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どなたか、草食系女子はいらっしゃいませんか?  作者: 龍威ユウ
第一章:肉食系女子はお断りです
12/17

CHAPTER:11

 夜から朝へ。

 太陽が空高く昇り新たな一日の始まりを告げる中、衛鬼は修練場で大刀を抜いた。

 転生してから新たに得た愛刀。名を千鶴。

 生前に使っていた物よりも重く造られているものの、今ではすっかり身体に馴染み半身と呼べる欠かせられない存在となった。

 朝の修練場は騒音と言える騒音は皆無な環境。外で修練に励む騎士達の声と、窓から差し込む陽光のみが静かに刻の流れを教えてくれる。

 小さく息を吐き、大刀を構える。

 目の前の虚空を見据え、薄く細く息を吐きながら強く地を蹴り上げる。

 鋭い風切り音が鳴り、一筋の銀閃が虚空を斬る。


――祓剣流、かけり


 脳内で技の名を口にした。

 自然の中で鍛え抜かれた脚力から成せる祓剣流の歩法。

 瞬く間に相手の懐へと飛び込み敵を斬る。言葉にすれば実に至極単純な技だ。

 百聞は一見に如かず。相対した者にしか技の本質を知ることは出来ない。

 常人離れした脚力から成せる突進力。それに合わさり極限まで抑えていた殺気の塊を放出することによって、初見の相手ならばその速さと勢いに困惑し判断能力を鈍らせる。

 謂わば翔とは、間合いに入ってからの攻撃はおまけであって実際は歩法こそが技と言ってもいい。

 一瞬であろうとも相手が隙を見せたならば、祓剣の剣士は瞬く間に間合いへと入り斬り捨てる。

 最も、衛鬼にとってこの技の教練は既に終了していた。

 父に勝つ為に完成させた構え――双極の構えが完成へと至ったのは、この翔こそが原型オリジナルであるからだ。

 成すことも成した以上、改めて原型オリジナルの技を行う必要は何処にもない。

 元の定位置に戻り、虚空を見据える。構えは再び双極の構え。

 仮想の敵を想像イメージする。

 甲冑を纏った騎士が幻影として具象化され――不意に、それは歪な形状へと変化すると再び形を整えた。重々しい甲冑は脱ぎ捨てられ、西洋の象徴たる両刃剣もなくなっている。

 茜色の着物に一振りの太刀を手にした幻影おとこ

 衛鬼が抱く畏れの結晶――超えるべき存在であって、超えた者。今は過去の人間の一人。

 幻影が言った。お前が編み出したと言う技を、全力で私に打ち込んできなさいと。

 優しい笑みと言葉の裏側に隠された、剣を振るう鬼神の貌が表に出てくる。

 大上段に太刀を構えて疾走する。漲らせた殺意を剣に宿しながら、鬼神が襲い掛かってくる。

 衛鬼は思う。

 人生で初めて、言葉通り限界まで己を痛めつけてまで必死に何かを得ようとした。そうさせてくれたのは他の誰でもない。全ては両親が、父がいてこそ刃崎衛鬼は死に物狂いと言う言葉を魂に記憶させることが出来た。

 痛いことをされるのが嫌だった。何度挑んでも勝てない自分が嫌だった。何もかもが嫌で、全てを投げ出して逃げ出してしまいたいとさえ考えてしまうこともあった。

 そんな苦難の道のりを歩み続けてきて、双極の構えは完成した。

 全てが終わり、待ち望んだ自由を得て――だからこそ改めて思う。双極の構えは、謂わば父への感謝の気持ちの表れでもあったのだと。

 その気持ちを、今となっては伝えることは出来ない。

 ならばせめて、例え幻影であろうと再びこの技を貴方に送ろう。

 目の前に現れる度に何度でも、この腕が引き千切れるまで刀を振るおう。届くことはない、しかしそうすることでしか感謝の気持ちを伝えることが出来ないから。

 父が征く。衛鬼は待つ。

 天に掲げられた刃が雷の如く打ち落とされる。轟と大気を唸らせる音がしっかりと衛鬼の耳に響いた。本当に鳴っている訳ではない、幻聴だ。しかし衛鬼の耳には確かに聞こえている。

