第2羽 小雪とお茶室② -5/5-
「一年だ」
五条橋さんが、人指し指を立てて言った。
「一年。準備期間も含めたら、二年程か。例えお前が借りているとしても、どのみち、あの場所は五条橋グループが外堀を埋め、開発し、カフェに全く適さない場所になる!いいや、そうしてやる!国立競技場、オリンピックの選手村、高速道路、市庁舎、いっそキャバクラでも誘致してやるのもいいな。お前達も、そんなおかしな場所でカフェなんてやりたくないだろう?そうだ!」
五条橋さんが立ち上がった。
「だったら、こうしよう。――アトリとイーグルカフェで、勝負だ。そして勝った方が、土地と早瀬を貰う!速水オーナー、それでいいでしょう?」
「えっ?」
私はびっくりして固まった。
「「――『アトリとイーグルカフェで勝負』!?」」
思わずハモりました。
「ちょっと待て!??」
速水さんが言った。
「それで良いだろう?良い方法じゃないか!」
五条橋さんが楽しげに笑った。
「そんな!……五条橋さん!そんなのお客さんだって困ります!!」
お客さまだって、そんな、事の為に?良くないです。私は言いましたが、届いていません。
「速水、これでどうだ。この==野郎」
五条橋さんが、低い声で速水さんにくそやろう、と言いました。
速水さんが五条橋さんをキツくにらんで――。
「――っ」
速水さんの手が五条橋さんに伸び……!
「お前さん方!!―いい加減にせい!!」
大喝にびりびり、と空気が揺れた。
五条橋さんの襟首を掴もうとしていた速水さんは、ピタリと動きを止めて、お祖父さんを見ました。
お祖父さんが、大きくため息をつきました。
「五条橋君。君のその心意気や良し、と言いたいが、少し落ち着け。朔、お前は手を出すな!」
「……はい」
速水さんが正座をし直した。
ゴホン!とお祖父さんが咳払いをした。
「それで、どちらに貸すかと言うことだが……」
「お祖父さん、お言葉を返すようですが。あそこは既に俺が借りています。そのため、俺の借り主としての権利は、借地借家法で保護されていますし、俺は立ち退きもしません」
速水さんが言った。
五条橋さんが速水さんをにらむ。
「だが、家主が土地を使う場合、それを理由とすれば、認められる場合がある。速水オーナーが俺に貸したい、つまり使いたいとすれば。お前は立ち退きはするしかない」
五条橋さん、速水さんがお祖父さんに詰め寄ります。
「いいえ。なら俺があの土地に住みます。そうすればクリアできます!」
どちらの主張も少し子供っぽい気がしますが……両者とも一歩も引かない構えです。
「速水オーナー!」「オーナー!!」
五条橋さんと、速水さんに言われたオーナーは、ううん、と唸って、頭を押さえました。
「ええい!!もう、お前達のどちらにも貸さん!土地の借用は保留とする!!」
「「保留!?」」「そんなっ!」
五条橋さんと速水さんが顔色を変えました。
(まさか、お祖父さんを怒らせてしまって、誰も貸してもらえなくなった…!?)
