強壮たる阿修羅
赤い鬼。そうとしか形容の出来ない姿だ。人間離れした巨躯に加えて、荒縄のように太い筋繊維に覆われた肉体、頭部に二本と拳の関節に生えた角がその印象をより強めた。赤い肌とは対照的な青い目は冷徹に花鶏を見つめ、その頬をニヤリと歪めた。
「お前かぁ? 俺の後輩を苛めてくれやがったのは。ひでぇことしやがるもんだぜ」
「……なんだ、手前。いきなり現れて随分な言いようじゃあねえか」
花鶏は感じていた、目の前の化け物から圧倒的な威圧感、闘気とでも言うべきものを。優れた格闘家は道着の結び方を見ただけで相手の実力を理解するというが、ベルトによって研ぎ澄まされた花鶏の意識はその圧倒的な存在感をひしひしと感じていた。
『あの男は……アスラータか!』
「ほう? 俺の名前を知っている……なんだ? ベルトのバックルかなんかか?」
目の前の鬼、アスラータは覗き見るような仕草をした。その瞬間、走り出した。アルケルメスの強化知覚がなければ、瞬間移動したようにでも見えたのだろう。
「まあいい! 手前とは楽しいやり合いが出来そうだからなァ!」
「こいつ、何言ってやがるんだよッ!」
花鶏は迎撃の拳を放った。アスラータの太い拳とかち合い……花鶏が負けた! 砲弾が炸裂するような凄まじい音が鳴り、花鶏は三階の中央から扉を突き破り端まで吹き飛ばされた! 本棚に背中から激突し、凄まじい痛みが花鶏を襲った!
「なんつーバカ力……ふざけやがって、このクソ野郎がッ!」
『よせ、勇吾くん! アスラータの腕力は《デモニューロ》の中でもトップクラスだ!
まともに正面から打ち合って勝てる相手ではないぞ、武器を使うんだ!』
正論だ。花鶏は武装を呼び出し、《ファイナルフェーズ》のエネルギー放出で消えた棒を再び呼び出し飛んだ。ワイヤーに引かれるように、花鶏は再び中央へと戻る! 飛びながら花鶏は棒を突き出した。アスラータは空手めいた仕草でそれを受ける。内から外へ、外から内へ。回し受けの基本動作だ!
「この野郎、化け物が生意気に武術なんて使ってんじゃねえよッ!」
「ハッハッハ! 見せてやるぜ小僧、この俺様必殺の、アスラ空手って奴をな!」
棒を受け流しつつ、花鶏の胸に軽い打撃を放った。胸が圧迫され、一瞬呼吸が止まる。その隙を見逃さず、アスラータは連打を行う。人中、喉、胸、股間に打撃を打ち込もうとする。
もがきながら花鶏は棒を振り回し後退、凄まじき連打を受け切る!
