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見習いシスター

「う……ん……?」

 エリザが目を覚ますと、自分が見知らぬベッドで寝ていることに気付いた。

 普通なら跳ね起きて現状を把握するものだが、低血圧な上に貧血で、しかも今横になっているベッドが修道院のベッドより格段に柔らかかったので、その心地よさを撥ね退けるにはいささか以上の勇気が必要だった。


(ああ、だめです。ベッドは魔物です。気持ちのいいベッドは魔王です。見習いシスターのエリザでは勝ち目がありません)


 そのまま二度寝に陥りそうだったエリザだったが、左腕に若干の違和感があったため、なんだろうと思って薄目を開けた。

 違和感の正体は二本の透明な管だった。その先には点滴用のキャスターもある。

 エリザの所属する修道院は施療院も兼ねているため、エリザ自身それなりの医療知識はあった。そのため、それが輸血用の点滴だとすぐに思い至ったのだが、なぜ自分が輸血されているのかがわからなかった。

 回らない頭を使い、ゆっくりと昨夜の出来事を思い出す。昨夜は確か、買い出しのために外に出たのだ。外出禁止令が出ていたが、近所なので大丈夫だろうと思って――



 生物とは思えない無機質な瞳。

 じわじわと弄ぶように抜き取られていく赤色の生命。

 死の間際、私を守るように抱きとめたあの人は、まるで物語に登場する――――



 エリザは布団を撥ね退け、体を起こした。

 吸血鬼――ここ一ヶ月ほどで頻発している事件の犯人の存在を、エリザはもちろん承知してはいたのだが、まさか自分が襲われるとは思ってもいなかった。見習いとはいえ、仮にも聖職者が吸血鬼に襲われたなど、笑い話にもならない。


(あの女の子、大丈夫なのかな?)


 あの時のことは貧血のせいか、ショックのせいかはわからないが曖昧だ。ただ、気を失う直前で見た、この世のものとは思えないほど美しい少女の横顔だけははっきりと覚えている。

 彼女の姿は忘れようと思っていても忘れられるものではない。エリザは、実はあの少女(と言っても二、三歳年下な程度の外見だったが)は天使で、実は自分はすでに死んでいるのではないかと思ったほどだった。

 しかし、エリザは、自分が見た少女が幻でないことをすぐに理解する。


「あ――」

 目的の人物はエリザの傍ら――隣のベッドで安らかな寝息を立てていた。

 女性の寝顔は天使の寝顔と言うが、とんでもない。少女の寝顔は神すら頬を緩ませるほどに愛らしい。これを描き下ろせば、一枚の宗教画になるのではないかというほどの侵しがたさが、少女の寝姿にはあった。

「む、目を覚ましたのか?」

 見惚れていたエリザは、声を掛けられるまで、誰かが部屋に入ってきたということに気づかなかった。ハッとして振り返ると、ずんぐりとした巨体の軍人と目が合った。

「……あれ?ブラスキさん?ここって、軍の施設なんですか?」

「うむ、シスターが件の吸血鬼に襲われた場面に出くわしたのでな。保護と治療、そして事情聴取のために連れてこさせてもらった」

 トラジストの警察機構は軍と統括されており、吸血鬼事件のような殺傷事件は軍の憲兵部門が執り行う仕組みになっていた。自分は吸血鬼に襲われたのだから、当たり前のことだとエリザは思い直す。


 また、事件のことがなくとも、エリザはブラスキと面識があった。

 エリザは善と英雄の神・アレスを信仰する、聖ハノーファー教会の見習い修道女だ。アレスは戦いの神である上、施療院として訓練兵の手当もするため、剣に生きる軍人と接する機会はそれなりにある。さらに、ブラスキは教会のある第六区担当の憲兵隊長なので、自然、顔を合わせることが多くなるのだ。

 顔見知りと会えたことで、エリザの安心感が少し増す。自分のことを襲った吸血鬼のことは気になったが、せっかくだし、エリザはこの少女のことを聞いてみようと思ったのだが――


『はあはあ、ジニアの寝顔きゃわゆいよ~。添い寝して、抱きつかれて、寝息をかけられながら、寝顔をペロペロしたいよ~』

「…………」

 エリザは三歩ほどブラスキから距離をとった。


「……待て、違うぞ。この刀が勝手に喋っているだけだ」

「ブラスキさん、悪いことは言いません。今から教会に行きましょう。教会なら懺悔と治療と入院がまとめて出来ます。大丈夫、うちの軽犯罪者用矯正修道院は、どんな特殊性癖でも一週間で同性愛に目覚めることで有名ですから」

「それ、矯正されてることになってるのか!?俺は嘘を言っているのではない!この刀が、言葉を話す神鋼刀なのだ!」

 そう言って、ずいと手に持った刀をエリザの目の前に持ってくる。それは、ブラスキがジニアから取り上げた神鋼刀【曼珠沙華】だった。ジニアが吸血鬼事件の重要参考人であり、容疑者でもあるため、一時的に預かっていた物だ。

 そんなことを知らないエリザが、性癖の矯正の前に妄想癖を治す必要があると思う前に、曼珠沙華が話し出す。

『ハロー、お嬢さん。俺の名前は曼珠沙華。曼珠って呼んでくれ。そこで最っ高にプリティーな寝顔でおねんねしてるマイエンジェルの相棒……いや、恋人だ!』

「……え?本当に話してる?」

 間近に持ってこられることで、それが刀から発せられる言葉だとエリザはようやく気づく。脳に直接語りかけるような、空気の振動のような、どちらとも言えない不思議な声だ。

 エリザは戦いに関与しない聖職者とはいえ、多くの軍人とその剣を見てきたため、剣を見る目は一般人より肥えている。しかし、そんなエリザでも、言葉を話す剣というのは初めて見た。

『そう俺は言葉を話す刀――ではなく、持っている人間の心を暴いてるだけなのさ』

「…………」

 エリザは下がれる限界まで下がって、ブラスキからできる限りの距離をとった。


「おいいいいいいいっ!?貴様、刀の癖になに平然と嘘を吐いとるんだ!待て、シスターエリザ、誤解だ!こいつは本当に自我を持って話しているんだ!」

「……ああ、いいんですよ、ブラスキさん。その子……ジニアちゃん、でしたっけ?すごく可愛いですもんね?ええ、心の中でどう思おうと、思うだけでは犯罪ではないですからね」

「誤解だああああああ!」


 結局、ブラスキの説得は、ジニアが目を覚ますまで続いた。ブラスキが誤解を解くのに必死になればなるほど、彼の話は嘘くさくなり、エリザの瞳はどんどん冷たくなっていった。

『けけけ、俺とマイエンジェルを、一時的とはいえ引き離した罰だ』

 ぽつりと漏らした神鋼刀の言葉を拾った者は、生憎この場にはいなかった。

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