私は真っ青になりました。
「――速水オーナー」
五条橋さんが真剣な表情でお祖父さんを見ました。
「こちらとしては早瀬さんの事が無くとも、あの土地は買い取らせて頂きたいのです」
五条橋さんは静かな声で言いました。
…五条橋さんの声は、速水さんの声より少し低くて、太くて、それでいて澄んでいます。
「すでに設計も終わり、予約販売開始に向けて動いています。確かに、話を少々強引に進めた感はありますが。――それも元々、あの場所を確実に譲って頂けると見込んでいたからです」
……土地を売ってもらうのは大変だと聞きます。
もしかしたら、五条橋さんは、あの土地を売ってもらうために、ここに何度も足を運んでいたのかもしれません。
お祖父さんはうなずきました。
「ああ。儂もそのつもりだった。だが、儂は隼人君や、早瀬殿の思いに心打たれ、心変わりをした。――ならば、致し方ない。君はそうは思わんか?」
五条橋さんを諭すように、おじいさんが言った。
「いいえ。それでも、俺はあの土地を買収します。出来れば、この場で穏便に済ませて頂きたい」
五条橋さんがはっきりと言った。
「ふむ……やはりそうか」
お祖父さんが難しそうな顔をして、ひげを撫でました。
「わしとしては、あの土地をより『利益』のある方に貸したい。しかし、どちらの言い分も、最もだ」
お祖父さんが私を見て、はぁ、と深いため息をつく。
「――ならばここは一つ。五条橋君の提案通りにしてみるのも……。ふむ。朔。お前は五条橋君の提案を受け入れる気はあるか?」
お祖父さんが、速水さんを見て言った。
「―え?まさか……、おじいさんはこんな勝負を受けろと?俺に譲れとおっしゃる?」
速水さんが言った。
「いいや。お前の意志も尊重されるべきだと思う。……この件、話し合いで解決できるかと思ったのじゃが。どちらも、特にお前は子供で話にならん。五条橋君が引いてくれれば丸く収まるのだが――やはり強情な……全く、近頃の若者は……」
お祖父さんがぶつぶつと愚痴をこぼした。
「すみません……」「……」
私は恥ずかしくなって、思わず言いました。五条橋さんも…神妙な面持ちでうつむき、恥じ入っている、という様子です。
格式ある茶室で、こんな言い合いなんて……。お祖父さんの言う通りです。
「?民事訴訟という手段もあります」
速水さんが言った。
「お前はだまっとれ!!」
「……はい」
速水さんが憮然として目をそらした。
「二年か。遅れてしまうことになるが、五条橋君が提示したその期間は。つまりマンションの建設を保留に出来るという解釈でよいか?」
言われた五条橋さんが、眉をひそめた。
「ええ。……方々掛け合えばですが。……二言はありますまい」
五条橋さんが言った。
「五条橋君。わがままを言って、申し訳ない。……だが、問題は……、彼女だ。惚れた腫れたと急に言われ、それに勝負で負けたからと一緒になれと言うのは、あまりに強引だし、時代錯誤も甚だしい。そこでだ。朔。何か良い提案はあるか?」
速水さんが表情を曇らせた。
「……勝負ですか?俺は絶対に反対ですが。避けられないというなら、喫茶アトリが負けた場合は、早瀬さんに『五条橋さんと結婚する』か『アトリを退職する』かを選んで頂く、というのはいかがでしょう?」
速水さんが、すらすらと、まるで用意していたように言って、私達――五条橋さんと総江さんも、思わず速水さんを見ました。
「俺はたとえ勝負の途中でも、早瀬さんが嫌になった場合は、アトリを辞める権利はあってしかるべきだと思います。その場合は、そこで勝負は終了。俺はそれ以後、早瀬さんには接触しませんし、その後再雇用もしません。もちろん五条橋さんは、それからも早瀬さんと交流をして頂けばいい。……事実上の敗北です。五条橋さん。この条件ならいかがでしょうか?」
速水さんが淡々と、五条橋さんに提案をする。
五条橋さんが速水さんを見て、とても険しい顔をしました。
「――なるほど。妥当なところじゃな」
お祖父さんがうなずいた。
どうやら、本当に……勝負する、という事になるのでしょうか。
五条橋さんが、うなずきました。
「いいだろう。だが一つ確認させろ。お前が負けた場合、お前は早瀬抜きで店をやると言うことか?それとも、店を畳むと言うことか?」
速水さんは少しの間、目を閉じて……、目をあけて。
「その場合は、廃業するつもりです」