「んの野郎……! 正中線四連打なんて弓狩しか使ってんの見たことねえぞ!」
『あれが出来る人類がいるってだけで私には驚きなんだが……それはともかく、やはり常軌を逸した実力だ。いまのアルケルメスでは、こいつに勝てないかもしれないな……』
「なに言ってやがる、空手家ってのは後退のネジを外してる人種のことを言うんだぜ……と言いたいところだが、俺は空手家でも化け物でもないからな……」
くるりと棒を回転させながら端に持ち替え、踏み込みながら一回転。遠心力を乗せながら花鶏は棒を投げた。アスラータもさすがにこの段に至ってこのようなことをするとは思っていなかったのだろう、間抜けな声を上げた。
さすがに棒を無防備に受けることはなかったが、一瞬の狼狽と防御の瞬間は花鶏にとって十分すぎる時間だった。横の窓ガラスを突き破り、花鶏は中庭に飛び降りた。
10mほどの高さから落ちたにもかかわらず、花鶏はまったく衝撃を感じていなかった。降りると同時に走り、逃げる。
アスラータはそれを追おうとした。しかし、彼の耳にサイレンが届いた。
「……ケッ。これだけ派手にやれば、バレちまうのは当たり前ってわけかい」
アスラータは来た時と同じく、悠々とした足取りでそこから去って行った。響く足音は最初は大きく、段々と小さくなり、やがて聞こえなくなっていった。
一方、花鶏は北棟校庭側の影に隠れながら変身を解いた。東側には正門があり、西側には広大なグラウンドがある。北西方向には県下最大のテニス場さえある。グラウンドから届く乾いた風を胸いっぱいに吸い込みながら、花鶏は胸を撫で下ろした。
「……どうやら、追いかけて来ることはないようだな。まったく、死ぬかと思った」
『勇吾くん、私の作ったアルケルメスに敗北は有り得ない。もし負けることがあるとすれば、それは使用者に問題があるのであって、私には一切の責任は存在しないよ』
「あんたホントにへし折られたくなかったら黙ってろ」
地面に腰を下ろしたところで、花鶏たちの姿を見つけた弓狩が走って来た。
「花鶏、無事だった? 念のため警察と消防を呼んでおいたんだけど……」
「あいつらがそれで怯んだのかは知らないけど、追っては来ないみたいだ」
「あいつら、って……あのクラゲみたいなのの他にも誰かいたってこと?」
「ああ、アスラータっていう見た目も実力も鬼みたいなやつだ。空手もすごい」
ようやく呼吸が落ち着いて来たので、花鶏は立ち上がった。全身に新鮮な空気を行き渡らせる。生き残っていることがこれほど嬉しかったのは生まれて初めてだった。
「ふーん、花鶏を凄いって言わせるくらいの空手家ね……私も手合わせ願いたいね」
「よせ、お前とあいつが打ち合ったらこんな被害じゃ済まなかっただろうぜ……」
苦笑しながら花鶏は尻を払った。それと同時に、校内に設置されたスピーカーから教師たちの切羽詰まった声が聞こえて来た。全員、速やかに教室に戻れというお達しだ。
「さすがにあんなことがあっちゃ、授業だの部活だのってやってる暇じゃねえってことか。まったく、《デモニューロ》様様って感じだな」
『勇吾くん、皮肉な物言いは止めたまえ。被害が現実に出ているのだぞ?』
「派手に壊されたけど、死人は出てないだろ? 殺す気はなかったんだろう、元から」
確かにあのクラゲデモニューロが暴れ回ったせいで北棟三階部分はボロボロだ。アスラータのせいで図書館の扉も壊れ、本の背表紙もいくらか歪んでしまったかもしれない。だが、あれほどの被害に対して人的被害は驚くほど少なかったはずだ。
『いかに死人が出なかったとしても、《デモニューロ》によってもたらされる破壊や恐怖は人々の生活を脅かす! 今回の件でもどれだけPTSDが発生するか……』
「ま、その辺は追々考えるとしようぜ。どうせ俺たちには何にも出来ねえだろうけど」
やる気なさげに頭を掻きながら、花鶏と弓狩は教室へと向かって行った。上級生から下級生まで、様々な生徒たちで廊下はごった返しており、凄まじい喧噪で包まれていた。そこかしこで無責任な憶測が成されているのを二人は無視し、教室に戻った。彼らは一年生であるため、階段で三階まで登って行かなければならない。
