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ジニア

プロローグはおまけ。ここからが本編です。

――キュルトゥス歴1989年――

 

 その日、国境都市トラジストは不吉な霧に包まれていた。

 ゲルマニクス王国とフランク神聖帝国の境にあるこの街は湿地帯の最中にあり、湿度が高いため、このような気候は決して珍しくない。普段ならばよほどの濃霧でもない限り、仕事帰りの人々の喧騒が聞こえてくる時間帯だが、ここ最近市内で起こっているある事件のせいで出歩く人間が少なく、かきいれ時であるはずの酒場では閑古鳥が鳴いていた。

「アルコール以外で一番安い飲み物をください」

 店に喧嘩を売ってるとしか思えない発言をしたその客がやってきたのは、ほんの数名しか客がいないため、店主があまりの暇さに無意味にグラスを磨いている最中だった。

 店主はふざけた発言をする客に対して、一言怒鳴りつけてやろうかと思ったが、驚きからそれができずにいた。店主が驚いた理由は、その客がいつ店に入ってきてカウンター席に座ったのか、まったく気づかなかったことが一つ。もう一つは、その客が年若い少女で、その容姿が人外じみて美しかったからだった。

 金髪長髪の華人族(ヒューマン)。とろんと半眼に開かれた七色瞳(ヘーゼルアイ)は下手な宝石より美しく、吸い込まれてしまいそう。ゴシック調の服を着ており、黒が基調のその服は、少女の新雪のように滑らかな肌を強調している。動きやすそうなミニスカートとニーソックスの間からわずかに見える腿の白肌に、店主は年甲斐もなく欲情してしまった。

 しかし、少女の腰にあるものに目が行くと、その目の色が変わる。男としての瞳から、多くの荒くれ者を見てきた酒場の店主の瞳へと。

「嬢ちゃん、神鋼剣士かい?」

 よく冷えたミルクを差し出しながら尋ねる。少女はこくりと頷いた。

 ブルダリッチ伯が治めるトラジストは、ゲルマニクス王国の要衝だ。つい十数年前まで隣国と戦争をしていたため、トラジストは交易のための国境都市というより、防衛のための要塞都市としての意味合いが強い。

 そのため、ブルダリッチ領全体で軍事研究が盛んであり、正規軍に入隊を希望する者やそれらを支える剣工の数も多い。それが目当てで集まる神鋼剣士も少なくなく、この酒場に集まる客の大半も兵士か流れの神鋼剣士かだった。

「おいおい、おまえが神鋼剣士?剣を持ったら誰もが剣士になれるわけじゃないんだぜ?」

 フラフラと覚束無い足つきでやってきたのは、店内で飲んでいた数名の剣士だった。

 昼間から店内に陣取って飲んでいたので、すでに出来上がっている。昼日中から酒に溺れている上、年齢の割に大して剣が育っているようには見えない。数多くの剣士を見てきた店主からすれば、彼らこそ剣士とは言い難かったが、その言は一理あるとも思えた。

 こんな少女の細腕で、剣士としてやっていけるとは思えない。服装も小奇麗な感じで、剣士というより良家のお嬢様といった感じだ。その上、少女の持つ剣は刀と呼ばれるもので、値段は張るが、扱うのが非常に面倒な類の剣だ。

 おそらく、どこぞの貴族のお転婆姫が、実家の剣を持ち出して剣士ごっこでもしているのだろうと店主は予想をつけていた。

「……おお、すげえ可愛いじゃねえか」

「剣士なんかよりもっと儲かる方法あるぜ?俺たちがやりかたを教えてやるから、ちょっと宿まで付き合えよ」

 店主の予想は、ちょっと観察力と思考力があれば思いつくようなことだが、アルコールの回っている頭では思いつかないようだ。自分の娘ほどの年齢の少女がこの飲んだくれの毒牙にかかるのは後味が悪いし、貴族関係のとばっちりが来るのも嫌だったので、少女の肩に手をかけようとした男に対し、店主が口を開きかけ――