 命を賭して戦った、刃崎衛鬼が歩んできた人生れきしにおいて最大の記憶イベントが、今完全に脳内で再現された。

 先を仕掛けられてから僅かに遅れて衛鬼も征く。大地を射抜かんとする気概を以って地を強く蹴り上げて、構えた大刀を僅かに動かし――。


「エイキ様!」

「っ!」


 必死さと言う表現が的確であろう。女性の呼び掛けによって意識は現実へと返った。

 幻影は消え失せて、天を斬り裂かんとしていた刃も切先を地に指し示したまま止まっている。

 叫び声の主を見やる。監視役のメイド達がいた。

 彼女達の顔にはハッキリと怒りの感情いろが浮かび上がっている。

 その理由をメイド達に尋ねる程鈍感ではない。衛鬼は大刀を鞘へと納めた。


「し、真剣での修練は禁止と言われているじゃないですか!? 後タオルです」

「うん、確かにそうなんだけどさぁ。なんかもういいかなって思い始めてさ」

「よくないですからね! ちゃんと規則を守って頂かないと困ります! お水持って来ました」

「じゃあ俺達だけの秘密ってことにしておいてくれないか?」

「ひ、秘密だなんて……なんだか卑猥ですよエイキ様! 新しい着替えです」


 ミリアとの仕合まで残された時間は後六日後にまで迫った。

 最終調整として単身で城外へと出ては魔物を狩り始めている今の彼女は、最早今まで衛鬼が目にしてきたミリアと言うメイド長ではない。修羅さながらの強さを以って相対した敵を屠る姿は正に鬼神――疾風の魔獣と呼び畏れられていた若き日のミリアに戻っている。

 一方で、衛鬼は全く修練を行えていなかった。

 地下修練場で遭遇でスケルトンと戦ったのが最後だった。決して強者と言えぬ実力だった――と言って舐めて掛かればそれは驕りと言うもの。剣術の達人が若い剣術家を軽んじた結果、無様に己が斬り伏せられていた、と言う話が実際にあるぐらい過小評価は己の命取りに繋がる。

 一撃も与えられない雑兵でも、衛鬼は全力で打ち倒す気で刃を振るった――それでも無限の生命力の前には太刀打ち出来ず、皆の前で痴態を晒されそうになったが。

 閑話休題それはさておき

 スケルトン達との一戦から、腰の二刀ちづるも出番を失い飾り物と化していた。

 外に出ようが出まいが、常に監視のメイド達に付き纏われている。納得のいく修練が行えぬままとうとう一週間を切って、衛鬼は決心した。

 城内での真剣を用いての修練。課せられている規則を破る。技を知られまいと留意していたがどうでもいい。完全に吹っ切れて現在に至る。

 渡されたタオルで汗を拭き、渇きを訴える喉を冷えた清涼水で潤し、汗で濡れた衣類を着替える。汗を拭いたタオルが、口をつけたコップが、着替えた衣服が、メイド達の手に戻る。

 血走った眼で大切そうに胸元で抱き締めているが、当人達は平常心を装っているのだろう。とうとう我慢出来なくなった一人が汗を拭いたタオルに顔を付けて堂々と臭いを嗅ぎ出し、頬を引き攣らせて――衛鬼は片隅に立つ一人のメイドを見やる。

 視線が合う。黒髪を後ろで三つ編みにして眼鏡を掛けたメイドが静かに頭を下げる。


「……初めて見る顔だけど、もしかして新入りさん?」


 長年住んでいれば住人の顔は既に把握している。

 従って監視役のメイド達の中に混ざっていた見知らぬメイドに衛鬼は尋ねた。

 長く新生要員が入ってこなかっただけあって、新人は珍しい。そしていつから室内修練場に来ていたのか、全く気付かなかった。音もなく、気配も修練が終わるまで気付けなかったのだ。メイドの格好は伊達ではないことが伺える。


「お初お目に掛かりますエイキ様。私の名前はカリナと申します、本日よりメイドとしてオルトリンデに、そしてエイキ様にお仕えすることになりました。どうぞよろしくお願い致します」

