CHAPTER:06
オルトリンデを離れて東の方角、エルフと交戦した森を抜けて歩くこと十数分。
開けた場所に設けられている集落に衛鬼は懐かしさを覚えた。
木の柵で囲われた中に立ち並ぶ建物は、歴史の授業で習ったモンゴルで使われている移動式住居のゲルを思い出させる。
そこに暮らすオーク達。数は凡そ五十人程度だろうか。
男性は一人もおらず皆女性のみで構成されている。
「ここが我等の集落だ。我々は今故郷を離れて訓練をしている最中なのだ」
「なるほど、遠征中ってことですか」
「皆我に勝らずとも劣らずの実力者達ばかりだ。後でゆっくりと紹介するとしよう――お前達、怪我人の治療を」
ジナの命令で他のオーク達にゲルへと連れられていくティアナ達を見送る。
一先ず怪我の治療は彼女達に任せておけばいい。
ゲルへと連れられる間何度も振り返るティアナとリリルナに苦笑いを浮かべ、ココに至っては初めて通うことになる幼稚園で不安と恐怖から何度も振り返る我が子を見送る親の気持ちになった。
「ところでエイキよ、どうして主はあの者達と森の中にいたのだ?」
「あ~、なんていいますかね。ちょっと外の空気を吸いたいなってお願いしたんです」
各国の王女としての誇りを守る為に衛鬼は嘘を吐いた。
「そうなのか。あの者達は確かに腕前は相当なものだが常に戦況を冷静に分析する力がまだまだ甘い。男のことばかりを考えていては、いざと言う時に守れなくなる。それさえ身に付ければきっとあの者達は更に強くなれる」
「おぉ……なんか、ジナさんが物凄く常識人に見える」
「我は当たり前のことを口にしているだけだが? 大体嫌がる男を無理矢理犯すなどエルフと対して変わらんではないか。お互いに同意し愛し合ってこそ初めて意味があるものだろうに」
「貴女が真の紳士か――じゃなくて淑女か」
衛鬼から見て、ジナは肉食系女子が跋扈する世界で唯一の救いであった。
人間の敵対者であり世の女性の天敵として扱われている醜悪な存在が、皮肉にも弱気を助け男性と対等な立場で付き合おうとする常識人とは生前の世界のオタク達が見れば信じ難い光景として驚愕し――新たなジャンルの開拓として瞬く間に爆発的な人気を巻き起こしていたに違いない。
狂った男女比率から結婚願望者が続出しても、常識を持った者はいるのだ。ただ不幸なことは、ほんの一握りだけしか存在していないことだ。
「それにだ。我にだってその、男性に求める理想はある」
「やっぱりそうですよね。誰でもいいから既成事実作って結婚するとか間違ってますよね」
「……時にエイキよ。主はその、女性に求める理想はあるか?」
「ありますよ」
即答する。
理想がなければ、今頃肉食系女子の誘いを受けて重婚も喜んでしていた。それをしなかったのは、衛鬼として生きていた頃より抱いてきた理想の女性像があったからこそ。
「俺はですね、帰ってきたところを暖かく迎えてくれて料理を作って癒してくれる……そんな心優しい家庭的な女性が好きなんですよ」
刃崎衛鬼の両親は夫婦揃って武術家である。
二人共代々受け継がれる武術を学び会得し、後世に託さんと日夜修練に励む日々を過ごしてきた為、生活に対する技術はからっきしと言って相違ない。
一応女性が家事をするのが一般家庭の妻と言う価値観から母親が家事を担うことになったものの、武術しかしてこなかった人間がいきなり満足な家事が出来る筈もなく。
舌が未発達でまだまだ味を知らない幼少期にして自分で自炊することを固く誓う程、出される料理は衛鬼にとって最悪の一言に尽きた。早い話がメシマズである。
美味くないと文句を言えば包丁やまな板が投擲され、学校から帰り自信作だから食べてと勧められた料理を見て全力疾走で家から逃げ出し――結局捕まって完食するまで見張られる拷問まがいな罰を受けさせられたのも、刃崎家では珍しい光景ではなかった。
それ以降武術の英才教育を両親から受ける傍らで必死に料理の勉強にも精を出した。小学校低学年にして遠足の日に自分で弁当を作り持って行った際には、友人達からはオカズの交換をして人気を集め、担任を務めていた教師からは虐待されているのではと疑われた。
