第一章 出会い ~弐~
縁側の向こうから入ってくる太陽の光の暖かさが居間を照らし包んでいた。居間は日本屋敷に似合う和室だった。その中心にはテーブルが置かれていて囲むように紫恩と剛志、そして大地が居間の入り口を背にして座っていた。
テーブルにはご飯に味噌汁、煮物、玉子焼き、そして緑茶といった和風の朝食が並んでいる。ほのぼのとした食卓風景だ。
しかし、一方でテーブルを囲み朝食を食べている彼ら、正確には向かい合うように座っている紫恩と少年の間には気まずい空気が流れていた。
紫恩はあの後すぐに、自分の部屋に戻りしっかりと着替えていた。長い髪は三つ編みで結われており、前髪は横一線にきれいに揃えられている。所謂ところの姫カットというやつだ。ひざ下まで届く白のワンピースに薄い茶色のティアードタイプのベストを合わせて着ている。
その右横では剛志が座っていた。この日本屋敷に馴染む感じの少し薄いぐらいの緑色の着物を身に纏っている。
「それにしても、本当に久しぶりだね。私が大地君に最後に会ったのは君が二歳ぐらいの頃だったかな」
「はい、母さんに聞きました。あのときは、迷惑をかけてしまって、それに心配もさせてしまってすいませんでした」
「いや、いや。子供は周りの大人に迷惑をかけてもいいし、それを心配するのは親や周りの大人の役割だからね。あのときも、何事もなく無事で本当によかったよ」
剛志と大地が昔の話しを懐かしむようにして花を咲かせている。
一方で紫恩は意識をそちらに向けながらも決して二人の方に目を向けることはできずにいた。
先ほど下着姿同然の恰好を見られて恥ずかしいのもあったが、自分の部屋に戻ってきたそのときに、鏡に写った自分を見て力を制御できていないことに気付いた。身体に黒い電気が奔っていたのだ。
どうしよう。
紫恩は目の前の少年にそれを見られたと思って気が気でなかったが、こうして朝食の席に着いて、目の前で昔話をしている大地にそんな様子が欠片もないことに安心する。
それでも恥ずかしさは残って黙々と朝食を食べてごまかす。そうすることで先ほどのことを忘れようと努力していたのだ。
そこで、ふと剛志の視線がこちらに向いている気配がした。
気になって顔を上げると話し始める。
「ああ、大地君。この子が、私の娘の紫恩だよ。それと、紫恩。この前話した、姉さんの息子で私にとって甥になる。石川大地君だ」
紫恩も自分の紹介をしなければと大地の方に顔を向ける。
「……その、はじめまして。桜井紫恩です」
「こちらこそはじめまして。僕は石川大地。15歳、今年から高校生」
「紫恩さんは」という問いに「私も、同じです」と戸惑いながら答える。
剛志は紫恩と大地がお互いに自己紹介を済ませたのを見て満足そうに頷いた。
「うん。これからひとつ屋根の下で寝食を共にする仲なんだし、二人ともあと何日もすれば両儀高校に通うことになる。それで、同じクラスにでもなれば同級生なんだ。家でも学校でも仲良くするんだよ」
「はい、それはもちろん」
「う、うん」
剛志のそんな言葉に大地はあたりまえだとでも言うかのようにしっかりと答えていた。
だが、紫恩は言葉に詰まりながらも返事を返した。学校でも男子と話しをしたことは数えられるぐらいしかなく。まして同年代の男の子とこれから3年間、ご飯を食べるのもお風呂も一緒で同じ家で暮らすことになった。そのことに正直なところ紫恩は不安しかない。
しかし、そのことは誰にも知られることは無かった。
「それじゃぁ、冷めてしまわないうちに食べてしまおうか」
剛志が「せっかく紫恩が作ってくれたんだ」といって食事が再開する。
「うん、すごくおいしいよ」
剛志以外の人に料理を褒められたことがなく。つい不安を忘れて嬉しくなった。
