第2羽 小雪とお茶室② -1/5-
かっぽん。
その日、私はお茶室でがちがちに緊張していました。
お祖父さんに会う約束の時間。
(ありがとうございます、速水さん…!)
私は、隣で正座する速水さんに、心から感謝しました。
昨日、お作法教えて貰って、…本当に良かった…!
私は、膝下丈の落ち着いたブルーのロングスカートに、白色のレースの付いたインナー、ライトブルーのカーディガンを着ています。
靴下はクルー丈の、白い物を選びました。
……いつもの格好で良いと言われたけれど、とても場違いな気がします。
お茶室なので、それほど広くは無いのですが…とにかく、全ての物が高そうです。
いま、私達の目の前で、お茶を点てているグリーンの着物の方。
こちらの方が、家元を引退した速水さんのお祖父さんです。
長いお髭がすごくお洒落なおじいさまで、『喫茶アトリ』の土地の持ち主で、目元は少し出雲さんに似ている気がします。
ここは神奈川県なのですが、速水さんのご実家は京都で、お父様はそちらにいらっしゃるそうです。
「おじいさん、この方がお話しした早瀬小雪さんです」
速水さんはいつもの真っ黒な格好だけど…帽子を取っています。
「はっ、早瀬、小雪と、申します」
き、緊張で上手く話せない…!
先程頂いたお菓子もすごく美味しくて、それはいいのですけど…。
私、ちゃんと出来ているのでしょうか…?
さっきから、ものすごく、指先がカタカタと震えて……。
だ、だって、私達だけだと思ったら。思ったら!!思ったら…!
「器を拝見させて頂きます」「うむ」
私達の他に、二人も男の方達が……!
この方達は一体……。
「はや」
「は、はいっ!!早瀬です!!」
私は飛び上がった。
「ゴホン、いや、…、隼人君の事だが」
「あ、すす、すみません」
私は頭を下げた。
速水さんのお祖父さんは根っからの茶人で、人と会うときは絶対にお茶を振る舞う…。
隼人さんとあった事もある、のかしら…?
私は次の言葉を待ちました。
「隼人君は、…残念な事だ。儂は彼を見込み、土地を貸した。それが利益になると思ったからだ」
「…?」
私は良く分からなかったので、隣の速水さんを見ました。
「お祖父さんは、まあ利益に五月蠅いんです。ドケチとも言いますね。隼人は…」
速水さんが言うには。
次男なのを良い事に、茶の道を放りだし家を飛び出した速水さんは、ずっと海外にいたそうです。帰国後も実家とは、ほぼ絶縁状態だったらしいのですが…。
速水さんと隼人さんで、土地や物件の下見をした際のこと。
隼人さんのお眼鏡にかなう場所がなかなか見つからず。ちょっとした言い合いの後、最終的に『今日はもう適当な森で小鳥でも見て癒やされよう』という流れになって。二人は近くの森へと足を運んだそうです。
そこで隼人さんがぽつりと。
『ジャック。僕はこの森が気に入った。アトリが鳴いたし、ここにお店を出すよ。確か君の実家の土地だったよね』
『―は?いやそうだけど。けどここに、もう看板あるだろ。五条橋が―』
『アトリが鳴いているから。さあ今から行こうジャック』
『えっ!?おい、隼人!待て』
「――と言うように、隼人は俺が止めるのも聞かずに…、土地を貸してくれって、お祖父さんに頼み込んだんだ。無理だから止めておけって俺は言ったんだけど…」
速水さんはハァ、と溜息を付く。
「たわけ!!あの土地は先祖代々伝わる、由緒正しき土地だ。儂は純粋に隼人君の経営手腕を見込み貸したのだ!でなければ珈琲などと言う!!…っだいたいあの土地が坪単価幾らすると思っている!?普通なら一括払い原則じゃ!それをアノ若造は―!!」
「社長、お時間が」
「そうか。速水老人、そろそろ…」
「おお、五条橋君、済まないの、今暫く」
「…」
速水さんが厳しい顔でその『社長』さんを見ました。
その男性の歳は、隼人さんより少し若いくらい…?
肩くらいまでの黒髪に切れ長の目。
とても格好いい方で、グレーのスーツが似合っています。
目つきは速水さんよりきつくないのですが…何だかとてもクールそうで、少し恐そうな方です。
お隣の方は、スーツ姿で、銀縁の四角い眼鏡。こちらの方は茶髪をオールバックにしています。秘書さんでしょうか?
「それで、あの土地の件だが―。後処理も含め、こちらの五条橋君に売却する事にした」
「…っ!?」
私はその男性を見た。
「そういう事です。悪く思わないで下さい。あの森を含めた土地には俺たち五条橋グループがマンションを建設する事になっているんです。件の喫茶店のあった場所は、予定通り、駐車場になります」
社長さん――五条橋さんが苦笑して言った。
「もちろん後片付けは責任を持って我が社が致します。近隣住民の心のケアも含め。完成は再来年、販売開始は来月の予定です」
秘書さんが手帳を見て言う。
「…、そ、そんな!」
私は呆然とした。
「…元々、そう言う話になってて。それを隼人が言いくるめて借りたんだ。隼人の家族があの土地を手放すなら、コイツが出張るのは当然の成り行きだ。…けど、俺たちだって、あの土地だけは譲れない」
速水さんが言った。
「へぇ。だが、また喫茶となると……。零からのスタートどころか…?風評とか、色々と……。お嬢さん、どうぞ」
「あ、はい…」
私は差し出された名刺を受け取る。
『(株)五条橋建設グループ 代表取締役社長 五条橋京夜』
(――ごじょうばし、きょうや…さん?)
どこかで聞いたことがあるような……?
「若いやつには、こちらの方が、なじみが深いかもな」
もう一枚……?
『(株)イーグルカフェ CEO 五条橋京夜』
私ははっと顔を上げました。
…五条橋京夜さん!
「……っ!?あの、イーグルカフェの…!?」
――聞いた事があるはずです。
イーグルカフェは…、全国に…店舗を多数展開する、業界一位の珈琲チェーンです。
そういえば、この方がテレビに出ているのを見た記憶があります。
私は思わず、速水さんを見た。
「速水さんが、どうなるか分からないって…言ってたのは」
「つまり、こういう事ですね」
速水さんが静かに言った。
「では、これで」
五条橋さんがお辞儀をした。お祖父さんに挨拶をしています。
背中を向けて……このまま、先に帰ってしまうようです。
(――隼人さん…!)
私には…五条橋さんの背中が、隼人さんの背中に見えた。
アトリが遠ざかる。
どうしたら―!?
私の脳裏を過ぎったのは、速水さんが昨日私に言った言葉。
――どうなるか分からないから、自分で、考える事。
『…後は早瀬さん次第です』
「待って下さい!」
私は声を張り上げた。