CHAPTER:02
城下町に出る。
王子と言う立場だが素性を隠すことを衛鬼はしなかった。
堂々と素顔を晒し目が合えば会釈する。
会釈した相手は黄色い声をこれでもかと上げて自慢し、仮に声が掛からずとも一目異性を見れただけで満足だと興奮の眼差しが向けられるのは日常茶飯事である。
住人達の活気で多いに盛り上がっている大通りを歩く。
絶えず笑顔で接客している商売人や世間話に花を咲かせている男性達、無邪気に走り回っている女の子達の後ろを小動物のようにとことこと追い掛けていく小さな男児。その姿に大人の女性達は獲物を見つけた餓えた獣のように眼を怪しく輝かせ見つめていた。
怪しまれないように必死に優しい笑みを浮かべているが、返って不気味さが増しているだけだと彼女達は気付いていない。
不幸にも標的にされてしまった男児は涙目を浮べて泣き出してしまった。
今日もオルトリンデの町並みは変わらない。
「相変わらず活気だけはあるよなここは」
愚痴るように呟く。
オルトリンデは大国ではなく小国。
特に目立った産物もなければ他国に特化した技術がある訳でもなかった。
そう、数年前までは。
視線を横に向ければ露出度が高く男性からすれば眼の保養にも、眼のやり場に困る際どい防具で身を包んだ女性が至るところにいる。
曰く、露出度が高めに設計されているのには機動性を重視した戦法を取る為――と言うのは建前であって実際は男性を見つければ即座に性行為を行い、そのまま既成事実を作り人生の勝ち組になることが本来の理由である。
男性の数は少なく、更には男性からの接触がない限り半径一メートル以内に近付いてはならないと言う法律が存在する。加えて女性が多いともなれば、当然結婚競争率も大きく跳ね上がる。
男のような生き方をする女性でも、やはり結婚や暖かい家庭は憧れなのだ。
白馬に跨った王子を世の女性達が求めているかは別として、男性を手に入れず生涯独身のままで過ごすことは彼女達にとっては敗北者の烙印を押されるのも同じ。
従って是が非でも男性を我が物にする為に行き着いた結果の一つが、露出度の高い格好であった。
やりたい時にやる。実に男らしい台詞だが、それを向けられる立場からすれば恐怖でしかない。
当初は男性をその気にさせる為のアピールを目的としていたが、常日頃から性的な目を向けられている男性からすれば魅力など一切感じないので効果は皆無と判断し、方向性を受けから攻めに変えたらしい。
どちらにしても、衛鬼を初めとする世の男性からすれば迷惑極まりない話である。
ある日突然見知らぬ相手に力尽くで押さえつけられ抵抗虚しく性欲を発散させられる――強姦被害にあった女性の気持ちが、転生した先で理解するなど衛鬼が夢にも思わなかったのは当然と言えよう。
もし王族の人間ではなく一般市民として転生していたならばどうなっていたか。
強姦被害者の一人として人生の墓場へと連行されていた姿を想像して、衛鬼は身震いした。
過去、元の世界では男性が女性を強姦する事件は多くあった。
逆に女性が男性を強姦すると言うケースも存在したそうだが、テレビのニュースで報道された記憶を衛鬼は持っていない。
精神的に病んだ女性が好意を向けている男性を何かしらの方法を用い拘束してそのまま――などと言う、ある種オタクからすれば興奮するヤンデレな女性は所詮創作の世界にしか存在しない生き物だと認識していた。
ここでは、そんな創作が現実として実際に起こる。
閑話休題。
彼女達の獲物は剣、槍、斧、弓と多種多様である。
しかし今ではある武器を一緒に携帯する姿が常に見られるようになった。
誰しもが左腰に携えているのは一振りの剣。衛鬼が持つ自国が誇る誇りを異世界の技術と合わせて作り上げた。
日本刀――小さな島国の鍛冶師が独自の製法によって編み出した折れず、曲がらず、よく切れるの三台名詞の持つ最強の近接武器である。
