ぎ捨てて。
「な、何やってるんですかエイキ様!」
両手で顔を隠すもしっかり指の隙間から覗いているミリアに衛鬼は舌打ちを零した。
「なんでミリアがここにいるんだよ。普段こんな修練場なんかには来ないだろ」
「さ、最近身体が鈍っているので、今日は少し身体を動かそうと思っていたんです!」
ミリアの言っていることは嘘ではない。
いつも纏っているメイド服は奉仕用のものだが、現在彼女が纏っているのは戦闘用時に着用するメイド服。フリル付きスカートの丈も極端に短くなり綺麗な素足が大胆に晒され、上衣もへそが丸見えになるノースリーブ仕様に変更されている。
その上に翡翠色に輝く鎧兜は代々メイド長に任命された者のみが着用することを許される防具で身を固めていた。言うまでもなう、防御性については疑問を抱かざるを得ない。
「それよりも年頃の男性が裸体を晒すとは何事ですか!? 私だからよかったものの、もし他の者達に見られたりでもしていたら……って、それと真剣を使っての稽古は禁止と言った筈ですよ!!」
「一度に言わないでくれよ。上を着ればいいんだろ着れば」
再び襲う不快感に舌打ちをしながら上衣を纏う。
安堵の溜息を漏らした矢先、ミリアの説教が飛ぶ。
「それよりも真剣は使わないと約束した筈なのにどうして木剣を使ってないんですか!? 何度も言いますが真剣は玩具ではないんですよ!」
「別にいいだろ、危ないことしてる訳じゃないんだし。それに誰かと戦っているのならまだしも今は一人で修練してるだけなんだ。怪我をする要素が何処にある?」
「もし振るった瞬間に刃が折れてそれが突き刺さったり、足を滑らせてこけた拍子に自分で刺してしまったり……要素ならば一杯転がっています!」
「いやそれ考えすぎだから。常日頃メンテも欠かしてないし、そもそもメリルが打ってくれた刀をナマクラと一緒にされるとか心外だわ」
「と、兎に角エイキ様には約束を守って頂かないと困ります! もしエイキ様に何かあれば、私は……」
ミリアが心の奥底から身を案じてくれていることに気付かない程、衛鬼は愚鈍ではない。
ミリアにとってエイキとは命の恩人でもある。だから彼女はエイキのこととなれば、こんなにも身を案じてしまうのだから。
――ミリアの過去は、世界が世界であるが故に生まれた被害者だ。
オルトリンデより遠く離れた小さな村の出身者であったが魔物に故郷を襲われたった一人生き残り、頼れる者も行く当てもなかった彼女は路頭に迷うこととなる。
世界は等価交換で成り立っている。物を購入する為には金が要る。金があれば接客業を営んでいるものは快く出迎えるが、なければ商売の邪魔者として冷たくあしらわれるのはいつの時代、どの世界でも共通している。
気軽にバイトが出来る環境も、有事の際に降りる保険もここでは何一つ適用されていない。弱者はただ死に行くしか道は残されていないのだ。
従ってミリアは、生き残る為に何でもした。行商人を襲撃して物品を強奪することによって生き長らえ、森で密かに暮らした。一度は抱いた筈の罪悪感も、凄まじい生存本能と慣れによって失せていったのだろう。
そんな生活を繰り返していれば当然国も黙ってはいない。とうとう賞金首としてミリアは手配書に載ることとなる。
幸か不幸か、生まれながらにして優れた戦闘技術と才能を持っていたミリアは、オルトリンデより派遣された討伐隊すらも返り討ちにしてしまったのだ。その実力に国王自らが出陣し激闘を繰り広げた末、遂に-彼女は捕らえられた。
数多くの虐殺と強奪を繰り返したミリアに与えられる刑は死刑であった。彼女自身もその運命に抗うことなく従い――当時四歳であったエイキが待ったを掛けた。
大人の機嫌を幼少期の子供は何よりも察しやすい。純粋な心であるが故の能力かどうかはさておき。幼いエイキは本心では死の恐怖に脅え必死に助けを求めているミリアの心境を察したのだろう。
その訴えを母親は承認し、ミリアを無罪とした後メイドとして雇った。
彼女自身も名を“レプニカ”からミリアへと改め、今までの罪を償うようにオルトリンデに、そして命の恩人とも言うべきエイキに尽くすことを魂に誓った――と、これらの出来事は全て、衛鬼の記憶としては存在しない。目覚めてから記憶喪失と言う設定を生かしてミリア自身より聞いた出生と関係を自分なりに考察した上で出した結論である。
