第2羽 小雪とお茶室 -3/5-
――お茶室の入り口、にじり口は、とても小さいです。
これは、確か、千利休が茶室の中では皆身分も関係無い…頭を下げて入るべし…という意味合いを込めてそうした…と学校で教わった気がします。
「…これが、入り口なんですか?」
いくつかの門を通り、外の『つくばい』という場所で、ひしゃくを使って手と口を清めて、待合、という場所も教えられて、ようやく茶室の『にじり口』に来た私は驚きました。
実際のにじり口を見たのは初めてですが…。
この入り口だと、速水さんのように、背の高い方は窮屈そうです。
でも、速水さんはさっと入って、体の向きを変えて、自分の草履を取って、石の脇に立てて置いて、その後に入り方を教えてくれました。
「扇子を部屋の中に置いて、両手をついて、頭をぶたないように下げて。―そう、履き物を脱いで、膝をついて、同時くらいでいい――、入ったらそのまま、足を寄せてこちらを向いて正座、回転して、草履の土に接する面を合わせて、この辺り、前の人の草履の前に、立てて重ねる」
「はい」
私はその通りにした。草履を取って――。
「あ。でも本家は下足番が片づけてくれるし、草履は取らなくても―?」
ぼつりと速水さんが言った。
――ゴツン!!
「っ!」
私は頭を派手にぶつけた。
「頭はぶたないように…。……大丈夫?」「はい…。いた…」
「…先に言って下さい…」「ごめん忘れてた」
涙目の私を見て、速水さんが苦笑した。
速水さんは正座しています。私も正座しました。
「じゃあ、まずは正座して――にじりから」
「…にじり?」
言われた私は、正座のまま首を傾げた。
「そう――。座ったままでの移動の仕方、まずそれを覚えよう。こうやって、軽く手を握って、畳について、親指で畳を押して、自然に前に動く事。こういう感じで」
慣れた様子で、お手本を見せて下さいました。
「??…こうですか??手は合ってますか?」「もう少し体のすぐ横に置いていい」
見よう見まねでやって見ましたが、直されました。
「手をつく位置は遠すぎないように、自然に。…動ける?――そう。回るときは、こうやって、向きたい方向の少し斜め先に手をついて…、膝を中心に、くるんと。だいたい二、三回に分けて回ると良い」
私はバランスを崩してぐらついた。
「…難しいです」
着物を着ているせいじゃなくて、慣れてないから難しいみたい。
「もう一回やってみよう」
「よし、次は――正座のコツと、立ち方、座り方、お辞儀の種類」
立ち方、座り方、疲れない正座の仕方や、「真」「行」「章」、角度が違う三種類のお辞儀の仕方も教えて貰って。
「こうですか?」
「もう少し深く。指先は伸ばして、肘はこのくらいで、次は…」
もうすでに、いっぱいいっぱいです……!
が容赦なく、速水さんが、茶室に入った後の移動の仕方の説明を追加しました。
「はい…」
覚えきれるかしら。
そして、扇子やふくさ、懐紙、古ぶくさ、ようじ、ふくさ入れ…などの、細かい持ち物を畳に広げて、説明を受けました。
そしてようやく、今から、お茶を頂く流れ……らしいです。
「抹茶には濃茶と薄茶があって、濃茶の方はかなり濃い。濃茶は皆で一杯を回し飲みします。今日は薄茶から」
「はい」
私は頷きました。
茶室では、先程から出雲さんが、テレビでしか見たこの無い、お茶道具の側に正座し、楽しそうにこちらを見ています。
薄茶の説明をさらに受けた後、またにじり口からやり直しです。
今度は頭をぶつけませんでした。
「茶室に入って初めにすることは、床の間にある掛け軸を皆で見る。書かれた文字や、由来を適当にお兄さんが語る――、意味が分からなくても適当に周りが説明してくれるから、頷く。そのまま目線を落として、生けられた花を皆で楽しく見る」
速水さんの、出雲さんの呼び方が変わりました。
お茶室だからでしょうか。
掛け軸には、『一期一会』と大きく書かれてます。
…これは…。
……とてもオーソドックスな言葉です。
「お兄さん」
速水さんが出雲さんを見た。
「はい。早瀬さん、この掛け軸、意味はなんとなく分かりますか?」
あうんの呼吸で、出雲さんが笑って言う。
「――問いかけられる事があったら、その時は正直に答える。分からない場合は、なんという意味でしょうか?と聞けば良い」
