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彼岸の花はそっと寄り添う

 医療スペースの隅っこ、以前エリザとともに話をした場所に、ジニアはちょこんと腰掛けてぼんやりと周囲の様子を眺めていた。

 唐突な使徒の来訪により、避難所内では多くの死傷者が出た。そのため、医療士たちは多数の怪我人を抱えることになり、医療スペースはてんやわんやだった。

 ただ、それは不幸中の幸いと呼べる状況であろう。エリザがクレイグと対話を試みていなければ、ジニアがエリザを守るために戦いの場に出ていなければ、ロベルトがクレイグとの戦いに間に合っていなければ、ここにいるのは医療士と怪我人ではなく死体袋の山であっただろうから。

 行き交う人々の中には、ブルダリッチ邸で見かけた自動人形たちもいる。人員が足りなくなるであろうことを予想したロベルトが、彼らを手伝い役として回したのだ。ロベルト自身はすでに前線指揮に戻っている。


「お待たせしました、ジニアちゃん」


 クレイグの肉体が死体袋に詰められ、兵士の手によって遺体安置所に運ばれて行ったあと、どこかしらに姿を消していたエリザが戻ってきた。

 声を掛けられたジニアは、じっとエリザの顔を見上げる。


「エリザ、大丈夫?」

「え?」

「目、赤い」

 指摘され、エリザは慌てて自分の顔を抑える。恥ずかしさからか、目だけでなく頬も朱色に染まった。


「……やだなあ、ジニアちゃんの前ではお姉さんでいたかったんですけど」


 今更隠しても無駄だと察し、エリザは顔に当てていた手を下ろしてジニアの隣に座る。

 ジニアは、エリザがどこに行っていたかを聞こうとはしなかった。狂人と化していたとはいえ、クレイグはジニアの育ての親なのだ。その彼が死んだあと、彼女が何をしていたかなど、聞くだけ野暮というものだ。


「……私、まだ赤ん坊だった頃、教会の前に捨てられていたそうです」

 エリザが、ポツリと言葉を漏らす。

「十五年間、一人ぼっちでしたけど、司教様がいてくれたから私は平気でした。夢想だと分かっていても、あの人のことを家族だと思っていました。……でも、もうそんな幻想に頼ることもできないんですよね。私はもう、本当の意味で一人ぼっちなんですね」


 美しく輝く翡翠の瞳も、この時ばかりはどこか生気に欠けているように見えた。触れれば壊れてしまいそうな空気を醸し出す少女の肩に、ジニアはそっと手をかけて窘めるようにゆっくりと首を振る。


「違う。エリザは、一人じゃない」


 エリザに視線を合わせ、珍しく強い口調で言う。父のように力強くありながら、母のように柔らかな瞳は、エリザの心を暖かく包んでくれた。

 本当に不思議な少女だ。彼女は、弱い自分に、何度も勇気を与えてくれる。


「……ありがとう、ジニアちゃん」

 礼とともに微笑を浮かべる。顔色は変わらず悪いままだったが、瞳には光が戻りつつあった。


「エリザ様、手を貸してもらってもよろしいでしょうカ」

「あっ、はい」

 自動人形の一体が話しかけてきたので、エリザは立ち上がる。


 クレイグの手によって傷つけられた人間は多い。医療スペースは猫の手も借りたいほどの忙しさだ。自動人形たちの手助けがあるからといって、医術の心得のあるエリザが悠長に話していられるような余裕はあまりなかった。

 自動人形に連れられて持ち場に戻る前に、エリザは一度振り向いてジニアに笑いかける。


「あの、ジニアちゃん、私、思ったんですけど」

「?」

「曼珠さんって、人が斬れないわけじゃないと思うんですよ」

『なぬ?』


 珍しく空気を読んで沈黙を保っていた曼珠沙華が、いきなり自分の話題が振られて疑問の声を上げる。疑問符を浮かべたのは彼だけでなく、ジニアも首を傾げた。


「だって、血液だって、言ってみれば人間の体の一部分ですよ?だけど、ジニアちゃんは血液の刃を断ち斬ってみせたじゃないですか」

「……む」


 言われてみれば確かにそうだが、それを言い出すと、人間とはなにかという哲学的な話になってしまう。銀花はそのような曖昧な定義の神鋼刀を扱っていたのだろうか?


