或るベルトの死
いきなりかけられた声に反応し、花鶏は跳ね起きた。弓狩の視線の先に何かがいるのを感じ、反射的にそちらを見た。そこには、一人の男がいた。上等なスーツとジャケット、品よく貯えられた豊かな髭。それは幾度か写真で目にした、福留功その人だった。
『貴様は……ルーフィス!? なぜ貴様が私の前に姿を現す!?』
いまのいままで沈黙を保っていた福留が、急に喋り出した。花鶏は本能的に危機を察知し、給水塔から降りた。あそこにいたのでは弓狩を巻き込む危険性がある。
「初めまして……あんたに会いたいと思っていたところだ、ルーフィスさん」
「こちらこそ、キミには会いたいと思っていたよ。我が同胞を次々と殺して回っている男がいると、噂には聞いていた……まさか、こんな少年だったとはね」
口ぶりこそ穏やかだが、抑えきれない殺気を花鶏は感じていた。何とか気圧されないように、精一杯の虚勢を張ってそれに応えようとした。
「あいつらがこっちのルールを破る。あいつらを裁く方法はこの世界にはない。だったら、ちょっとは強硬な手段になっても仕方がないんじゃないのか……?」
「それがキミの言い分かね? そうか、ならば……」
ルーフィスは指を花鶏に伸ばした。反射的に花鶏は側転を打つ。それが彼の命を救った。ルーフィスの指の先にあった扉が、まるでスティールボールをぶつけられたようにぐしゃぐしゃになって吹き飛ばされていったからだ。
「念力……!? 手前、いったい何しやがる!」
「キミたちが我々の命を脅かすというのならば……私もそうするということだよ!」
ルーフィスは殺意に満ちた目で花鶏を見た。正確には、彼の胸ポケットに仕舞われた携帯の中にいる福留を見た。彼は両手に力を込め、広げた。ルーフィスの周りに漆黒のオーラが放出され、彼の体から人間の偽装を解き、真の姿を露わにした。
捻じれた長い二本の角。禍々しい髑髏のモチーフを散りばめた暗黒の鎧。長い牙の突き出した、生気のない顔。ボロボロになった蝙蝠のような羽根。それは、人間が持つ悪魔という存在へのパブリックイメージを具現化したような存在だった。
「それがあんたの変身態ってわけだ……福留さん!」
花鶏はポケットから携帯を引き抜き、腰に当てた。目の前の悪魔は、とんでもない力の持ち主だ。生身でもそれが直感的に分かる。アスラータやトトの助けなく、これを下すことが出来るか? 一瞬花鶏は考えたが、しかし考えても無駄だと悟った。
ベルトが花鶏の腰に巻き付き、バックルに携帯が収まる。準備完了。
『……やむを得ん。行くぞ、勇吾くん!』
「あんたのことを許すことは出来ねえが……殺されてやるわけにもいかん! 変身!」
光が花鶏を包み込む。目もくらむような光を、弓狩は両手で防いだ。ルーフィスはそれを、仁王立ちで見つめていた。光が晴れないうちから花鶏は走り、飛んだ。十分な助走を付けたジャンプパンチを、ルーフィスに向けて繰り出した!
しかし、それはルーフィスの反応速度を超えることは出来なかった。彼は背負った両刃の大剣の柄を掴み、思い切り振り下ろした。袈裟掛けにアルケルメスの胸部装甲が切り裂かれ、勢い余った花鶏の体はルーフィスの遥か後方に着地した。
「ぐはっ……!? やっぱ、こいつ強ぇっ……!」
『花鶏くん、アームズコールだ! 出し惜しみは出来ん、すべてを使い切るぞッ!』
花鶏は立ち上がりながら両手を胸の前に突き出した。
両手が光に包まれ、棒が構成される。
「ふん! そんなオモチャで、この悪魔王を滅ぼそうとでも言うのか……!?」
「黙ってろや! うぉぁーっ!」
棒を振り回しルーフィスを威嚇しながら、花鶏は走る。両手剣よりも棒の方が長い、リーチの差は花鶏に優位だ。花鶏は走りながら棒を突き込む。ルーフィスは剣先でそれを払う。幾度も神速の刺突を繰り出すが、そのすべては巧みな剣捌きによって防がれる。
恐るべきルーフィスの剣技、あの大きく、重い獲物で何たる俊敏さか!
