第2羽 小雪とお茶室② -2/5-
「五条橋さん。そのマンション、どうしてもあの場所でないといけませんか?」
「――」
五条橋さんがこちらを見た。
私は、必死に口を動かしました。
「あの場所は、私達がカフェを経営していた場所なんです。今日はお祖父さんと、そのことについて、ちゃんと話合う為に来たんです」
体が熱くなって来た。
「アトリのこれからについて……」
喉がからからになって、あまり声が出ない…。
「アトリ?――ああ。無くなった喫茶店か」
五条橋さんが眉を潜めた。
「だけど、お嬢さん方、これは大人の問題だから、君達がそう言ったところで。もう決まっているんだよ」
五条橋さんは、私と、速水さんを見ました。
確かに私はまだ子供だけど。……この方は速水さんも子供扱いしています。
「いいえ。まだ何も決まっていません!」
「……」
私が言うと五条橋さんがやれやれ、と言う表情で、溜息を付きました。
私は、どうやったら説得できるかを必死に考える。
「もう時間がない。まだ掛かるようなら、後日、面会の予約を入れてくれ」
その間に五条橋さんは話を終わらせにかかっています。社長さんだから、多分本当に予定があるのでしょう。
速水さんは何も言わない。
「五条橋さん。おじいさん」
私は、五条橋さんに向き直った。
「――座って下さい。ご、五条橋さん達は、先程、風評とか、評判とか言いましたよね」
私は言いました。
五条橋さんと秘書さんどちらが言ったか、そういうことは覚えていません。
咄嗟に敬語も使えなくて…、五条橋さんはまだ座ってるのに、座って下さい、と言いました。
「ああ、それが何か」
五条橋さんが言った。
「わっ、私も、五条橋さんのおっしゃる通り、死者が出たカフェではくつろげないと思います」
急に自信が無くなって、すこし高い声になった。
「ですから。私に、駅前の、オーナーが所有する物件を貸して下さい…!そこでアトリを成功させ、二十歳…、四年をめどに、あの土地を買い取り二号店として出店し直します!」
五条橋さんが、固まった。
うわさ…、誹謗…、中傷…それは昔、私が苦しめられた物だった。
もし仮にお金があったとして、アトリを今すぐに再建しても、きっと上手く行かない。
けれど、少しの事で風向きは変わるはず…。
「それまで森を含めたあの土地は、誰にも売ったり、貸したりしないで下さい!あの森あっての、アトリなんです…!お願いします!お祖父さんっ」
私は、お祖父さんに頭を下げた。
―どうなるか分からないから、自分で、考える事。
―お祖父さんは、ごまかしや入れ知恵で説得できる人では無い。
速水さんはそう言いました。
「駅前の物件?」
速水さんの声が聞こえて、私は顔を上げた。
「それって東京の?」
「あっ。はい東京の土地です」
「資料とかある?」「え、あ、はい……、これです」
速水さんに言われて、私は焦って、鞄からクリアファイルを取り出した。
昨日印刷した物で。たった三枚だけです。
速水さんが資料をめくる。
「確かに、お祖父さんが持ってる場所だ。……悪く無いですね。駐車場もあるし」
速水さんが言った
「はい。あの――私は、ここがいいと思ったんですが、もし他に良い場所があるなら、そちらでも……」
色々考えたけど、これしか思いつかなかった。
実現できるかなんて、分からない。年齢を理由に断られるかもしれない。
「……もし、お金があったとして……アトリを今すぐに再建しても、きっと上手く行かないと思います。……私も、全部忘れて、あの場所でまた働くなんて、まだ、できません。でも、あのお店は……、あの森は……ぜったい必要なんです!」
私は言った。
「お願いします!」
私はまた畳に頭をつけた。
周りがしんと静まって、だれも何も言わない。
「オーナー。…、俺からも。お願いします」
隣で速水さんの声が聞こえて、私は顔を上げた。
速水さんが隣で深く頭を下げていました。
速水さんは少しして顔を上げて、お祖父さんをまっすぐ見た。
「喫茶アトリの経営は俺が引き継ぎます。損害は――隼人がいなくなったのは悲しいけど、……資金面は問題ありません。アトリおよびアトリ周辺の土地の売却も一旦白紙にして下さい。五条橋さんはそれでよろしいですよね?」
速水さんが強く出ました。
ちょっと強引です。でも五条橋さんはとてもマンションを建てたい様子なので、これくらい強気で行った方が良いのかもしれません……。
「それにあの土地はもともと俺の名義で借りています。火事の前に契約も更新しました。お祖父さんも、ご存じでしょう?」
速水さんがたたみかけます。
「――えっ!?」
私は速水さんを見ました。
あの土地の契約者が、隼人さんでは無くて速水さんと言うのは初耳です。
「あの土地、隼人さんが借りているんじゃなかったんですが…?」
確か、隼人さんのご両親はそう言っていました。
「いいえ。隼人が、ご両親に報告していなかっただけで、契約は俺の名義になっています。そうですよね、お祖父さん」
お祖父さんがピクリと眉を動かした。
「無論知っておる。だが、その上でアトリは継続不可とし、あの土地を五条橋君に譲ろうと思っておった。朔。……お前は何故、あの土地を借り続ける?……。こだわったところで、何の利益にもならんぞ」
お祖父さんが速水さんを見た。
速水さんは、小首を傾げた。
「え?だって。その方が十年後の管理が楽だろうって、隼人が。あと、警察の調査もあるし、三、四年くらいは隼人の面影を偲ぼうと思ってて……」
速水さんが五条橋さんを見た。
「だから。五条橋さん。あの土地を使いたいなら、お祖父さんで無くて、まず俺に言って――」
「このばかものが!!」
お祖父さんがいきなり怒鳴って、速水さんが耳を塞いだ。
「そんな理由で金を使うな!!」
私も五条橋さん達も、肩をすくめる程の大声でした。
「だって」
速水さんは、さも当然、と言った様子です。
「だってじゃない!このバカ孫め!」
「でも」
「でももしかしも無い!!」
これはおじいさんの方が正論です。私は苦笑しました。
「……?」
私はちくちくする視線を感じて自分の左隣、速水さんの向こう側を見ました。
じつは……、先ほどからずっと、五条橋さんが私を見ながら秘書さんと小声でヒソヒソ話しをしていて……。とても、居心地が悪いです。
「……、あの?」
私は首を傾げた。
「おい。……こいつでどうだ?総江」
「え?――ああ。悪く無いですね。容姿も人並み以上ですし、熱意もありそうですし」
秘書さんが言った。
「ですが、少々若くないですか?」
「いや。気に入った」
五条橋さんが笑った。
「早瀬小雪だったか。――お前、俺の嫁になれ。それなら何の問題も無い」
五条橋さんが言った。