CHAPTER:13
萌え要素とかギャグ要素とか一切入ってないです……はい。
オルトリンデ城――刃崎衛鬼が歩み第二の人生の出発地点とも言うべき我が家。王族と言う身分を与えられて、一般人として生活していた頃では体験出来なかった王族としての生き方と、男としての在り方に戸惑いながらも今日まで生きてきた。
だからこそ、出口から遠く離れた場所に身を置いているとは誰も思い付きもしないだろう。
「確かに、全員が出払ってるここなら安心だろうけどさ」
ここを訪れたのは、はて何時以来だっただろうか。衛鬼は沈思しながら部屋を見回す。
白で統一された空間は清潔感と、天井を支える柱に施されている彫刻は神聖さを来室者に与える。歴代オルトリンデの国王達が精神統一を行う際に使用する為に設けられた一室だ。故に余分な飾り物などは設けられておらず、唯一最端に小さな祭壇が静かに鎮座しているのみ。
「でもここって、国王以外立ち入り禁止じゃなかったっけ?」
国王の座に着いたものしか入ることが許されていない部屋に、衛鬼は過去に一度だけある。最初は規則に従い入室を許可されなかったが、自己嫌悪しながら甘えに甘えた結果呆気なく母親は規則を破った。
――国王としてどうなのかと、問わざるを得ない。
我が子の可愛さの前では、規則など紙切れに等しい――そう豪語して制止に入るメイド達を振り切った母親に連れられて、衛鬼はこの部屋へと足を踏み入れた。かと言って入ってはいけないと言われた部屋に入れた達成感はあったものの、それ以外で特に何も感じることもなく。それ以降二度と部屋に入ることもなければ、前を通ることもなかった。
「ご安心下さい、国王様より許可は頂いて下ります。誰にも邪魔が入ることなく双方が全力で戦えるならば使用しても構わないと」
「……俺が最初に破らせておいて言うのもなんだけど、国王として本当にそれでいいのか?」
「他のメイド達は国王様の警護、そしてこの仕合を邪魔する輩が現れた時対処する為に見張っています。ですから邪魔が入ることは決して入りません」
「なんて言うか、よく他のメイド達言うこと聞いてくれたな」
「私がエイキ様の正妻になれば全員側室とすることを約束したので」
「お前もかい。だからさぁ、なんで本人がいないところでさ、そう勝手に話を進めるかね」
本人の意思を無視した挙句餌にする女性達に、とうとう苛立ちが沸々と沸き始めていくのを感じながら模造刀を投げ捨て、本来の得物たる大刀を静かに鞘から抜き放つ。
一対一で戦えることは、お互いにとって悪くはない。多人数を相手にするよりも、単体を相手にした組太刀を得意としている衛鬼にとって、ミリアが仕合を行うに用意した場所は己の全力を存分に出せる最適な環境であった。
ただ、それは相手も同じこと。第三者の乱入を気にすることなく、目の前の相手に集中出来るのだから。
「それよりもエイキ様、先程から提げているそのお荷物……まさかとは思いますが、オルトリンデを出るおつもりなのですか?」
「……あぁ」
ミリアの問いに、衛鬼は静かに答える。
隠していても意味はない。いずれは実行に移そうとしていたことなのだ。遅かれ早かれ事実を知るのであれば、それは今であったとしても問題はない。
「いつか俺は旅に出ようと考えていた。オリトリンデって言う国の外にはどんなものがあるのか、どんなことが起きているのか、俺はこの目でそれを見てみたいんだ」
「……そんなことを、皆が……いえ、この私が許すと思っているのですか?」
「まさか。支持してくれてるなら今こうして武器を手に向かい合っていないだろ?」
「ならば――尚更私はエイキ様に勝たなくてはなりません」
鞭のようにしなりを見せ、風を何度も鋭く切り裂く音を奏でながら、ミリアの手に握られた一条の槍が構えられる。行商人から強奪した一条の槍が多くの魔物と人の血を吸い続けることによって魔槍へと昇華した、疾風の魔獣として生きてきた頃より共にあり続けた彼女の相棒――名を、グリドリッヒと言う。
全長は凡そ七尺前後。朱色の柄に金と銀で装飾された太刀打ち。そして刃長二尺程度の穂が放つ黒紫色の輝きは、生きる為に犠牲となった者達が唐突に命を奪われたことへの強い恨みが宿り変色したと言われている。