「あぁ、こちらこそよろしく」

「それでは早速なのですがエイキ様、私と少し手合わせを願いますか?」


 カリナの発言にメイド達がどよめく。


「挨拶早々に手合わせか……初めてのタイプだな」

「既に国王様からもご許可は頂いて下ります。手合わせの理由は後ほど説明するとして、よろしいでしょうかエイキ様」

「……カリナがいいなら、俺は全然問題ない。早速始めよう」


 衛鬼にとって願ってもない申し出である。

 メイドと言う役職に就いている以上、カリナの実力が一般の騎士より強いことは明白だ。模擬戦を行う相手として適任である。


「ではエイキ様、此方をお使い下さい。予め武器屋に依頼して作って頂きました」


 予め手にしていた一振りの太刀が渡される。

 造込みは鎬造り、刃長は二尺四寸五分、刃文は広直刃――腰に差している千鶴と同じ物だが、握る手には何も伝わってこない。ただ重いだけの鉄の感触から量産を目的とされた数打に部類されることが伺える。何より鞘より抜き放ち露となった刃は殺されている。早い話が摸造刀だ。


「ぼ、木剣じゃなく模造剣を使うなんて貴女は何を考えているの!? 万が一エイキ様がお怪我でもされたりしたら、貴女どう責任を取るつもりで――」

「エイキ様は制限された修練ではなく、実戦形式に近い修練を望まれています。男も女も関係ない、エイキ様は強くなりたいと願っているのです――私はその思いをただ、汲み取っているだけにすぎません」

「ありがとうなカリナ。母さんから許可を得てるのなら誰も文句はない、素振りばっかりで退屈していたところなんだ」

「では、早速始めるとしましょう。時間は有限、お互いにとって今は一刻を争うに等しい状況でもありますからね」


 カリナも腰の剣を抜く。

 黒紫色に輝く複雑な形状をした護拳付き柄(スウェプトヒルト)に、大鷲を象った柄頭ポメル。刃長は凡そ二尺七寸前後で真っ直ぐと伸びる刀身は通常の剣よりも遥かに細身で切先が鋭く造られている。

――刺突剣レイピア

 レイピアとは、刺突技に主体とする片手剣である。

 サーベルやブロードソードなどの刀剣類に比べて比較的軽量で幅を取らないレイピアは、実戦用ではなく護身もしくは決闘用として普及された。これは火器などが発展し鎧を纏った騎士同士の戦いが比較的低下したことが大きな要因となっている。

 その為斬撃を繰り出すには不相応な武器であり、細い刀身は下手に振り回せば折れてしまう。相手の鋭い斬撃を受けようものならば小枝の如く圧し切られてしまう。

 対策として刀身に負担を掛けない為の擦り切りや、護拳ナックルガードで敵を殴るなどの戦法が編み出された。

 或いは、盾の代わりとしてマンゴーシュなどの短剣で防御をしながら、と言った俗に言う二刀流で戦うことも極めて普通だったとされている。

 カリナの左手には防御用の短剣が握られていない。


「カリナの武器はレイピアだけか?」

「えぇ、そうですが何か問題でも?」

「……いや、何でもない。ただなんとなく聞いただけだから気にするな」


 実戦形式の修練である為本来ならば鋭利な切先も丸みを帯びている。それでも模造刀の斬撃を受ければ折れてしまうだろう。

 だが、ここは一般常識を覆す非科学的事象ファンタジーが日常的に起きる世界。模造剣であっても斬撃を受けきれるだけの硬度を持つ材質で出来ているのか、マンゴーシュなどがなくともレイピア一本で対処出来る技術を持っているのか。理由など幾らでも挙げられる。


「それではエイキ様、準備の方はよろしいでしょうか?」

「あぁ、いつでもいい」

「では……」


 カリナが構える。差ほど競技に興味はないがニュースでたまに目にした時と同じように、切先を相手に向けたフェンシング特有の構え。

 対して衛鬼は、双極の構えを取った。


「いきますよ、エイキ様」

「尋常に相手仕るってね」


 カリナが先の先を仕掛ける。

 力強く地を蹴り上げて己の間合いに入ったと同時に繰り出される刺突。相手が一国の王子で己が従者メイドと言う立場関係なく、躊躇いもなく顔面へと打ち込んだことに監視役のメイド達が短い悲鳴を上げる中で――衛鬼は静かに避けた。

 顔を右に傾け最小限の動きでカリナの攻撃を回避して、同時に反撃に転じる。

 最大限にまで伸ばされた腕を戻して次の突きを出すよりも、表切上に刃を打ち込む方が先に到達する。

 衛鬼の思惑通り下方より切り上げた刃がカリナの左脇腹を捉えて――。


「なっ!?」


 それは突然として起きた。

 己の攻撃が受け止められた――この部分だけを聞けば別段変わりはない。攻撃をして防がれる、当たり前の現象だ。問題は、左虚空を穿った筈のカリナのレイピアの切先が刃を受け止めていることにある。

