奇妙な晩餐
国境非武装地帯で死闘が繰り広げられる数時間前、トラジスト市内でも一際豪奢な屋敷の門前に止まった軍用ジープの中から、二人の少女が降りてきた。
「うう、胃が痛い」
少女の片割れ、修道服を着た翠眼ブルネットの方が泣きそうな声を出す。
言うまでもなく、エリザだ。
もう片方、ジニアの方は何を思っているのか、ボーッとした顔でブルダリッチ伯の屋敷を見上げている。内面は分からないが、こちらはそれほど緊張していないように見える。
屋敷は、いくつもの棟に分かれる巨大な建造物だった。手入れの行き届いた庭園が屋敷の前に広がり、季節の花を咲かせている。それらは派手な外観ではないが優美さを損なわない絶妙な匙加減で成り立っており、維持のために、一般家屋とは比べるべくもない手間がかけられていることがわかる。
いかにも貴族然とした屋敷だったが、ジニアにはここが牢屋のように感じられた。
そのように思った理由は、屋敷を囲む分厚く高い塀だ。神鋼で強化された塀の上には、鉄条網が張り巡らされ、塀の内側には機械式番犬がうろついているのが見える。まるで、何かが入ってくることを、あるいは何かが出ていくことを異常なまでに恐れているようだ。
「悪いが、俺が案内できるのはここまでだ」
送迎のため、ここまでジープを運転してきたブラスキが、二人に別れを告げる。
それを、エリザは心細げな目で見る。そこまで親しい仲ではないが、今は顔見知り程度の仲の相手でも、いなくなってしまうのは嫌だった。
「……そんな目で見ないでくれ、シスター・エリザ。閣下は、人間が屋敷に上がることを毛嫌いなさっている。古参の部下でさえ、屋敷はおろか、門をくぐることさえ許されていない」
『は?じゃあ、どうやって管理してるんだよ。こんなバカでかい屋敷、一人じゃ、掃除するだけで一日過ぎちまうぞ』
「それは屋敷に行けばわかる。ともあれ、俺の役目はここまでだ。くれぐれも粗相のないようにしろ。怪しい行動をとると、スパイ容疑で処刑されるぞ」
最後の最後に恐ろしいことをさらっと言って、ブラスキがジープの方へと戻る。それと同時に、門がひとりでにゆっくりと閉まり始める。どうやら、電動式のようだ。
音を立てて閉められた扉もまた、塀と同じくとても頑丈そうだった。
一瞬、自分はもう二度とこの屋敷から出れないのではないかという錯覚を、エリザは抱いた。
「っ!?待って、ジニアちゃん!」
未練がましく門を睨みつけていたエリザを放って、ジニアはマイペースに屋敷の方へと歩を進めていた。それに気づいたエリザが、慌てて後を追う。
「だ、だ、だ、大丈夫だからね、ジニアちゃん。な、なにがあっても私が守るから。こ、こ、怖いだろうから、手を繋いであげるね!」
「ん」
『本気で動揺してる奴が隣にいると、かえって冷静になるよな~。とりあえず、溶鉱炉にぶち込まれる刀身の気持ちになって、心を沈めてみな~』
「すみません、溶鉱炉に投げ込まれたことも、刀身になったこともないので感覚がよくわかりません。というか、それって落ち着くんですか?」
ジニアと手をつなぎ、姉妹のように並んで庭園を横切る。彼女たちの向かう先――屋敷の扉の前には、機械のように整った顔の一人のメイドが佇んでいた。
「お待ちしておりましタ、エリザ様、ジニア様。こちらへどうゾ」
メイドは、一礼してから扉を開け、ジニアたちを屋敷内へと招き入れる。
発言のイントネーションや一連の所作にぎこちなさを感じ、ジニアとエリザは不思議に思う。だが逆に、曼珠沙華は納得したような声を上げた。
『お~、自動人形か~。お目にかかるのは随分と久しぶりだな』
「「自動人形?」」
初めて聞く言葉に、少女たちは揃って首を傾げる。
メイドの先導で屋敷内を歩いている時間を使って、曼珠は彼女たちに簡単に自動人形の説明をする。
自動人形とは、神鋼製の採譜管と無数の歯車を組み合わせて作られた機械の人形だ。設定された主の命令を忠実に守り、その動きは人間に酷似している。最初は動きがぎこちないが、長く使用することで採譜管が成長すると、ほとんど人間と区別がつかなくなり、あるていどの自我が生まれることもある。しかし、構造があまりに複雑な上に故障しやすく、作成できる職人も少ないため、よほどに裕福な貴族の邸宅でもない限りお目にかかれない代物だ。
『ブラスキが言いたかったのはこれだろうな。屋敷の管理は全部自動人形に任せてあるんだろ。ブルダリッチ伯っていうのはよほどの金持ちで、人間嫌いらしい』
やがて、メイドが一つの部屋の前で止まる。数回ノックして返事を待ってから、ジニアたちは中へと通された。
「ようこそ、シスター・エリザ。そして、ジニア嬢。突然の招きに応じてくれたことに感謝する」