「……これは私の推測で、確証があるわけではないんですが、曼珠さんってジニアちゃんが斬りたいと思ったものだけが斬れる刀なのではないでしょうか?」

「斬りたい、もの?」

「ジニアちゃんが司教様を斬ろうとした時、私、必死になって止めたでしょう?それで、ジニアちゃんは心の中で躊躇してしまったんだと思います。……いえ、それ以前にジニアちゃんは優しいですからね。人間を斬ること自体に大きな抵抗があったんでしょう」

「そんなこと……」


 ない、とは言い切れなかった。

 彼女はこれまで、人を斬ったことなど一度もないのだ。


「それでいいんですよ。それが普通の女の子の反応です。でも、ジニアちゃんは人の頼み事を断れないくらい優しいから、きっと、いつか、誰かのために斬りたくないものまで斬ってしまって、大きく傷つくことがあることがあるかもしれません。曼珠さんをジニアちゃんに託した代理神様は、そんなふうにジニアちゃんに傷ついてもらいたくなかったから、曼珠さんをジニアちゃんに託したのではないでしょうか?」


 エリザの問いかけに答えず、ジニアはじっと愛刀・曼珠沙華を見つめる。

 まるでなにかを祈るように、そうであってほしいという意志を、その小さな両手に込めて曼珠沙華を抱きしめる。

 エリザはあくまで、自分の考えを述べただけに過ぎない。ジニアがそれをどのように受け止め、代理神・銀花に対してどのような思いを抱いたかは、ジニアと銀花の関係を知らないエリザには察することはできない。

 それゆえ、これ以上の助言はできそうにないが、自分の言葉でこの少女の背中を少しでも後押しできていてほしい、エリザは純粋にそう思った。


「それじゃあ、私はちょっと行ってきますね。ジニアちゃんはさっきの戦いで疲れてるんですから、ゆっくり休んでください」


 会釈をして去っていくエリザに、ジニアは軽く頷いて返しただけですぐに思考に没頭する。

 身体は確かに重い疲労に包まれていた。汗に濡れた衣服は不快ではあったが、そんなこと気にせずに眠ってしまいそうなほどの倦怠感があった。


「私が斬りたいと思ったものだけが斬れる」


 それでも、ジニアはまぶたを下ろすことなく、先刻告げられた言葉を反復する。

 まるで眠ってしまったらその言葉を忘れてしまうとでも言うように、疲労を感じさせない真剣な顔でじっと考え込む。


『案外、当たってるかもなあ。なにせ、マイエンジェルは、まさに天使のごとく優しい超・絶・美少女だからな!ああ、ジニアは汗に濡れていてもいい匂いがする!ジニアの汗なら、俺は一リットルでも飲んでみせるぜ!』

「曼珠、口、ない」


 ツッコミを入れつつ刀を傍らに置き、ジニアは自分の匂いを嗅ぎ始める。ジニアは自分の美については無頓着だったが、体臭を指摘されて気にしてしまうのは、女の子としての本能のようなものだった。

 考えを中断されたジニアは、不意に我が身にかかる疲労感を意識してしまい、とろんとまぶたが落ちてくる。

 彼女を強制的に休ませるためにわざと思考を逸らしのか、それとも本能のままに口にしたことがたまたま彼女に疲れを認識させる結果になったのか、それは曼珠沙華にしかわからないことだが、一度疲れを自覚してしまったジニアは、すぐさま夢の世界へと引きずり込まれていった。


『考えすぎは体に毒だぜ。今はゆっくり眠りな』


 曼珠沙華の囁きを子守唄に、ジニアは身体を傾け、こてんと横になる。

 弱い体だ、とジニアは思う。無機物である曼珠沙華のように、疲れを知らない体ならば、いつまでも走り続けることができるのに。

 自分は曼珠沙華の使い手としてふさわしくないのかもしれない。曼珠沙華がエリザの言った通りの刀なら、なにも斬れないのは自分の責任だ。その上、このような脆弱な体では迷惑ばかりかけてしまう。

