EPILOGUE
これで一応第一章は終了です。
天気は快晴。
雲ひとつない快晴の空に浮かぶ太陽。
暖かな陽射しを浴びて小鳥達が優雅に泳いでいる。
吹く風も温かく、落ち着ける空間に身を置けば忽ち意識は心地良い眠りに誘われることだろう。
快適すぎる本日は正に冒険日和である。
「なのにどうして痛む俺の股間……後若干腰も」
涙ながらに叫びながら見送ってくれる家族や国民達に見送られる間は普段通りに振る舞い――姿が見えなくなったのを確認して衛鬼は近くの岩場に腰を下ろした。
そしてタイミングを見計らったかの如く、シルヴィが空間より姿を見せる。
「……念の為一週間と猶予を与えておきましたが、まさか本当に一週間きっちり使うとは思ってもいませんでしたよエイキ様」
「素直に悪かった、マジで謝る。でもなんか急に腰とかが痛くてさ……なんとか歩けてるけど、まだ本調子じゃないんだよ」
意識が眠りから覚めて、ほぼ同時に股間に走る激痛に衛鬼は思わず苦痛の叫び声を上げた。
真剣で斬られた以上の痛みを衛鬼は味わったことがない。人生初とも言える激痛に、それもよりによって男性が持つ一番の急所が患っている。
原因は不明。思い返してみるも、該当する要因は検索されず。
餅は餅屋。転生してから風邪も引かず五体満足の健康体で生活してきた人生で、衛鬼は初の医者に罹った。
男女の価値観が逆転していようがいなかろうが、異性の前に恥部を晒すことに抵抗を持つのは人として当然である。例えそれが医療目的の為であったとしても、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
だが痛みの解消が勝っていた為に躊躇うことも、必要以上に軟膏を塗りつける女医にすら気を向ける余裕すら衛鬼にはなかった。
一刻も早く痛みを取り除いて欲しい。ただその一心で女医が到着すると同時に患部を自ら晒す程、衛鬼は切羽詰っていた。
診断の結果――返ってきた答えは不明の一言。
外傷もなく至って健康な逸物だと鼻血を出しすぎて貧血気味になる医師の言葉を信じてよいものかと疑わざるを得ないが、皮肉にもオルトリンデで一番の医師として名高い。誰しもが医師としての腕前を認めている以上、衛鬼は診断結果を素直に受け止めるしかなかった。
原因不明の痛みに魘され軟膏を塗り続けて治療すること数日。ようやく歩けるまでに回復し期限当日――即ち本日オルトリンデを出発したのだった。
完治はしていない。しかし痛みがあろうと一週間以内にオルトリンデから出なければならない誓約がある以上、身体を引き摺ってでも出なければならなかった。
「その若さで腰を痛めるなんて見かけによらず虚弱体質なんですね……まぁいいです、とりあえず約束は守りますから」
「いやまぁ腰よりもあっちの方がマジでやばかったんだけどな……とにかくありがとうシルヴィ――と、もうオルトリンデも離れたしこれはもう要らないな」
左袖を捲る。左腕に描かれた禍々しい形状の紋章。誓約を遵守しなければ命を奪う呪力が込められた紋章にシルヴィの指先が軽く触れる。仄かな光が一瞬だけ輝き、直ぐに収まる。
やれやれと溜息の後、衛鬼は紋章を指で摘む。
摘んで、ゆっくりと上へと引っ張った。
皮膚と密着していた紋章が、粘着質のものが無理矢理剥がされる不快音を鳴らしながら離れていく。
その様子を、衛鬼は外観不相応にも関心を孕んだ眼差しで見守っていた。
「やれやれ、ようやく取れたか」
完全に剥ぎ取られた紋章が投げ捨てられ、風に乗って跡形もなく塵と化し消えていく。
左腕に描かれた紋章に最初から呪いなど込められていない。全て衛鬼が仕込んだ芝居であった。
魔族であるシルヴィの力を使えば、一瞬にして婚約者候補の元まで移動することは容易い。魔物や男に飢えた肉食系女子に絡まれることもなく比較的安全に目的地へと到着出来る。
常識的に考えればそうするべきであろう。一刻も早く出会いたいと思うのであれば尚更頼るべきだ。
しかし衛鬼はシルヴィの提案を拒否した。
魔族が国に侵入し人質を使って交渉を持ち掛けてくる――冒険せざるを得ない状況を作り出すのに、うってつけのシチュエーションではないだろうか。
無益な殺生をしないとシルヴィが宣言している。結果論として彼女は人質に傷一つ付けることなく解放したが、嘘であった可能性も考えられた。
故に下手をすれば人質の命が失われる危機的状況を、己が欲の為に利用するなど狂気の沙汰と第三者は口を揃えて言うだろう。
だが衛鬼はシルヴィの言葉を信じた。だからこそ逆に彼女を出しにすることにした。
アルデラに逢うことは約束する。ならば見返りとして此方の長年の夢を叶える為に協力をしてほしい――そう条件を提示して、怪訝な眼差しを使い魔共々から向けられはしたものの、交渉は無事に成立した。
更には目的地到着までの案内役のおまけ付き。魔族が仲間にいるのならば鬼に金棒。人間はおろか大抵の魔物でも彼女がいるだけで事足りる。
実に他力本願な旅となることだろう。
「まったく、貴方と言う人間は本当に変わっていますね。どうしてそんな回りくどいことをわざわざしたがるのですか?」
「別にいいだろ。こうして冒険に出るのが俺の夢だったんだから」
「もしかすると、貴方はアルデラ様より頭がお花畑かもしれませんね――此方の条件を呑んでくれた以上、私もエイキ様に協力致します」
「頼りにしてるよシルヴィ。そんじゃあ、まだ少しだけ股間の辺りが痛いけど果てしない冒険へと出発しますか!」
「なんだか締まらないですね……」
「いいんだよ! それじゃあ、出発だ!」
長い旅が、今始まろうとしている。