CHAPTER:01
本日の天気は快晴。
清々しいまでに青一色に染め上げられた雲一つない広大な空を小鳥達が優雅に泳ぐ。
地上に恵みとして降り注ぐ暖かな陽光を上半身に浴びながら、衛鬼は大きく伸びをすると同時に横たわっていたベッドより身体を起こした。
ベッドの位置的にどうしても朝になれば直射日光を、夜になれば月光が上半身を照らしてしまう。
それを不快に思ったことは一度もない。
朝を告げる自然の目覚まし時計は眩しすぎるが、気持ちよく起きることが出来る。
夜になれば神々しさすら感じる月光の雰囲気がいい安眠効果を生み出す。終始開けたままの窓から入り込む微風が肌を優しく撫でる心地良さが相まって毎日安らかな眠りへと就けた。
無論真冬に同じことをすれば自殺行為に等しい為季節は限られてしまうが、衛鬼の睡眠スタイルはこの形として成り立っている。
現在の季節は春。春を象徴する桜の花弁が咲き誇り、一つの終わりと新たな始まりを感じながら親しい友人達や会社の同僚と花見をして大いに盛り上がるのが風物詩だが――異世界にそんな習慣は存在しない。
長年過ごしていも、芯が日本人である以上どうしても寂しく思ってしまう。
言っていても始まりはしない。無い物を強請ったところで手に入るものでもないのだ。
頬を叩き、完全に意識を覚醒させると衛鬼はベッドから降りて身支度を整える。
白の長袖の上衣に赤を主体とした長羽織、黒の長袴とレザーブーツで身を飾る。質素なベルトを腰に通し、そして己の半身とも言える新たな“相棒”に手を伸ば――そうとしたところで、慌しく扉が開かれる。
呼吸を激しく乱している入室者は、またかと言いたげで苛立ちと怒りが混合した表情を浮かべている。
「エイキ様! また勝手に一人でお着替えをしているのですか!?」
「おはようミリア。後朝早くに大声出したら皆に迷惑だから注意しろって毎日言ってるけど?」
「も、申し訳ありません……って! エイキ様が毎度ご自分でされているからじゃないですか!?」
今日も相変わらず怒りを露にするミリアに、衛鬼はやれやれと溜息を吐いた。
彼女達メイドの仕事は仕えた主人に奉仕することにある。
炊事を初めとした身の回りの世話は勿論、危機から守る近衛兵としての役割も担えば、情事の世話を要求する主人も世の中にはいるらしい。そこから芽生えた身分さ結婚がつい最近メイド達の中で流行の妄想となっているらしい。
閑話休題。
衛鬼の存在は一国の王子と言う立場にある。早い話が人に命令出来る程偉い。
だからと言って、その立場を利用して傍若無人に振舞うなど愚行の極み。
王子と言っても、与えられた権力は親が汗水流し多くの犠牲や葛藤を乗り越えた上で手に入れたからであって決して自らの力で築き上げた力ではない。
大抵の王子は全て親の偉業であることを忘れている場合が多い。
とある財閥の息子が一般高校で我侭を尽くし、それを一般人のヒロインから窘められるところから恋へと発展して行くラブストーリーのドラマを目にした時には、製作上の設定であると頭では理解していても苛立ちを募らせざるを得なかった。
着替えや整容など子供の頃から親に教えてもらうことを、わざわざ他人にやってもらいたいなどと言う気持ちを衛鬼は一切持ち合わせていない。
その為いつもの感覚で自分ですれば、メイドのミリアに怒られている。この光景はオルトリンデ城では日常風景と化し、今となってはまたやっているのかと周囲から優しい目で見守られるようになった。
実際のところ、言っても聞かないから諦めただけかもしれないが。
「と、兎に角エイキ様のお世話は我々メイドのお仕事です! 例え他の皆が諦めようとも私だけは絶対に諦めたりしませんからね!」
「以外に頑固だよなミリアって。もっとポジティブに考えろよ、自分の仕事が一つ減ってラッキーってぐらいにさ」
「そんな事は断じて思いませんから!」
一メイドであったミリアも今ではメイド長と言う立場にある。
長と言う立場上周囲のメイドに示しがつかないから奮起していることは、当事者である衛鬼が誰よりも理解していた。
ならば素直に彼女の言葉に従ってこれから身の回りのことは全て委ねよう――と言う気が起きる訳でもない。妥協出来る部分は妥協するが、それ以外は断固として拒否する。生前からの流儀を、転生先であるこの世界でも曲げたりはしない。
「もういいです。この話はまた後でゆっくりと時間を掛けてさせて頂きますからね」
「もう何回も聞いてるからしなくてもいいだろ」