 それでも――


「曼珠、お願い、離れないで」

『愚問だぜ、マイエンジェル。おまえがそう望む限り、彼岸の花は百日の草の隣に咲き続ける』


 子どもをあやすような優しい声が、ジニアを深い眠りに誘う。


 ――曼珠、大好き。


 当事者が聞けば歓喜したであろう言葉もまた、夢幻の微睡みの中に溶けて消えた。

 夢の中、ジニアは過去に思いを馳せる。自分が生まれたときのこと。銀花が死んだ時のこと。曼珠とともに、師匠のもとで刀の訓練をしたときのこと。

 そして、この街に来た時の――


「……斬れた」

『ん?』

「私には、斬れた」


 完全に眠りに落ちたと思った少女が、突然身を起こす。

 過度の疲労で痛む頭を抱え、ふらふらと覚束無い足取りで立ち上がったジニアは、曼珠沙華を手に取り、走り出す。


『お、おい、ジニア?疲れてるんだから、もう少し休んだほうが……』

「だめ、行かなきゃ」

『?行くって、どこにだよ?』

「吸血鬼のところ」


 混乱する相棒に短く答え、ジニアは人々の間を獣のように駆けた。

 

◆◆◆

 

(一番切羽詰ってるのは食糧だが、それでも半年は余裕で持つ。それまでに援軍も来るだろうから、まったく問題ないな)


 前線司令部で各所の報告を受けていたロベルトは、戦況の有利を悟る。

 はっきり言って、フランク神国軍の攻め手は稚拙だ。シルヴァンの用兵が下手というわけではなく、兵の質が悪すぎる。

 恐らく、代理神による王都襲撃により、元フランク帝国軍正規兵が壊滅状態になったのだろうとロベルトは予想する。新生フランク神国軍は寄せ集めの集団。僅か一ヶ月で軍隊としての形を整えたのは驚嘆に値するが、その兵でトラジストをまともに堕とすのは無理がある。


(だとすると、クレイグ――使徒に門を開けさせるつもりだったのか?)


 正確にはクレイグは使徒ではなく、その分体でしかないのだが、そのことを知らないロベルトはそのような予測を立てた。そして、それはあながち的外れというわけでもない。シルヴァンが立てた策は、使徒・フェオドールにロベルトを暗殺させる、もしくは門を開けさせることだった。


(それが策のすべてならば、失敗したシルヴァンは兵を引くはずだが、さて……)

 戦略図を眺めながらロベルトが思索に耽っている間も、幾人もの幕僚や兵士が前線司令部を出入りしていた。


「ロベルト少将。お手紙です」

 そのうちの一人が、一通の手紙を携えてやってきた。

 思考を中断されたロベルトは、手紙という前時代的な連絡方法による伝令に、片眉を上げていぶかしがる。


「……手紙?」

「ええ、ブラスキ少佐からだそうです。我々も少々おかしいと思い、念のため調査しましたが、毒物も爆発物も仕掛けられていません」

「……ご苦労。下がっていてくれ」


 兵の士気が低下するのを恐れたため、ブラスキが死亡したことは一般兵士たちには伏せられていた。そのことが公にされていれば、【少々】どころではなく、この手紙がおかしいということが伝令兵にもわかっただろう。

 念のため、用心深く手紙の中身を取り出してみたが、中身自体はごく普通の手紙だった。

 しかし、その紙面の文字に目を通すことで、ロベルトの顔がかつてないほど歪む。偶然それを目にしていた兵士はいなかったが、もしいれば、異常を察する前に、沈着冷静なロベルトの表情が大きく変化したことに驚いただろう。


「少し席を外す。指揮はおまえが執れ」

「は?ロベルト少将?」

 すぐそばにいた副将に声をかけ、ロベルトは足早に司令部を後にする。

 あとには、突然司令官に任命された幕僚が、ポカンとした顔で残されていた。

次回、ようやく伏線回収回。

……全部忘れずに回収できるといいな。

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