第1羽 早瀬小雪(はやせ こゆき) -4/5-
次の日、警察がアパートに事情を聞きに来て。
まだ分からないけど、隼人さんが何者かに、刺された後で…火を付けられた可能性がある…と言われた。
それから、少しの間、私はどうしていたのか覚えていない。
気が付いたら私の部屋は散らかっていた。
さらにしばらく後。
『隼人が戻ってきたそうだ。会いに行こう?』そう父に言われて私は出かけた。
私のアパートから車で四十五分ほどの…なじみ深い彼の実家。
けれど着いた先で私が見たのは、もうお骨になった隼人さんだった。
親戚だけでお経を聞いた。皆がすすり泣いていた。
私は途中、外に出て…庭の片隅で泣いた。
「…っ、隼人さん、隼人さんっ…、隼人さん…はやと、さん…っ」
もう涙が涸れるくらいに、泣いたのに…。
…その日の午後、隼人さんの住んでいた1LDKのアパートに、アトリの皆で集まった。
隼人さんのご両親が、速水さんと相談し…片付ける前に皆を呼ぶ事にしたそうです。
私と私のお父さんが着いたときには、もうアパートの前に皆が集まっていました。
「…」
副店長の速水さん、焙煎士の倉持さん、寿さん、桂馬君、乙川君、カオルさん―。
誰も何も喋らなかった。
速水さんが慣れた様子で鍵を開け、皆で背の低いガラスのリビングテーブルを囲む。
隼人さんの家には初めて入ったけど。
やっぱり、壁には鳥の写真がいっぱい貼ってあった。
…森みたい…。
「速水君…これから、どうする…?」
カオルさんが、机の上の、隼人さんが開いたままにしていた雑誌を、少しよけて言った。
捜査は終わった後だった。
「… とりあえず、今月のお給料は20日には…振り込みます。早瀬さんすみませんが、シフトのコピー貰えますか。雇用契約に関しては、雇い止め…即日解雇と言う 形で…。後日、各種書類をご自宅に郵送させて頂きます。…学生さんパートさんは、片付けの手伝いは大丈夫ですから、…気持ちが落ち着いたら、新しい勤務先 を探してください。アトリは」
速水さんも疲れているみたいだった。俯いたまま、事務敬語で淡々と話す。
「…アトリは…、継続不可能です」
速水さんの言葉が、重くのしかかった。
「そう、ですか」
私は、それだけを呟いた。
私の。隼人さんの。皆の憩いのカフェ。
それがなくなった?
一体、なぜ?……どうして?
ピンポーン。
「皆さん、遅くなりまして、すみません…」「この度は…」
列席者の見送りをした隼人さんのお父さん、お母さんが入って来た。
「あ、私…お茶を煎れます。キッチン、お借りしますね」
カオルさんが立ち上がった。私も手伝おうかと思ったけど、立ち上がる力が出なかった。
「…チーフ…、…」「…あの、…」
桂馬君と乙川君が声を掛けてくれたけど…良く聞き取れなかった。
コトン…。
皆の前にコーヒーが置かれる。
「…速水君、借金、あるんでしょ?」
カオルさんが言った。
「俺の方は…まだ何とかなるけど…、隼人は…おばさん、大丈夫ですか?」
速水さんが聞く。
「ええ、まだ分かりませんが、…皆様にご迷惑は…」
隼人さんのお母さんが言った。
「いいえ!!…俺に出来る事があれば、何でもします!!…でも、そんなの…」
速水さんは、テーブルの上で拳を握りしめ、…肩を落とした。
その後も、大人達は色々と今後の話をしている。
私や、アルバイトの皆はそれをだた見ていた。
「あった…!」
その声が聞こえ、皆がそちらを見た。
「あった、あったぞ…、…隼人っ、」
机の引き出しを開け、叔父さんが泣いている。
「…小雪ちゃん…、小雪ちゃん…、これ、隼人から…」
そう言って叔父さんから手渡されたのは、赤い小箱に入った指輪だった。
「…叔父さん…、こ、これ…?」
シルバーで赤い宝石の。しっかりと箱ごと握らされる。
「隼人はな、…お店が落ち着いたら、小雪ちゃんにプロポーズするって。言ってたんだ。でも小雪ちゃんの誕生日は来月だから、待ちきれなくて、もう指輪買ったって…、っく、電話で、言っててなぁ…あれが最後の…。…さいごの…」
「う、うそ…」
私は目を見開いた。
隼人さんが、私を、好きだった?
