CHAPTER:09
一万文字以上超えたので二分割いたしました。
時間と言う概念は、その時の心情によって大きく変化をもたらす。
楽しければ時間はあっと言う間に過ぎ去り、逆に辛ければ長く感じる。同じ一秒、一分であるにも関わらず体感時間の感じ方は人間一人一人によって異なるのだ。
従って衛鬼の場合は前者に当る。
「ねぇエイキ、新しい魔法薬が出来たから少し味見してくれない? 大丈夫、ちょっと下半身の辺りが元気になるぐらいだから」
「エイキ君、ちょっと一緒にお散歩行きませんか? 出来れば人相の悪そうな女性ばかりが屯している路地裏とか」
「エイキ……やらない?」
「頼むからマジで自重して下さい……」
ティアナ、リリルナ、ココの三人の婚約者候補が来訪したことによって、オルトリンデ城はいつも以上に騒がしく、しかし賑やかなものへと変わった。毎日飽きもせず、歪んだ性癖と好意を以ってアピールしてくる彼女達から休む間も殆どない中で逃れ続けていれば、時間の経過も早く感じるのも当然だろう。
来訪初日を終えてから早くも一週間の時が経過するが、各国の王女達の滞在期間はまだ二十日以上とある。だからこそ衛鬼の中に焦りの感情が芽生え始めていた。
王女達の帰国日に控えているミリアとの仕合。
国王より正式に許可が下りてからミリアはメイドとしての業務を他のメイド達に任せて、自身はひたすら騎士達に混ざって修練に打ち込んでいる。長く振るうことのなかった武を一日でも早く、かつて疾風の魔獣と畏れられていた頃の力を少しでも取り戻す為に余念がない。
一方で、ティアナ達によるアピールを回避し続けている衛鬼には修練に励む暇すらもここ最近ではなくなっていた。腰に差している大小の刀も鞘に収められたままで、すっかり飾り物へと価値が降下してすらいる。
だからと言って、制限されている城内では満足のいく修練は行えない。メイド長の代わりに監視役のメイドが、それも三人に増員されてしまっては隠れて行うことも不可能だ。
「いかん……こりゃ本当にいかんですよ」
すこぶる、本気で呟く。
こうして肉食系王女達から逃れている間にも、ミリアは騎士達との模擬戦を通して勘を取り戻しつつある。それに少しでも対抗する為にはやはり、こちらも刃崎衛鬼として生きていた頃に積んでいた程の修練を行う必要がある。
修練なくして勝てるような相手ではないのだ。男に餓え、結婚に渇望している女性としての一面を遂に見せたミリアの執念は凄まじいの一言に尽きる。是が非でも勝ちにいくことに拘っている今の彼女は、正に人生最大の障害と呼ぶに相応しいだろう。
「どうするかなぁ……」
町を一人歩く。
城にいてもティアナ達の相手をするばかりで修練は行えない。
だからと言ってメリルの店で修練を行うことも出来ない。その理由は、後方数メートル、近付かず離れず尾行している輩がいるからだ。
暗殺者や誘拐などを目論む犯罪者ではない。城を出た直後から気配を感じていたこと、そして遠目からではあるが尾行者の姿がメイド服を纏っている姿がいい証拠である。
――ミリアはやっぱり抜け目がないな。
本気で勝ちに行くミリアにとって僅かな敗率も許されない。完全勝利を手にする為には己を鍛えることも勿論そうだが、相手の情報を少しでも多く入手しておくこと。
真剣を使って修練をしていたと報告すれば注意するよう促す傍らでどのような内容なのかもミリアならば必ず確認するだろう。
幸いにもミリアはまだ此方の手を知らない。これは大きな利点である。だからこそ何がなんでもこの利点を失ってはならない。
やることもなく、修練も行えない衛鬼は深い溜息を吐いて――はて。
「なんだ?」
城門前が騒がしいことに小首をひねる。
罵声を誰かへと向けて発している野次馬達による壁を、最後尾にいた一人に声を掛けて――男性が現れたと理解した瞬間、彼女達の興味は一斉に先まで罵声を浴びせていた者から消え失せた。
あれやこれやと話し掛けてくる女性達を一先ず宥めて、改めて尋ねる。
「これは何の騒ぎです?」
「エイキ様エルフですよエルフ! エルフがオルトリンデに侵攻してきたんですよ!」
「エルフが?」
モーゼが海を割るかの如く女性達が左右に分かれる。
その間に出来上がった道の奥で、見張りをしている兵士達に取り押さえられている一人のエルフの姿があった。
エルフは男を強奪する為に村や町を襲う。如何に美しい容姿をしていようと被害を及ぼすのであれば駆除すべき存在でしかない。例え自分が傷つけまいと不殺を心掛けてはいるが、それを他者にまで強要させる気は衛鬼にはない。
だが、エルフであろうと相手が子供であったのならば話は大きく変わってくる。
取り押さえられているエルフは、まだまだ幼かった。不老長寿と言う特性を持った種族であるが故実年齢は遥かに人間よりも高いだろうが、それでも外見は完全に十にも満たない小さな少女だ。
「その子を解放してやってくれないか」
「エ、エイキ様! この者はエルフです!」
「でもまだ子供だ……見た目はだけど。それに見たところ彼方此方怪我してるな、俺が見た感じ今ここで受けた感じじゃない。ここに来る前から負っていた……違う?」
「そ、そうです――ですが例え幼子だろうとエルフは男性を強奪する為に他者の命を平気で奪う醜悪な存在! 今すぐここで処分すべきです!」
