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静かな始まり

 暗闇の中、微かな物音が響く。

 虫の羽音のように小さな音だったが、横になっていた影は雷に打たれたように素早く身を起こした。


「なにを考えている!あなたがここに来たことが軍に露見すれば、一巻の終わりなのだぞ!?」

「ナディアたちが国境に入った。我々も早く計画を遂行する必要がある」


 声を潜めながら怒鳴るという器用なことをやってのけた影の息が止まる。彼の心境を考えれば、息どころか心臓が止まるかというほどだった。


「む、無茶ではないか?この作戦の実働はあなただろう?成功の目処は立ったのか?」

「成功率は問題ではない。アスミ様が明日という日を望まれたのなら、我々はそれを叶えなければならない。明日中に、作戦を完遂するぞ」


 アスミ、という名前を聞いて、影は小さな呻き声を上げる。それは月と狩猟の代理神の名前だ。無茶だろうが、なんだろうが、成功させなければ命はない。


「……しかし、失敗の可能性が高いからこそ、作戦の実行を遅らせてきたのだろう?実行には反対しないが、失敗するわけにもいかないだろう」

「ジニアという女を使おうと思っている。剣技はまだ未熟な部分が見られるが、素体としての能力はかなりのものだ」

「ジニア……あなたの腕(・・・・・)を斬ったというあの少女か。本当に腕が立つのか?会ったことがあるが、外見からはとてもそうは見えないが」

「それに関しては私が保証する。あの女を計画に利用するぞ」

「というと?」

「あの女の身体を乗っ取る」


 そう言うと、影の話し相手は懐から、何かの液体が入った小瓶を取り出すと、それを影へと渡す。しかし、受け取った方は、怪訝な顔をするだけだ。


「なぜ、私に?彼女は今屋敷にいるのだろう?なら、あなたがやればいいだろう。あなたは屋敷を自由に(・・・)出入りできるのだから」

「だからこそ、だ。乗っ取るのに失敗した際は、私が力尽くで計画を実行する必要がある。そのため、私の正体が露見する事態は出来るだけ避けたい。おまえが想像する以上に、あの女は手強いぞ?……ああ、それと、もう一人の女は殺して構わない。私の顔を思い出す可能性もあるしな」

「……簡単に言ってくれる。私は裏方専門なんだぞ。あなたが血を集めたりしなければ、軍に警戒されることもなく、もっと簡単にいったものを」

「私のような使徒を貴様のような下等種族と同じと考えるな。これは偉大なる月と狩猟の代理神様の眷属となる上での、いわば代償のようなものだ。……まあ、無知蒙昧な貴様に言っても理解できないことかもしれないがな」

「…………」


 影は舌打ちしたい気持ちをこらえた。

 相手の傲慢な物言いは今に始まったことではない。自分が使徒であることに並々ならぬプライドを抱いており、人間を見下している。下手に機嫌を損なえば、代理神以前にこの使徒に命を奪われる可能性があった。

 だが、それがわかっていても、影の不満は収まらない。結局のところ、この使徒が言っていることは、危険な任務の押し付けだ。自分が失敗すれば、軍に付け狙われることになる。そうなれば、一巻の終わりだ。

 影の不満を、使徒は見抜いていたが、それでも態度は改めなかった。彼にとって、人間の感情など、虫の感情と同義だったからだ。


「フランク帝国の工作員だったおまえを、そのままフランク神国の工作員として使ってやっているのだ。月と狩猟の代理神様のご温情に感謝しつつ、黙って言われたことを実行しろ」

「……了解」


 言いたいことだけ言い終えると、使徒は来た時と同じように静かに去っていった。

 このような直接的な接触は極力避けるべきであり、そのことの危険性は何度も言い含めているのだが、圧倒的強さゆえ危機感の薄い使徒はその忠告をあっさり無視した。いざとなれば、力尽くでなんとかなると考えているのだ。


(こんなことばかりでは、どのみち捕捉されるのは時間の問題、か)


 むしろ、一ヶ月もよく持ったと言っていいだろう。それだけ彼が工作員として優秀であることの証明であったが、《客》の振る舞いを考えれば、涙ぐましい努力と言えた。

 彼は元々フランク帝国諜報部トラジスト班の《客室係》――新たに来る潜入工作員に身分・住居・逃走経路などを提供する滞在工作員だ。ひと月前に帝国が滅び、一時命令系統が崩壊したのだが、その直後に連絡員の代わりに現れて諜報部としての続行を言い渡したのが、フランク帝国を滅ぼした月と狩猟の代理神の使徒……すなわち、先ほどの話相手だった。


「くそ、トラジスト勤務を言い渡された時から嫌な予感はしていたんだ。だが、だからといって祖国が滅ぶのはあんまりだろ」


 十八年間、《客室係》として培ってきた知識と経験を活かして、必要な情報を頭の中で整理していく。

 ジニアに接触するための名目、万が一失敗した際の脱出経路、考えることは山積みだった。



 ◆◆◆


 

「ブラスキ少佐、関係者各位の調査が終了いたしました」

「うむ、ご苦労」


 すでに日が変わって久しい。そろそろ太陽が登ってくる頃合だったが、ブラスキやその部下の兵士たちは徹夜で吸血鬼事件の調査に没頭していた。

 殺人事件の調査は初動調査の二十四時間にかかっていると言われる。それ以上の時間をかけて手に入れた情報は確実性に欠き、また犯人が逃走する時間を与えることになるからだ。