そこにいたのは、黒髪の中年貴族だった。漆黒の軍服に鉄杭と薔薇の隊員証、一目で業物とわかる神鋼剣は、その男の体の一部のようにしっくりと似合っている。狼を思わせる鋭い瞳は冷たく、生まれながらの貴族特有の雰囲気も相まって、見つめられただけで萎縮してしまいそうになる。こういうことには鈍いジニアでさえ、男と目があった瞬間に思わず背筋が伸びてしまったほどだ。
「私の名はロベルト・ブルダリッチ。知っているとは思うが、貴族の端くれだ。ロベルトと呼んでもらって構わない。一先ず席に座りたまえ。ワインは飲めるかね?」
二人とも首を振ってアルコールを辞退しつつ、勧められるがままに席に着く。それを待っていたかのように、何体もの自動人形がやってきてテーブルに料理を並べ始めた。
『……何体いるんだよ』
「二十三体だ。昔は人間を雇っていたが、すべて自動人形に替えた。ここ十年ほどで、この屋敷に足を踏み入れた人間は私と君たちだけだ」
ロベルトは曼珠の発言にも特に驚くことなく、淡々と当たり前のように応える。曼珠のことは事前に聞いていたのだと思うが、実際に発言しているところを聞いて、眉ひとつ動かさないのはすごい胆力だ。
やがてすべての食事が居並び、自動人形たちは入ってきた時と同じように静かに去っていく。
「では、いただこうか。シスター・エリザ、食前の祈りを頼んでいいかな?」
「あっ、はい。……主よ、日々の糧と今日の我が身の無事を感謝致します。失われた命は我が血肉となり、川は主のもとへ流れ、魂はひとつにならん。父と子と精霊の御名において、かくあれかし」
アーメン、と返したのはロベルト一人。ジニアは祈りの形をとることすらせず、二人の祈りが終わってから両手を合わせ、いただきます、と言ってから食事に手を伸ばした。
十二神教的には礼儀正しいことではないが、エリザもロベルトもジニアを諌めたりはしなかった。どのような信仰を持つかは自由であり、信仰を押し付けることこそ最大の非礼だ。ただ、ジニアの所作に関して、変わったお祈りの仕方だな、とエリザは思った。
「あの、ブ……ロベルト様、今日、私たちはどのような用件で呼ばれたのでしょうか?」
ブルダリッチ伯と言いそうになって、先刻のロベルトの発言を思い出して言い直す。
まさか、ただ夕食を共にするためだけに、初対面の少女二人を屋敷に招いたということはないだろう。
「それは食後に話そう。食事がまずくなるような話を、わざわざ食事中に話す必要もない」
「……はあ」
つまり、食事中に話したら、食事が喉を通らなくなるような話が後に控えているわけか。それを想像するだけで、すでに食欲は失せつつあった。
「……エリザ、美味しい、よ?」
エリザの手が止まっていることを見とがめたジニアが、心配そうな目で語りかけてくる。
その心遣いに感謝して、ジニアに笑顔を返し、なかば無理やり食事に手をつける。
実際、食事はとても美味しかった。食材自体は平凡なものばかりだったが、調理に手間暇がかけられていて、さすがは貴族の晩餐といった感じだ。中にはエリザの好物も混じっており、食べているうちに食欲が湧いてきて、結局完食してしまった。
「食事は口に合ったようだな」
傍らの自動人形にワインを注がせながら、ロベルトが微笑を浮かべる。
ジニアとエリザは、デザートのりんごタルトをつついている最中だった。
「は、はい。とっても美味しかったです。コックさんにお礼を伝えておいてください。……あっ、でも、コックさんも自動人形なんですよね?」
意外にも、ロベルトはホストとしての役目をきちんと果たしていた。
緊張してガチガチだったエリザや元からあまり話さないジニアにも適確に話題を振り、会話に花を咲かせた。時折、ゲリラ的に投下される曼珠のセクハラ発言に対しても、品位を落とさずそつなく返す完璧ぶりだ。ロベルトの見た目は、貴族より軍人の色が強いが、話していると間違いなく貴族であることを自覚させられた。
おかげで、エリザの緊張はだいぶとれ、硬さも和らいできたが、次のロベルトの言葉で別の意味で固まってしまった。
「いや、これは私が作った」
「「『……え?』」」
見事に二人と一本の発言が被った。
エリザはなにか聞き間違えたのかと思い、ジニアの方に視線を向けてみると、彼女も大きく目を見開いて呆けた顔をしている。ジニアがここまで感情を表面に出しているところを、エリザは初めて見た。
『おいおい、あんたに料理って、槍に服を着せて巨大弓で飛ばすくらい似合わないぞ』
「……曼珠、わかりにくい」
「ジニアちゃんが曼珠さんにつっこんだ!?思わず一般人的反応をしてしまうくらい、ジニアちゃんが動揺してる!!」
