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血を啜る者

 瞳に映るのは長方形のグラウンドとその上にそびえる星空。土と汗と血の匂いを漂わせるその場所には、打ち込み用の藁人形、射撃用の的、壁際には大小さまざまな木刀・木槍が立てかけられていた。

 それは間違いなく――


「……修練場?」

「個人的な所有物だ」


 大きな屋敷だというのは入った時から分かっていたが、まさか裏手にこのような場所があるとは思わなかった。

 ここまで案内したロベルトは、壁の模擬刀を手に取ることなく修練場の中央まで歩を進める。


「抜きたまえ」


 低い声で語りかける男の手はすでに剣の柄にかかり、気の弱い者なら失禁してしまいかねないほどの剣気を放っている。


「りょ、領主様!?真剣でなんて無茶です!」


 震えながらも毅然とロベルトに向き合うエリザだが、彼は答えることなく、柳の下の幽鬼のごとく、感情の感じられぬ顔でゆっくりと自身の剣を抜き放った。


『神鋼剣士に模擬戦なし。強き者との剣闘は、神鋼剣の成長の糧とすべし、か。気をつけろよ、ジニア。師匠並みだぜ』

「ん」


 エリザとは違い、剣に生きるジニアは特に疑問を抱くこともなく曼珠沙華の刀身を空気に晒す。月光を反射した刃が、怪しげな光を放つ。彼女はこれまでになく緊張した表情だった。

 相手は酒場で戦ったチンピラとは格が違う。ロベルトの持つ剣は、正真正銘、『銀』の領域まで至った神鋼の成剣だった。

 数え切れないほどの剣闘をこなして、ようやく昇華する神鋼の最高峰。闇すら引き裂きかねないその輝きは、見る者に恐怖以上に感嘆の念を抱かせる。神鋼の剣を自身の手で『銀』まで育て上げることは一流の剣士の証であり、すべての剣士の憧れでもある。


「エリザ、私は大丈夫」


 なおも心配するエリザに、優しげな笑みを浮かべて安心させる。

 だが、それはかえってエリザを不安にさせた。ジニアは一般的な神鋼剣士とはあまりに違いすぎる。それは剣技の問題ではなく、心の問題だ。

 神鋼剣士は、より強い剣士と戦うことを楽しむ傾向にある。それは剣士の性であると同時に、強者と剣を交えることは、自らの神鋼剣を成長させることに繋がるからだ。

 しかし、ジニアにそのような喜びの感情は見えない。

 剣を振るっているうちに剣の才能に目覚めたというより、初めから剣の才能があったから、それに合わせて剣を振るっている感じ。

 まだ短い付き合いだが、エリザはジニアのことを、何かの間違いで天才的な剣の才能に開花してしまった普通の女の子と見ていた。いかに優れた剣技を持っていようとも、彼女自身は決して望んで剣を振るっているわけではないと。


『いいね、いいね!今のおまえは最っ高に美しいぜ、マイエンジェル!ノってるかい?ノってるね!途中下車はなしだ!ガソリン尽きるまでぶっ飛ばそうぜ、ヒヒ、ハッハハー!!』


 ジニアの無感情をよそに、曼珠沙華はかつてないほどの興奮状態だ。神鋼剣の感情など人間に理解できるはずもないが、まるで酩酊する狂乱者。ロベルトの放つ剣気を受けてテンションが上がったのかもしれない。

 剣とその担い手の間にある感情の摩擦に、エリザは言いようのない不安を覚えた。曼珠は気づいているのだろうか?己が愛すると言ってやまない少女が、自らを振るうことになんら喜びを感じていないということに。


 試合開始の合図はない。何の予兆もなしにジニアは突っ込む。

 仕掛け(フェイント)も何もない正直な剣閃。しかし、その剣速は常識外なまでに高速。並の剣士なら反応すらできない速度で、ジニアの剣閃がロベルトに迫る。


「っ――!?」

 思わず、エリザが悲鳴を上げそうになる。ジニアの初撃はまさに手加減抜きで、ロベルトが為す術もなく斬られると思ったからだ。言い出したのはロベルトとはいえ、貴族を斬って何事も無くすむわけがない。