 しかし、事件発生から二十四時間以上が経過した現在、いまだに有用な情報は得られていなかった。タフで知られるトラジスト国境軍の兵士たちにも、疲れが見え始めている。


「元々外出禁止令で人通りが少なく、しかも霧が深かったので目撃情報は皆無でした。残念ですが、そこからの犯人特定は不可能かと」

「現場の血痕からのDNA調査は?」

「それが……不思議なことなのですが、あの血痕は複数人の血が混ざったもので、DNA調査による特定は不可能だそうです」

「なに?」


 話を聞いてみると、それは犯人とエリザの血液が混ざり合ったという単純なものではなく、相当数――少なくとも五人以上の血液が混ざったものだと判明したようだ。このような場合、DNAによる照合は不可能になる。

 そもそもそのような状況になること自体が想定外だ。担当官もこの奇妙な血液に首を傾げていたらしい。


「手詰まり、か」


 手元にまとめられた資料に目を通しながら、ブラスキはそう結論付ける。他にもいくつかの情報があったが、犯人特定には至らない。


「そうですね。普通なら有益な証拠も、奇妙な結果ばかりで扱いに頭を捻るばかりです。……ああ、そういえば、秘密裏にシスター・エリザとミス・ジニアを尾行させていた捜査員からの情報ですが、彼女たちはロベルト少将の屋敷から出ていないそうです」

「うむ、少将からも連絡は受けている。彼女たちはしばらくの間、少将の屋敷に滞在するようだ」


 重要参考人の警護は必要なことだ。犯人が再び接触してくる可能性がある。ブラスキもその線を考えて、密かに護衛をつけていたのだ。

 それゆえ、ロベルトの行動も常識的に考えれば、不自然なことではないのだが、彼のことをある程度知っているブラスキからすれば首を傾げざるを得ない。

 そもそも、吸血鬼事件の担当は憲兵部門の仕事で、国境軍総司令官であるロベルトが積極的に関わるような事例ではない。保護を指示するにしても、憲兵宿舎を利用すればいい話で、ブルダリッチ伯邸を使用する理由がない。

 憲兵宿舎よりもブルダリッチ伯邸の方が堅固だし、護衛に裂くための人員を削減できるのでありがたい話ではあるが、なんとも奇妙だ。


「どうします?彼女たちの警護は、もう必要ないと思いますが、撤退させますか?」


 しかし、まだ年若い兵士はそんな疑問は抱かない。

 せいぜい、上司の気まぐれな親切か、好色な貴族の囲い込み程度にしか思っていないのだろう。ごく自然に、手の空いた人員を捜査に回すように進言する。

 ブラスキは考え込む。今は猫の手も借りたい状況だ。常識的に考えれば、絶対安全な場所にいる少女たちに護衛の兵士を回す余裕はない。

 だが――


「いや、人員の交代はするが、重要参考人たちの護衛は続けてくれ。何かがあったと思ったのなら、貴族の屋敷だろうと構わず突入するように言っておいてくれ」

「え?で、ですが……」

「これは決定事項だ。問題があった場合、責任は私が取る」


 部下は首を傾げながらも、上司の命令には逆らわず、連絡のために退室する。

 部下が疑問を抱くのも無理はない。ブラスキ自身、今の命令には理性が反対している。しかし、それでも命令を下したのは、憲兵隊長としての本能がそうするように告げたからだ。


「ブラスキ隊長、緊急連絡です!」


 そろそろ現在の捜査員を休め、交代要員と入れ替えようと考えていたところ、一人の兵士が慌てた様子でブラスキの元へとやってきた。


「なんだ?吸血鬼事件に関して、なにか新しい情報か?」

「いえ、違います!ロベルト少将からのご命令で、トラジスト市は現時点を持って第二種警戒態勢に移行、憲兵部隊はそれに合わせて業務を変更しろとのことです」

「なに?」


 第二種警戒態勢とは、敵国進撃の可能性がある場合に発動する非常態勢だ。憲兵部隊は通常業務を廃止し、市民を避難所に誘導、混乱によるトラブルに対処するのが役目になる。吸血鬼事件の捜査は一時凍結しなければならない。


「……重要参考人たちに警護をつけ、避難所まで確実に送り届けろ。彼女たちも市民だ。任務に反することにはならん。非常事態ではあるが、徹夜組にはしっかり休息を取るように言え。各々、訓練通りにやるのだ」

「り、了解」


 慌ててブラスキの命令を伝えに行く兵士を見送り、ブラスキは一人窓辺に立つ。

 薄く映る自分の顔に、深い苦悩の皺が寄っているのが見えた。


「なぜ、特殊警戒態勢(代理神進撃の可能性)でも第一種警戒態勢(敵国進撃確実)でもなく、第二種警戒態勢(敵国進撃の可能性)なのだ。国境では、一体何が起こっている。代理神が来たのか、そうではないのか。……管轄外なので仕方ないが、もう少し情報を回してもらえればな」


 ブラスキは誰もいない室内で、大きなため息を吐いた。

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