第2羽 小雪とお茶室② -4/5-
―速水さんは正座のまま、とても邪悪な目つきで五条橋さんを見ています。
「……五条橋。俺はお前に土地を渡す気は無い。だから、どうするべきか、今、この場で決めよう。結婚なんて言葉まで出しておいて、時間が来たから帰る、なんて情けない事はしませんよね?」
速水さんがにこやかに笑って言いましたが、やっぱり声が笑っていません。
五条橋さんがほんの少し、口の端を少し上げた。
「――良いだろう。とことん話し合ってやろう。総江、連絡を」
「はい。速水オーナー、中座いたしますが、よろしいでしょうか」
「うむ」
秘書の総江さんが言って、お祖父さんが渋々、といった様子でうなずきました。
五条橋さんが、自分の顎に手を当てる。
「……要するに。俺は土地と早瀬を手に入れられれば良い。だが、まだ早瀬が俺にふさわしい女かどうかは分からない。最悪、彼女が手に入れば――もちろん、彼女が、俺に見合う人物になる事が前提だが、土地の件は融通を利かせてやってもいい」
五条橋さんが目線だけで速水さんを見ました。
「つまりだ、お前がまずここで、早瀬の嫁入りを認めれば全ては丸く収まる。――お前が肩入れしているのは、彼女ではなく『アトリ』だろう?……俺が喫茶アトリのオーナーとして、お前はいちバリスタとして。俺の下で、早瀬と共にアトリを再建する。お前に損は無いし、一月もかからないプランだ」
五条橋さんが言った。
彼は速水さんがバリスタだと知っていたようです。
しかも、いつのまにか早瀬、と呼び捨てにされています…!
「――」
私は思わず速水さんを見ました。
速水さんは、少し微笑んでいます。
「なるほど五条橋さんがおっしゃっている事は分かります。ですが……貴方は――彼女に負担を強いる気でしょうか?具体的にはさっきおっしゃった通り、早瀬さんが一流のバリスタになる事。家庭教師を付ける事。……こうして考えると、確かに、悪い話では無いですね」
速水さんが言った。
え?まさか、速水さんは、この話、乗り気……なんですか?
「早瀬さんを一流のバリスタにする、と言うからには、早瀬さんに自社研修などをさせるおつもりなのでしょうか?」
速水さんが呟く。
もしかして、おかしな方向に、話が進んでいる……のでしょうか。
「ああ。それと海外研修、留学だな。イタリア、アメリカ、フランス、オーストラリア。ブラジル、ジャワ、インドネシア、エチオピア……最低でもイーグルカフェと取引のある場所は把握させる」
五条橋さんうなずいた。
「悪い話では無いだろう。何ならお前も、バリスタとして雇って――」
「駄目だな。フェアじゃない」
速水さんがきっぱり言った。
速水さんが私を見て、一瞬、微笑みました。
今まで見た事の無い、とても楽しそうな笑顔です。こんな時でなければ、見ほれてしまうような。
「早瀬さんはお前に言われなくても俺が一流のバリスタにするし、家庭教師なら足りてる。そもそも。お前じゃ隼人の足元にも及ばない。彼女をただの女性と侮っていませんか?――顔洗って出直せよ。この==野郎が」
「……」「ゴッフォ!」
速水さんがドスの効いた声で――、最後、何て言ったの?
(ぶた……?)
い、いえ、いいえきっと聞き間違えです!!
速水さんがそんなこと言う訳ないです!
ちょうど戻って来た総江さんがスマホを落として、お祖父さんは激しく咳き込んで、五条橋さんは。
「……っ、何だと?」
「すみません!!」
私は思わず五条橋さんに謝った。
「速水さんっ――!」
速水さんもけんか腰です。お願いですから、殴り合ったりしないで下さい!!!
「フェアじゃないって言うのは。……クイーンと五番は釣り合わない。―つまり、どうにもならないって事だ」
速水さんが両手を上げて、肩をすくめた。
「速水……君は、中々、生意気だね」「社長」
五条橋さんがこめかみを押さえて、速水さんを睨んだ。
敬語を使って、必死で怒りを抑えているようです。
―私が五条橋さんだったら、絶対に殴っています。少し、見直しそうになりました。
「クイーンだと?ハッ。こちらにも、都合という物があってね。俺は彼女を気に入ったし、彼女も俺を気に入るだろう。お前が―」
「それこそ、お前が言う事じゃ無い!!」
速水さんが怒鳴った。
「五条橋。ここで彼女に聞け。『俺でいいのか?』そう聞いてみろ!早瀬さん、五条橋さんの事は好きですか?好きならば、嫁いで貰っても構いません。それがも確かにいい策です。アトリは再建できるし、貴方の「これから」も保証される」
速水さんが一息ついて、まっすぐに私を見た。
「けれど、貴方が望んだ事は。俺達が目指しているのは。そういう事じゃ無い。貴方がどう思っているか俺には分からないけど……あなたはどう思っていますか?」
「貴方は、あのお店を続けたいと言いました。俺は一生手伝う気でいます。けれどそれは、決して、強制するものではありません。早瀬さんはまだ若い。途中で挫折するかもしれない。他にやりたいことが見つかるかもしれない。――五条橋さんの事を好きになる事だって、あるかもしれない。俺が貴方を手伝うのは、俺の都合です。もし、そうなったら、いつでも、やめてもいいんです。貴方の好きにしてください。……お店を辞めて、たまにアトリに来てくれる、それだけでも、俺は救われます」
言って、速水さんは目をそらした。
「いや。来てくれなくても――」
「……わ……、私は」
私は言葉を探しました。
やめたりしない。今はそう思ってるけど。本当に約束できる?
「やり……たいです」
その言葉を出してはじめて、私は隼人さんが、本当に好きだったんだ。
やっとそう思えました。
「お店やりましょう。私達だけで」
私は、速水さんを見てうなずく。
速水さんも、私を見てうなずいた。
「分かりました。『俺達』の都合に振り回されないように」
「―五条橋さん。あの場所はあきらめてください」
私は静かに言った。
「……ちっ」
「社長、お時間が」
総江さんが時間を気にしました。
「…………」
ですが五条橋さんが、動きません。
あぐらをかいて、こめかみに手を当て、左手の人差し指でご自分のひざをトントンと叩いています。
もしかして、仕事の関係上、どうしてもアトリの森が無いと、本当に困るのでしょうか。
もし本当にそうなら、最悪、他の場所でも……いいえ、やっぱりだめです。
その時、急にニヤリと、五条橋さんが笑った。
「――そうだ。一つ、フェアな提案がある」