人間対悪魔の激突
ルーフィスは固い艦長席に座りながら、目を閉じていた。眠っているわけではない、艦内のシステムを掌握しているのだ。電子の申し子である《デモニューロ》にとって、人類の作り出したファイアウォールなど障子戸のようなものだ。それなりに手間取ってはいるが、しかし遠からずルーフィスによってありとあらゆるシステムは掌握されるだろう。イージスシステムや火器管制システムも、例外ではない。
「あとは貴様らの邪魔さえなければ、すべては終わる……」
ルーフィスは振り返らずに行った。開きっぱなしになった扉から、花鶏が入って来た。もちろん気密ロックをはじめとした船内防衛システムも彼の掌中に収められているが、アルケルメスの力さえあれば防衛システムを破ることなど造作もない。
「悪いけど、あんたを止めに来たぜ。ルーフィス」
「……意外だな。変身しないのか?」
変身したまま突入してくると思っていたルーフィスは、内心面食らっていた。花鶏は変身を解いていた。移動中の仮想質量物質と電気の喪失を恐れてのことだと判断した。
「あんたを止めるのに、福留さんの力は必要ねえ、ってことさ」
「私を侮るのも大概にしてもらおうか、花鶏勇吾……ただの人間に私が止められるか」
内心の怒りをルーフィスは隠さない。花鶏の頬に冷たい雫が一つ、伝った。ルーフィスは傍らに立てかけていた剣を取り、立ち上がった。花鶏と向き合い、切っ先を向ける。
「万が一にも貴様に勝ち目などない。変身しろ、貴様の全てを打ち砕いてくれる……!」
「言ってんだろうが。あんたを止めるのに、福留さんの力は必要ない……」
ルーフィスの全身が闇に包まれる。一瞬の静寂の後、髑髏模様の鎧を纏った《デモニューロ》、ルーフィスが現れた。剣を構え、そして飛ぶ。狭い室内ゆえ高くはないが、しかし相当な跳躍力だ! ジャンプのスピードを乗せ、剣を振り下ろす!
この威力を受け止めることは出来ないと判断した花鶏は、横に転がり斬撃を回避した。剣の軌道上にあった、分厚い気密扉が切り裂かれ、断たれたバルブの一部が重い音を立てて金属の床に転がった。ルーフィスは立ち上がらぬまま剣をなぎ払う。花鶏はジャンプしてそれを回避、更に蹴りを放つ。花鶏の蹴りはルーフィスの顔面に当たったが、堪えた様子はない。煩わし気に顔を振るだけだ。反動で距離を取る。
「生身の人間如きが、私に傷一つ付けることが出来ると思ってかッ!」
「生身の人間の力を使わなきゃ、世界一つ滅ぼせない悪魔が言うセリフかッ!」
「黙れ! 戯言ォォォォーッ!」
立ち上がりルーフィスは剣を袈裟掛けに振るう。全身の集中力を剣先に集中させ、花鶏はそれを避けた。同時に腹部に衝撃、いつの間にか離していた、ルーフィスの左拳による打撃だ。たったの一撃で、肺の中の空気がすべて押し出されたような気がした。
呻く花鶏に対して、ルーフィスは剣を返し斬撃を放つ。花鶏は痛みを堪えて踏み込む。ルーフィスの腕を、全身の力を込めて押さえ込んだ。だが、それはルーフィスによっていとも簡単に跳ね返されてしまう。押し返した花鶏にもう一撃、花鶏は屈んでかわす。そのまま下半身のバネを利用して低空タックルを仕掛けた。
「その程度の力では……何をすることも出来んぞォッ!」
ルーフィスは煩わし気に腰に巻き付いた花鶏を引き離さんとして、膝蹴りを放った。肺と内臓が潰れそうな衝撃が花鶏を襲った。それでも離れようとしない彼の背中に、ルーフィスは肘打ちを叩き込んだ。脊椎を狙って卑劣な攻撃、幸いにもそれは狙いを外れたものの、代わりに背中の筋肉と内臓に無視し難いダメージが蓄積していく。腰に巻き付く力が緩んだタイミングを見計らい、ルーフィスは彼の襟首を掴み放り投げた。五十キロ以上はあるはずの花鶏の体が、ビニール人形めいて簡単に飛んで行った。
「グワァーッ!」
計器に背中から叩きつけられ、無様に地面を舐める。衝突の衝撃でいくつかの精密景気が破壊され、火花を散らした。一分にも満たないぶつかり合いで、花鶏の全身は傷だらけになった。呻きながら立ち上がろうとするが、全身に力が入らなかった。
「これで分かっただろう……!? 何を企んでいるか知らんが、所詮はその程度だ!」
ルーフィスは禍々しい文様の刻まれた剣を振り上げ、花鶏の首を切り落とさんとした。
「あの世で滅びゆく世界を、福留功と一緒に見ているがいいッ!」
重厚な両刃剣が花鶏に迫る! こんなものを受ければ、人間の体など簡単に開きにされてしまうだろう! 花鶏はその剣先を睨むが、避けることが出来ない!