「大袈裟なんだよミリアは。俺だってもう子供じゃないんだ、自分で物事も判断出来るし身も守れる。そりゃミリアから見ればまだまだ子供だろうけどさ――兎に角ミリアは俺のことで心配しすぎだ。メイド長としている以上責任があるのはわかってるけど、もう少し俺を信頼してくれてもいいんじゃないか?」
「で、ですが! このままだとエイキ様は、何処か私の知らないところで更に危ないことをするんじゃないかって不安なんです」
「……案外、的を射てるな」
すこぶる本気で呟いてしまう。
「やっぱり! 今度は一体何をしようとしているつもりですか!?」
しまった、と後悔するも時既に遅し。
口は災いの元、後悔先に立たずとは正にこのことだ。先人達が残した諺の偉大さを今になって理解しつつ、目の前の鬼を如何にして静めるか思考を働かせる。
働かせて――出てこぬ結論に衛鬼は唸る。
ミリアを納得させるだけの方法が、一つを除いて全く浮かばない。唯一思い浮かぶ案も下手をすれば自分の人生に終止符を打ちかねなず、そうでなかったとしてもミリアの今後にも悪影響を及ばす可能性がない訳ではなかった。
どうすれば心配しなくて済むか、などと尋ねるのは愚の骨頂である。
ミリアを含め全員が望んでいるのは、本来の男子としての生活をしてほしいこと。剣など持たず、御淑やかにつつましく、さっさと女性と結婚して後継者となる子を作って欲しい。ただそれだけを願っている。
「大体今回の外出も私は反対だったんです! それなのに国王様はどうして外出を許可されたのか……」
「ちょっと外に出ただけだろ、本当に心配性だな」
「心配しないメイドがいる筈がないでしょう! やはりこのままじゃいけません、国王様に二度とエイキ様が危ないことをしないように監視するメイドの増員と、万が一城から脱走された時を想定して守りの強化も申請して――」
「ちょ、それはやりすぎだろ! 俺に人権はないのか!?」
「あるけどそれを無碍にしているのはエイキ様自身です!」
「このっ……だったらもし俺がミリアに勝ったら俺のこと心配しなくて済むよな!?」
遂に、衛鬼は最終手段として残しておいた案をミリアに提示した。してしまった。
「……本気で、言ってるんですか?」
「……本気じゃなかったらこんなこと言わない」
口に出してしまった以上、後戻りは出来ない。
だが、これ以上母親から更に規制を掛けられるのは衛鬼にとって何としてでも避けなくてはならないのも事実。
男に二言はない。やるしかもう、道は残されていないのだ。
腰に帯びている剣がお飾りで自身に牙を向ける危険物で、やっていることは所詮男子の真似事のごっご遊びにすぎないとミリアが認識しているのなら、それを覆せばいい。
腰の剣はお飾りではなく刃崎衛鬼が振るう得物であると、誰かに守られずとも自分の身は自分で守れる強さがあるとミリアに勝つことで認めさせればいい。
「エイキ様が、私に勝てると本気で思っているのですか?」
「ミリアが強いのは充分知ってる。だからこそ俺は言ってるんだ」
オルトリンデにて国王に仕えるメイドは、近衛兵としての顔も持っている。
王の身辺の守護を任命される者は武技や戦術に限らず、礼節や家事能力と全てにおいて優れていなければならない。従ってメイドとは国王直々に任命された優秀な女性を意味している。
従ってメイド長であるミリアは、国王から認められた近衛兵長なのだ。
女性を傷付けることに対しては未だに気が引ける。けれどもミリアを認めさせるには、嫌でも戦わなくてはならない。
相手はメイド長で過去、疾風の魔狼の異名で畏れられていた女戦士。相手にとって不足はない。
「……わかりました。それではもし私が勝てば二度と危ないことはしない……いえ、エイキ様のことですからきっと上手く理由を付けて逃げられてしまいそうですから、これはやめておいて」
「……よくわかってるな」
「伊達に長く付き合っていませんから――では私がエイキ様に勝った時は……私と結婚してもらいます」
真剣な眼差しで要求するミリアの顔には恥じらいもなければ冗談でもない。凛々しい表情は思わず見惚れさせる程だ。台詞も女性でありながら日本の男子よりもずっと男らしい。元の価値観がなければ或いは、承諾していたかもしれないが――はて。
「ミリアもやっぱり結婚したいって願望はあったんだな。よくよく考えたらミリアがそんなこと言ってたの聞いたことないし」
他のメイド達が結婚したいと口にしていても、ミリア自身の口から同様の言葉が出たのを衛鬼は聞いたことがない。かつての罪の意識から、女を捨ててただ国の為に捧げると立てた誓いによるものだと勝手に思っていた。
