話せるか話せないかはとりあえず殴ってから考える
路地から飛び出してすぐに見えて来たのは幼稚園バスだった。歩道に乗り出し、ボンネットが陥没したそれは、もはや二度と動くことはないだろうということが分かった。背後には保育士と子供たちが輪になっており、大人が子供を抱えて泣いている。
更に、幼稚園バスのすぐ近くには異形の者がいた。トカゲやクラゲのそれと比べれば、よほど人間らしいフォルムを保っていたが、青まだら色の鱗に覆われた異様な体色は少なくとも生物のそれとは思えなかった。
テレビで見るようなアマゾン少数民族めいた腰蓑や肩飾り、アンクレット、サークレット。サークレットの両側面についているのは鳥の羽をモチーフにしているものだろう。《デモニューロ》は青い瞳で花鶏たちを見た。
「おい、坊主! ぼさっと突っ立ってるんじゃねえ、早く逃げろぉっ!」
青まだら色の怪物のすぐ近くには子供がいた。うずくまり、泣きじゃくる彼の膝小僧には赤い擦り傷が出来ていた。大柄な化け物は彼の前に跪き、彼の肩に手を寄せ、抱き寄せた。すると、どうだろう。彼の体が、怪物にどんどんめり込んで行くではないか!
「あ、あの野郎! 子供を食ってやがるのか!?」
何たる卑劣非道、福留の言っていたことは正しかったのか。矢も楯もたまらず花鶏は飛び出そうとするが、それを制止するようにバスの中から降りて来る者がいた。
白と黒の装束を来た少女。だが園児のそれとは、まったく雰囲気が異なっている。無邪気そうに見える微笑みも、邪悪な意図を押し隠しているようにしか見えなかった。
「はーい、そこで止まってくださいねー。トカゲちゃんを倒したお兄さーん?」
「お前……! どうして俺のことを知っているんだ!」
狼狽する花鶏の前に、少女は手に持っていたタブレット端末を取り出した。そこには、最初にトカゲと戦った時の映像が映っていた。変身を解除した花鶏の姿も。
「私たちが何者なのか、もう分かっていますよねー? でしたらー、監視カメラの映像を手に入れて、あなたの正体を特定することの容易さもご存じでしょうー?」
「お前も……あの化け物と同じ《デモニューロ》なのか!」
「アマゾアちゃーん、ここは私に任せて早く行ってくださいねー? 私はちょっと……このお兄さんと遊んでから帰りますからねー?」
アマゾアと呼ばれた大柄な《デモニューロ》は立ち上がると頷き、飛んだ。助走をまったくつけていない、垂直に近い跳躍にも関わらず、アマゾアは五階建てビルの屋上まで飛んだ。眼下の様子を少し見ると、すぐにその場から立ち去って行った。
「それではまず、自己紹介といたしましょうかー。私の名前はトト、福留さんによって呼び出された、最初の《デモニューロ》の一体です。以後お見知りおきを……」
「トト……! あのオッサンが呼び出した悪魔だと!?」
トトはニヤリと笑い、踏み込んだ。10mはあった距離が一瞬にして詰められた。トトは腕を振るう、長い袖に隠されて腕が見えない! 花鶏は大きく回避せざるを得ない、鉤爪や武器を持っていれば致命傷は避けられないだろう! 振り払った腕が空ぶったのも気にせず、トトは更に遠心力を乗せもう片方の腕を振るう! まるで羽根か何かだ! トトの身長が低いとはいえ、上段には十分届くリーチ、花鶏は防戦一方になる!
「アッハッハッハッハ! どうしたんですかお兄さん? 変身しないんですかぁ?」
トトの姿が花鶏の前から消える。そう思った時、くるぶしの辺りに鋭い衝撃が走った。しゃがみ込んだトトが放った、ブレイクダンスめいた蹴り技だ! 小柄な見た目からは想像も出来ないほど、重く鋭い一撃! 花鶏は受け身も取れずに地面に転がる!
「さあ、これはどうですかァーッ!?」
トトはネックスプリングの要領で、体重を乗せたストンピングを花鶏に放とうとする! しかし、それを弓狩が制する! 予想外の方向から放たれた蹴りを受けて、トトの体が毬のように跳ね飛ばされ、車道まで飛び出していく!