五条橋さんをまっすぐ見て言った。
「ち。……いいだろう。それでいこう。早瀬、お前はどうだ?」
はじめて、五条橋さんが私の意見を聞きました。
「……私も、それでかまいません」
私は、正直、速水さんが、ここまで私をかばってくれるとは、思っていませんでした。
……それだけで十分です。
だって、私に不利なことは何もないんです。
嫌になったらやめていいし、もし本当に嫌なら、五条橋さんと結婚もしなくてもいい……。ダメかもしれないけど、勝てば土地がもらえる……。
「でも、速水さん。……お店はやめないで下さい……!」
私は泣きそうになった。
「……いえ」
「……一緒に、お店、やりましょうよ、ね?」
速水さんも、傷ついてる。
私は、その事にやっと気がつきました。
……私がいなかったら、お店をやろうと思わないくらい、隼人さんの死は速水さんをぼろぼろにしている。
「お願いします……!」
負けてもアトリを、やめないでほしい。
――結局、速水さんは、首を縦に振ってくれませんでした。
「……」
五条橋さんが私を見ていた。
■ ■ ■
「細かい日程は連絡する」
お茶室を出た後、五条橋さんが言った。
「社長、予定を……」
「――ああ。忙しくなるな」
二人は足早に去って行きました。
「ぁ……」
私はそれを見送って、へなりと待合いの椅子に手をつきました。
そのまま地面に膝をつきそうになりましたが、速水さんがそれを途中でサポートしてくれて、なんとか椅子に座りました。
「それにしても、よく思いつきましたね。驚きました」
速水さんが言いました。
……多分、速水さんなら、私が何も考えて来なくても、自分であの土地の所有権を主張して乗り切っていたと思います。
ですが、そうなっていたら……?それは速水さんにとって、幸せだったのでしょうか?
――たぶん、きっと。これが今の、一番良い形だったのだと思います。
「いえ……。環境が変われば……と思って……」
私はうつむいた。
「さすがは、隼人の見込んだ人だ」
笑顔で褒められましたが、役に立てて嬉しいような、少し悲しいような――。複雑な気持ちです。
けどやっぱり、嬉しいことには変わりなくて、私は微笑みました。
――速水さんにも、元気を出して欲しいから。
「はい。お役に立てて、良かったです!」
「じゃあ、行こうか。そろそろ出ないと遅くなる」
「そうですね。あ」
私は立ち上がって、速水さんが土地を自分の名義にしておいてくれた事に、お礼を言おうと思ったのですが。
ふらふらと……そのまま速水さんに寄りかかってしまいました。
「大丈夫?」
正面から抱き留められて、私は固まりました。
「すみません……また足が痺れて…」
立ち上がる事は出来たのですが、全く歩けません。転びそうです。
速水さんの二の腕を掴んだまま、一歩も動けません……!
「えっと、…動けそう?」
私にしっかりとしがみつかれて、速水さんが戸惑っています。
「そ…それが…まったく」
情けない声が出ました。今になって、しびれが来たようです……!
地面がグニャグニャして…足がとにかく痛いです。
速水さんが苦笑して、あたりを見回して、「じゃあ……スカート押さえてて」
と言いました。
「きゃ」
速水さんが私をひょい、と横抱きにした。
(お、お姫様だっこ?)
「おんぶの方が良かった?」
速水さんが私の顔をのぞき込む。
「げっ、現状維持で……お願いします」
足がまずい事になっています。
速水さんが楽しそうに笑った。
―速水さんは、楽しい時に笑うと、無邪気な感じで。ステキなんです。
隼人さんといるときは、速水さんは、とてもよく笑っていました。
……私はそれが本当の速水さんだと思います。
「じゃあ、運びますねー」
けど、これは「お姫様だっこ」というより荷物扱いです。
「なんじゃ、朔。もう帰るのか?」
そのとき、お茶室からお祖父さんがひょいと出てきて、私はとても焦りました。
いきなりすぎて、下ろしてください、と言う余裕もなくて。
「ええ。帰りの時間があるので。またすぐ顔出します」「うむ」
「……、お、お邪魔しました」
そのままの状態で挨拶をしました。
「小雪殿もまた来なされ。出来れば、正座に慣れておくように」
「はい…」
お祖父さんに少し厳しく言われました。
これは、今まで生きてきた中で、一番恥ずかしかったです…。
〈おわり〉