「素直に従って下されれば何度もしなくて済むんです! だいたいエイキ様は王族であるご自覚が全くありません。国王様が一体どれだけ頭を悩まされていることか……!」
「それより今日の朝飯って何?」
「あ、今日の朝食のメニューはつい先程手に入った新鮮な魚を使ったスープと……ってまたそうやって話をはぐらかす!」
「腹減ってるのに朝から説教なんて聴きたくないよ。先に食堂行くからな」
改めて手に取った“相棒”を腰に差して、不服の色をこれでもかと顔に浮かべ小言を垂れるミリアを他所に衛鬼は食堂へと足を運んだ。
◆◇◆◇◆◇◆
刃崎衛鬼と言う一人のちっぽけな男が何処かで死んだ。
理由は不明。何度思い出そうとしても、死因に繋がる情報が存在しない。
突然突風によって飛ばされた物が後頭部に直撃した、などと死を意識する間もなく死んだのなら記憶が存在しないのも頷ける。
いずれにせよ、刃崎衛鬼と言う存在が地球から去った事実は変えられない。
肉体と言う器を離れ輪廻転生の輪に潜り新たな生命として誕生する――と、実際に死後の世界がどのようなシステムで死者の魂を取り扱うかはさておき。
消去される筈だった記憶は保持したまま、地球と言う生まれ故郷を離れどこかもわからない異世界の住人として転生した。
否、果たしてこれを正規の転生と呼んでいいものなのか。衛鬼の疑問は永久に消えない。
衛鬼が異世界で意識を覚醒させた時、第二の人生のスタートは誰しもが生まれて以上避けて通れぬ赤子の状態ではなかった。
――エイキと言う存在は僅かな、けれども確かに五年の時を生きた。
両親の目を盗んで一人外で遊んでいたがミリアに見つかり慌てて逃げようとした矢先、階段を踏み外して高さ二十段から落下、頭部を強打し意識を失い自室へと連れられ――そこで衛鬼としての意識が覚醒している。
僅か五年間でエイキと言う物語が突如打ち切りを告げられ、連載を要求する読者の要望から衛鬼と言う違う形の物語として新連載をスタートされた。
現状を例えるなら、これ以上適した言葉を衛鬼は知らない。
一度は確かに抹消された衛鬼。それが突如として覚醒されてエイキとして生きることを強制された。
異なる肉体に宿った異なる魂。
神の所業としか思えぬ事象。ならば此度の一件は全て神による仕業――と考えるのも実に馬鹿らしい。
神が存在していたと定義して、何故一般人だった男の記憶をわざわざ現世に降ろす必要があると言うのか。
加えて何の因果か、与えられた名前は字こそ異なれど生前と同じ名前。
衛鬼……本来邪道とされる鬼だがその力で人々を衛れる、そんな男となってほしい。
エイキ……古の言葉で希望を意味する。オルトリンデの民の希望となる光となってほしい。
生前と現在、二つの両親より与えられた名前も、大まかな意味も全てが共通している。
奇妙な偶然もあったものである。
いずれにせよ、衛鬼にはエイキとして生きていくしか選択肢はなかった。
現状と己の立場を理解して納得出来ないから自害して輪廻転生の輪に乗ります――という願望はない。
どんな形であれ刃崎衛鬼の意識を持って異世界へと招かれたのは事実。
ならばこの誰しもが羨むシチュエーションを楽しまなくてどうすると言うのか。
何処の誰の思惑かは知らない。知らなければ知ろうとも、知りたいとも思わない。
大切なのは今なのだ。生きているのだから生を謳歌する義務がある。
こうして衛鬼の第二の人生が連載を始めた。
そう、連載が始まった。
物語を盛り上げる主人公が一向に冒険に出ず城で毎日のほほんと変わり映えのしない時間を過ごすストーリーを、果たして面白いと思える人間が何人いようか。
「……退屈だ」
「またそんなことを言っているのですかエイキ様は!」
朝食後、約束通りと食堂へやってきたミリアに説教部屋へと連れられてから早一時間が経過する。
勿論内容はいつもと対して変わらない為、機関銃のように飛んでくる小言を右から左に受け流し、衛鬼は終始窓の向こうに広がる景色をぼんやりと眺めていた。
説教交じりに聞こえてくる気合の入った声の主は、この国や民を守らんとする女騎士達の修練によるもの。
美女達が剣を手に取り戦う姿は萌えるしむさ苦しい男よりも充分に映える。
陽光を浴びて白銀に輝く剣と剣が中空で交差する。
刃を潰した、俗に言う模造剣で実戦さながらの稽古は遠めに見ていても彼女達の真剣みが伝わってくる。
無論模造だから真剣のように斬れる心配はないが、金属の塊を振り回していることに変わりはない。まともに直撃すれば骨折は確実だ。