ミリアも人の子。疾風の魔狼の罪に縛られていようとも本心ではやはり、他の女性と変わらなかったことに安堵する。
「……私だって、女性として生まれた以上結婚したいです。男性の数が少ないので競争率が高いのはわかっています、結婚そのものが出来るかどうかすらわからないのが現状ですから――それでも私だって結婚したい。好きな人と結ばれて夫婦として仲睦まじく暮らしていきたい……」
「それって……」
「エイキ様は確かに大変手の掛かるとんでもない王子様です。言うことは聞いてくれない此方の仕事を勝手に自分でされてしまわれる、挙句剣を持ち女性と同じように危険なことに首を突っ込もうとされる……本当に問題だらけです」
「言いたい放題だなミリア。これ俺じゃなかったら今頃クビだぞ」
ストレスが溜まっているのだろう。その原因が自分である訳だが。
「それでも、私はエイキ様を心より愛しています。だからエイキ様が私と仕合い勝った時には、私の夫となってもらいます。アリッサも、他国の王女の方々にも本音を言えば渡したくなどありませんから」
「ミリア……」
「エイキ様は……私のことはお嫌いですか?」
「まさか。嫌いだったら今頃クビにしてるか金輪際関わってないよ」
衛鬼にとってミリアと言う女性は戦闘だけでなく家事全般も得意とする完璧な存在だ。
性格も良し。優しい笑みを絶やさず誰にも分け隔てなく接する姿に聖母と呼ぶ者も少なくはない。
家庭的な女性を理想とする衛鬼にとってミリアは、男女の価値観が逆転し肉食系女子が跋扈する世界で正に求めていた理想に該当する。
そう、該当していた。
「悪いけど、俺はミリアとも結婚出来ないな」
「そ、それはどうしてですか!? もしかして年齢のことを言われているのですか?」
「……それを聞くか? 後年齢は一切関係ないから。外見だけなら俺と大差ないのにそれで二十代後半とか世の女性に喧嘩売ってるのも同じだから」
脳裏に甦る快楽と苦痛の夜に、衛鬼は深い溜息を吐いた。転生して初めて患った頭痛と、治った筈の腰痛が同時に襲い掛かってくる。
成人した日の夜。結婚が許された以上跡継ぎを残す為には当然性行為をしなくてはならない。その練習相手として国王より命じられたミリアが夜這いを仕掛けてきた。
あわよくばミリアが妊娠し身篭ればいいとも思っていたと、後に母親本人より聞かされた時は血の気が引いたが。
何も知らされていない衛鬼は普段以上の豪華な料理に舌鼓を打ち、胃が満たされたことでやってくる睡魔に身を委ねて熟睡していた。ましてや口うるさくも信頼出来るミリアからそのようなことをされるとも思う筈もなく。
夢の中で釣りをしていると竿の先端に魚が喰らい付く、なんとも奇妙な夢を見て――下半身に走る快感に徐々に意識が覚醒していき、初めてミリアに夜這いされていると理解した。
「あの時のミリアはハッキリ言ってマジで怖かったからな? それに俺が逃げないように鎖で両手足拘束とか夜這いでするもんじゃないだろに……何が聖母だよって何度も思ったわ」
「し、仕方ないじゃないですか!? それにエイキ様だって最終的には私に沢山子種を注いでくれた訳ですし……!」
「そりゃ生物学的に当然の結果だからな? 大体あの時自分が何て言ってたか憶えてるか?」
ミリアも他の女性と変わらない。男に餓えた魔獣なのだ。
男との性行為と言う極上の餌が目の前に差し出されれば、遠慮する筈もない。激しく騎乗されベッドが何度も軋む音を鳴らすのを耳にする中で、異性としても聞いていて正気を疑う程の言葉を聞かされ続けながら絞り取られた。
精根尽き果てた夜を終えて、暫くの間下半身に宿る分身の元気がなかったのは言うまでもない。
「わ、私そんなに卑猥なことを口にしていましたか?」
「自覚なしかよ……。罵られるのが好きな性癖の持ち主なら喜んでたけど、俺が止めてくれ一度休ませてくれって言っても全然止めてくれなかったぞ」
「そ、それだけエイキ様を愛していると言うことです!」
「物は言いようだな……」
「と、兎に角この件は後で国王様にも伝えておきますからね!」
「わかった、望むところだ」
「……思えば今まで王子だからと甘やかししすぎてきたのかもしれません。これで現実を知って頂くと考えれば、エイキ様の提案も悪くありませんね」
そう言い残し立ち去っていくミリアの背中を見送り――はて、と衛鬼は内心で小首をひねる。
「そう言えばミリア、修練しに来たんじゃなかったのか? 先に母さんの所に行ったのか……」
暫くして、外から聞こえてきた悲鳴にも似た叫び声と轟音で衛鬼は理解した。