速水さんが補足した。
「一期一会…、出会いを大切に、という事でしょうか…?」
私は答えた。
「ええ。これは茶の教えの根幹となる言葉です。私は今日、早瀬さんと、お会い出来て嬉しい気持ちと、人との繋がりはすべてきっかけから、そういう思いを込めてこの軸を選びました」
出雲さんが言いました。
とても分かりやすい説明で私はほっと、笑顔になりました。
「…はい」
初心者用に、基本となるこの言葉を選んでくれたのだと思いますが、…。
「茶は服のよきように点て――」
…そこから続いた、歌のような言葉の意味がよく分かりません…。
「――という事です」
「……??はい……?……」
ですが聞き終わったら、おぼろげながらに、何かしら分かったような……、お茶は相手のこと思って、色々準備して下さるものだと分かって、仙人の説法のような、奥深い、ありがたい話を聞いた気持ちになりました。
「…茶人の考えは、お祖父さんや、お兄さんの言う事も、意味が分からない事とかある。今回は超入門用と言う感じです」
速水さんが言いました。
その後に、床の間の、横に長い花器に葉ごと生けられた、白い花の説明を聞きました。この可愛らしい白い花は、一輪草と言って、季節の花だそうです。
「さて。明日の茶事だけど。――そこまでたいそうな物でも無いかな。招待は俺と早瀬さんを入れて四人。正客、次客、相客、末客の順に、正客が亭主…つまりお祖父さんの正面に座るけど、基本的に何かするのは正客と、末客だけです。正客、次客は他の方に決まっていて、早瀬さんは三人目のここです。俺は末客」
速水さんが色々説明します。
席順はあらかじめ決まっているみたい。
「――じゃあやってみよう」「はい」
速水さんが出雲さんの正面、私がその右隣で、静かに待ちます。
もう、足が痺れてきました……。
出雲さんが軽く挨拶をして、そして、やっとお菓子へ。
「――お菓子をどうぞ」
出雲さんが楽しげに言った。
四角い、干菓子器…普通の薄い、平べったいお皿のような菓子器―に入った、干菓子という物をいただきます。
薄茶の場合は、干菓子だけの場合がほとんど、だそうです。希にくだけた席では両方出されることもあるとか。
主菓子、つまり私もよく知っている、あの和菓子は、濃茶――、薄茶よりも濃い、皆で一杯を回し飲みする抹茶の場合に出されるそうです。
このお菓子は…。
「これが。干菓子…和三盆?…いえ、らくがんですか?」
「はい。金平糖とか、落雁でも色々あるけど…お祖父さんは多分、このらくがんを出すでしょう――俺が嫌いだから」
速水さんがぼつりと言いました。
「実は、それ程でもないんじゃない?」
「まあそうだけど…」
出雲さんが軽くいなして、速水さんが言いました。
「久しぶりに食べる。干菓子を食べた後に、薄茶です」
と速水さんは言った。
「さて。…食べる前にとりわけ方だけど。次客に礼をして…この辺りは前の人のやり方を真似すれば良い。早瀬さんの場合は前の客が礼ををしたら真似て、その後こうやって取る。今は誰も居ないけど、菓子器を同じように回してみて」
私は速水さんがやった通りに、懐紙に干菓子をおいて、誰もいない場所へ菓子器を回しました。
(甘い……)
そうして、美味しく食べ終えて、出雲さんがお茶を点てます。
シャシャシャ、という小気味良い音がお茶室に響きます。
全く無駄の無い動きです。
「お手前、頂戴いたします」
速水さんも別人みたい。
一番深い、丁寧なお辞儀をして、すっと飲み終えます。
はっとしたときには、私の番でした。
「前の客に、もう一服いかがですか…と聞いて、茶碗は柄を向けて渡されるから、二回、時計回りに少し回して…」
「はい」
作法を教えられながら、ようやく頂いたお茶は、とても美味しかったです…!
速水さんが、ふっと、床の間の方を見ました。
「――そろそろお昼食べようか」
「あっ、はい――あ」「…立てる?」
立とうとしてぐらついた私を、速水さんが支える。
……だめです。
全く立ち上がれないくらい…、見事に痺れています……。
「い、いえ……すみません…足が…全く動かないです」
速水さん達が苦笑しました。
「じゃあ少し休んでから行こう」
その間は、お茶室の由来を聞かせて頂きました…。