『おいこら、汚ねえ手でマイエンジェルに触るんじゃねえよ。てめえの●●●、ぶった斬られてえのか?』

 店主が口出しするより早く、脳に直接語りかけるような奇妙な声が男の動きを止めた。

「な、なんだ?」

「おい、今言ったのは誰だ?」

 戸惑ったのは剣士たちだけではなく、店主も同様だ。彼らの他に人はいないし、そもそも人間の声のようには感じられなかった。

 彼らは互いに顔を見合わせたあと、当事者である少女の方を見る。少女は男たちなどまるで興味がないかのように、あさっての方を向いてミルクを飲んでいる。

「ん、おいし」

『マイエンジェ~ル!!お口の周りがミルクで白くなったマイエンジェルも超絶カワイイけど、思わず舐め取ろうとする変態がいるかもしれないから、拭いたほうがいいと思うぜ!ていうか、俺が舐め取りてえ!!ちくしょう、今この瞬間ほど、俺に口がないことを恨めしく思ったことはねえ!』

 実際に発言した人物がいれば、血涙すら流していそうな声の調子だった。その場にいた人間は全員、いや、変態はおまえだろと心の中でツッコミを入れた。

 対して、口元を白くした少女はというと、少し考えたあと、腰に吊るした刀を僅かに引き抜いて、その白光りする刀身に口づけた。

『!!??マ、マ、マ、マイエンジェル!?』

「これでいい?」

『マ、マイエンジェル、ジニア大好きだ!超超超超超絶あ・い・し・て・る・ぜ!!』

「…………バカ」

 ジニアと呼ばれた少女はやや頬を赤くし、刀を鞘に戻してまたコップに手を取る。彼女たちの語らいを聞いて、周囲の人間の顔色が驚愕に染まった。

 腹話術ではない。最初に姿なき声が聞こえてきたのは少女がミルクを飲んでいる最中だったし、そもそも脳に直接響くようなこの声は人間に出せるようなものではない。彼らが探していた声の主は、間違いなく少女の持つ刀だった。

「喋る剣、だと?」

「馬鹿な、どんな育て方をしたらそんな成長をするんだ」

 少女の剣が尋常でない成長をしていることを察し、男たちの目の色が変わる。それまでは少女に対する色情の瞳だったのに対し、今は野心と強欲にまみれたものへと。

 神鋼――文字通り、神が作り出した鋼とも言えるその金属は、非常に不可思議な性質を持っており、戦場の主役を銃から剣へと変遷させた最大の要因だった。

「嬢ちゃん、その剣はあんたにゃもったいないぜ。素人が良質の剣を持つのは剣士に対する侮辱だぜ?」

「小遣いが欲しいならやるからよ、そいつを俺たちに譲ってくれよ。でなけりゃ、剣士への礼儀を知ってもらうために、ちょっと痛い目にあってもらうぜ?」

 男たちのうち何人かが自分の剣を抜き、そのうちの一人が剣先をジニアの眼前に持ってきて脅しつける。残りの男たちは剣ではなく、拳銃を向けている。実際に発砲するためというより、脅すために見せつけているだけのようだ。

 大の男数名がいたいけな少女一人を脅しつける様子に、流石に憤りを感じた店主が顔を赤くして怒鳴りつけた。

「バカ野郎ども!てめえら、それでも剣士か!神鋼剣士なら、自分で育てた剣を使え!子どもから剣を奪おうなんてなにを考えていやがる!剣士以前に、人として恥ずかしくねえのか、おまえらは!」

「うるせえ!俺たちだってもっといい剣があれば、干されてねえんだよ!こんだけ流暢に人の言葉を話せるってことは、この剣は間違いなく『銀』だ!そんな名剣が、俺たちみたいに命をかけて戦う剣士が使うんじゃなく、こんなガキのおもちゃになってるんだぞ!俺たち剣士は、このことに怒る権利がある!」

「そうだ!名剣はきちんとした剣士が使うべきだ!『銀』の剣があれば、俺たちだって正規兵になることが……」

 男たちの一人が言った、正規兵になれるという言葉を聞いて、他の男たちの中の欲望の炎が一際大きく燃え上がった。どうやら、この剣士たちは、トラジスト国境軍に入ろうとして撥ねのけられた流れの剣士たちのようだ。

 彼らの興奮した様子に、店主は舌打ちする。頭に血が上った彼らに説得は難しいと察したのだ。

 神の金属と呼ばれる神鋼には、二つの大きな特徴がある。一つ目は、長く愛用することで、その性質を大きく変化させるということ。例えば、神鋼の剣は成長することで斬れ味や硬度が増すし、神鋼の鐘は成長することでより心地よい音色を奏でる。どのように成長するかは神鋼製の道具をどのように使うか、つまり使い手次第だ。神鋼はその成長具合に合わせて、『鉄』、『鋼』、『銀』に分けられ、『銀』に至った神鋼はそれ以上成長しなくなる。『銀』に至っているということは相当使い込まれている証拠で、神鋼剣士にとって『銀』の剣を持つことは一流の剣士の証であり、一種のステータスである。