仕手の技量にも左右されるがその気になれば堅牢な頭部を守る鋼鉄の兜すらも一刀両断する抜群の切れ味を誇り、滑らかな反りと刀身に描かれた独特の刃文の美しさから芸術品としても取引されたと言われる。
世界観が西洋なだけあって、主流とされる剣は映画や漫画でも目にする両刃の刃だった。中には片刃のものも存在したが、使い慣れている得物は西洋剣ではなく日本刀であった為か、衛鬼の転生した肉体には馴染まなかった。
そこで異世界の素材を用いて日本刀の製作に乗り出したところ見事に大成功を収めた。
今となっては数多くの女性が腰に日本刀を携えている。
実用品と言うよりは一種のステータスとして携帯している傾向が強く見られる。事実他の刀剣類よりも制作費や日数が掛かるとされる為値段も非常に高い。
故に日本刀を持っている人間は豪華と言う妙なステータスが気付かぬ内に生まれた。
互いの日本刀を自慢し合っている女性達に苦笑いを浮かべ町を歩き――ふと、その足を止める。
「……少し立ち寄っていくか」
城下町の一角に設けられた小さな武器屋。
扉を潜れば薄暗い店内を飾る無数の武器達が出迎える。
樽の中に乱雑に詰め込まれているお手頃価格から、壁に丁寧に飾られた業物級と幅広く取り扱われている。以前より主流であった剣や槍なども無論置かれているが、品揃えや展示の形を見れば店主がどの武器を推しているか一目瞭然である。
「い、いらっしゃいませエイキ様!」
「おはようメリル、今日も儲かってる?」
「お、おかげさまで繁盛してます!」
店の奥から現れた桃色と言う極めて珍しい髪色した女性に衛鬼は目線を僅かに逸らした。
上半身裸にオーバーオールと痴女と思われても可笑しくない格好で出迎えられれば、正常な思考を持つ健全な男子であれば目の毒であり、保養ともなる。
それが巨乳の持ち主で歩く度に上下に揺さぶられ、肩紐で辛うじて隠れていた桃色の突起物が露出されれば、如何に精神年齢がとうに三十路を越えている衛鬼と言えど男子として生を受けている以上反応しない筈もなく。
――いつ見ても反則だろ、アレ……。
若干前屈みになり心頭滅却の気組みで高ぶる刃崎衛鬼の分身を沈める。
徐々に落ち着きを取り戻したのを確認して、姿勢を正すと改めて衛鬼は女性を見た。
ファンタジー小説などでは絶対に欠かせられないであろう職業の一つ、鍛冶師。冒険者達の手助けとなる武器や防具を販売し、時には自ら素材を集め強い武器を製作するのは王道である。
武器屋『フェルム』の経営者であり日本刀の生成に成功した女性鍛冶師――メリル。童顔で一見すれば同年代にしか見えないメリルだが、既に二十歳を越えた立派な成人女性である。
そして男の性欲をくすぶらせる格好を作業服は何年の付き合いになろうと未だに慣れない。
肉体が精通を迎えていない頃より堂々と上半身裸で乳房を曝け出すような女性達に囲まれた環境に発散出来ない性欲に落ち着かない日々を過ごしていた中で、メリルは特に衛鬼にとっては強過ぎる刺激であった。
土下座して頼めばメリルに限らず、それこそ城にいる女性ならば誰しもが喜んで夜の相手を務めてくれる――が、和姦の筈が強姦に近い形で逆に相手の性欲を発散させる側に回るのは必然である。
経験者は語る。転生して初体験の相手を務めてくれたミリアも例外に漏れることはなかった。
男は狼とよく言うがこの世界では女は魔獣なのだ。
「そ、それで今日はどんなご用件でしょうか?」
「あ、あぁ。偶然店の前を通ったからちょっと立ち寄っただけ。ついでに少し運動していこうと思うんだけど、裏使ってもいい?」
「も、勿論です! どうぞ此方へ!」
メリルの案内の元通された店の裏側。
小さな柵で囲まれた凡そ一坪程の小さな敷地は武器屋『フェルム』で購入する前の試し斬りが行えるスペースとして設けられている。
周囲を確認する。誰一人利用者はなし。
続けて店内を再度確認する。武器を購入する来客者の姿も見られず。