しかし人とは痛みを知らなければ憶えない生き物。下手に手を抜いた修練でいざ実戦の場で現実を知り案山子になられるよりは、一見過度に見える修練は効率的である。
――嗚呼、どうしてその場に俺はいちゃいけないのか。
欲しい玩具が親に買ってもらえない子供が、目の前で他の子供が買ってもらっている姿を羨む気持ちで衛鬼はいつも女騎士達の修練を眺めていた。
刃と刃が打ち合う度に奏でられる金属音が、魂を震えさせる。
刃崎衛鬼として生きてきた際に染み付いた習慣は、転生した後でも継承されている。
それを隠すことなく解放して、ミリアや両親からこっぴどく叱られたのは今となっては懐かしい思い出の一部として記憶に保存されている。
「大体、エイキ様は男の子なんですから剣なんて持つ必要はありません! 男性を守るのは女の役目なんですからね」
「……反吐が出るね」
オルトリンデは――否、世界そのものの価値観が逆転している。
力仕事も甲冑を纏い剣を手に取るのも全てが女性の仕事であり、男性の仕事と言えば家事や育児に精を出すことである。それがこの世界に敷かれた理だと知った時、頭を抱えてしまったのは言うまでもない。
女は強く勇ましくたくましく、男は御淑やかで心優しく生きる生き物であることが世間一般の常識である。
従って元の価値観がある衛鬼は、周囲から見れば異端児でしかなかった。
幼少期同世代の子供が絵本やお絵かき、おままごとで遊んでいる中で活発で女子と同じように過ごしていた――それが王子であれば尚更奇怪な光景として目に映ったに違いない。
頭を強打したことによる後遺症として誤診され、必死に元の生活に戻そうとした両親やミリア達従者の必死さから逃げ回る数年間は衛鬼からすれば苦痛の一言に尽きよう。
肌の露出を極力抑えた暑苦しい衣装を無理矢理着せられた。
幸い衣装自体は男性ものだが、もしこれでフリルの付いたゴスロリ衣装を着せられていたものなら発狂していたと今となっても断言出来る意味のない自信が衛鬼にはあった。
乱暴で粗暴と捉えられる元の話し方も指摘され、丁寧な言葉遣いを憶えさせられた。語尾にですわ、と高飛車貴族令嬢が言いそうな語尾を付けろと言われて関西風に口にして拳骨を落としたミリアとは一時間の口論となった。
時には同年代の子供と遊ばせられることもあった。
しかし精神年齢だけを見れば衛鬼は既に成人男性である。
故に外観上同年代の子供を遊び相手として送られれば、逆に年長者として面倒を見なくてはならないと言う気持ちに駆られ逆に遊び相手となっていた。男の子であることを自覚させる両親の思惑通りにしなかったことで落胆させる結果とはなったものの、一方外観とは裏腹に大人としての対応を見せる姿には感心された。
「今の時代、男とか女とか関係なく出来て当たり前なんだけどな」
「今の時代って昔から何も変わっていません!」
「でもさ、出来ること事態は問題ないし損じゃないだろ?」
「それは、そうですけど……ですがエイキ様は貴重な男性なのです。男性と言う存在が国宝に匹敵する価値を持っていることはエイキ様もご存知でしょう!?」
オルトリンデに限らず、世界そのものの男女比率が均等ではない。
この世界では惑星の生誕と同時に男女比率が圧倒的に女性が多いように定められている。即ち女性が本来男が担う仕事をするようになったのも自然の成り行きによるものなのだ。
また男児の出生率が極めて低いのも世界が定めた法則であって、過去に大きな戦争がありその影響として湧き出た化学物質によって遺伝子に変化が生じ男児の出生率が極めて低下した――とは、実際に起きていても違和感のない歴史的事象によるものと言う記録は一つとして存在しない。
以上からミリアが口にした通り、出生率の低い男性は国宝級として丁重に管理されている。
「でも宝も時々磨かないとどんどん錆び付いていくだろ? それと一緒で俺は錆びたくないから適度な自由がほしいんだよ」
「それの何処が適度なのか是非ともご教授願いたいですね」
「細かいことは気にするな――じゃあこの話はもう終わり。それじゃあ俺はちょっと出掛けてくるから」
「あ、お待ち下さいエイキ様! まだお話は終わっていませんよ!」
「ミリアが終わっていなくても俺は終わった」
追い掛けてくるミリアから逃亡を果たすと、衛鬼はその足で城下町へと向かう。
王子が勝手に城を抜け出して街に出歩くことは通常ならば許されないが、知ったことではない。毎日城の中で退屈な日々に満足するほど精神は衰えていない。
刺激あってこそ人生とは楽しいのだ。