 もちろん、だからといって『銀』の剣を持っただけで強くなるというわけではない。神鋼の剣を育てるためには、基本的に剣を使用した実戦や訓練を繰り返す他ない。『銀』まで育てるためには、尋常でない数の死線を潜り抜ける必要があり、その経験を評価されるからこそ、『銀』の剣を持つ剣士は一目を集めるのだ。

 そのため、人の剣を奪って注目を集めることはまったく本末転倒であり、剣士としてはむしろ軽蔑すべき行為である。しかし、男たちは酔っているせいか、元々性格が腐っているのか、そんなことは微塵も思わず、『銀』の剣に目を眩ませる。あるいは、周囲の評価が上がるわけではないとわかっているが、売ればいい値になるとでも思っているのかもしれない。

「さあ、そいつをよこすんだ」

 とうとう一人の男が少女の刀に手を伸ばす。

 このままではまずいと思った店主は出入り口の方へと目を向ける。今のトラジストは物騒なので、多くの憲兵が見回りをしている。外に出て大声で叫べば飛んでくるに違いない。

 そんなふうに思った店主の視界の端で、なにかが回転した。

 床に叩きつけられたそれは、背中をしたたかに打ち付けたため、息が詰まって咳き込む。そこでようやく、それが少女の刀に手をかけた男だと気がついた。

「曼珠に触らないで」

 抑揚のない声で告げる人物に対し、周囲の人間は唖然とした顔になる。

 己の倍近い体重差の男を投げ飛ばした少女は、何事もなかったかのようにミルクをちびりちびりと子猫のように飲んでいた。

「て、てめえ、なにしやがった!?」

「投げ飛ばした」

 動揺から声がどもる男に対し、ジニアはある意味当然の返答をした。しかし、どう見ても華奢な娘にしか見えないジニアがそんなことをやってのけたなど、目の前でやられたことであっても信じられなかった。

「な、なめてんのか、てめえ」

 ジニアの態度を、自分たちに対する侮辱と曲解した男たちが、殺気のこもった瞳で睨みつける。相手が少女でなければ、すでに血を見ていたことだろう。

『なん……だと……。こいつら、ジニアに舐められたいと思ってる変態だ!マイエンジェル、変態が移るからこんなやつらの近くにいちゃいけません!』

「……曼珠もさっき舐めてほしいって言ったよ?」

 曼珠の言うことに従って、席を立って距離をとるジニア。刀にまで馬鹿にされたと思った男たちの怒りは頂点に達し、堤を破るように彼らの感情は爆発した。

「ふざけやがって!」

 投げ飛ばされた男も含め、男たち全員が動く。彼らの剣は『鋼』。『銀』ほどではないが、中堅といっていいほどには鍛えられた剣だ。それに加えて、酔って頭に血が上っているとは思えないほどに連携もいい。狭い店内で一斉に斬りかかるのは難しいと判断し、前方の三名がじりじりと距離を詰め、残りが拳銃による援護射撃に徹する構えだ。

『役不足だぜ』

「ん」

 追い詰められたといっていい状況で、一人と一本の会話は最低限。続く動きもまた最低限だった。

 ジニアは振り返りざまに曼珠を抜き放ち、横一文字に刃を振るう。その動きは鮮烈でありながら繊細、舞踏のように美しい一閃はしかし、あまりにも速すぎてその動きを捉えることが出来た者はその場にいなかった。

 カラン――

 気づけば、前衛を務めた三名の剣が半ばから失くなり、その片割れが彼らの足元に落ちていた。金剛石より硬いはずの神鋼の剣が、三本まとめてという事実に、男たちは愕然とした顔になる。

 彼らには、剣が斬られた瞬間が見えなかった。気がつけばジニアの手には刀が握られ、自らの剣が二つに分かれていたという現実から、少女が自分たちの剣を斬ったのだという推論を出したに過ぎない。正しく、曼珠の言うとおり、男たちのの相手はジニアにとって役不足に過ぎた。

「っ!?ちくしょう、撃て撃て!所詮はガキだ!ビビらせれば動きも鈍る」

 いち早く正気に戻った前衛の一人が、折れた剣を捨てて拳銃を構える。それに一歩遅れて、残りの前衛二人も拳銃を抜いて後ろに下がり、代わりに後衛から二名が抜剣して前に出る。それを援護する形で、拳銃が一斉に火を噴いた。