「気の早い子だったよ…、けど、もう…、っもう…」
おばさんが泣き崩れた。
「…早瀬さん…!!っ、俺、聞いてたんだ…。それを先にこっそり伝えよう、なんて…。思って、て。たのに、…っ馬鹿野郎!なんで死んだんだ!!」
速水さんが泣いている。
「……っ」
私はまたぼろぼろと泣いた。
あることに気がついて。
(私は、隼人さんが好きだったんだ…)
いま、それに初めて気が付いた。
私の好きの一歩手前で、隼人さんは死んでしまったのだ…。
「私達は、そろそろ、お暇します」
カオルさんが静かに言った。皆が…動かない速水さん以外、立ち上がる。
「なんで?」
指輪を見て、私は呟いた。
「小雪?」
お父さんが首を傾げる。
「なんで、なんで、なんで、なんで…?」
「小雪ちゃん?」
カオルさんが立ち止まる。
「お母さんだって、殺されたのよ!何で!」
「小雪っ!」
お父さんが止める。
「あれも!!あれだって放火よ!!なんでっ!何でなのーーーーーーーーー!!」
「落ち着け!小雪!…皆さん、…こ、小雪、父さんは皆を送るから!兄さん、とりあえず出よう」
「ああ、さ、皆さん―」
皆が出て行った。
私は、指輪を眺める。婚約指輪?結婚指輪?
そういうときは普通ダイヤモンドだと思うけど…。
それに似つかわしくない、鳥の目みたいな、小さな赤い宝石。
けれど、私の好きな。
ああ、この石――。隼人さんは、やっぱり、私を分かっていた。
「くやしい!くやしいっ!くやしいっ!!」
私は指輪をつかみ取り、空っぽの小箱を壁に投げ付けた。ぱぁん!と大きな音を立てて箱がはじけ飛び壊れる。
「は…早瀬さん?」
今部屋に残っているのは…驚いたようにこちらを見る、隼人さんの親友。
速水サク、――ジャックだけ。
「速水さん。私…隼人さんが、居なくなってから、ずっと、ずっと、考えてたんです…。お母さんと、隼人さんを殺したのは、同じ人じゃないかって…」
ジャックは驚いた。
「なら、警察に事情を…!」
「もう話しました…。でも、でもっ、貴方の相方の―、先代のジャックさんが死んだとき、事故で片付けた警察が、あてになるんですか!?」
「―!!っ」
ジャックが目を見開く。
速水さんはかつて…、ジャックと呼ばれた伝説のダンサーとダンスユニットを組んでいた。
先代ジャックは速水さんと同じバイト先…。つまり、隼人さんとも同じバイト先だ。
当時、実家を飛び出しブレイクダンスをやっていた速水さんは、そのジャックに誘われ…『JACK+』を結成し、同年『JACK+』は世界大会で優勝。
その直後のホームハウスでのダンスの最中、ステージ上で、ジャックの目の前で、ジャックは死んだ。
翌年、速水さんはジャックの志と名を継いで、同世界大会に出場。
惜しくも二位に留まるが…スポーツメーカーとのスポンサード契約を結び、二代目ジャックとしてソロでの活動を開始。
しかし三年前、突如としてショウビズの世界から身を引き、その後、消息を絶つ。
噂では、先代ジャック殺害の犯人を捜し、地下で行われる危険なダンスバトルに身を投じていたなどと言われている…。
アトリにいるのが、信じられないような経歴。
それが隼人さんの死後、私が調べた、この人だった。
『小雪と、もう一人…ジャックの為にお店を開くことにした』
隼人さんはそう言っていたから…。
「…君は、これからどうする?」
「私は…」
私は俯いた。
私は…どうしたいのだろう?
警察の代わりに、犯人を捜す?…私は、探偵じゃない。
それに、そんな事をしても…、隼人さんは帰ってこない。
指輪が手からこぼれことん、と音を立ててテーブルに落ちた。
私は思い出す。
看板ができて、それを初めて広げた…幸せな時を。
『ほら、小雪、ついにできたよ!間に合って良かった!』
私ははたきを置いて駆け寄った。
『…あとり?あっ、もしかして、やっぱり鳥の名前ですか?』
『そうだよ。ええと写真は…ああ、これだ』
スマホを覗き込む。
『わ、可愛い…!』
『冬―、雪の似合う、小さなアトリ。ほら、小雪みたいで可愛いだろう?』
(もうっ、…隼人さん、私、そんなに小さいですか?)
もうずいぶん、大きくなったのに。
近づくとすぐに飛び立つ、貴方の隣に居られるくらい―。
『隼人さん。一緒にお店、頑張りましょう』
(隼人さん……っ)
「私…『アトリ』を、再建したい…」
「…」
「いいえ、私、絶対にアトリを再建します。どのくらいかかるか、分からないけど、ぜったい、絶対に…!!」
泣きじゃくる私を見て、ジャックは笑った。