金貨
「証言は取れたから、ひとまず帰っていいぞ」
エリザとのやりとりで、疲れた顔になるブラスキが、しっしっと疫病神を追い払うようにジニアに出て行くように促す。没収していた神鋼刀も返却済みだ。
元より、さほど疑われていたわけではない。腕が立つとはいえ、このような少女が極悪犯だとは思えなかった。もう一人の目撃者であるエリザが目を覚ましたことで、晴れて無罪放免という運びになったのだ。
ちなみに、ジニアに対する尋問は昨夜の段階で既に終えている。
「しかし、どちらも犯人の顔を見ていないとはな。ようやく手がかりが掴めたと思ったのに……」
「あう、すみません」
ブラスキが思わず漏らした愚痴に、エリザは肩を縮こませる。ジニアはともかく、エリザはそれこそ顔がぶつかるほどの近距離で犯人と接したのだ。しかし、恐怖による混乱と失血により、どのような顔立ちだったのかがあやふやだった。
「いや、責めているわけではない。シスターにはもう少し事情聴取に付き合ってもらうから、焦らずゆっくり思い出してくれ。……ああ、それと、おまえの宿泊先を教えてくれ。あとでまた話が聞きたい」
返してもらった曼珠沙華となにやらごにょごにょ話していたジニアが顔を上げる。じっとブラスキの瞳を見つめたあとで、こてんと首を横に倒した。
「宿、ないよ?」
『あー、俺たちはフランク帝国に行くつもりだったんだけど、行っちゃダメか?』
「……一応重要参考人だ。少なくとも事件が一段落するまで街から出ることは許可できない。第一、フランク帝国は一月前に滅びたと言ったろう。隣国の状況が定かでない現状で、出国許可が降りるわけがない」
『国交再開の兆しは?』
「なにせ代理神が手を下した可能性があるからな。下手に手を出して藪蛇にならぬよう、上層部は相手国の出方を伺っている様子だ。国交が回復するとすれば、旧フランク帝国がなにかしらの声明を発表してからということになるだろう。国交は明日にも再開するかもしれないし、一年後かもしれない」
つまり、いつ国境封鎖が解けるかわからないということだ。
そのことを知ったジニアは、困ったような顔で考え込む。
「滞在費が心許ないというなら、軍の宿泊施設を一部提供する。吸血鬼事件に関する拘束期間の間だけだが」
「あっ、それならぜひとも聖ハノーファー教会に来てください!助けてくださったお礼をしたいですし、僧房が空いているので、ジニアちゃん一人くらいなら泊めてもらえると思います」
若きシスターが目を輝かせながらジニアを見つめる。お礼という言葉に偽りの気持ちはないだろうが、若さからくる好奇心という感情も少なからずあるように見える。
ジニアは少し考える素振りを見せたが、自分では決められなかったらしく、愛刀に向かって尋ねた。
「曼珠?」
『いいんじゃねえの?どうにも、しばらくはトラジストから出れないっぽいし。金は持ってるけど、使えるかどうかわかんないしな』
曼珠の返答に頷くと、ジニアは改めてエリザに向かって頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「いえいえ、そんな、命の恩人なんですから、そんなにかしこまらないでください。それじゃ、さっそく教会に案内しますね。せっかくですから、道すがら簡単な観光でも……」
「いや、まだ事情聴取が終わっていない」
「あっ、すみません。そうでした」
ジニアのことに頭が行っていたため、エリザはそのことをうっかり失念していた。吸血鬼事件は、ここ最近、憲兵たちにとって大きな悩みの種となっているので、重要参考人のエリザの話はしっかり聞いておきたいだろう。簡単には放してもらえそうにない。
「すみません、ジニアさん、曼珠さん。ご案内できるのはしばらく後になりそうです。聖ハノーファー教会は、この街で唯一のアレス系列の教会ですので、街の人に聞けばわかると思います。申し訳ありませんが、ご自分で行っていただけますか?エリザからの紹介で来たと言えば、邪険にされるようなことはないと思います」
「ん、大丈夫」
『まあ、出れないもんは仕方ない。しばらくはトラジストに滞在して、マイエンジェルと竈の炎のように熱いデートを楽しむぜ!ああ、ジニアと一緒に溶接されたい!』