完全に自分だけであることを確認し終えて、衛鬼は最端に設けられた一本の藁束に一礼すると腰の得物を静かに鞘から抜き放った。
造込みは鎬造り、刃長は二尺四寸五分、刃文は広直刃……日本刀としてはごく標準的な代物である。しかし入念に立てられた刃は通常のそれよりも厚く重ねられている。如何にも強靭さと切れ味を追求された剛刀と言った風情である。
相手にするのは人間ばかりではない。
時には恐ろしい魔物を相手にすることもある。
王子であり男性と言う立場である為衛鬼は魔物と戦闘をした経験がない。だが万が一、来るべき時が訪れた際少しでも対処出来るように常日頃から資料を目にしては自分なりに対策を練り、独自に修練を積んできた。
その対策の一つであり、転生した人生で新たな相棒であるのが今手にしている大刀だ。
「ここでしか真剣が振るえないって言うのも、本当に馬鹿げた話だよなぁ」
陽光を浴びて美しく輝く白銀の刃を眺めながら、一人愚痴を零す。
城内で真剣の使用は固く禁じられている。以前に真剣の携帯そのものについても男だから、王子だからといい顔はされなかった。
時間を掛けて説得し続けた上、帯刀する許可をなんとか勝ち取ったものの、いざメリルより受け取った日本刀を振るわんと意気込んだはいいが今度は抜刀することが許されなかった。
幼い子が包丁を手に料理をするのとは訳が違う。けれども両親達は万が一怪我をされては一大事であると、頑として首を縦に振ろうとはしなかった。
では修練は如何にして行えばいいかと訪ねれば、渡されたのは一振りの木剣だった。
城内で修練を行う際に国王より与えられた鉄則は三つ。
一つ、修練をする際は必ずミリアの監視下の元で行うこと。
二つ、真剣は絶対に使用しないこと。
三つ、修練は一日五十本素振りのみを行うこと。
――まるで、ゲームばかりする子供に親が強制させる約束事みたいだ。
制限された修練など何の意味も成さない。
ただ男であると言う理由で自由が奪われる生活に嫌気が差すのは至極当然だった。
故に衛鬼は城内では修練を行わず、時折メリルの店に訪れては修練を行うようにしている。
「…………」
深呼吸を一つして、精神を整える。
それが完了したところで、衛鬼は手にした大刀を構えた。
左足を前に出し、右足を後ろに引き、大刀はやや担ぐ形の右上段に構える。
力強く地を蹴り上げる。跳躍に近い踏み込みで右足を前に出し、連動して構えていた刀を鋭く打ち落とす。
上段に構えた大刀が唐竹に振り下ろされる度に鋭く空気を切り裂く音が奏でられ、白銀の閃光が縦一文字に駆け抜ける。
斬、と言う音と共に巻き藁が袈裟に両断される。
手に伝わるモノを斬った感触に心が躍る。傍から見れば危険人物だが、根っからが剣士である以上、剣士としての性には逆らえない。
両断された巻き藁を片付けて、新たな巻き藁を用意する。
新たな標的が目の前に現れて、ふと、衛鬼は視線を感じた。それも突き刺さるような邪気を孕んだ、とても禍々しい。
眼球を動かしてその方向を見やり、即座に嫌な顔を浮かべる。
――なんでお前がここに。
柵の向こうにいる視線の主に、衛鬼は溜息を一つ吐いて納刀する。
外観は肉体年齢の今の自分と差ほど変わらない。
白を主体としたレオタード上の衣装の上に真紅に輝く板金鎧で身を飾っていた。それ以外は特に何も纏っておらず、白く綺麗な素足も曝け出されている。
正気を疑いたくなる衣装だがこの世界では許される為、衛鬼は心の内で一人ツッコミを入れた。
得物は腰に帯びた一振りの剣。白鞘に宝石と黄金で装飾されていることからかなりの業物であることが伺える。
傍から見れば絵になる美少女と、誰しもが口を揃えて言うだろう。
鼻息を荒立てながら鼻血を流し今にも飛び掛りそうでなければの話だが。
ただ少女が立っているだけならば別段気にする必要はない。実際メリルの店で修練に励んでいる時は多くの女性から見られている。