「アハハ、あなた容赦ないですね……でも面白い! 気に入りましたよぉ!」
「おい、お前ちょっと、あぶねえ! 早くそっから離れろ!」
けたたましいクラクションの音。迫りくる大型ワゴン車。惨劇の予感だ。
だが《デモニューロ》トトは笑いながらそれを見て、左腕を差し出した。トトと激突したワゴン車は、その腕一本で止められる。ワゴンはぐしゃぐしゃになりながら停止した。
「ごめんなさいね、ドライバーさん。いま大事なところなんです、邪魔しないで?」
ワゴンのドライバーは何度も頷き、大慌てで扉を開いて逃げ出した。腕を戻し、トトは再び花鶏に向き直り、微笑みながら言った。
「ちょっと邪魔が入っちゃいましたね? でもお愉しみはこれからですよ、お兄さん」
「車を曲げるような子とは、あんまり仲良くなりたくないんだがね……福留さん!」
花鶏は携帯を取り出し、腰に置いた。ベルトが展開され、腰に巻き付く。
『まったく、私の言ったことが少しは理解できたかね? 《デモニューロ》は危険極まる存在であり……って、勇吾くん! いま変身するのはマズい、子供たちに見られ……』
「んなこと言ってる場合かよ! 変身ッ!」
福留の忠告も聞かずに、花鶏は変身ボタンをタップした。あまりの早業に福留の方も制止が間に合わなかったのだろう、変身プロセスは滞りなく完了した。黒色のラバースーツと白銀の装甲に身を包んだ変身戦士、アルケルメスがここに誕生した。
「殴れるかとかそんなこと考えてる場合じゃねえ、とりあえずやる!」
「フフフ、それが……面白いことになりそうですねぇ」
笑い少女を禍々しい気が包む。彼女の体は一瞬にして膨れるように大きくなり、成人男性ほどの身長となった。ライオン、あるいは熱帯雨林に生息するという特殊なサルを連想させるように力強く立ったたてがみを持つ、黒々とした顔の凶獣。
筋肉の詰まった長い手足には毛を固めて作ったようなスパイクがいくつもついており、その凶暴な容姿をより一層際立たせた。胸と右肩には堅牢な装甲が取り付けられており、その表面には不可思議な文様が描かれていた。
「さあ……せいぜい私を楽しませてくださいね、お兄さん?」
「弓狩! 子供たちと保育士さんを頼む! 俺はこいつをぶっ倒すからよォーッ!」
花鶏の言葉に弓狩は頷き、子供たちの方に向かった。すぐに彼らを逃がすだろう。
叫びながら花鶏は突撃、振りかぶった拳をハンマーのように叩きつけ。
ようとしたところに、鋭い打撃を受けた。他の誰でもない、トトの放った攻撃だ。完全に決まったカウンターパンチが、しばしの間花鶏の意識を奪った。そんな花鶏の顔面に、トトは容赦のないスパイク打撃を繰り出す! 仮想質量物質同士の接触によって生じる火花が、花鶏の眼前で散った。受け身も取れないままに弾き飛ばされ、転がされる。
「フッフッフ。どうしたんですか、お兄さん? この程度はまだ序の口。もっと楽しいことを一緒にやりましょうよ。あなたも気に入ると思うんですけどねぇ」
「ッ……! 一撃くれた程度で、調子に乗ってんじゃねえぞこのクソガキィーッ!」
怒りに燃える花鶏は拳で地面を叩きながら立ち上がり、再び突撃。今度はガードを固め接近し、小刻みな連続パンチを繰り出す。アルケルメスの拳は軽く音速を超える速度で放たれる、これほどの連撃を放たれれば、さしものトトとて無傷ではおれまい!
しかし。その攻撃はすべて虚しく空を切った。
「フフフ、お兄さん驚いてますね? ですが驚くのはまだ、早いですよ!」
トトは指を第一関節で曲げ、拳打を放つ。軽い攻撃のはずだ、だが花鶏は背中まで突き抜けるような衝撃を感じた。アルケルメスの表面を覆るラバーめいた素材は単なるラバーではない、衝撃を発散し戦車砲の直撃を受けようとも中身にダメージを及ぼさない構造になっている。だがトトは、その構成を完全に見抜いていた。
アルケルメスの構造的脆弱性を見抜き、どうあっても衝撃を逃がせないポイント、姿勢を導き出す。それがトトの持つ力。最新鋭のスーパーコンピューターをも凌駕する計算能力と、工業用ロボットアームすら上回る精密性とパワーとスピード!
喉、肩、脇腹、膝。打撃が叩き込まれるたびに花鶏がいままで経験したことのない痛みが襲い掛かって来た。パワーはアスラータに及ぶものではない、だが冷徹な計算から導き出された実際的な威力は彼のものを遥かに上回っていた。
「クソ、なんだこいつ強ェ……! 福留さん、なんかこいつを倒す手はねえのか!」
『無茶を言うな、勇吾くん! こいつとの交戦は初めてなんだぞ! そうそう有効な武器など用意できるものではない!』
「現れた強敵。太刀打ちできない正義の味方……パワーアップには絶好の機会ですね?」
トトの笑い声が、怪物から聞こえて来た。それは嘲るような色も込められていた。
「でも……ヒーロー番組のように上手くは行かせませんよ? お兄さんの戦いはAパートで全部終了してしまうのですからねぇ」
「クソ、このままじゃ……!」
トトの腕を覆っていたスパイク状の毛が逆立った。何をする気か、そう思っていた花鶏の胸に突然火花と衝撃が走った。無様に倒れた彼が胸部装甲を見て見ると、そこには弾丸状になった毛の束が突き刺さっていた。トトの腕も硝煙のような煙を上げている。
「まあ近付いて殴り合いなんて私のやることではありませんのでねえ。こうした方法で申し訳ありませんが、止めを刺させていただきますねぇ」
わざとらしいほどにこやかな声色で、トトは死刑宣告を行った。ダメージが蓄積し、花鶏はその場から動くことすら出来ない。無慈悲な弾丸が、花鶏に殺到する! 仮想質量物質によって構成された弾頭は、着弾と同時に炸裂し威力を高めるとともに辺りを煙によって包み込んでいく! 煙の中から、花鶏の叫び声だけが聞こえて来た! トトは笑みとも落胆とも取れぬ表情を取るが、しかし一秒後、その表情が歪んだ。
「ッ! この気配……もしかしてあいつが……!」
花鶏はその瞬間、やられたと思った。もしやられたらどうなるのか? 特撮ヒーロー番組のようにバチバチと火花がなって、変身が解除されるだけで済むのだろうか。それとも本当に死んでしまうのだろうか。スーツが無傷なのに体が傷ついているのはいったいどういうことなのか……そんなことを、鈍化した主観時間の中で延々と考えていた。
「オイオイ、だらしない顔してんじゃねえぞ? お前の敵はまだ目の前にいるんだぜ?」
目を開くと、まだ死んでいなかった。それどころかトトの放った攻撃は、一発として自分には届いていなかった。目の前にいた、その存在によって受け止められていた。
赤い鬼。隆々とした体つき。炎のような熱。アスラータが、そこにはいた。