――ありえない。

 そう、ありえない。陽動フェイントではなく全力で繰り出した一撃を打っておきながら、己に攻撃が到達するよりも更に迅く刺突を以って相手の攻撃を防ぐなど、ありえないことだ。

 驚く衛鬼に追い討ちを仕掛けるように、更に不可解な現象が続く。

 受け止められたと目視して、瞬きもせぬ間に既に顔面へと打ち込まれていた。眼前まで迫ったレイピアを咄嗟に倒れるように身体を大きく逸らして強引に回避する。

 僅かに遅れて、先程まであった頭部の位置をカリナの刺突レイピアが通過した。


「そんな! 今あの子は何をしたの!?」

「まさか、魔法!?」


 否。体制を素早く立て直す中で衛鬼は監視役のメイド達の言葉を即座に否定する。

 魔法による現象であるならば当然魔力を消費している。けれどもカリナから魔力を消費した気配を、衛鬼は一切感じなかった。

 従って残された答えは一つしかない。


「異世界版沖田総司だな、まるで……こんなに迅い突きをする奴がメイドに来たなんて、マジで驚きだわ」

「その、オキタ・ソウジたる人物が誰なのかは知りませんが、お褒め頂き光栄ですエイキ様」


 幕末、最強の人斬り集団と呼ばれた新撰組の一番隊隊長を務めていた沖田総司。

 その容姿は少女のように可憐で美しく、されど肺結核を患い若くして命を落とした彼だが天才剣士と言う肩書きを持つ程剣術の腕前に優れていた。

 そんな彼には、三段突きと言う得意技がある。

 そもそも突き技とは本来“死に技”とも言われ、一度突きを繰り出すと次の一手までの時間が掛かり、もしも躱され反撃された時には防御が出来ないと言う致命的な弱点がある。

 これを副隊長であった土方歳三が考案したとされる平突きは、刀身を地面に水平な状態にして刺突を繰り出すことで、横に動いて避けられても即座に横薙ぎへ派生する事で追撃を可能にすることで弱点を克服した。

 沖田総司は、この平突きを一瞬にして三度繰り出す。諸説によれば同じ喉や心臓などの急所に三度打ち込むとされていれば、急所の何処かを一点集中で三度突くと未だに実態は解明されていない。

 だが、一歩足を踏み出す音を聞いた瞬間三度の突きが打ち込まれるなど、相対した者からすれば最早純粋な剣術としての領域を遥かに凌駕している。即ち魔剣と呼ばれる技術だ。

 同様に、カリナの刺突も常識から逸脱している。

 魔法などに頼らず純粋な身体能力と、培ってきた技術のみで魔剣を手に入れたのだ。


「それよりも、私もまさか初見で見切られるとは思ってもいませんでしたので、正直に申し上げると驚きを隠せません。流石はエイキ様、貴方は普通ではない。だからこそ、素晴らしい」

「褒め言葉として受け取っておくよ」


 今にも中断させたい一個人としての気持ちと、国王の命令に従わなければならない従者メイドとしての立場に板挟みになっているメイド達から落ち着かない様子で見守られながら、衛鬼は大刀を――。


「……どう言うおつもりですかエイキ様。その行動はご自身の負けを認める、と言うことでしょうか?」

「まさか。確かにカリナは強い、だからって俺は負けを認めた訳じゃない。戦いはまだ終わってないから安心しろ」


 カリナを初めとするメイド達が怪訝な眼差しを向けるのも無理はない。

 相手を斬る為の刃を、腰から抜いた鞘に納めたのだ。戦闘意欲を喪失したと捉われても仕方がない。剣を学ぶものでなくとも、日本人ならば誰しもが漫画フィクションでも目にしたことのある技術を彼女達は知らないのだから。