意味不明なことを言い出す曼珠に、エリザは苦笑を浮かべる。この数十分で、この変態ちっくな発言をする刀の言動にも多少慣れたようだ。
「あっ、そうだ。この街を観光するのでしたら、注意点が一つあります」
なにかを思い出したエリザが、若干厳しい顔になる。
「【中央広場】には絶対に行かないでください。この街が嫌いになる人の多くは、あの場所を見て嫌悪感を抱くんです」
「……中央広場?」
トラジストは星型の価値をした街で、八つの街道が端から中央に向かって伸びている。そして、それらの街道が合流する場所が中央広場と呼ばれている。
そのことはトラジストに入る前に、前知識として仕入れていたのだが、それがなぜ嫌悪に繋がるのかがジニアにはわからない。普通、そのような場所は多くの人が通る場所なので、人々の憩いの場になっていることが多いはずだ。
「トラジストは防衛都市なので、旅行者に対しては観光よりも示威が必要だ。そのため、中央広場は、見せしめのための公開処刑場となっている」
ジニアの疑問に答えたのはブラスキだ。苦り切った顔をしているところを見ると、彼自身は公開処刑のことをあまり良く思っていないようだ。
「まあ、公開処刑を楽しむような下衆な連中もいるがな。ブルダリッチ領で行われる処刑法は特別えぐい。まともな神経の持ち主なら、覗かないことを勧める」
『特別えぐい処刑法ってなんだよ』
その問いに対し、ブラスキは答えなかった。
彼の顔から見るに、口にするのも嫌といった様子だ。
『まあ、いいか。警告は一応聞いておくよ。……あっ、そうだ。俺たち、ゲルマニクスの通貨は持ってないんだけど、外国通貨って使えるか?』
「む?どこの国の通貨かにもよるが、普通、両替商のところに行くものだ。ちなみに、どこの国の通貨だ?」
ジニアがポケットから一枚の金貨を取り出してブラスキに見せた。エリザも横からそれを覗き込んだ。
華人族国家では、あまり金貨は使われない。大部分が紙幣・銅貨・アルミニウム貨だ。おそらく亜人族国家で使われている硬貨の一種であるのだろうが、残念ながら、エリザには見覚えのない貨幣だった。
しかし、ブラスキの方は見覚えがあるらしく、僅かに眉を潜める。
「……これはおまえの出身国の貨幣か?」
「ん。姉さまがくれた。使えないかもしれないけどって」
「確かに、このままではどの国でも使えないな。貨幣というより、ただの金の塊と考えたほうがいい。両替商に持っていけば、適正価格で取引してくれるだろうが、場合によっては宝石商や骨董品店に持って行ったほうが高く売れるかもしれん。買い叩かれないように、売る店は慎重に選べ」
「わかった。ありがとう」
礼を言うジニアに対し、ブラスキの瞳に僅かな同情の念が浮かんだことを、エリザは見逃さなかった。
ジニアは二人に改めて礼を告げると、別れの言葉を告げてから部屋から去っていった。
「あの、ブラスキさん。あの貨幣ってどこの国のものなんですか?装飾的に葉耳族か小人族あたりのものだとは思うんですけど……」
一人と一本が去ったあと、エリザは事情聴取の続きを再開する前にブラスキに尋ねた。ジニアが持っていた金貨を見たときのブラスキの反応が、どうしても気になったのだ。
「あれは葉耳族の小国家、ヤゲロー自治区の流通硬貨だ」
少しの間、エリザはヤゲロー自治区というのがどこにあるのか思い出せなかった。
少数民族である葉耳族は、小国家という形でいくつも点在している。中には、たった十数名で構成された国というのも存在するのだ。葉耳族の国すべてを把握するというのは不可能に近い。
それでも、エリザにはヤゲロー自治区という国の名にどことなく聞き覚えがあった。
「……あっ」
そして、どこで聞いたか思い出した瞬間、少女の境遇を察して胸が痛み、思わず俯いてしまった。
その様子からエリザの心中を察したブラスキが一度頷く。
「そうだ。ヤゲロー自治区――二年前、一人の代理神がその国で死に、同時にヤゲロー自治区の人間は他の代理神たちの手で皆殺しにされた。あのジニアという少女は、亡国の人間、あるいはその関係者ということになる」