成長するにつれて彼女や将来結婚することを考えて、自身が過ごしてきた人生から衛鬼は家庭的な女性に憧れるようになった。自炊出来る分わざわざ他人に作ってもらう必要などないのだが、他の家庭で母親が作った料理が衛鬼にはレストランで食事しているのと同等に美味しく感じた。
故に衛鬼は家庭的な女性を妻として迎えたいと言う願望を抱いている。それは転生してからも絶対に変わることはない。
「……なんと言えばいいか。我と同じく相当難しい理想像だな」
「えぇ、わかってます。わかってますよそんなこと言われなくても。でも仕方ないじゃないですか、そう言った女性が好みのタイプなんですから――それで、ジナさんの持ってる男性への理想は?」
「我か? 我はだな……強き者だ」
頬を赤らめジナが照れ臭そうに頬を掻く。
つくづく、誰よりも女性らしい仕草に衛鬼は感動に近いものを憶える一方で、彼女の理想が自身と同等に困難であることに同情する。
戦に出るのは女性の役目とされている世界で、ジナの言う理想の男性が存在するのは天文学的確立と言って相違ない。
衛鬼のように生前の価値観を持ったまま転生した人間ならばまだしも、そう何人も同じ世界に転生しているとも限らない。今までのライトノベルから倣えば一作品に登場する転生者は主人公を除いていないケースの方が圧倒的に多いのだ。
仮に純粋な住人の中にジナが理想とする男性が存在していたとしても、彼女が出会えるとも限らない。
ネットがあれば出会い系サイトやSNSと言った手段で連絡を気軽に取り合えるが、そんな便利な物は何一つ存在しない。
広い世界で目的としているものを手探りで探す。それがどれだけ困難を極めるかは語るまでもないだろう。
「確かに我が抱く理想は広大な砂漠で一匹の蟻を見つけるのと等しく困難と言えよう。しかし今、その道にもようやく終わりが見えた気がする」
「へぇ……」
「エイキ、まずは我と恋人として交際してほしい」
「って俺だったんかい!」
強き男を求めているジナの目に留まる理由がわからない。
衛鬼の抱くファンタジー世界での強い男とは、武術だけでなく魔法に優れ更に他者が扱えない極めて特殊な属性を自由自在に操る、所謂チート級のイケメンキャラと言うイメージがある。
故にイメージと己を照らし合わせてみれば、ものの見事に該当しない。魔力なし、魔法は使えない、特化した技能もなし、ただ古流剣術が使えるだけのごく普通の人間。それが刃崎衛鬼である。
もし先のエルフとの戦闘で判断したと言うのなら、ジナが抱く理想の基準は随分と低めに設定されているらしい。
「強いとは単純に武が優れているだけではない。何事にも退かぬ勇気、己を失わない冷静さ、それらを総合して初めて強さとなる――エイキよ、主は紛れもなく強き者だ。だからこそ我は主の姿に惚れたのだ」
「って言われましてもね……」
「ぬぅ、やはり多種族との交際は望まぬか?」
「いや、種族云々って言うよりはジナさんは俺の持ってる理想の女性とは程遠いですしお寿司」
「何を言う。我も料理の一つや二つ出来る」
意外な事実に衛鬼は関心の声を漏らした。
強くて料理も出来る女オークと言うのも非常に珍しい。
「例えばどんな料理が得意ですか?」
「……丸焼きだ」
「ダウト」
一般家庭で丸焼きが出されることもそうないだろう。何より同じ料理ばかりでは味に飽きるばかりか健康上にもよろしくない。常日頃料理の多彩なレパートリーを踏まえて健康の維持及び向上に繋がる食事を考えるのも、台所に立つ者の務めだと衛鬼は意識している。
従ってジナの料理は家庭的ではない。
「すいませんけどお気持ちだけ頂いておきます」
「ぬぅ……どうしても無理か?」
「確かにジナさんは魅力的な女性とは思います。けれど、やっぱりごめんなさい、お付き合いすることは出来ません」
好意を向けられているからと言ってあやふやな気持ちで応えることは、返って相手を傷付けることにもなる。生前その過ちを犯した友人は相手を深く傷付け、代償として学校を卒業するまでの間全校の女子生徒から軽蔑の眼差しを向けられる羽目になった。
衛鬼は慎重に言葉を選びつつ丁重に断る。同じ轍は決して踏まない。
「そうか……残念だ」
「すいません」
「……いや、いい。すまなかったなエイキ、主もゆっくり休んでいってくれ」
落ち込んだ様子でゲルへと向かっていくジナの後姿に、湧き上がる罪悪感を殺して衛鬼は静かに感謝の気持ちを込めて頭を深く下げて見送る。