 居合、またを抜刀術。この世界には存在しない、適度な反りを持つ日本刀と鞘の構造が揃って初めて成せる術技。

 祓剣流にも幾つか居合の技がある。得意とは言い難いが、だからと言って出来ない訳ではない。


「……どう言うおつもりかは知りませんが、ならば今度は外しませんよエイキ様」

「……あのさ、一応確認しておくけどこれ実戦形式であって本気の殺し合いじゃないよな? さっきから、なんかこう……ガチで俺のこと殺そうとしてない?」

「エイキ様の考えすぎです。ですが私にはどうしても、エイキ様に勝たなくてはならない理由があるのです。ですので例え仕合であろうと本気で挑ませて頂きます」

「どうして俺に勝たないといけないのかは、まぁ終わってから聞くとするよ――続きだ、始めよう」

「では!」


 カリナが鋭く息を吐く。

 今度は外さんと彼女より発せられる闘気が訴える。

 先と同様、仕掛けたのはカリナ。繰り出す切先が狙うは、生命の源なる血液を全身に送り届ける心臓。


「終わりですエイキ様!」

「いいや、悪いけど勝つのは俺だよ」


 心臓を穿たんとするレイピアを、柄で内に払い除けた。

 軌道が反れて虚空を穿つ白銀の閃光。それを見送ることなく、防御した動作から間髪要れず伸ばされたカリナの右肘を鞘で強打する。

 打撃特有の鈍い音が修練場内に鳴り響く。

 逆関節に攻撃を受けて苦痛に僅かながらも顔を歪めるカリナに、衛鬼は素早く抜刀してそのまま刃を無防備となっている右脇腹へと打ち込んだ。

 相手の攻撃に対して防御からの打撃と、抜刀による斬撃に繋ぐ居合術。


――祓剣流、崩山ほうざん


 カリナの手からレイピアが滑り落ちる。

 地面を叩く金属音が三度程奏でられて、やがて完全に沈黙する。誰の目から見ても勝負はついた。


「わ、悪い大丈夫か? 必死だったからつい本気で……」

「だ、大丈夫ですエイキ様。こう見えても私は打たれ強いので」


 痛むであろう右肘を擦りながら、されどそれ以上の反応アクションを見せることもなく平然とした様子で落としたレイピアを拾い上げるカリナ。

 

「それにしても、ここまでエイキ様がお強いとは思ってもいませんでした。その辺りにいる者達よりも断然強いのでは?」

「さ、さぁ。それは試してないからなんとも言えないけど――ありがとうなカリナ、おかげでいい修練が出来た」

「喜んで頂けたようで何よりです――ところでエイキ様、話が変わりますが少しお伺いしたいことがあります」

「何? 趣味嗜好とか、好きな女性のタイプとかまでなら答えられるけど」

「それは大変興味がありますがまた後ほどにして――実は噂を耳にしたのですが、メイド長と仕合を行い負ければ結婚すると約束を交わしたと言うのは、本当ですか?」


 監視役のメイド達からどよめきが起きる。

 何故、と衛鬼は狼狽しながらカリナを見た。

 ミリアとの仕合は母親フィリスを除いて誰にも知られていない。万が一知られてしまっては、メイド長がするのならば自分も仕合をすると名乗り上げる者が出ても可笑しくなかったからだ。アリッサやティアナ達ならば確実に参戦を訴える。