「やれやれ、どこもかしこもこんな感じかよ……」
長い階段を上って戻って来た二人を待っていたのは、外と変わらない喧噪だった。彼らも口々に無責任な噂を口にしあっている。理科の実験失敗といった大人しいものから、いじめられっ子の復讐、果てはテロ疑惑まで出て来る始末だ。
『見たまえ。彼らの存在自体がこの世界に混乱をもたらすのだということが分かるだろう。彼らはこの世界に存在してはいけない存在なのだ』
「この混乱の責任まで押し付けられてちゃ、あいつらも敵わねえだろうなぁ……」
何が起こっても騒ぐのが学生というものだ。これがなくても騒いでいただろう。花鶏はクラスを見回す、すると、一つだけ空席があることに気付いた。空手部の同級生、島津翔太の席だ。竹達のシンパだったので、花鶏との仲はそれほどよくなかった。
「あれ……島津って朝いなかったっけ?」
「そうね。竹達先輩と一緒に練習していたのを見たから、多分いたと思うけど」
花鶏は考えた。朝から感じていた違和感。竹達と島津。事件の後から行方不明。推測と憶測が頭の中を飛び交う。花鶏はこっそり福留に連絡を打った。
「福留さん、島津の住所って特定出来るか?」
『任せたまえ。私にかかればどんな相手だろうが2分で炎上させられる』
「分かった。平行してそのへんが出来れば頼むわ」
言うが否や、福留は作業に移った。花鶏は弓狩の方に向き直った。
「放課後、島津の見舞いに行ってやろうじゃないか。あいつ絶対たまげるぞ」
島津翔太の家は思ったより早く見つけることが出来た。福留の言う通り炎上させられそうな飲酒写真や喫煙写真なども出て来たが、とりあえず無視することにした。郊外にある二階建ての一軒家だ。四角い箱のような形が特徴的な家屋だ。
取り敢えずチャイムを鳴らしてみたが、中からの反応はなかった。
『島津翔太の母親は専業主婦のはずだ。だが、自転車はある……電気メーターも動いているね。中に誰かがいると考えるのが妥当だが、出てくる気配がないのは妙だねぇ』
ノブを捻ってみるが、当然のごとく鍵がかかっている。花鶏はため息を吐いた。
「裏口が開いてないかどうか調べてみよう。入る場所はあるはずだからな」
『まあ、待ちたまえ花鶏くん。ここは私に任せるんだ、携帯を掲げてみたまえ』
言われるがままに携帯を差し出すと、底の方から触手上のコードが蛇のように伸び、鍵穴をまさぐって行った。しばらくすると、カチリという音がして鍵が開いた。
『私にかかれば、どんな鍵であろうとも障子戸同然なのだよ』
「あんた博士じゃなくて泥棒って肩書き変えた方がいいんじゃねえのか?」
呆れたように言うと、花鶏はノブを捻った。薄暗い通路、生暖かい空気。少なくとも尋常な雰囲気ではあるまい。花鶏と弓狩は慎重に歩を進めた。島津の部屋は二階だ。
ギシギシという不吉な音の鳴る階段を二人で登る。二階のエントランスは左右に分かれており、それぞれ三つの扉が見えた。内、トイレは簡単に見分けることが出来たが他の部屋をどう見分けるか。そう考えていたが、それは要らぬ心配だった。なぜならすべての部屋の前にはファンシーな掛札がかけられており、島津の部屋の札もあったからだ。
弓狩はゆっくりとノブを回し、扉を少し開けた。すると、中からいきなり物音が聞こえて来た。何かが暴れているようだった。すわ一大事、弓狩は思いっきり扉を開き中に入った。雑然とした室内で、グラビアアイドルのポスターやエロ雑誌、ゲーム機に開かれた様子のない辞書などがないまぜになり放り投げられていた。
入ってすぐの左隅には簡易ベッドがあり、その上に一人の男が転がっていた。染めたての金髪、島津翔太だ。猿轡をかまされ、身動きできないようにて足も縛られている。弓狩は彼の拘束を解くため近付いて行った。しかし。
「おおっと、そいつから離れな。でなきゃあんたが死ぬことになるぜぇ?」
彼女の背後から軽薄な声がかけられた。弓狩は振り返る、そこには竹達がいた。
「どうやって気付いたのかは知らねえが、そいつから離れな。悪いようにはしねえよ」