朝食は何事もなく終わって、休憩にテレビをつけていた。テレビから流れてくるニュースを後ろにして聞き流すように大地と剛志が居間でお茶を飲みながら、話しをしている。
その中で、紫恩は大地の相手を剛志にまかせて、居間の奥にある台所で食べ終えた食器を慣れた手つきで洗っていた。しかし、二人の話が気になり食器洗いをしながらも耳を傾けていた。
二人がたわい無い話しをしていると。朝のお天気ニュースが終わって、事件のニュースが始まる。台所にいた紫恩も、話しをしていた二人も話しを中断させて耳を傾ける。
〈――――続いてのニュースです。昨日の未明、両儀町で起きた器物破損の事件です。この工事現場の隅に束ねられていた多くの鉄パイプや鉄骨が地面に突き刺さっていた事件ですが、未だに犯人の特定はできておらず。警察は目撃した人がいないかの聞き込みをしていく方針とのことです。また、犯行現場に重機のタイヤ痕がなかったことから犯行に使用された道具の捜索も同時に並行して進めていくとのことです。近くにお住まいの人は充分に気を付けてください。次のニュースです。女性が一人のところを変質者に狙われ抱きつかれる事件が起きました。容疑者は黒のレインコートを着て、フードを深く被っていたため男性か女性かも分かっておらず、また犯行現場もまちまちで―――〉
テレビから流れてきたニュースに剛志は眉を寄せていた。
「本当に、物騒だね。二人とも気を付けるんだよ。それに、紫恩もできるだけ一人にならないようにね」
「大丈夫だよ。学校帰りに寄り道はしないし。買い物に行っても商店街の向こうまで行くことはないから」
寄り道もしないし、人通りの少ない路地に入らない紫恩は特に気に留める様子はない。しかし剛志に心配かける訳にはいかない。
「はい、気を付けます。でも、本当にこの町っていっぱい不思議なことがあってすごいですね。さっきのニュースのことも人間業じゃない感じだし。他にも、この町の東には年中咲いている桜がある小山があるらしいとか。これから通う両儀高校では取り壊し予定の旧校舎があって、そこに夜遅くに人魂が出るって話もあるんです。
それで、これは最近に実際にあった話でニュースにもなったことだから知ってると思うんですけど。ある日の昼ごろのことで雲一つ無かったにも関わらず雷が落ちたそうで。このときに黒色の雷が空に昇って行ったっていう話も上がってるんです」
そう言う大地の様子は先ほどまでとは打って変わったものだった。水を得た魚のようで、口からはこの町で実際に起きたことや嘘か本当かも分からない話が途切れることなく出てきた。
そして、いつのまに出していたのか手に携帯を握っていた。そこにはその手の掲示板だろうサイトの書き込み画面が映し出されていた。
そのサイトには日本中の嘘か本当かも分からない噂について書き込みが多くされているようだった。
しかし、大地が話したことの中には紫恩にとって聞き流せないものが含まれていた。そのことに身体を緊張で強張らせる。そのうえ、隠し事が親にばれてしまった子供のように肩に力が入りすぎてしまった。
彼女の小さな手から小皿がこぼれ落ちて床に高い音を響かせながら飛び散ってしまった。
紫恩は自分の失敗に慌てて、手を伸ばす。だが、それは大地の「ダメだ!」という制止の声のおかげで破片に触れるか触れないかといったところで止まったのだった。
「ご、ごめんなさい」
「紫恩! 触っちゃだめだ。大丈夫かい。…怪我は、ないようだね」
「箒と塵取りってどこですか。俺、取ってきます」
紫恩は自分のやってしまったことにその場でオロオロとしており。剛志は娘に怪我はないかと慌てていたが、どこにも怪我はなく安心した様子だった。その中で一人冷静に大地は箒と塵取りのある場所を聞いて走り去っていった。