だが、その時だ。バチバチと火花を上げるディスプレイからコードが伸び出て来た。
「……なんだと!?」
突然の事態に、さしものルーフィスの反応も遅れる。攻撃を一時中断し、コードの迎撃に移る。だが、蛇のように変幻自在な軌道で無数に迫るコードを受け切ることが出来ない。いくつかのコードがルーフィスの体に噛みつき、電撃を流した。その電撃を受けて、ルーフィスの体表がゆっくりと分解されていった。
「ば、バカな……これは、私の体を構成している波系パターンを……!」
ルーフィスは自分の体に突き刺さったコードをまとめて握ると、一気に引き千切った。体中から白い煙を上げているが、しかし彼の体は完全分解には至っていない。だがそれで十分だ、立ち上がった花鶏はポケットから携帯を取り出した。すると、ディスプレイの中から伸び出たコードの一本が携帯に接続された。
『お疲れ様、花鶏くん。キミのおかげでなんとかなったよ』
「そいつは嬉しいね。俺も死にかけた甲斐が、あったってもんだな」
「福留……!? バカな、貴様は、その中にいるのではなかったのか……!?」
ルーフィスは狼狽した。彼は福留功がどうなっているか、知らなかったのだ。
『私はキミに殺され、キミと同じような存在になったのさ。電子の海の中のどこにでも存在し、どこにも存在しない。いわば、ヒューマンデモニューロのような存在なのさ』
「貴様ぁ……! 相棒から離れ、ジョーズ=ブックに潜伏し、いったい何をしたァ!」
『それはこれから先のお愉しみさ。もっとも、嫌でもキミはすぐに知ることになるが!』
それはいったいどういうことだ。ルーフィスが叫ぼうとした瞬間、船尾が爆発した。否、船尾だけではない。艦の至る所で爆発炎上が始まった。損傷と浸水を告げるアラートが、ひっきりなしに鳴り響いた。
ルーフィスは殺気に満ちた目で二人を睨んだ。
「貴様ら……!」
「お前に利用されるくらいなら、沈めた方が世のため人のためだと思ったんだが……よく考えりゃ、イージス艦沈めたら沈めたでいろいろ問題がありそうだな」
『なに、正義のためだ。それに、誰がこれを沈めたのかなんて分からないんだからな』
福留がしたことは簡単だ、艦のメインエンジンの動きに、ちょっとした不具合を与えてやっただけだ。イージス艦クラスの物体が海上を移動するためには、莫大なエネルギーが必要になる。通常時は正常に発散されているそれが、正常に発散されなくなれば? 行き場をなくした膨大なエネルギーは暴発するしかなくなる。いかに装甲化された軍用艦であれど、内部からの爆発を防ぐことなど出来はしないのだ! 加えて、福留は緊急時の隔壁閉鎖プログラムなどにも手を加え、迅速にこの艦が沈むようにしていたのだ。
「船のコントロールを掌握したと、油断したお前の負けだ! ルーフィス!」
「まだだ……! 破壊され尽す前にやれることなど山ほどある! 一発の銃弾、一発のミサイル、一機の戦闘機! 砂上の楼閣の如き脆い世界を崩す衝撃波それで十分だ!」
この期に及んで、ルーフィスはまったく諦める気はないらしい。そしてそれは、花鶏の方も同じだった。花鶏は掲げた携帯を腰まで持って行き、《スマートドライバー》へと変じさせる。そしてゆっくりと、ルーフィスを指さした。
「いい加減、あんたも諦めの悪いやつだな……いいぜ、最後まで付き合ってやる!」
『ルーフィス……十五年の過ちを、ここで清算させてもらうぞ!』
「それはこっちのセリフだ、福留ェ! 我が汚点、ここで消し去ってくれる!」
「俺のことを無視するんじゃねえぞ、ルーフィス。終わりにしてやるよ……! 変身!」
花鶏は指さした方の腕を戻し、《スマートドライバー》のディスプレイをタップした。彼の全身を仮想質量障壁が包み込む。金属装甲がいくつも作り出され、そしてそれが花鶏の体に吸い付けられるように固定された。そこからラバー装甲が展開される。
一瞬の静寂、二人は同時に踏み込み、同時に拳と剣戟を放った。二つがぶつかり――