 何十発という拳銃弾は、少女の衣服にいくつもの穴を空けるが、ジニアは気にすることなく迫る二名の神鋼剣士のみに意識を向ける。

 これが神鋼のもう一つの特徴であり、神の金属と呼ばれる最大の所以。そして、銃器が衰退した理由。|神鋼を身につけた者は、神鋼の武器でしか傷をつけることができない《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》。より正確に言うなら、『鋼』以上に育った神鋼の武器を使用しなければ傷つけられない。

 例えば、もっとも単純な『鉄』の神鋼を銃弾にしても、神鋼剣士を傷つけることはできない。かと言って、銃弾を『鋼』以上に育てようと思っても、銃弾は使い捨てであるため、経験を積ませて育てるということがそもそも不可能。また、『鋼』や『銀』の神鋼を溶かして銃弾を作ろうとしても、神鋼は溶かすと『鉄』に戻ってしまうのでやはり不可能。

 結果、銃器は狩猟やスポーツとしてしか意味をなさなくなってしまった。一応、砂粒に当たった程度の痛みはあるし、音や光による牽制としても使用できる。

 男たちが狙ったのは正にそれ。しかし、ジニアはぴしぴしと当たる銃弾を気にすることもなく、先ほど変わらぬ自然さで刀を振るう。奇声を上げて剣を振り下ろそうとした二人の剣士は、剣を振り上げた時点で既に剣を折られている有様だった。

「くそ!くそ!てめえら、なにやってるんだよ!次はてめえらだよ!援護してやるから、とっとと突っ込め!あいつの剣を奪うんだよ!」

「ふ、ふざけんな!そんなので成功するわけねえだろ!」

 瞬く間に五本の剣を斬ったジニアに対し、もはや甘く見る者はいない。男たちの側にはまだ二人の神鋼剣士が残っていたが、前に出ていこうとしなかった。

 神鋼剣士にとって、自らの剣を折られることほど恐ろしいことはない。一度折られた剣は、溶かして鍛え直しても『鉄』に戻ってしまう。そうなれば、また一から神鋼の剣を育てなければならないのだ。目安として、普通に神鋼の剣を育てた場合、『鉄』から『鋼』に成長させるためには二年はかかる。

 まして、彼らはジニアの剣を奪って自分のものにしようと考えていたような男たちだ。また一から再起を図るという発想は死刑宣告にも近い絶望だろう。

 男たちが迷っている間、ジニアは残りのミルクを飲み干し、唇についた残り汁を舌で舐めとった。その美貌と相まって、その動作は扇情的であったが、今やそれを考える余裕があるのは誰一人としていなかった。

『マイエンジェーーール!!最っ高にかっこかわいいぜ!ああ、ジニアの舌で剣先から柄まで舐め回されることを想像しただけで、俺は、俺は……なんか、こう、極上の砥石で研がれたような気分になる!』

 唯一余裕のあっただけが桃色の空気を纏わせて変態発言をする。それ、どんな気分なんだよ、とツッコミを入れつつ、ジニアは空になったコップをカウンターに置いた。

「おかわりください」

「あ、ああ」

 ジニアの思わぬ強さに唖然としていた店主が、言われるままにミルクを注いだ。

「……まだやるの?」

 新しく注がれたミルクに口をつけつつ、ジニアは挑発的な言葉を投げかけた。男たちは憤りながらも襲いかかるような気配はなく、ただ鋭い目つきで睨みつけてきた。

 一方的な硬直状態が続く中、ふとジニアの視線が男たちから外れ、戸口の方へと向けられる。何事かと釣られて男たちが同じ方向を向くと同時に入口の扉が開け放たれ、同じ服装をした複数の男たちが入ってきた。

 彼らの肩口に縫い付けられているのは、一本の杭に絡みつく薔薇の紋章――トラジスト国境軍正規兵の隊章だ。

 トラジスト国境軍はゲルマニクス最強とも噂される精強な部隊。その噂に違わず、酒場に入ってきた男たちは誰一人として一部の隙もない。それぞれが持つ神鋼の武器も使い込まれた感じのある立派なものだった。