 そのことを条件にしている以上、ミリアや母親フィリスが周囲に言い触らすとは考えられない。

 ならば何処で、それも新人であるカリナが知っているのかが理解出来ない。


「どう言うことですかエイキ様! 今の話は本当なのですか!?」

「さ、さぁ。俺全く知らないんだけど」

「聞けばメイド長が突如修練を始めたのはつい最近だとか――果たして、本当にそうなのですか?」

「……そ、それは」


 獲物を狙う猛禽類の如く鋭く冷たい眼差しを向けるカリナの瞳には、嘘は通じないと言った迫力が宿っている。その迫力に気圧されて衛鬼は思わず口篭ってしまった。

 そこに、カリナが透かさず追求する。


「間を空いての返答、と言うことは肯定しているのも同じですよエイキ様。やはり噂は本当なのですね」


 衛鬼は答えない。否、答えられなかった。否定しようとしてもカリナに見透かされている以上、何を言っても己の言霊に説得力は宿ることはない。

 それ以前に、既にメイド達はミリアの行動について怒りと嫉妬を露にしていた。


「ずるい……ずるいわメイド長! 私だってエイキ様をずっとお慕いしてるのに! 夢の中じゃ毎日甘えてくれる程ラブラブな関係だって築いてるのに!」

「あ、あたしなんかもう君なしじゃ生きていけないって言ってくれたんだからね!」

「今それ本人の前で言う必要絶対ないよな!? 自分が妄想おかずにされてるって聞かされた俺はどうしたらいいんだよ!」

「……大人しく抱かれればいいんじゃないですか?」

「やっかましいわ!」

「こうしちゃいられないわ。私達も直ぐに国王様に直訴しに行くわよ!」

「あ、おい!」


 修練場から飛び出していくメイド達の背中は、制止しようと手を伸ばしきったよりも早く視界より消えていた。

 騒ぎの火種である張本人カリナも既に修練場から姿を消している。

 程なくして慌しく廊下を駆け抜ける音が遠くで聞こえ始めてくる。一つ二つ、どころの話ではない。噂を聞いたメイド達の話を一人、また一人に又聞きしたことによってこの城に在住している全ての人間が今頃は玉座の間を目指しているのだろう。

――もの凄く面倒なことになる。

 衛鬼は深い溜息を吐いた後、逃げるようにその場を離れる。

 ミリアとの仕合の筈が、衛鬼エイキを倒せば結婚出来る条件エサに釣られた女性達全員と相手にするなど圧倒的不利を通り越して不可能だ。

 ミリアは断固として途中からの乱入を許さないだろう。

 しかし母親フィリスはきっと、喜んで許可を出すに違いない。既に勝負をする前から結果は見えているが、国王は常に最悪の事態を想定して動くもの。何事も備えあれば憂いなしだ。

 前向きに考えれば一対大多数を想定した戦闘の練習になるかもしれない、が負ければ人生の墓場行きと言う終焉が待ち構えている。

 となれば、衛鬼に残された選択肢は逃亡しかなかった。

 何処に逃げるかなど考えるのは二の次である。最優先すべきは自国オルトリンデからの脱出だ。

 一国の王子が結婚から逃れる為に国外逃亡する話も、読み手によっては面白く映えるかもしれない。当事者からすれば命の瀬戸際に近しい状況である為面白くもなんともないが。

 自室に急いで駆け込み、前々より隠していた旅をするに必要な道具一式を詰めた鞄を取り出す。いつか国王が認めざるを得ない状況を作り出し、果てしない冒険に出ることを夢見て長年掛けて準備してきたものだ。

 よもやこんな形で実行に移すとは、夢にも思っていなかった。


「やばいやばいやばいやばい……!」


 鞄を肩に提げると、予め用意していたロープをベッドの柵に強く結びつけてそれを窓の外へと放り投げる――ミリアの説教から逃れる為や、正式に自由に外出する権利が母親フィリスから貰えるまでの間愛用していた逃走経路を作り上げる。

 投げたロープの先端が地面に到達したのを確認して、急いで下へと移動する。

 既に城外へ逃亡していることは誰もが予測していることは想定の範囲内。そして何度も愛用してきている為城にいる全ての人間がこの逃走経路を知っている。

 しかし堂々と正門から城下町に出歩けるようになってから数年の月日が流れている為、その存在を憶えているものは恐らく少ない。その心理を衛鬼は利用した。


「急げ急げ急げ急げ……!」


 地面に降り立ち、城下町へと続く道をひたすら走る。

 そして城下町へと辿り着き――一斉に視線を向けた女性達に衛鬼は短い悲鳴を上げた。

 今までも性的な眼差しを向けられたことは幾度となく経験している。それでも襲われなかったのは王族の血を引くものであったからだ。故に女性達が手を振り返すだけで黄色い声を上げてはいたものの、手を出すような愚行を犯すことは一度もなかった。

 今は、荒々しく呼吸し血走った眼で獲物おとこを狙っている――世の一般男性に向ける眼差しが全方位から向けられていた。


「エイキ様を倒したら結婚結婚結婚けっこんけっこんケッコンケッコンケッコン……」

「王族とかぶっちゃけどうでもいいし? あたしはエイキ様と毎日ヤれたらそれだけで幸せだし? 子供も沢山出来て更に幸せの二乗だし?」

「はぁ……はぁ……エイキ様、痛いのは一瞬です。どうかこの私に全てを委ねてくださいねぇ? うへへへへへへへへっ!!」

「ちょ、え、何? 何がどうなって……まさか……」


 最悪の結論が脳裏に過ぎる。

 噂は既に城内に収まらず、町にも広まっていた。

 今に始まった話ではない。されどまともな女性は最早オルトリンデにはいない。噂と言う伝染病に犯されたことで僅かにあった理性も失ってしまった彼女達は、男と言う餌に喰らい付く腹を空かせた魔獣と化していた。

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