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大人の美学

 トラジスト市の下には、下水道とはまた別の地下道が縦横無尽に走っていた。

 この地下道は軍の連絡通路として使われる他、戦時においては市民が避難するための広大な地下防空壕となる。地下道のところどころにはあるていどの大きさの部屋があり、そこは軍が支給した非常食を詰めた倉庫や、医療器具を運びこんだ野戦病院になりつつあった。

 ジニアがエリザを見つけたのは、そんな野戦病院の一つ。彼女は僧服の上に看護師の腕章をつけ、施設内を忙しなく動き回っていた。

 声をかけようかためらっていると、エリザの方もジニアに気付き、傍にいた看護師に何事か告げてから近寄ってきた。ジニアはこの人ごみの中でよく自分が見つけられたと感心したが、彼女は自分が一キロ先でもそれとわかるほどの美貌を所有しているということに気づいていなかった。


「ジニアちゃん!よかった、途中で道に迷ったんじゃないかって心配してたんですよ」

「……うん。エリザ、話してて大丈夫?」


 途中で中央広場に迷い込んだことは言わない。迷ったことが恥ずかしかったのではなく、中央広場で死んでいたブラスキは、エリザにとっても顔見知りの仲であったことからの気づかいだ。


「大丈夫ですよ。前線で怪我した軍人さんは軍事病院の方に運ばれますから、今運ばれてきている怪我人は避難時のいざこざで怪我した市民の方ばかりなんです。擦り傷程度の人がほとんどで、たくさんの人手が必要なほどではありませんから」


 今後どうなるかはわかりませんけどね、と言いながら、エリザはジニアを医療スペースの端の方へと連れて行く。そこは医療師たちの休憩所兼私物置き場になっており、曼珠沙華も立てかけられていた。


「曼珠……」

『ジニア……』


 おずおずといった感じで、ジニアが愛刀へと手を伸ばす。それは少女自身の拒絶の意志か、逆に曼珠沙華に拒絶されることを恐れている故か。

 ジニアは明らかに曼珠の反応を気にしているようだったが、神鋼刀はなにも言わずに少女が自分を手にするのを待った。とうとう曼珠を握る段になると、ジニアは大事な人形を抱きしめる子どものように、曼珠を抱き込んだ。


「ごめん、ね?」

『ああ!なんだか久しぶりのマイエンジェルの肌の感触!!まるで溶鉱炉にぶち込まれたかのように、俺の熱きパトスが漲ってくるぅ!!ジニアの胸が俺の硬い部分を包み込むことによって、電子結合が化学反応を起こし、俺の刀身をさらに硬くするぅ!!』

「……曼珠さんは一度、本当に溶鉱炉にぶち込んて、鍛え直すべきだと考えるのは私だけなんでしょうか?」


 苦笑を浮かべながら、エリザは、泣き出しそうな顔で曼珠沙華を抱きしめるジニアを見る。

 言動こそ以前の二人に戻ったが、どこかまだ無理をしているような印象を受けた。ひょっとすると、曼珠の発言はジニアを心配させないため、無理やり元気に振舞っているのかもしれない。八割方本音で語っている感も否めないが。


「あの……思ったんですけど、相手を斬れなかった理由って、曼珠さんにはわからないんですか?」


 神鋼刀を抱きしめていた少女がぴくりと反応を示す。やはり気にしてはいるようだ。しかし、一人と一本の間に流れるぎこちなさをどうにかするには、この問題を見過ごすわけにはいかないだろう。


『俺になにが斬れるかは、俺自身もわからないよ。人間が、自分自身の内臓がどんな構造をしているのかわからないようにな。それを知っているとしたら、俺の使い手だった銀花くらいだろう』


 神鋼刀の気持ちなど、エリザには理解しようがないので、そういうものなのかと納得するしかない。ジニアもそのことは初耳だったのか、少し落ち込んだ様子になる。銀花の意志に反するという行為は、ジニアにとってそれほど重いことのようだ。


「あまり気を落とさないでください、ジニアちゃん。……実を言うと、私、あなたが司教様を斬れなかったことが嬉しいんです」


 顔をうつむかせる少女の頭を優しげに撫でながら、エリザはジニアに話しかける。なんのことを言っているのか理解できなかったジニアは、エリザと視線を交わしながら首を傾げた。


「私はまだ幼い頃に教会の前に捨てられました。赤ん坊だったので、両親のことはまったく覚えていません。……そんな私を実の娘のように育ててくださったのがクレイグ司教なんです」