「竹達先輩……! いえ、こう呼んだほうがいいかしら? アスラータ!」
「お前、どうして俺のことを……いや、待て。一緒に入って来た小僧はどうした?」
竹達の背後にあった扉が急に開いた。振り返ろうとする彼の背中に、棒の先端が当てられた。変身を終えた花鶏が、そこに立っていたのだ。
「悪いな、アスラータ。下手くそな尾行だったんで、一芝居打たせてもらったぜ」
花鶏はニヤリと笑い言った。島津の家に向かっている途中で気配を感じた花鶏たちは、即座に福留に確認を頼んだ。彼は携帯を改造し、内蔵してあった音波探知機を使用した。結果、花鶏たちを数キロにわたって尾行しているものの存在に気付いた。それを確認したところ、予想通り竹達だった。そのため、彼らは一芝居打つことにしたのだ。
やり方としては単純だ。花鶏が前に立ち、弓狩と一緒に二階に昇り、弓狩だけが島津の部屋に入り花鶏は反対側の部屋に入る。竹達からは花鶏が先行しているように見えるので、彼が部屋に入るまで息を潜めて待っていた、というわけだ。
「動くなよ。この前は後れを取ったが、背後を見せたあんたをやるくらいワケないぞ」
「ハハッ、いいのか? 俺はこいつと一体化している。俺を殺せばこいつも死んじまう」
竹達は勝ち誇ったように笑い、振り返らないまま言った。福留は歯噛みした。
『生体信号の中に潜み、あたかも人間単体であるかのように見せかけているというのか。これでは、既存の探知方法ではキミたちを発見することは出来なくなるな……!』
「手際はよかったが、残念だったな。追い詰め方に関しては見事だったがな……」
花鶏は棒の先端から力を抜いた。さすがに死体が残っては困る。
「賢いぜ、お前ら。もっとバカなら俺がお説教しなきゃいけなかったところだ」
「アスラータ。なんでそんな面倒なことをするんだ? あんたの力なら竹達の体なんぞ奪わなくても、どうにでもやりようはあっただろう。なぜ竹達を生かしておく必要がある」
花鶏は自分の疑問をストレートに口にした。竹達もそれに答えた。
「まるで死んで欲しかったみたいな言い方だな。まあいい、なんで俺がこいつを生かしてるかって? ンなもん決まってんだろ、こいつが面白いからに決まってんだろ!」
「面白いだと? このチンピラヤクザカラテカ未満のどこが面白いってんだ」
「こいつの欲望さ! 勝利! 名声! 飽食! だがしかし努力は大嫌いだ。どれだけ頑張らずに勝ち、どれだけ本気にならずに他人を見下せるかに執心していやがる! こいつの精神構造は、俺たちは決して持ちえなかったものだ! 良くも悪くもな!」
《デモニューロ》の精神構造はなかなか愉快なものなのだな、と花鶏は思った。
「俺はこいつが感じていることをもっと感じたい! 思っていることをもっと知りたい! 知っても知っても、こいつには際限がない! だから面白い! だから一緒にやってる! それが理由だ、どうだいあんた。これで十分かい?」
「ああそうだな。こいつの精神構造もあんたの理由もどうだっていいが……だが、時間を稼ぐには十分な時間を貰ったからな」
竹達、否アスラータの体がピクリと震えた。花鶏のホールドしていた棒の先端が不穏に輝いたのを、彼は見た。花鶏は棒の先端を突き込んだ。
『貴様と竹達信三の同調は先ほどの接触で調べてある。キミと竹達とを分離しつつ、キミだけを滅却する方法をたった今編み出した、というワケさ!』
花鶏の突きをアスラータは上体をずらしてかわした。そして、棒の先端を抱え込んだ。
「竹達と一体化している間なら、俺を殺せると思ったか? ご明察、人間と同化している間は身体能力が大幅に低下する……だがそれでもこれくらいのことは出来るのさ!」
アスラータはいきなり走り出した。突然の出来事に花鶏も対応できず、棒を掴んだまま成すがままに走らされる。弓狩は暴走バッファローめいた勢いで突撃してくるアスラータを寸でのところで回避、彼女の尻の下で島津が短い悲鳴を上げた。アスラータは窓の前に来てもその勢いを減じない、むしろ増していく。棒を抱えたまま彼は飛んだ!