第一章 出会い ~伍~
紫恩は肩から財布などが入った小物入れをぶら下げて玄関に向かう。そこには大地と剛志が待っていた。大地は財布をズボンのポケットに入れただけで他には何も持っていないようだった。
紫恩は急いで靴を履いて立ち上がる。
「ごめんなさい。あの、待った?」
「大丈夫、待ってないよ」
剛志が心配そうに声をかけてくる。
「二人とも気を付けていくんだよ」
大丈夫だと伝えようとしたその時、電話の呼び出し音が鳴り響く。剛志が「いってらっしゃい」と言って受話器を取りに行く。
紫恩はそれを見送って大地と買い物に出かけた。
二人は今、教科書を販売しているという本屋〔思金〕に向かっている。
住宅地は大通りの車が通るときの音や少し行ったところにある商店街から聞こえてくる客寄せの大きな声で溢れていた。学生がいても可笑しくない時間だが、春休みということもあってか道ですれ違うのは近所の人たちばかりだった。
そんな中を紫恩は大地に町の説明をしながら歩いていた。
「それで、この町は北の方に大きな山があって、東と西の方にはそれぞれ、桜と鉄鉱で有名な小さな山があって。南にはきれいな湖があるんです」
「あ、聞いたことあるよ。――北には連峰が広がり、東西にはそれそれ季節折々の花と大きな桜がある丘と鉄の豊富な鉱山があって、南には北の大山から流れる川とそのそばに湖。風水的に見ても理想の形をしている。平安の都だった京と同じだ。――ってテレビで見たから。京には怨霊や物の怪が出たっていうから楽しみかな」
「そう、なんだ」
私の案内っているかな。
家の周りや学校までの道とその周辺ぐらいしか知らない紫恩は案内が務まるのかと不安になった。
二人は目の前に見えた脇道に入っていく。
話題は町の事からこれから行く本屋についてになっていた。
「ふーん、お爺さんが一人でやってるんだ。それに、〔思金〕ってあまり聞かない名前だね」
紫恩はその疑問に剛志から聞いたことを思い出して答える。
「うん、店長のお爺さんが、日本の神話から取って名付けたらしいって」
それを聞いた大地は少し考え込むように顎に手をやっていたと思ったらすぐにこちらに顔を向けてきた。
「日本神話で〔思金〕か。もしかしたら、天照大神が天岩戸に閉じこもった時。外に出てきてもらうための作戦を周りに指示して天照大神を外に出したっていう神様だった、かな。もしかしたら、そこから取ったのかもね。本はいろいろな考えを読む人に教えてくれるから」
大地は本屋の名前と日本神話から名付けたという話からすぐに思慮の神、思金神が元になっているのではないかと推測した。
大地くんって、本当に物知りだな。
紫恩は感心したかのように目を見開く。
「大地君って、本当にすごい。さっきも、居間で話してたときも。ここに住んでいるわたしよりもこの町のこと、知ってたし。今だって」
「まぁ、不思議なことや超能力とか好きだからね。自然と覚えてたよ。でも、そんなにすごくなんてないよ」
なんでもこともないように言い切った大地。だが、紫恩は今まで何かに夢中になるほど好きになれるものがなかった。最近では自らの身体に起こった異変にそういったものを考える余裕も無かったのだ。
私にも見つかるかな、夢中になれること。
そんな風に話しながら歩いていた紫恩たちの前に、今にも壊れて崩れてしまいそうな木造の小さな建物があった。
紫恩が横を見れば、本当にここが目的の本屋なのかと疑問が顔に出ている大地。
入り口には〔思金〕と書かれた看板がある。
「取りあえずここで合ってるみたいだし、入ろうか」
「うん、そうだね」
紫恩はそう言うと扉のノブに手を掛けた。軋んだ音をたてながら開いた扉の向こうに二人は入っていく。
だが、二人を襲ったのは驚きだった。
前に来たときと違う。
紫恩が教科書を買いに来た時は普通の古本屋だった。だが今は、蛍光灯が機能せず、闇が広がり。薄っすらと見える周りは本が壁や床を見えないほどに覆いつくし天井まで見えなくしている。
二人に返ってきたのは足から伝わる丈夫な床の感触のみ。紫恩はここに自分と大地以外に誰もいないことに落ち着かない気持ちを感じていた。
そこに突如、本屋の奥から声を掛けた者がいた。
「儂の店〔思金〕にいらっしゃい。……これは、これは。珍しいお客だ。何をお求めかな」
そう言って奥の暗がりから姿を見せたのは物語に出てくる老魔法使いのような雰囲気をそこはかとなく出しているお爺さんだった。肌や顔には皺が寄り、シミが浮き出て腰はほんの少し曲がっていた。
このお爺さんの口ぶりからこの人が店主だと分かる。しかし、ここの店主は腰こそ曲がっているが快活な老人だった。全くの別人なのだ。
紫恩はいきなり出てきたお爺さんとその雰囲気に驚き。肩を少し震わせて手を胸元にやり一歩後ずさってしまう。
「大地君、あのお爺さん。私の知ってる人と違う」
それを聞いた大地はお爺さんに向かって口を開く。
「あの、すみません。いつものお爺さんはどうしたんですか」
「……あぁ、彼奴なら旅行に行っておる。世話になってる礼に儂が代わり店番をやっておる」
少し考え込み、思い出したように教えてくれた。
「で、用はなにかの」
「僕は両儀高校で使うことになる教科書を買いに来たのですが、置いてありますか」
「あぁ、両儀高校の新入生か。もちろんあるとも。少し待ってておくれ、奥から持ってくるからの」
お爺さんはそう言うと店の奥の暗がりへと消えていった。
紫恩は店主のお爺さんから感じた独特な空気が少し和らいだように感じて、お爺さんが消えていった方に向けていた顔を少し横に向けると大地もこちらを見ていた。
「すごく、なんていうか独特な人だったね」
「うん、本当に」
未だに困惑しているのかお互いの言葉はどこか独り言のそれに近いものだった。
二人は気を取り直して、周りに目をやる。よく見れば近くの本のタイトルぐらいは読めた。
「本当に見たことないものばっかりだ。えっと、『妖怪と精霊の表裏一体』、『魔と信仰の関わり』、『超能力の呪術』っと。あっ、占いの本なんかもあるんだ」
紫恩は所狭しと置かれている本を次々と興味深そうに見ていく大地の様子が楽しそうでふと思った疑問を口に出す。
「大地くんは本、よく読むの」
「えっ、うーん。読むって言っても心霊とか不思議なことについて書かれた雑誌や専門書をたまにって感じかな。ネットのほうが多くの情報が集まるんだ」
パソコンってそんなにいろんなことが分かるんだ。
紫恩は驚いた。自らの力のせいで電気製品の調子が悪くなるのを気にして、なるべく遠ざけていたからだ。
「そう言う紫恩は何か好きな本とか、読んでる本ってある」
「えっと、小説を。書斎にあるのを部屋で読んでる」
「そっか、小説が好きなんだね」
紫恩は大地の言葉に複雑な心持になって黙り込んでしまう。
読んでる時だけは違う自分になれるから。
その場の空気が暗くなると、大地の表情には何か聞いてはいけないことを聞いたのかという気まずさが表れていた。
「えっと。紫恩、大丈夫。ごめん、何か気に障ること言っちゃったかな」
紫恩は大地の声に気を取り直してこんなことじゃいけない、と自らを奮起させて言葉を返す。
「ううん! 全然そんなことないの。ごめんなさい。急に黙って」
「うん、大丈夫ならいいんだ」
紫恩はぎこちない笑顔で答えた。