 クレイグに刀を振り下ろそうとした時、エリザが必死になって止めに来たことを思い出す。

 あの時、ジニアは彼女の言葉を聞かず、あまつさえ突き飛ばして怪我までさせてしまった。それを思うと、後ろめたさから自分の胸が痛むのをジニアは感じた。


「あの人にとっては、それは『聖職者』という役割を演じていただけなのかもしれない。それでも、あの人は私の父代わりでした。……もし、あなたが司教様を殺していたら、私、きっとあなたを恨んでいました。それが理不尽な行いだとわかっていても」


 エリザは暖かい笑みをジニアに向ける。エリザはジニアほど万人向けの美貌を有しているわけではないが、慈愛に満ちた翠の輝きを瞳に宿した微笑みは、ジニアとは別種の人を惹きつける魅力があった。


「だから、ジニアちゃん。……あの人を見逃してくれてありがとう」

「っ!?ち、違う。私は……」


 自分はクレイグを見逃したのではない。殺す気で斬りかかって、斬れなかったというだけだ。それに、エリザは知らないが、逃げ出したクレイグは人を殺して回っているのだ。

 しかし、口下手なジニアが語るまでもなく、エリザはすべてを理解しているといったふうに首を振った。


「わかっています。ジニアちゃんが司教様を見逃すつもりがなかったことも、司教様が罰せられるべき犯罪者であることも。……でも、私、今でもこうしてジニアちゃんとお話しできています。今でもジニアちゃんのお友だちでいることができています。ジニアちゃんはあの時のことに落ち込んでるかもしれないけど、私は悪いことじゃなかったって……そんなふうに思うんです。だから、司教様を斬らないでくれたジニアちゃんとそんな選択肢を作ってくれた銀花様に、ありがとうって言いたいんです」


 心底嬉しそうな顔をするエリザに、ジニアは先刻とは別の意味で胸が痛くなる。

 ジニアは自分のことばかり考えていて、ただ落ち込んでいただけだというのに、エリザはいつでもジニアのことを心配してくれていた。ジニアがエリザの命の恩人だったという縁もあるだろうが、実の父と慕っていたクレイグを斬ろうとした自分に対して、変わらず友人と扱ってくれている。そのことがたまらなく嬉しく、自分自身が恥ずかしかった。

 そこでジニアは、自分がエリザに言わなければいけないことがあったことを思い出した。本来ならすぐに言うべき重要なことだったのに、自分のことで手いっぱいで、言わなければいけないということをすっかり忘れていた。


「……エリザ、突き飛ばしてごめん」

「はい?……ああ、私が司教様をかばおうとした時のことですか。ふふ、気にしないでください。それより、私とジニアちゃんが友だちだってことは否定しないんですね?」


 茶目っ気たっぷりのエリザの問いに、ジニアはなにを言っているのかわからないといった感じで首をひねる。そんな動作に、エリザはますます嬉しそうな笑みを浮かべた。

 二人の間に穏やかな空気が流れる中、ジニアの顔が急に引き締まり、地下通路の奥へと視線を投げる。その手は無意識のうちに曼珠沙華の柄にかかっていた。

 突然の少女の豹変に驚き、エリザがどうしたのか問いかけようとする前に、通路の奥から悲鳴が上がる。声の方向と大きさからすると、地上から地下道へと繋がる入り口付近でなにかが起こったようだ。


「な、なに!?」


 驚きで身を竦ませた少女の視線の先、何人もの市民がこちらに逃げてくるのが見えた。彼らのうちの何人かは血に濡れており、その表情は等しく恐怖に彩られていた。


「み、みんな、逃げろ!!クレイグ司教様が……い、いや、化け物が暴れている!」



     ◆◆◆



 クレイグの名を聞き、エリザの顔が青ざめる。

 まったくの不意打ちだった。むしろ、予想しろということのほうが難しい。一体誰が、憲兵隊に追われている身であるはずのクレイグが、戦時避難所に堂々と現れて市民を無差別に傷つけるなどということを予想できるというのか。

 完全に硬直してしまったエリザの前を、ふらりとジニアが歩いていく。

 そこでようやく我に返ったジニアは、慌てて美貌の少女を引き留めた。


「ジ、ジニアちゃん!?どこに行くつもりですか!?ここは軍の人たちに任せて、私たちも早く逃げましょう!」

「全員は、無理」


 医療スペースをぐるりと見渡したジニアは、小さな、しかし、はっきりした口調で告げた。恐慌に陥りかけていたエリザも、ジニアの視線を追いかけて彼女の言わんとすることを理解した。