「だったら、これはどうだ! でぁーっ!」
花鶏は一歩後退、棒を握る腕に力を込める。すると、棒全体が光り輝いた。《ファイナルフェーズ》のエネルギーが、棒に収束しているのだ。ルーフィスはそれを冷静に見る。花鶏は一歩踏み込みながら回転、遠心力を乗せた全力の振り下ろし打撃を繰り出す!
ルーフィスはそれを防ぐため、両手で大剣をホールドしそれを待ち構えた。
「……かかりやがったな、阿呆が!」
《ファイナルフェーズ》の打撃は非常に軽いものだった。当然だ、花鶏がインパクトの瞬間に棒を手放したのだから。花鶏は打撃の勢いをそのままに体を捻り、更に蹴りを繰り出す。《ファイナルフェーズ》は囮、すべてはこの渾身のキックのために!
「ド素人め……! その程度の姦計で我を欺けると思ってか!」
花鶏にとって予想外だったのは、それすらもルーフィスによって防がれたということだろう。瞬間、ルーフィスは手首を返し剣を振り下ろした。予想外の攻撃を受けた花鶏は体勢を崩し、倒れ込むような姿勢になった。
燕返し。刹那のタイミングで、ルーフィスは剣を振り上げた。ドライバーごと、花鶏の体が切り裂かれた。圧倒的パワーとスピードによって弾き飛ばされ、花鶏は背中から地面に激突した。
何とか顔を上げた花鶏は、凄惨なドライバーの状態を見た。
完全に両断されている。プロの職人だろうと、これを復元することは不可能だろう。
「クソッ……! 手前、手前……! ルーフィスッ!」
花鶏は痛む体に鞭打って立ち上がった。あまりの痛みに真っ直ぐ立つことすら、顔を上げることすら難しい。それでも、その視線だけはルーフィスに向かっていた。
「どうしてだ……! なぜ、なぜ福留さんを殺したぁっ!」
「一度殺すも、二度殺すも同じこと。そもそも……私を初めに殺そうとしたのは福留だ」
怒りを押し殺す、強い意志の力を込めた瞳で、ルーフィスは花鶏を見た。
「福留功は私にとって最高のパートナーだったはずだ……だが、あいつは私を裏切った! 私を偽り、私を隷属させようとした! もはや私と福留は友ではない! 敵だ! 彼がそうさせた! 殺さなければ私は奴隷になっていただろうッ!」
「だから殺したのか! 止めないでッ! 友達だったんだろうが!」
「黙れ小僧! 貴様に、何が分かるというのだ!」
ルーフィスは変身を解除し、福留の姿に戻った。そしてその手を花鶏に向けた。喉元を掴まれ、握られる感触がしたかと思うと、花鶏の体が浮き上がった。念動力だ。
「裏切りの対価は、血を持って贖われるべきだ……! これまでも、これからも、ずっとそうしてきたものなのだ! 私が喜んで福留を殺したとでも思っているのかね!?」
「うっ、ぐっ……ああぁっ……!」
「そうだ、楽しかったよ! 私を裏切り、出し抜こうとした奴を殺すのはね……! 彼の切り札とやらを無力化し、絶望に染まった顔を見る愉悦を味わったことはなかった!」
花鶏は背中から投げ落とされた。切り裂かれた皮膚と肉が、折り砕かれた骨が悲鳴を上げ、新たな犠牲を求めた。背中に激痛、また何本から折れたようだった。
それでもなお、ルーフィスは花鶏を気絶させてはくれなかった。
「福留のおかげで分かったよ……人間というのは救いようがなく、愚かで、友情を築くに値しない生命体だということにね……だから、私はこの世界を滅ぼそうと思うのだ」
「なん、だと……!?」
「千年紀を経て、私は父と母の盟約を果たす! 人類を滅ぼし、この世界を我々《デモニューロ》のものとするのだ! それこそが、貴様ら人間が招いた退廃の対価なり!」