その穂先が今、静かに己へと向けられた。
――普通じゃない。
全身から滝のように冷や汗が流れ落ちる。
あれは紛れもなく魔槍だ。穂先から発せられる邪気を一般人がまともに受ければ、最悪命を落としかねない。御淑やかで争いを好まない男性ならば一瞬だろう。
正気を保ち両足で大地をしっかりと踏み締めていられるのは、全て前世での経験が転生後も継承されているからこそ。
故に衛鬼は平常心を装って不敵な笑みを浮かべ、対するミリアは怪訝な眼差しを向けた。
「……この程度では、やはり倒れてくれないのですね」
「悪いなミリア、期待通りにならなくて。色々あったからさ、もう慣れっこなんだ」
「……そうですか――ではエイキ様、そろそろお覚悟の方はよろしいですか?」
「いつでもどうぞ。何がなんでも勝たせてもらうからな」
「では、参ります!」
ミリアが地を蹴り上げる。
力強い踏み込みと共に向けられた穂先が一瞬にして間合いを詰めた。
一陣の疾風が吹き抜けたと錯覚させられる。それだけの迅い刺突が空を穿ち、得物を握る手に目掛け飛んできたのだ。場数を踏んだ熟練者であれば冷静に対処することも不可能ではない。だが不幸にも初見で披露されてしまった未熟者は無慈悲に心臓を射抜かれて無様な死に顔を晒し地に転がっているだろう。
ましてや、それが円を描きながら飛んでくる突き技ならば尚更のこと。
「くっ!」
後方に大きく跳躍する。逃がすまいと穂先が衛鬼は追跡する。
負傷させることを目的とした白銀の閃光が寸前まで迫り――辛うじて射程距離から逃れた。
間合いを大きく空けて体勢を立て直し、間髪要れず飛んできた刺突を走って避ける。
なんたる技の速度と精度か。槍を突き出してから引いて二と、三と突きが放たれる間隔は極めて短い。機関銃と比喩しても過言ではない速度でありながら、大刀を握る手を狙う精密に狙ってきている。
突かれては避けてとばっちりを受けた壁に穴が空く。
壁と言う壁が破壊されていき、とうとう壁としての機能を失った一室に陽光が溢れんばかりに差し込んだところで、ようやくミリアの手が止まった。
僅かに乱れた呼吸を整える衛鬼に、信じ難いと言いた気な表情でミリアが口を開く。
「……まさか、私の螺旋槍が初見で見切られるとは思ってもいませんでした」
「その代わりこっちは余計に嫌な汗を掻かせてもらった」
初撃を打ち出す前にミリアが柄に管を通したのを目にした瞬間、脳裏に映し出された懐かしき記憶があったからこそ衛鬼は瞬時に反応することが出来た。
日本には尾張貫流槍術たる武術が存在する。
尾張貫流槍術最大の特徴は、円形の管を用いた捻り突きにある。管を通して打ち出すことで通常よりも速く槍を突き出すだけでなく、回転を利かせることによって圧倒的な破壊力を生み出す。
弾丸のように円を描きながら繰り出される突きは、安全面を考慮した稽古用であっても鋼鉄製の防具を陥没させるだけの威力を生むのだ。これが真剣であり、対象が防具ではなく生身の人間であったならば。例え急所に直撃せずとも重傷は免れない――と、ここまでは衛鬼の知識と独自の考察による結論でしかない。
尾張貫流の存在は知ってはいるものの、実際に目にしたことは皆無であった。
では何故知っているのかと問われれば、大型動画投稿サイトで面白い動画はないかと検索していて、たまたま見つけたのが尾張貫流の紹介動画だった。
他流派をネットの力だけで知れる訳がない。本質を見極めたいのならば実際に足を運んで手解きを受ける以外に方法はない。
とは言え、銭と言う経済力よりも飯と力が全てを占めていた戦国時代ならばまだしも、衛鬼が生まれた時代は科学と娯楽が無限の成長を遂げている時代だ。わざわざ聞き込みをして道場にわざわざ足を運ばずとも知るだけならば簡単に出来てしまう。
何より、衛鬼自身他流派との交流を一切考えていなかった。
強くなりたかったのは父を超えて一刻も早く地獄の修練から逃れたいが為であって、決して日本一の兵などと言う時代外れにも程がある称号を得たかったからではない。