 しかし、エリザの予想はあっさり裏切られる。人間に反応できるとは思えない一撃を、ロベルトが己の細剣を器用に操って受け流したからだ。

 二人の技量に驚いている間もなく、剣の応酬は続く。

 二撃。三撃。四撃。五撃。上から打ち下ろすこともあれば、身をかがませて地面すれすれから刀を放つこともあった。だが、ロベルトはそれらすべてをいささかも動揺を見せずに、あるものは剣で受け流し、あるものは軽やかな足捌きで躱していく。

 獣の如き素早さを見せるジニアに対し、ロベルトの動きは決して素早いものではない。相手の剣撃を先読みし、必要最低限の動きでいなしているのだ。

 まるで吹き荒ぶ嵐とそれを受けて踊る木の葉。そんな激しい舞踏が行われているというのに、両者とも、剣先が服を掠めてもいないということに、傍から見ていたエリザは息を呑む。


 と、不意に剣舞が止まる。


「……本気じゃ、ない?」

「そう思うか?」

『ふざけてんじゃねえよ!てめえ、さっきから受けてばっかでちっとも攻めてこねえじゃねえか!』


 確かに、ロベルトは受けてばかりで、まだ自分からは一度も攻撃していない。

 エリザには、ロベルトが防御に手一杯で攻撃に移る余裕が無いように見えたのだが、ジニアも曼珠もそのようには判断しなかったようだ。そのことに関して、ジニアはともかく、曼珠は不満げだ。

 その上――


『……おい、そりゃ何の真似だ?』

「おまえも飲むか?」


 ロベルトはおもむろに懐からスキットルを取り出して一口煽ったかと思うと、あまつさえそれを対戦相手に勧めてくる。

 明らかな挑発に、刀身が震え出すのではないかと思えるほど曼珠沙華から怒りのオーラが溢れ出る。しかし、使い手であるジニアはそれには乗らず、ふるふると首を振って申し出を断る。


「もう、止める?」


 もともと、この戦いはジニアの腕前を見るためのものだ。先刻までの応酬で、実力の程は十分示せたはずだ。闘争心の薄いジニアは、戦闘の熱などまるでなかったかのように戦闘終了の提案をする。


「いや、もう少し続けよう」

「…………?」


 頷いて剣闘を続けようとしたジニアだが、前進しかけた足が突如止まる。戦闘続行を言い渡したロベルトの次の行動が、あまりにも不可解だったからだ。

 ジニアが不可解だと思ったロベルトの行動――手に持っているスキットルの中身を、自身の刀身にかけはじめたのだ。


『なにを――』


 気でも違ったのかと思い、聞き咎めようとした曼珠の声が、別の声によってかき消される。



――――剣が、哭いていた。



 赤い液体を浴びた刀身から、怨嗟の声に似たおぞましい悲鳴が上がる。美しい『銀』の輝きは赤黒い鉄錆のようなものに覆われていった。

 流麗な剣が妖異なものへと変わっていく中、スキットルから滴る液体が、アルコールとはまったく鉄の香りを放っていることに気付いた。


 血の匂いだ。


『剣が、血を飲んでいるのか?』


 吸血鬼。不意に、ロベルトを除く全ての人間の頭にその単語が頭に浮かんだ。


「トラジストの歴史は知っているか?かつてこの都市の丘では、一万を超す敵兵を幼鉄の杭で突き刺し、生きたままの状態で何日間も晒した」


 ジニアたちはその話を知らなかったが、昼に見た串刺し処刑の様子が脳内に蘇った。それと同時に、二十年前のトラジスト防衛戦で、どのようにして勝利したかが語られていないことも。

 あの処刑場で行われていたことが、二十年前の戦争でも行われていたのだとしたら、現代でそのことが語られないことも納得がいく。あのような残虐な所業、誇れるはずもない。むしろ、公に公開すれば、外交的に不利になる可能性もある。


「この剣はそのときに使用した幼鉄の杭を打ち直して作られたものだ。生まれ変わってもなお血の味を忘れなくてな。血を飲ませなければ目を覚ましてくれんのだ」

『……えげつない剣育てたな』


 言い終わるや否や、神速の突きが来た。しかし、所詮は点の攻撃。ジニアは僅かに体を傾けて回避と同時に曼珠を振るう。

 ――そのとき、ロベルトの剣がぶれた。


「っ!!」


 剣闘が始まって初めてジニアが防御に回り、鋭い金属音が響き渡る。刃同士の摩擦で火花が散った。突如軌道が変わった剣閃を、受け止めることができたのは奇跡に近かった。

 だが、そんな奇跡を喜んでいる暇はない。自分の身に次々と迫る刃を少女は必死に捌いていく。

攻守は完全に逆転していた。ロベルトの剣の軌道がまったく見えなかった。本来辿るべき軌跡を、突如として変化させて襲ってくる。その動きは剣というより鞭に近い。右に曲がり、左に曲がり、しなり、跳ね返り、時に伸びる。