「トラジスト国境軍、ブラスキ少佐だ。これは何の騒ぎだ?」

 新たに酒場に入ってきた者たちの中で、一際体格のいい男が声を張り上げる。どうやらこの部隊の指揮官のようだ。ブラスキと名乗ったその男は、体格と威圧感が相まって熊のような印象を与える男だった。

 どうやら騒ぎを聞きつけて駆けつけてきた巡回兵の一団のようだ。騒ぎの元凶である神鋼剣士たちは気まずげに目を逸らし、ジニアは巡回兵があまりに早くやってきたことに小首を傾げる。

「早い、ね?」

「……おまえ、余所者か?吸血鬼事件のせいで、今、トラジスト市内は厳戒態勢状態だ。巡回兵を大目に配置し、十九時以降の外出を控えるように住民に呼びかけてもいる。どこで騒ぎが起ころうとも、すぐに駆けつけられるようにしているのだ」

「吸血鬼事件?」

 騒ぎの中心になっていたのが年端もいかぬ少女だということに、ブラスキは少々驚いた様子だったが、ジニアの疑問に対して、見かけによらぬ丁寧な対応で答えた。

 曰く、一か月ほど前から、トラジスト市内で全身の血を抜き取られたような変死体が発見されるようになった。すでに被害者は十名を超えており、警察組織も兼ねているゲルマニクス国境軍は犯人探しに躍起になっているが、未だ有用な情報は手に入れていない。一か月前といえば、ちょうど隣国のフランク帝国が滅んだ時期なので、何か関連があるのではないかと目されている。

 さらっと告げられた隣国の滅亡という情報に、ジニアがきょとんとした顔で目をパチクリさせる。その仕草が愛らしくて、酒場にいる何名かの頬に赤みがさしたが、ジニアはそんなことには気づかなかった。

「フランク帝国が滅びたって、なんで?」

「それも知らんか。情報閉鎖のため、詳しい話は伝わってきていないが、フランク帝国の首都が何者かの急襲により壊滅状態に陥ったらしい。その際、フランク帝国上層部もほぼ全滅。国として機能しなくなったらしい」

 フランク帝国は国家の中でも有数の国力を誇る大国家だった。神鋼剣士の質も高く、好戦的で、ゲルマニクスもたびたび侵略を受けていた仇敵である。しかし、そんな強国であるからこそ、いとも簡単に滅びたという事実が受け入れがたかった。

 しかし、ジニアには、そういうことをやってのける存在を知っていた。ブラスキもその可能性に気付いているのだろうが、あえてその話題を避けているように思える。そうであってほしくないという願望を込めて。

代理神のせい?(・・・・・・・)

「……その可能性が高いと推測されている。血塗れの降誕祭(クリスティ・ゲナ)だ」

 血塗れの降誕祭(クリスティ・ゲナ)、それがこの世界でもっとも重要な常識(ルール)

 世界は定期的に大量の生贄を求める。そのため、神は世界に争いが絶えぬように、時折争いの種を蒔く。その種こそが血塗れの降誕祭(クリスティ・ゲナ)。それは世にも醜き怪物の大量発生であったり、国々の王が同時に発狂して互いに攻め滅ぼしあったりなどさまざまだ。

 栄華を誇った大国が、一晩で滅びることも当たり前のように起こる。

 なぜ神がそのようなことをするのか、それは神と話すことができる人間がいないのでわからない。もしかするとただの自然現象なのかもしれないが、理解できない自然現象は神の御業と変わりないので、そんなものは認識の違いでしかないだろう。とにかく、世界が急変し、大勢の人間が死ぬ事態を、人々は血塗れの降誕祭(クリスティ・ゲナ)と呼んだ。

 このたびの血塗れの降誕祭(クリスティ・ゲナ)は、異世界から招かれた十二名の人間の争い。世界を司る十二柱の神から力を与えられ、神に等しい力を得た彼らによるバトルロワイヤル。一人一人が非常に高い戦闘力を持つため、争いに巻き込まれて多くの人々が死ぬこともあった。

 彼らを人々は人と思わず、神の代理――代理神と呼んだ。

「フランク帝国が滅んだ理由が代理神にせよ、そうでないにせよ、彼の国でなんらかの異常事態が起こったのは間違いない。知らずに来たのなら、早々に立ち去ることを勧める」

「……ん」

 世の中には代理神を本物の神と崇める者もいるが、大部分の人間にとって、代理神は天災以外の何物でもない。彼らの戦いに巻き込まれないよう、少しでも距離を置くことは、ブラスキの純粋な好意からの忠告だった。