ぐるりと大剣を風車めいて振り回し、ルーフィスは大上段に剣を構えた。
「もはや貴様に、私に抗するだけの力はない。だが、それの使い手と言うだけで十分!」
圧倒的な質量を持った剣が、花鶏に振り下ろされる! その時だ、屋上のフェンスを乗り越えて黒い影が戦場に乱入する! ルーフィスはいち早くそれに気付き、防御姿勢を取った! 直後、重い衝撃が彼を襲う。剣に叩きつけられた拳の衝撃を殺すことが出来ず、ルーフィスは大きく距離を取ることになった。
「……弓狩の嬢ちゃんに言われて、こっちに来てみりゃあ……大丈夫か、花鶏?」
「お前……アスラータ……? そう、か。弓狩が、呼んでくれたんだな……」
体勢を立て直したルーフィスは、乱れた髪をかき上げながら切っ先を向けて来た。
「アスラータ……貴様が私の敵になるとはな。だが、貴様一人で私に勝てると?」
「そうですねー、アスラータちゃんだけだと、ちょっと厳しいかもしれませんねー?」
更に屋上への乱入者が二人。一人はアスラータを呼び終え、息を切らしながら戻って来た弓狩。そしてもう一人は白と黒の装束の少女、トトだった。トトの指先はルーフィスに向いている。
なんらかの動きがあれば即座に攻撃を行う、という意思表示だ。
「おい、誰がキツイって? 冗談言うんじゃねえ、俺一人で楽勝だっての!」
「不意打ち外したアスラータちゃんはちょーっと黙っててくださいねー?」
一触即発の空気が、辺りに充満した。弓狩は傷ついた花鶏を助け起こすが、それ以上動くことが出来なかった。もし動けば、やられる。そう直感していた。
しかし、それを破ったのは意外にもルーフィスだ。彼は剣を下ろした。
「アスラータ。トト。もし貴様が私の敵になるというのならば、今度こそ容赦せん」
「それはこっちのセリフですねー、ルーフィスちゃん? 新人ちゃんといい、この間のアマゾアちゃんといい、ここのところルールを無視する人が多くて困っちゃいますよ」
「手前こそ、俺の平穏を脅かすってんなら容赦しねえぜ。いまかかって来いよ」
ルーフィスは目を伏せ、二人の言葉を鼻で笑った。
「交渉は決裂、か。だが覚えておくがいい。人間の世界はこれで滅びる……」
「なん、だと……? 手前、どういうことだ……何を、しようとしてやがるッ!」
「福留の力を失った人間に、私を止めることは出来ない。せいぜい、最後の時間を有意義に過ごすことだ。アスラータ、トト。あとになって私にすり寄ってきても遅いぞ!」
ルーフィスは捨て台詞を吐くと、コートの裾を翻した。凄まじい衝撃はが発生し、花鶏と弓狩はもとよりアスラータとトトも目を覆った。衝撃がすべて去った時には、すでにルーフィスは何処へかと消えていた。アスラータは舌打ちした。
「相変わらず演出過剰な奴だぜ……どうれ、花鶏。ちゃんと生きてっか?」
大丈夫、と答えようとして花鶏は顔をしかめた。幸い内臓は潰れていないのだろう、大きな出血は特にない。だが、全身青なじみと擦過傷だらけになっている。目に見えなくても、折れている骨は両手の指で足りるかどうか。口を開くことすらいまの花鶏には辛かった。
「とにかく、救急車を呼ぶしかありませんねえ。とはいえ、どう誤魔化したものか」
「なあ、に……この間のテロリストが、また学校に来たんだろうよ。このくらいのこと、いまの街じゃ、珍しくも何とも、ねえ……」
そこまで言って、花鶏は気を失った。目を閉じる寸前、真っ二つになった携帯が見えた。なにもかもお釈迦になっちまったな、と花鶏は思った。