目指したい者がいれば目指せばいい。道場破りが来れば、適当に話を濁して帰ってもらえばいい。弱小者、腰抜けと罵られれば好きなように罵らせておけばいい。あくまで身内だけで好き勝手にやらせてもらう。
閑話休題。
動画で目にした捻り突きと、実際に目にしたミリアの捻り突きは天と地の差ほど異なる。
本物の槍を使っていることも勿論そうだが、何より一撃に込められている気迫がまるで違う。生きる為に、身を守る為に、頼れる人間が誰もいない極限状態の中で死が常に寄り添う中で編み出された本物の殺人技。人を殺めたことがない、死を感じたことのない者では決してミリアの前に立つことは出来ない。
「私が長年掛けて編み出した技です。この技で私は多くの命を奪って……そして、オルトリンデと国王様をお守りしてきました」
「……あぁ、うん。そうだな」
既に現存している武術だと真実を伝えると言うのは、無粋と言うものである。己の技を他者に自慢するように自信に満ち溢れたミリアを、落ち込ませるようなことはしたくない。
異世界版尾張貫流槍術――改め螺旋槍はミリアの手によって編み出された武術。その事実だけあればいい。
「……それよりもどうして避けたんですか」
「え? なんで避けたら駄目な感じになってるんだ? 意味わからないんだけど……」
「避けたらもう一度エイキ様を攻撃しないといけないからじゃないですか!」
「知らんがな。て言うか真剣勝負なのにミリアは俺を殺す気なのか? 私と結婚しないなら貴方を殺して私も死ぬとか言う心中系なのか?」
「そ、そんなことしませんよ! どうして愛する人を手に掛けなければいけないのですか!」
「あんな技披露しておいて説得力皆無だぞ……」
武器を持つ手を攻撃することで戦意を喪失させようとミリアは考えたのだろう。だが下手をすれば武器を持つ手そのものを破壊してしまう可能性が極めて高いことを、彼女は忘れてはならない。
尾張貫流槍術が誇る破壊力は確かに脅威だ。その使い手が近衛兵長であるミリアであれば凶器は兵器へと瞬く間に変貌を遂げる。
「ところで、お構いなしに突きまくった結果壁がなくなったんだけど、修理とかどうするんだ?」
「子供が生まれさえすれば部屋の一つや二つなくなっても気にしないと仰られていましたから問題ありません」
「一応歴史ある部屋なんだろ? そんな扱いでいいのかよウチの母親は……でもまぁ、これだけ穴を空けてくれたのは俺にとっても好都合だ。次はこっちからいかせてもらうぜミリア」
ミリアの尾張貫流――否、螺旋槍が誇る破壊力を知っているからこそ脅威である。
彼女から勝利を勝ち取れる確立は極めて低く――だからと言って、無ではない。
衛鬼は大刀を構えた。
「っ!」
室内の空気が変質したことを、ミリアは肌で感じ取った。
中段と下段の中間に運ばれた剣。白銀の美しい輝きを宿す刀身を見せるように、そして柄を握る反対の掌は柄頭に軽く添えられているだけの独特な構え。独特であり、対峙する者に圧迫感を与える。
――何故。
ミリアは疑問を心中に抱く。
幼少期に起きた痛ましき事故から奇跡的に回復して以降、女性と同じような振る舞いを見せるようになった。御淑やかとは真逆に活発で行動的、真剣を持ちたがり挙句国の外に冒険に出てみたいと我侭を口にして周囲を困らせた。
しかし女性の真似事をしているだけで、いつか現実と直面し落ち着きを取り戻してくれるだろうと、誰もが信じていた。
信じていて、たった今自分達の希望は叶わぬとミリアは思い知らされる。
剣を構えて振るう――幼少の頃、棒切れを剣と見立てて打ち合うと言った遊びをしていたように剣術を知らぬ者でも真似事ならば誰しもが出来る。
エイキは、真似事などと言う代物ではない。構えた瞬間より発せられた鋭い剣気は、決して真似事で会得出来るものではない。何年と言う血の滲むような修練と実戦を積み重ねて初めて備わるものである。
――何故。
今更すぎる。わかりきっていながら、ミリアは尋ねずにはいられなかった。
実戦をしたことがない。人や魔物の命を奪ったことがない。剣を握っただけで人間は強くなれない。未経験尽くしである筈の人間がどうしてそこまでの強さを得られるのか。成人したばかりで十も歳が離れた少年が、何故。