「だが、その前に事情聴取だ。ちょっと庁舎のほうまで来てもらうぞ」

 その言葉で、ジニアは彼らがここに来たのは揉め事を聞きつけたからだということを思い出した。

 彼らが見回りをしていたのは吸血鬼事件のためだとしても、ジニアたちを見逃すつもりはないようだ。ジニアと対峙していた男たちは抵抗する様子もなく、しょぼんとした様子で兵士たちに連行されていく。

 そこでジニアは、そろそろタイミング的に騒ぎそうなはずの愛刀【曼珠沙華】が妙におとなしいことに疑問を抱いた。

 少し意識を向けてみると、曼珠は、フムと何か考え事をしているようだ。

『あいつ、なんかクマっぽいけど、微妙にそれっぽくないよな~。クマ耳・肉球・蝶ネクタイつけたら、すげえ似合いそうなんだけど、つけてみてくんないかな~』

 ぼそりと告げられた言葉に、その姿を想像したジニアが薄く笑い、聞き耳を立てていた兵士たちが思わず吹き出した。静かだと思ったら、ブラスキの外見を想像でいじって遊んでいたようだ。

「…………腹話術、ではなさそうだな。言葉を話す神鋼刀とは珍しいが、随分失礼な奴だな」

 曼珠の言葉にむっときたブラスキだが、自我を持った刀という存在に対する興味の方が優ったようだ。怒りの感情はすぐさま引っ込み、しげしげと曼珠を見つめる。逆に、ジニアはジニアでブラスキの顔をジッと見返した。

「……クマさん」

「誰がクマだ、誰が。……ああ、もう、さっさと行くぞ。ついてこい」

 可憐な美少女に見つめられたことがくすぐったかったのか、ジニアの視線に気づいたブラスキは顔をそらしてぶっきらぼうに命令する。

 本来なら、なにか事件を起こした者を屯所に連行する際は、手錠をつける決まりであったが、さすがに年端の行かない少女に手錠をかけるのは気が引けたようだ。特に拘束することも、刀を取り上げることもなく、目だけでついてくるように促す。

 ――この時のブラスキの判断が、トラジストの命運を分ける遠因となることを、現時点で気づく者はいなかった。

 

「……曼珠」

 兵士たちに連れられて酒場の外に出たジニアが、連行用の軍用車に乗る直前でぴたりと足を止め、向かって右の方へと顔を向ける。

 どこか抜けた感じだった少女が、突然ピンと張り詰めた空気を纏ったことに、彼女に付き添っていた兵士が軽く首を傾げる。釣られてジニアが顔を向けた方角と同じ方へ顔を向けるが、闇と霧が広がるだけで、兵士の視界には特別なにかが映る様子はなかった。

『ああ、間違いない。いるぜ?』

 なにが、と問い返す間もない。

 ジニアは兵士の脇を、ネコのような素早さですり抜けると、猛スピードで霧の街道へと走り去る。

「っ!?女の子が逃げたぞ!6番区方面だ!」

 兵士が慌てて声を張り上げながら少女の後を追うが、粘りつくような闇と霧が少女の後ろ姿を覆い隠す。加えて、ジニアの足は小柄な体からは想像できないほど速く、あっという間に彼女を追う兵士たちの足音を置き去りにしてしまった。

 建物の間を抜け、障害物を乗り越え、あるいはくぐり、ジニアはひたすら霧の街を疾走する。

 しかし、その足は五分も経たないうちにぴたりと止まった。

 敏感な少女の嗅覚が、霧中の水の香の中に血の匂い交じるのを嗅ぎ取った。

「や、止めて、誰か……」

 匂いと若い女性の呻き声を頼りに辿り着いた先には、男女の二人連れがいた。

 男の方は女に覆いかぶさるようにして、女の首筋に口元を当てている。遠目から見れば若い男女の愛の逢瀬ともとれる体勢だが、女性の方は抵抗しようと弱々しくもがいていた。

 歌劇のワンシーンのようと言えば共通しているが、それは決して燃えるような恋愛劇などではない。その姿はまさに――

吸血鬼(ヴァンパイア)

 巷を騒がせる吸血鬼と刀を持った絶世の美少女の邂逅。凍えるような恐怖劇の幕開け。

 トラジストを巡る一連の事件において、ジニアが幾度も剣を交えることになる、吸血鬼との初めの剣闘。その火蓋が斬って落とされた。

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