 医療スペースにいる患者は、すぐに動けるような軽症の者ばかりではない。病院からここへと搬送された患者の中には、自分の意志では身動きできない者も少なからずいる。

 聖職者として、医療関係者として、なにより人間として、彼らを見捨てて逃げるということはエリザにはできなかった。

 少なくとも、軍の人間がここに駆けつけてくるまでの間、時間稼ぎをする必要がある。

 エリザが導き出した結論に、ジニアはいち早く辿り着いていたのだろう。曼珠沙華の鞘を握る手は、白く染まるほどに強く握りしめられていた。

 だが、それはジニアの決意によるものではなく、恐怖によるものだということをエリザはすぐに看破した。なんでもないように見えるよう無表情に努めるジニアであったが、注意して見ればその顔色が悪いことは明らかだった。

 無理もない。ジニアの神鋼刀・曼珠沙華では、クレイグ司教を斬ることはできないのだ。【銀】に到達している神鋼刀とはいえ、斬れないのならばただの鉄棒と大差ない。彼女がクレイグ司教に勝てる可能性はゼロに近いのだ。

 加えて、彼女の精神状態にも区切りがついていない。銀花の思いに反する行動をとるということが、ここに来てジニアの大きな枷となっていた。

 恐らく、このままではジニアは刀を十二分に振るうということはできないだろう。そして、例えクレイグ司教の足止めに成功したとしても、彼女の精神にさらなる悪影響を及ぼすことは想像に難くない。

 ゆえに、エリザは決断した。


「ジニアちゃん。あなたは怪我人の搬送を手伝ってあげてください。クレイグ司教のところには私が行って、なんとかして止めてみせます」


 ジニアの手を取って彼女を引き留めると、エリザは決心した表情で告げる。その発言に、ジニアは驚き、目を見開く。


「で、でも、私が戦えば……」


 強く反論しないところから考えて、エリザはジニア自身、心の中で大いに迷っているということを確信する。

 確かに、合理的に考えれば、ジニアが戦うほうが確実だし、多くの時間を稼げることは間違いない。だからこそ、ジニアも自ら戦うことを志願したのだ。


「ジニアちゃん、この街の人間を甘く見ないでください」


 なればこそ、彼女に行かせてはならない、エリザは強くそう思った。


「私たちはそんなに頼りなく見えますか?一人の女の子にすべてを背負わせて、守られていなければいけないような弱い人間に見えますか?あなたが手を差し伸べてくれるなら、私たちはそれを嬉しく思うかもしれません。でも、例えあなたの助けがなくとも、私たちはこの苦難を乗り越えてみせます」


 できることとやりたいことは別だ。合理的に考える人間は、できる人間にすべてを押しつけたがる。そうすると、できる人間も、自分にしかできないと勘違いしてやりたくもないことを背負い込むようになる。

 そうして潰れてしまう人間がなんと多いことか。エリザは、ジニアにそんな人間の一人になってほしくなかった。


「ここは国境都市トラジスト。いつでも他国に侵略される可能性があることを知りながら、それでも留まろうとする物好きが集まる街です。自分の身は自分で守れない方が悪いんです。あなたに守られなければ死んでしまうような人間がいるとしたら……そんな人間は生きながら死んでいるのと変わりありません」


 ジニアの瞳をまっすぐ見つめ返し、真剣な表情でエリザは言う。

 ジニアが望んで戦いに出るというのなら、エリザも止めはしない。辛くはあるが、笑顔で送り出そうと思う。

 だが、今のジニアは望んでもいない戦いに出ようとしている。それが自分にしかできないことだと信じて。実際、彼女の剣技ならば、彼女にしかできないことというのもあるだろう。だが、そのために彼女の心が傷つき、声の聞こえない悲鳴を上げることが、エリザには我慢ならなかった。

 いくら強いとはいえ、彼女はまだ子どもなのだから。


「……それじゃあ、私は行ってきます。この場はお願いしますね」


 なんでもないというふうに、エリザはにっこりと微笑む。

 心配そうに見上げてくるジニアの目には、明らかな不安の色が浮かんでいる。少しでもそれを和らげてあげるために、エリザはジニアの髪を緩く撫でると、すぐに背を向けて地下通路の奥へと足を向けた。

 遠ざかるエリザを引き留めたくてジニアは手を伸ばしたが、その指が彼女の背に触れることはなかった。



     ◆◆◆



「……怖いな」


 ぼそりと本音を呟く。

 今すぐ引き返してジニアに泣きつきたい気持ちになる。あの少女は優しい心根の持ち主なので、エリザが頼めば間違いなく戦ってくれるだろう。

 その結果、彼女の心と体に傷が残ることになっても。


「できるわけないですよね」


 自問自答してあっさり納得する。

 恐怖はあるが後悔はない。なぜなら、自分は十六歳で、もう立派な大人の淑女なのだから。


「子どもの前でかっこつけられなかったら、大人じゃないでしょう」


 困難であるかどうかは関係ない。二つの道のどちらを選ぶかと問われた時。大人はいつだって、子どもに自分の背を見せられる道を選ぶのだ。

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