「この剣は自ら血を求める」


 互いに剣を打ち合わせる荒々しい暴風の中、冷たい炎を瞳に灯したロベルトが、凪のように静やかに語りかける。


「その貪欲さは剣の常識を覆しておまえを追いかける。さあ、どうした?さっきから受けてばかりでちっとも攻めてきていないぞ?」

「……っ!」


 曼珠に言われた言葉をそのまま返されたが、ジニアになにかを言い返す余裕はなかった。曼珠も少女の集中を乱さないよう、叫びたい気持ちを押し殺す。

 状況は、決してジニアが完全に不利というわけではない。

 ロベルトの剣は不規則で対応が難しいが、それでも速さはジニアの方が上だ。凌ぎ続けていれば打開策を見出だせる可能性は十分にある。


 そう、凌ぎ続けることができていれば、その可能性もあったかもしれない。


「うっ!?」


 剣にばかり目がいっていたジニアは、ロベルトのその他の所作に気づくことができなかった。

 ロベルトは一瞬頬を膨らませると、口から何かを吐き出す。それは、先刻、ロベルトがスキットルから口に含んだ血液だった。それは赤い霧と化すと、ジニアの目に入り込んで、ほんの少しの間だけ少女の視界を奪う。

 勝負は、その間に決まった。

 相手の手から刀を弾き飛ばしたロベルトが、ジニアの鳩尾を蹴り上げると、少女の軽い体は一瞬浮いた。体をくの字に折って地面に崩れ落ちたジニアは、腹部を押さえて何度も咳き込む。


「素体の能力は悪くない。筋力も敏捷性も、動物並みに優れている」


 うずくまる少女に対し、特に感情を動かす様子もなく、ロベルトは淡々と言葉を告げる。


「だが、実戦をほとんど経験していないようだな。予想外の攻撃に対してはひどく脆い。そんなことでは、遠からず死ぬことになるだろう。おまえの復讐の刃は、相手には届かない」


 はっとして、ジニアは脂汗をかきながらもロベルトを見上げる。どこか見下すような、感情の篭らない瞳と目が合った。

 ジニアの心のなかに浮かぶのはただただ疑問。

 自分は今まで、自分の旅の目的が復讐だと言ったことは一度もない。口の軽い曼珠でさえ、そのような言動は一度も取らなかった。なのに、なぜ、この男にはわかったのか。


「どうし、て」

「ブラスキ少佐から、おまえの供述の内容は聞いている。代理神がいると知ってもフランク帝国領に行こうとしたこと。亡国であるヤゲロー自治区の金貨を持っていたこと。そして、剣闘が楽しいわけでもないのに、それだけの剣技を身に着けていることからほぼ確信した」


 根拠に乏しい推測ではあるが、ジニアの反応が、ロベルトの考えが間違いではないと言っているようなものだった。

 外見に似合わぬ、血塗られた目的に、そばで聞いていたエリザは、傷ついた少女に駆け寄ることもできずにロベルトの言葉に耳を傾けていた。普段なら真っ先にジニアを気遣うはずの曼珠沙華も、思うことがあるのかなにも言わない。


「国を亡くし、そのときに失った誰かの復讐のために、仇のいるフランク帝国に行くつもりだったのだろう?その剣技は、自然に身についたものではない。復讐を思いついたあと、短期間の修行で手に入れたものだ。剣技が優れていても、実戦経験に乏しいのはそのためだ。そして、おそらくおまえの復讐相手とは――」

 ジニアは、親の仇でも見るかのような鋭い眼でロベルトを見つめながら、彼の話に口を挟まずにじっと耳を傾ける。

 その顔に浮かぶのは激しい憎しみ。心臓が握り潰されるような悲しみ。その他のさまざまに渦巻く感情。それは、この少女が、この街にきてから初めて見せる激情だ。

 少女の視線の先、ロベルトはいない。彼女の感情が向けられる先は、彼ではなく、別のなにかだった。




「代理神。貴様は神に対して勝負を挑むつもりなのではないか?」


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