そしてタイミングを見計らったかのように、次々と待機していたオーク達が話し掛けてくる。リーダーがいる手前気軽にアピール出来なかったのだろう。
趣味や大刀について、お茶をしないかと色々と尋ねられる。どれもこれもごくごく普通の内容の会話だ。だからこそオルトリンデにいる女性とは違って淑女として振舞うオーク達に感心し、比較的気を楽にして話せることに奇妙な感動を憶えながら衛鬼は返答する。
――以前に、これが普通だ。
最初から結婚についてや性行為の強要をする女性達とは大違いである。
「お、お待たせしましたエイキ君!」
負傷した箇所に包帯が綺麗に巻かれたリリルナ達がゲルから出てくる。
「もう大丈夫なんですか?」
「はい! オークの人達のおかげで全然へっちゃらです!」
「それならよかった。それじゃあそろそろ帰りましょうか、あまり遅いと流石に怒られるし」
まだ日も高く三人の王女による護衛が付いているものの男が長時間外を出歩くことに、母親が許す筈もない。今後の人生計画を考慮して一度オルトリンデに戻ることが得策と判断した衛鬼は飛び掛ってくるココを拳骨で迎撃した。
「さてと、ジナさんに挨拶してから帰ると……あ、ジナさん!」
「エイキよ、オルトリンデへと帰る前にこれを主に渡しておく」
ゲルより出てきたジナから、親指大の小さな布袋を渡される。携帯電話のストラップのように隙間に通して装着出来る細い紐が取り付けられていた。
「これは?」
「それは我がオーク族に代々伝わる御守りだ。本来は男が戦場へ旅立つ戦士達に送るものだが、まぁ今回は異例として我が主に送ることにした」
「へぇ――因みにこの袋の中には何が入ってるんですか?」
「それはだな、その……」
「……あぁ、もしかしてそう言うことですか」
頬を赤らめるジナに衛鬼は察した。さり気無く右手で下腹部の辺りを撫でていることがいい証拠である。そして先程まではなかった、太腿を伝う透明の液体はきっと気のせいだろう。
心なしか日差しが熱い。冷房や扇風機と言った暑さを凌ぐ家電製品がないゲルの中は想像以上に熱いに違いない。だからあれは汗なのだ。
「その、ご利益があるように多めに入れておいた」
「別に聞いてないですけど」
女性が身篭り出産すると言う、現代では生物学的現象として誰しもが認知しているが先人達にとっては神秘として認識されていた。故に神秘が宿る女性の陰毛を御守りとして戦地に持っていた、と言う逸話が古来日本にはある。
その風習が、よもや転生した第二の世界で再び目にするとは恐ろしい程の偶然だ。
「その中には何が入ってるの?」
「……さぁ、何が入っているのかワタシさっぱりわかりませーん」
「どうしてそんな変な口調なんですかエイキ君」
「アタシ……ない……がっくり」
心底落ち込んだ様子で項垂れるココ。
――なんで他国の王女がオーク族の風習を知ってるんだ?
誰よりも歳を取っている分、博識なのだろう。そう言うことにした。
「それじゃあジナさん、今日は本当にありがとうございました。もしオルトリンデによる機会があれば是非寄っていって下さい。その時は……まぁ大したおもてなしは出来ませんけど、精一杯もてなさせてもらいます――うちのメイド達がですけど」
「……そうだな。ではその時は遠慮なくもてなしてもらうとしよう」
「それじゃあ、俺達はこれで」
ジナに別れを告げて衛鬼はオルトリンデへと向かって歩き出す。
「最初の冒険譚にしては随分と楽しかったな」
今日の出来事を振り返る。
言うなれば今回は物語の序章にすぎない。主人公の広大な冒険はこれから始まる。
従って刃崎衛鬼の物語も始まろうとしている。否、始めなくてはならない。
「次こそは! 次こそはボクの凄いところをもっと見せますから!」
「もう充分見させてもらいましたよ。ジナさんも言ってましたけど、俺に自分をアピールすることばかりに集中しすぎないで下さいね?」
「エイキ……おなかすいた」
「お前は……まぁいい。確かに俺も腹が減ったし、帰って飯にでもしますか!」
「期待してるわよ?」
「ご心配なく。ミリアを含んでウチにいるメイドは戦闘も家事もなんでもござれですから」
空腹を訴える胃に応えるべく、衛鬼は歩を早めた。