新たな戦いと気の迷い
翌日。色々なことがあり過ぎて疲れ切っていた花鶏は、自分が思っていたよりも深い眠りについていた。そのせいで起床時刻が大幅に遅れ、朝練を遅刻することになってしまった。彼にとって幸運だったのは、部活の練習が先の事件を受けて中止になっていたことだ。しばらくは、完全下校時刻前に全生徒の帰宅が義務付けられることになった。
「むう、なんてこった。空手の練習が出来ないとなるとはな……」
「心配すんなよ、あんただったらどこの道場だって引っ張りだこだろうぜ」
「なるほど、道場。そんなところがあるのか。この世界は、自らを鍛えようとする者にとってとことん優しい世界になっているようだな……クックック」
アスラータは凶暴な笑みを浮かべて笑った。せめて、自分の後ろで気弱な生徒が顔を青くしながら立ち尽くしているのには気付いてほしかった。
退屈な授業もいままでより早く終わり、すでに時間は三時を回っていた。暇になったのであろうアスラータは自分の教室から抜け出し、花鶏と話していた。いままでとことんまで嫌っていた男と話している姿を見て、教室中からひそひそとした声が聞こえてくる。居心地悪いことこの上ない。
「で、あんたのお仲間ってどこにいるんだ? それがわかりゃ簡単なんだが……」
「会合のために借りている部屋はあるんだが……そこを使うのは月に一回くらいだからな。いまあそこに行ったとしても、誰がいるわけでもないだろう」
「会合? あんたたち、定期的に会ったりしているのか?」
「ああ、たまに会ってる。美味いケーキ、美味い紅茶。そんなものに舌鼓を打ちながら、自分たちの近況を話し合うのさ。人間がやっているのを真似てみたんだ」
目の前の筋肉達磨がケーキと紅茶に舌鼓を打っている姿はどうしても想像できなかったが、花鶏は曖昧に頷いておくことにした。
「……なあ、アスラータ。あんたは何でこっちの世界に来たんだ?」
「そりゃ面白そうだからさ。あっちの世界にどんな期待をしているのかは知らんが、つまらん世界さ。お前たちにとってのこっちの世界くらいは、つまらないかもしれないな」
「そりゃいったいどういうことだよ」
「こっちの世界にだって、刺激や感動を求めて旅に出る奴はいるんだろう? それと同じさ。向こうの世界がつまらないから俺たちはこっちに出て来た。世襲のボンボンどもは俺たちのことなんざ気にしてもいねえから、見当はずれなことばっかりやってくれやがるからな。あの世界に愛想尽かしてこっちに来るやつも、少なくねえのさ」
「世襲……? それはつまり、あんたたちにもあるのか? 家督を継いだり……」
それは、悪魔という言葉からは連想されないであろう言葉だった。
「そうさ。俺たちだっていつかは老いて、いつかは死んでいくんだからな。自分が死んだ後の世界のことを考えて、それを引き継いでおくのは当たり前のことだろう?」
「あんたたちも死ぬのか? その、俺たちが、そうなるみたいに……」
「ああ、死ぬよ。福留は俺たちを電子生命体だと言った。例えるならば、俺たちは一体型のパソコンみたいなもんさ。起動するたびにジャンクデータが溜まっていき、動作が遅くなっていき、そしてやがては身動きさえ取れなくなって、死ぬ。パソコンならクリーンナップが出来るだろうが、俺たちにそんなことをすれば本当に消えちまうからな」
それは恐らく、人間が知覚することの出来るそれとは違う、途方もない、現実離れした感覚なのだろう。その証拠に、アスラータの言葉には実感が伴っていなかった。知識として存在することは知っているが、それを実際に見たことはないのだろう。
「死んだ悪魔はどうなるんだ? 土に、還っちまうのか?」
「パソコンからデータを消したらどうなる? 虚空に消えるだけさ。それが定めだ」
「……それじゃあ、俺がいままでやってきたことは……」
「落ち込むなよ、花鶏。あいつらは、自分のやってきたことに対する裁きを受けただけだ。人が法を犯せば、罰を受ける。だがあいつらを罰する存在も、法律もない。だからこそ、その報いを与えたおまえを非難する者なんてどこにもいやしないさ」
アスラータはそういって慰めてくれたが、花鶏にはどうしてもそんなふうに考えることは出来なかった。少なくとも、目の前でこうして対話を行える相手を得てしまった。
(俺は……もう一度あいつらと、《デモニューロ》と相対したとしても、これまでと同じように……あいつらと戦うことが、本当に出来るんだろうか?)
憂鬱な気分になっていたら、担任が教室に入って来た。彼は昨今の情勢を踏まえてありとあらゆる学生活動時間が短縮される方針になっている、と説明した。それに納得できない生徒たちは、担任に向かって思い思いのものを投げつけていた。そんな光景をぼんやりと見つめながら、花鶏はこれから起こる《デモニューロ》との戦いについて考えるのだった。
相変わらず、福留から何かを言ってくることはなかった。
「なんだか元気が無いみたいだねぇ。花鶏、どうしちゃったの?」
「んー……やっぱり、お前でもおかしいって分かるか?」
下校途中、花鶏はそんなことを言われた。なんだかんだ言って、弓狩は花鶏のことをよく見ている。だから、僅かな違和感にも気付くのだろう。
「あいつらと殺し合いをしなきゃいけない、って考えるとちょっとな……弓狩はどう思ってるんだ? なんていうか、このままやり続けていいのかって思っちゃってさ」
「うーん、私は実際に戦う立場じゃないから……無責任なことしか言えないけど」
そう言って弓狩は花鶏の前に立ち、後ろ歩きをしながら言った。
「全部、花鶏が決めることだよ。嫌だったら嫌って言っていいんだと思う。それを止めたり、責めたりできる人なんて、誰もいないだろうからさ。もっと簡単に考えようよ」
「……そうか。やっぱり、弓狩は強いな。お前の方がふさわしいと思うんだけどな」
『相応しい』と言われた瞬間、弓狩は痛いところを突かれ、目を逸らした。しかし、それは幸いにも花鶏の目には入っていないようだった。彼はそのまま続けた。
「そうだな……やりたくないこと、無理して続けることもねえもんな……」
「花鶏は、この戦いを止めたいって思ってるってこと?」
「分からん。そもそも《デモニューロ》がなにを考えて、ここに来たのかが分からないからな。アスラータはともかく、他の連中がどう思っているのか。あいつらと共存することが出来るなら、俺はそれはそれでいいって思ってるんだ」
そう言って二人は歩いた。もちろん、花鶏も他種族との融和が簡単に出来るとは思っていない。歴史を紐解いてみても、人類の歴史は血塗られたものだ。新天地を開拓してはそこに存在していた種を滅ぼしてきた。マンモスに始まりゾウやカバ、オオカミ、場合によっては人間さえも滅ぼして来た。同種族間の融和すら出来ないというのに、全く未知の、それも友好的かさえ分からない種族と融和することなど、本当に出来るのだろうか。
そんなことを考えていると、一本路地を隔てた大通りの方から悲鳴が聞こえて来た。
「……?! あっちって、確か幼稚園とかがある方向だったよ!」
「ああ、けど煙とかが出てる様子はない。とにかく、見て見ようぜ!」
二人は互いに頷き合ったコンマ数秒後、同時に走り出した。ジリジリと距離が開いていき、同時にスタートした二人は花鶏が弓狩に追走する形にいつしかなっていた。