三者三様にうろたえるさまを見て、ロベルトがくつくつと笑う。その表情は悪戯に成功した子どものようにどこか上機嫌そうだ。
最初の印象とはまるで違うロベルトの様子に、ジニアたちはまたもや混乱する。そして、しばらくして自分たちが目上の人間に相当失礼なことを言っていることに気づいた。
「す、すみません。失礼なことを言ってしまって……」
「似合わんのはわかっているさ。昔はよくそのことで笑われたものだ。自分で料理をする理由は趣味半
分、実益半分といったところだ。今では剣や政治より、料理の方がうまくなってしまったほどだ」
「は、はは」
剣や政治より~の下りはさすがに冗談だと思うが、思わず頷いてしまいそうになるほど、彼の料理は美味しかった。
(……ロベルト様を笑った人って誰だろう。不敬罪で串刺し刑にしたとか言われたら嫌だから、ちょっと聞き辛いですね)
興味はあったが、藪蛇になることを恐れて、頭に浮かんだ疑問を飲み込む。
「実益って?」
エリザの代わりというわけではないが、珍しくジニアが自発的に尋ねる。
ロベルトは、ワインの入ったゴブレットを揺らしながら、どこか遠くを見るような目で答えた。
「もう十五年以上前のことになるか。屋敷の食事に毒が混ざっていたことがあった」
「え?」
短い驚きの声を上げたのはジニアとエリザのどちらだったのか。
急に室温が下がったような空気の中、ロベルトの持つゴブレットの中で液体が跳ねる音が妙にはっきり響いた。
『犯人は?』
「フランク帝国の工作員だ。まともに戦っても勝てないと判断したらしく、暗殺を企てることにしたらしい。見てのとおり、未遂に終わったがな。だが、それ以来、食材の買い出しと調理は私が直接やるようにしている」
その工作員がどうなったかは聞かぬが花だろう。
ジニアは、胸の中に生まれた何とも言えない気持ち悪さを水で流し込んだ。聞いたのが自分とはいえ、後味の悪いデザートになってしまった。
「さて、食事も終わったし、そろそろ本題に入らせてもらおう」
ロベルトの纏う空気が、貴族のそれから軍人のそれへと変わる。猟犬の如き鋭い瞳を受け、ジニアとエリザも真剣な顔になった。
「私が君たちを屋敷に招いた理由は二つ。一つは、事件解決まで君たちにこの屋敷に滞在してもらうためだ」
「え?」
「君たちは吸血鬼事件の目撃者であり、唯一の生存者だ。君たちは犯人の姿を覚えていないようだが、犯人はそれを知らない。犯人が目撃者である君たちを殺そうとしてくることは十分に考えられる。この屋敷は下手な要塞より頑丈だ。君たちを守る砦として使うには、最適だろう」
言われてみれば、そのことを思いつかなかったのは迂闊だった、
ジニアならば自衛の手段があるのでいざという時は対応できるだろうが、エリザはそういうわけにはいかない。最悪、修道院の人々を危険に巻き込む可能性もあったのだ。それを思うと、エリザはぞっとしなかった。
「期間は吸血鬼事件が解決するまで。ジニア嬢は旅の最中らしいので、トラジストから出る目処が立つまでとなる。これは提案ではなく、命令だ。残念ながら、君たちに選択権はない」
ロベルトの言葉にエリザはすぐに頷き、ジニアは少し考えたあと、曼珠と小声で話し合ってからこちらも頷いた。
エリザにとっては願ってもない提案なので、命令でなくても受けるつもりだった。
『で、もう一つの用件は?』
「君たちの証言を聞き、そして、こうして君たちと実際に会って、どうしても信じられない部分がある。それは、ジニア嬢が犯人の腕を斬り落としたという証言だ」
ロベルトが、探るような目でジニアを睨みつける。ジニアが何かを言う前に、憤ったエリザが声を張り上げた。
「そんな、ジニアちゃんは嘘なんか……」
「シスター・エリザには黙っていてもらおう。君は事件当時の記憶が曖昧だ。犯人とジニア嬢の戦いもはっきり覚えてはいないだろう」
「それは……」
ロベルトの言葉には筋が通っていた。実際、エリザは犯人とジニアの戦いをあまりよく覚えていない。それらは後から聞いた話で、聞いた直後はジニアが犯人の腕を斬り落としたということを、エリザですら信じられなかった。
ジニアの見た目は、華奢な女の子でしかないのだ。簡単に信じろという方がおかしい。
「嘘じゃ、ない」
もちろん、嘘など言っていないジニアはこう言うしかない。
だが、口では何とでも言える。ロベルトを納得させるためには、言葉以外の手段が必要だった。
「ならば、君の言っていることが本当だということを証明してもらおう」
『……つまり?』
その時、ロベルトが眼光が一際怜悧な輝きを見せたように、エリザは感じた。まるで舌なめずりする肉食獣のように、ロベルトの口の端がわずかに上がる。
「手合わせ願おうか」