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吸血鬼

 吸血鬼――御伽話で語られる存在でしかないそれは、この世界でも架空の生物の一つだった。

 ゆえに、ジニアの目の前で幽鬼のように立つ生物は吸血鬼ではなく、そのように見える者にすぎない。

 しかし、ここではあえて吸血鬼と称そう。

 女性に覆いかぶさっていた吸血鬼は、突如として現れたジニアに驚いたのか、はっと顔を上げた。

 闇と霧のため、ジニアは相手の表情をとらえることができなかった。ただ、その機械のような冷たい瞳が、自身の肢体を舐めるように見つめてきていることだけは肌で感じていた。

 目の前に現れた極上の獲物を、まずは目で楽しもうという美食家(グルメ)の目つきだった。


 無理のない思考だ。いったい誰に想像できようか。

 世の男たちが、一目で生唾を飲み込み、無意識に欲情してしまうような美しい子猫が、実は鋭い牙を持った精悍な豹であるということに。


 さらりと流れる金髪が、残像を残して吸血鬼の視界から消える。

 その身の小ささを利用して、一瞬で吸血鬼の足元まで迫ったジニアは、振り上げるようにして一刀を見舞った。

 それは吸血鬼の腕の中にいる女性に被害が及ばないよう、細心の注意を払いつつも、吸血鬼に致命傷を与える理想的な動作だった。第三者が見ていれば、そのあまりに無駄のない動きに、この少女は一挙手一投足に至るまで美しいのかと惚れ惚れしただろう。

 だが、理想的で無駄のない動きというのは、えてして先が読まれやすい。

 吸血鬼は少女の鋭い動きに驚きつつも、回避を試みることに成功した。

 結果、抱えていた獲物を手放すことになったが、致命傷となる一閃を避けることはできた。


 あくまで、致命傷(・・・)を避けたに過ぎなかったが。


 ごとり、と吸血鬼の右腕が石畳の地面に落ちるのと、支えを失った女性をジニアが抱き留めたのはほぼ同時だった。

 完璧に避けきれなかったことに対し、吸血鬼はジニアへの警戒の色を強めたようだ。切断面からあふれる血を気にする様子もなく、ジニアに殺気のこもった瞳を向けて距離をとる。宵闇と濃霧が邪魔して相変わらず表情は見えないが、かなり怒っているようだ。

 一方、ジニアはジニアで、簡単な相手ではないと認識していた。完全に油断していたところへの奇襲を、不完全とはいえ回避されたのだ。少なくとも、酒場でからんできた男たちより遥かに優れた反射神経だ。加えて、手負いの女性という足枷が増えてしまった。庇いながらの戦いはかなり苦しいものとなると予想できる。

 そして、なによりも――


『痛がってる様子がねえなあ。おまえ、人間じゃないだろ?』


 ぴくり、と微かに反応を見せる。発言内容に驚いたというより、少女とは思えぬ声音に驚いたのだろう。実際には少女の愛刀【曼珠沙華】の発言なのだが、吸血鬼はそのことを知らない。


『血の流れ方も奇妙だ。普通、もっと出血するもんだろ。気配も人間っぽくない。……おまえ、使徒だな?』


 吸血鬼は無言、しかし、ジニアと曼珠はほぼ確信していた。

 この世界には、華人族(ヒューマン)葉耳族(エルフ)といった人種が存在し、各種族ごとに勢力の違いや差別はあるものの、同じ【人間】として扱われる。人間の定義をどう置くかは人それぞれであるが、意思疎通できる程度の知能と言語能力がある種族は【人間】とみなすのがこの世界の一般見解となっている。


 しかし、近年、新たな種族が現れたため、この【人間】の定義が揺れている。


 新たな種族というのは、前述の【代理神】。姿形こそ人間であるが、神のごとき力を持った彼らを人間と呼ぶか神と呼ぶかは迷いどころだろう。これに関しては、代理神が現れてから四年が経つ今でもはっきりしていない。

 そして、もう一つ、【使徒】という種族が新たに現れた。彼らは、代理神が創り出した、あるいは代理神が人間に力を与えて、人間ではない生物にした存在だ。彼らは代理神ほどではないが、総じて人間離れした能力を持っている。中には、人間とは思えない異形と化した者までいる。使徒はそれぞれ姿形や能力が違うので、代理神以上に人間と扱うべきか否かが難しい存在だ。


 ゆえに、人々は迷った結果、代理神のことは代理神、使徒は使徒と呼ぶ。彼らは定義づけできる存在ではない。そう呼ぶしかない、一個の存在なのだという、恐れを胸に秘めて。

 それだけ、代理神に及ばずながら、使徒もまた人々に恐れられる力を持つ存在なのだ。


 しかし、そんな怪物を前にしていながら、ジニアは、

「使徒……」

 ぎしり、と柄を握りつぶさんばかりの力で、愛刀【曼珠沙華】を握り直す。先刻までのどこかのんびりした雰囲気の少女はそこにはなく、相手を燃やし尽くすほどの殺意の炎を身に纏った剣鬼の姿があった。

「っ……!?」

 ジニアの尋常ならざる剣気に押された吸血鬼が身構える。ことここに来て、相手が遊び半分で勝てるような相手ではないということを察したようだ。


 一触即発の空気の中、互いにどう攻めるかを探り合う。

 一秒が一年に感じられるほどの緊張の中、初めに動いたのは――


「あの女の子がいたぞっ!こっちだ!!」


 叫び声とともに警笛が鳴り響く。はっとして振り向いた少女の背後から、いくつもの憲兵の影と多数の足音が迫っていた。

『ジニア!あいつが逃げた!』

 曼珠の声で視線を戻す。

 しかし、先刻までの吸血鬼の姿はなく、闇と霧が視界を覆うばかり。斬り落とした片腕は回収したのか、足元の血だまりだけが戦闘があったことの証拠となった。


「追う?」

『ん~、止めといたほうがいいな。この霧じゃあ、一旦見失ったら追いつくのは至難だ。それに……』

 と、曼珠がなにか言おうとするのを遮るように、ブラスキの大声が響き渡った。

「刀を捨てて、両手を上げろ!その娘から離れるんだ!」

 気づけば、ジニアを取り囲むように、軍服姿の男たちが並び立っている。その手には各々の神鋼の武器が握られており、いつでもジニアに斬りかかれる様子だ。

 発見から包囲展開までの素早さに、ジニアはこの部隊の練度の高さを再認識した。


「……突破?」

『無理無理。マイエンジェルがまじで天国行っちゃう。ここはおとなしく捕まっとこう。森の【クマさん】に呼び止められたら、【お待ちなさい】が定番だろ?』


 ジニアはうなずいて、曼珠の言うことに従う。

 しかし、その意識の先は、自分に手錠をかける憲兵たちでも、倒れている女性でもなく、霧の中に消えた吸血鬼のことだけに向かっていた。

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