答えの出ぬ自問をミリアは繰り返す。問うたところで不敵な笑みを浮かべたまま独特な剣の構えで機を伺っている本人が答える気配も見られない。
「――――」
疑問が尽きることはこの先、きっと訪れないだろう。エイキと言う人間は正に未知が凝縮されたような、そんな存在なのだ。
しかし、今は考える時ではない。ミリアは呼吸を整えて槍を握る力を強める。
エイキの取った構えより出される攻撃は下方よりの切り上げ、もしくは左胴への打ち込み。
常識的に考えれば唐竹や刺突を繰り出すには適していない。技を放つのに剣を運ぶのに動作が掛かりすぎる。
或いは常識に捉われない技か。
常に周囲を驚かせることをしてきた彼ならばそれも十分に考えられよう。
だからと言って、己の勝利が揺らぐ要因として呼ぶにはあまりにも足りない。
前者であれ後者であれ、彼の手にした剣が届くよりも先に此方の槍が届く。仮に避けられたとしても、間合いへと入られるまでの間に第二の刺突を繰り出すことなどミリアからすれば造作もない技術だった。
――勝てる。
ミリアは限界まで眼を見開きエイキを見据えた。今度こそは外すまいと固く誓って。
閉じる時は己が勝利を手にした時のみ。それ以外で閉じることは何があろうと訪れない。
一歩踏み込むと同時に管に通した槍を捻りながら突き出して――。
「うっ!」
眩い光が視界を遮った。
刹那、爆発的に膨れ上がった殺気が一直線に突進してくる。
エイキの言葉が脳裏に過ぎり、ミリアは理解する。
彼は螺旋槍によって崩壊した壁から差し込む陽光を利用したのだ。独特な構えは下段及び中段への攻撃に剣を運びやすくする為ではない。陽光を反射させて相手の視界を封じる為の構えだったのだ。
視界を封じ、動きが僅かでも鈍った瞬間に間合いを詰めて打ち込む。姑息であるが実用性としては問題ない。決闘が規則や誇りに守られていれば、戦場は何一つ守られていない。強い者が生きて称えられ、弱い者が無様に死を晒すのみなのだから。
エイキの技は実に実戦向きである。ただ勝利する為だけを追求して幾度となく試行錯誤を繰り返し到達したエイキだけの必殺技。
実戦向きであって、改良を施すまでに至らなかったことが実に惜しい。
「甘いですよエイキ様!」
ミリアは記憶を過去へと遡らせる。
メイドとして正式にオルトリンデで働くようになってからまだ一ヶ月も経たなかった頃である。
国王の紹介の元一人の女剣士をミリアは紹介された。
国王と身分も何もない流浪人。あまりにも身分に差がある二人だが好きな男を巡って死闘を繰り広げて以降友人としての関係を築いたと懐かしむように語る女剣士は、盲目であった。
生まれ付き視力が弱く旅の中で魔物との戦闘によって完全に光を失い、それでも剣士として剣を携え旅を続ける彼女に興味を持たれたミリアはひょんな切っ掛けで仕合をした。
結果は、惨敗。
魔物から人間、腕の立つ賞金稼ぎや討伐隊と次々と屠ってきた己の技が全く通用しない事実と、目が見えないと言う欠点を背負っている相手に一太刀も浴びせれずに地に伏している現実にミリアは驚愕を隠せなかった。
女剣士との仕合を経て、勝ちに猛った気は色として現れることを学ばされた瞬間である。
武の達人同士は相手の殺気を読み取り先を予測しつつ己が有利となるように戦況を作り上げる。故に戦闘では、如何にして己の殺気を隠しつつ相手の殺気を読み取るかが重要なのだ。
勝機を逃すまいと猛ったエイキの気が、視界が封じられていようとも残された感覚がしっかりと捕捉する。
――終わる。
ミリアは渾身の一撃を迫り来る殺気へと向けて放つ。
狙うは剣を握る右手。痛くなければ人は学ばない。国宝とも言える男性を傷物にするなど本来ならあってはならないことだが、その罪は一生を賭して償っていく。死してからも罪が許されななくても永遠に愛するだけの覚悟がミリアにはあった。
これで全てが終わる――終わらなければ、ならないのだ。
「……どうして?」
僅か一秒にも満たない刻の中で疑問を言葉に孕ませてミリアは呟いていた。
自問をする。答えは出てこない。
――何故。
陽光によって奪われていた視界が戻る。正常な世界が映し出されて、内に抱く疑問は、一瞬にして恐怖へと変わる。
――何時、彼は姿を消した?