稽古は本来人に見せるものではない。戦闘において相手の技を知る、知らないでは大きく戦局に関わってくる。その為公衆面前での稽古は相手に対策を考えろと言っているのも同じだが、未だに磨き続けている技を披露したことがない衛鬼からすれば、ただの素振りを見られたところで特に大きな問題はなかった。
だが、今回は見ている相手が己の知人であることが問題なのだ。
「……何やってるんだよアリッサ」
「ハァ、ハァ……エイキ! また勝手に城下町を一人で、ハァ……出歩いてるのね!」
王国騎士団第一師団長、白百合姫のアリッサ。剣を抜き一度戦場に出れば美しき華麗な剣技で数多くの敵を屠ったオルトリンデ最強の騎士。
実際は結婚願望が激しく相手が王族であろうとをお構いナシに既成事実を作らんと日夜企んでいる超が付く程の危険人物として、衛鬼のブラックリストに入れらている一人である。
そのブラックリストと幼馴染の関係を築いている事実は、衛鬼にとって人生最大の汚点でもあった。
そこには所謂ラブコメのような甘い展開は一切無い。
精神年齢が年上だから可愛い妹分として面倒を見たら一方的に惚れられ、十歳にして毎日スープを作れと告白され、断った瞬間から即強姦されそうになった。人としての道を踏み外した幼馴染など誰も欲しくない。
常識で考えれば幾ら若くして王国騎士団の師団長の座に着いた天才だとしても、王族の子息を強姦しようとすれば最悪死刑は免れない。
だがアリッサは堂々と国王の前で息子を夫として絶対に娶ると宣言し、ならば乗り越えてみせよと何故か乗り気になった彼女と王道的熱く激しい戦闘描写を三日三晩演じて――結果両親を認めさせたのだから素直に凄いと驚かざるを得なかった。
しかしその行動力をもっと他のことに生かせなかったのか、と現在に至っても衛鬼の中で永遠の疑問として残っていた。
ともあれ、衛鬼にとってアリッサと言う存在はストレスそのものである。
昼夜問わずいつ何処から貞操を狙って襲ってくるかわからない恐怖を毎日味わい続けていれば、城の中にいるのも億劫になるのは当然である。それが両親公認であるから尚性質が悪い。
生前寝静まった深夜帯に狙われた経験など皆無。戦国時代ならばまだしも平和な平成の時代で時代劇のようなことが一般家庭で起こるなど天文学的確立である。故に転生してから人生初めての寝込みを襲われて、いつしか僅かな気配で即座に動けるようになってしまった。
世の中には喜んで受け入れる変わり者もいるだろうが、好きでもない相手と結婚する気は一切ない。
「それで、今日は馬鹿みたいに正面から挑んできたって訳か? 後鼻血なんとかしろ、見ていて凄く気持ち悪い」
「まさか。悔しいけどエイキには正面から単身で挑んでも勝てないだろうし、それに好きな男は滅茶苦茶にして自分だけの物にしたいの私。それと鼻血が出るのはエイキがエロいからよ――あ、ちょっと胸板が見えた」
「酷い言われようだな――それじゃあ用件はなんだ?」
「国王様がお呼びよ。なんでもエイキに会わせたい人達がいるんですって」
ハンカチで鼻血を拭うアリッサの言葉に、衛鬼は沈思する。
母親が自分に会わせたいと言う人物に心当たりはない。それが単数ではなく複数であれば尚更のことだ。
いずれにせよ、この場で自問し続けていても答えは出てこない。
知りたければ城に戻ればいい。
何処の誰がどのような目的で対面を望んでいるかはさておき。ただ呼び戻されただけならばアリッサを昏倒させ雲隠れしていたが、客人を待たせているのであれば話は別。いつまでも待たせるのは失礼に値する。
拭った後から鼻血を出しているアリッサを他所に、衛鬼は踵を返す。
「隙あり!」
「何処に?」
背後から奇襲を仕掛けてきたアリッサの腕を掴み取り勢いのまま背負い投げる。
見事なまでに決まった一本背負い投げを受けたアリッサは積まれていた樽に直撃。派手な音と共に豪快に破壊された樽の木片が降り注ぐ中でアリッサが気を失ったのを見届けて、今度こそ武器屋『フェルム』を後にした。