「とりあえず話を聞くだけでもいいだろう。殺されることわかってて、それでも傷付いた身体動かして一人でここに来たんだ。自殺願望者でもない限り、そんな危険なこと俺だったらしないけどな――とりあえず、まずは俺に任せてくれよ。王族特権ってことでさ」
王族と言う言葉を出されては従者達はそれに従うしかない。
渋々と従う兵士達に謝罪と感謝の意味を込めて軽く手を握る。不服な表情が一瞬にして頬をだらしなく緩め鼻血を垂れ流し、それでいて幸せそうな顔を浮かべる彼女達に野次馬達から嫉妬の眼差しと罵声が飛び交う中、衛鬼は傷付いた幼いエルフに話し掛ける。
「人間に見つかったら殺されるとわかってて、それでもここに来たのか?」
「……うん」
「……相当の理由があるみたいだな」
「……お母さんとお父さんを、助けてほしいの!」
「お父さんとお母さんを? 何かあったのか?」
「変な魔物に襲われた! 皆戦ったけど捕らえられて……それで!」
「なんとか自分だけ逃げ出すことに成功して、それでここに助けを求めにきたわけか……」
涙を流し語る幼いエルフの頭を優しく撫でる。
羨ましいと誰かが声を上げる中、現実へと返った兵士達が慌しく異議を申し立てる。鼻血は相変わらず流れ出たままだ。
「エイキ様その者の言葉に耳を貸す必要などありません! 我々を陥れる為の罠に決まっています!」
「それにエルフは過去、村や町を襲っています! そのような輩に手を差し伸べる必要が何処にあると言うのですか!?」
身勝手な判断だ――と、純粋な世界の住人であればそう思って当然の反応だ。
エルフは男を欲するあまりに村を襲い人の命を躊躇いなく奪った。それが独身であれば、夫と子を持っていたかもしれない。もし後者であったのならば、子供は目の前で親が殺される光景を目の当たりにすることとなる。その絶望は計り知れない。
加害者から被害者に転じて助けを求めたところで誰も同情はしない。因果応報、犯した罪に対する罰が与えられたのだ。
だから彼女達の主張は決して間違っていない。
間違ってはいないが。
「わかった。なら俺がお前のお父さんとお母さんを助けてやる」
衛鬼は幼いエルフに救いの手を差し伸べる。
どれだけ厳しかろうと、出される食事が最悪に不味かろうと、それでも刃崎衛鬼が受けた親からの愛情は何よりも温かいものであった。
その温かさを、若くして失う必要は何処にもない。どんな種族であろうと子に必要なのは親による愛情なのだから。
「ほ、本気で言っているのですかエイキ様!」
「本気も本気。それにさ、ここでその魔物を討伐するのは俺達にとっても悪い話じゃない」
エルフを襲った魔物の正体がなんであれ、次に狙われる場所がオルトリンデではないと限らない。そうでなくとも近隣の村に被害が出る可能性も充分に考えられる。
最悪の事態を回避する為にも魔物を討伐することは損ではない。
「で、ですが!」
「それじゃあ私達が行くわ」
「ア、アリッサ第一師団長!」
アリッサとその部下である騎士達の登場に兵士達を含め野次馬達からも驚愕の声が上がる。鎧兜と武器で完全装備している彼女達を目にしたのは、年に二回行われる大訓練祭ぐらいなものだった。
だからこそ、珍しい姿に衛鬼は関心を抱く。
とは言え、完全武装と言ってもアリッサの格好は普段と替わらない。レオタード状の白い衣装に板金鎧――強いて違いを挙げるならば、腰当と脛当が追加されていることぐらいなものだ。
「って言うか、どうしてここに?」
「ふっふっふ~ん。エイキが考えていることなんて何でもお見通しなんだから――まぁ本当はちょっと外で次に開かれる大訓練祭に向けて修練しようって思ってたからなんだけど」
「なら丁度いい。アリッサ達がいてくれるなら問題ないだろう」
「私にどんと任せなさい!」
「よ、よろいいのですかアリッサ師団長! もしこのことが国王様に知れれば……」
「大丈夫よ。それにエイキがこう言う性格なのは今に始まったことじゃないしね――心配しなくても幼馴染そして本家本元婚約者である私が全身全霊を以ってエイキを守るわ。あんな後から出てきた王女様達なんかに、絶対に渡すもんですか……」
「婚約者云々は余計だけど……それじゃあアリッサ、よろしく頼む」
馬に跨っているアリッサの後ろに同じく跨る。
振り落とされないようにしっかりと腰に手を回し――手綱を握っていた筈の手が素早く伸びるとそのまま手首を掴まれ強制的に下腹部へと押し付けられた。
「こ、こんな所で駄目よエイキ……皆が見てるのに大胆すぎるわ」
「お前がやったんじゃねーか!」
「も、もう、帰ったらちゃんと相手してあげるから……ね?」
「駄目だこいつ、早くなんとかしないと!」
「それじゃあ早速出発するわよ!」
「おい馬走らせる前に俺の手離せっての! 落ちる落ちるから! 後どこに行けばいいかも聞いてないからまずそれを聞いてから――」
「はい出発!」
聞く耳持たずと言った様子でアリッサが馬を走らせる。
目的地もわからぬまま広大な平原を、振り下ろされないように必死に片腕だけでアリッサにしがみつきながら耐えること数分――オルトリンデに戻って幼いエルフから情報を収集した後、改めて平原を駆け抜ける。
興奮したかと何故か得意気になって話し掛ける幼馴染に、説教の意味を込めて衛鬼は手刀を鋭く頭頂部へと叩き込んだ。