槍を通じて伝わってくる筈だった衝撃が伝わってこない。
答えは簡単だ。己の槍が外れた、ただそれだけのことである。だからこそありえない。
愚直なまでに突撃を仕掛けてきた殺気を、槍を放った瞬間まで確かに捉えていた。途中で避けるなど不可能の筈なのだ。
しかし。幾ら疑問を重ね起こった事象を否定しようとも、現実までは曲げられない。
甲高い金属音が鼓膜に響いたのと同時に、両手に走った衝撃でミリアは己の敗北を理解する。飛燕の如き速さで下方より天を切り裂かんと打ち上げられた刃が、相棒を宙高くへと弾き飛ばしていた。
――刃崎衛鬼は、体格に恵まれた剣士とは言い難かった。
天賦の才はあれど、少女のように身長も低く体格も細かった衛鬼。対して父は見上げる程の長身に鎧のように鍛え抜かれた筋肉に固められた肉体を宿していた。
圧倒的体格差を持つ二人が剣を交えればどうなるか、結果は火を見るよりも明らかだ。
時代劇のような激しい組太刀をしようものなら先に体力が底に尽き、そうなってしまえば最後。致命傷となる一撃を浴びて絶命するか、もしくは四肢を断たれ身動きを封じられて成すがままにされるか。
どのような結末を迎えようとも、結局衛鬼に与えられるのは死と言う名の終焉である。
故に衛鬼は長期戦を避けて短期戦に身を置いた。
肉体が恵まれているか否かは、生まれてくる者が決めることは出来ない。かと言ってないものを強請ったところで手に入る訳でもない。
ないものはない。ならばないものに拘るよりも今あるもので何とかするしかない。
では如何にして短期戦で勝利を掴み取るか。何度も考察を繰り返していく内に、やがて己の得意技――祓剣流、翔にあると結論を下した。
剣に限らず、武術とは相手に技を知られていないからこそ有利に立てる。
誰かと対峙してそこで仕留められればよし。もし仕損じて逃れられたりでもすれば、次に合間見えた時当然相手は対策を練って再び対峙することになる。技の性質を知られている以上不利な状況を強いられるのは避けられない。
初見で仕留める。相手が反撃することも出来ず、一瞬にして勝敗を決する――この条件に該当した技こそが翔であった。
無事に結論も出た。では徹底的に磨き上げて絶対の必殺技に昇華させればよい――などと甘い話でもなかった。勝つべき相手は他流派の武術家ではなく、祓剣流を極めた父なのだから。
父と子として、師と弟子として手解きを受けている以上当然技の性質は勿論、戦法も既に把握されている。無論それは衛鬼にも言えることだったが、身体能力の差がある。
そこで衛鬼は試行錯誤を繰り返し、遂に答えを見つける。
目潰し――言葉通り相手の視界を妨害をする、武術に限らず古来より存在する戦法の一つ。
砂場の公園、人の手が施されていない道の砂利、はては道端にある空き缶やゴミ箱など。視界を塞ぐと言う方法ならば常日頃から生活空間の中に転がっている。
もっとも、武術を極めている者に目潰しなど通用しない。
間合いを詰める足音、風を切る剣の運び、そして己の勝利が絶対だと慢心から滲み出る殺気――それらを捉えさえすれば然して問題はない。従って目潰しは意味を成さぬ、弱者が取る浅はかで愚かな戦法と言えよう。
衛鬼が得意とする双極の構えは、その浅はかで愚かな戦法より生まれたことを誰も知らない。
陽光を刀身で反射させて相手の視界を瞬時に奪い、翔で相手の間合いへと瞬時に飛び込み斬り伏せる。たったこれだけである。至って単純な原理の技だ。
これだけならば弱者と変わらない。殺気を捉えられて手痛い反撃を受ける羽目になる。
そこで衛鬼は工夫する。
殺気を捉えられるならば、殺気を感じさせないようにすればいい。
人が肺に酸素を供給する為に呼吸をすることを意識せずとも行うように、剣を振るい敵を倒すことを日常動作の一つとして意識せずとも振るえるようにする。即ち、無我の境地に至ること。
気が遠くなるような修練と、父から施される英才教育から逃れない一心によって、遂に衛鬼は無我の境地へと辿り着くことに成功した。
双極の構えから相手の視界を奪い、殺気を残しつつ常人離れの脚力で間合いを詰めて、後は無意識のままに剣を振るう。
父に勝つ為だけに編み出された刃崎衛鬼だけの、刃崎衛鬼にしか使えない必殺剣。
後世に残されることは、恐らく訪れないだろう。一代限りの絶技。
達人であればある程幻惑される、惑わしの魔剣。
――魔剣、陽炎。
「――――」
ふと、我に返る。
真っ先に視界に飛び込んできたのは糸が切れた操り人形のように力なく両膝を折ったミリアだった。美しい顔立ちからは生気が失せ、うら若き柔肌は心なしかやつれている。
遅れて衛鬼は己自身を見る。手にした大刀は天を指し示している。多くの血と怨念によって鍛えられた魔槍は、遠くの方で鎮座していた。
以上の情報から衛鬼は安堵の息を静かに漏らして大刀を鞘に納める。
「……俺の勝ちだ、ミリア」
疾風の魔獣との仕合が今、ここに終わりを告げた。