プロローグ~全ての元凶~
――キュルトゥス歴1987年――
咳きこむ俺の口から、新たに血反吐が吐き出される。吐いても吐いても尽きないにっくき冷血野郎は、徐々に数が減ってきている。腹から血が臓物とともにダダ漏れているので、肺になだれ込む血が減っているようだ。
実にありがたいことだ。痛みはとっくの昔に麻痺ってやがるので、ただひたすら喉にからみつく血反吐だけがうっとうしかった。どうせ死ぬのだから、苦しまずに死ぬのが望ましい。
改めて自分の身体を見なおす。
四肢のうち、右腕と左足はどこかにいってしまった。残りの手足もぴくりとも動かない。ロボット好き属性はないが、仮にその属性に目覚めても、ロケットパンチだけは好きになれそうにない。
腹部は半分削られていて、引きちぎられた内臓が穴から零れ落ちている。ちょっと離れたところに落ちてるのは……膵臓かな?どうでもいい上に脈略のない話題になるが、妙にホルモン焼きが食べたくなってきた。食っても零れ落ちるだろうけど。
一応申し訳程度の止血はされているが、どう見ても致命傷。代理神の力を使って人体改造を施してなければ、こんな風に考える時間もなかっただろう。
実力に見合わない理想を求めた結果がこれだ。まったく片腹痛いぜ。痛むはずの片腹が爆散していることがまた笑える。
「銀花、銀花ぁ」
一人の少女が泣きじゃくりながら抱きついてくる。
痛みはないし、今さら何をされても助からないことには変わりないので、そのことに関しては気にならない。ただ、少女の綺麗な髪や肌や服が汚い血や吐瀉物で汚れることが残念でならなかった。
周囲の人間は、少女を止めるようなことはない。誰もが僕の死を理解していた。ある者は呆然とし、ある者はさめざめと泣き、ある者は堪えるような厳しい表情をしている。
その人の価値は、その人が死ぬ時にどれだけの人間が泣いてくれるかで決まると言ったのは誰だったか。その基準で言えば、僕の人生は合格点だったみてーだな。
「銀花、あなた、今笑えてる?」
銀髪の葉耳族が母のように優しげな笑顔で語りかける。本当はみんなと一緒に泣きたいくせに、お姉さんぶってそれができないのがばればれなかわいい友人だ。
そういえば、会ったばかりのとき、似たようなことを言われたっけ。
あの時、僕はとんでもなく薄っぺらい笑顔だった。中学時代に書いたボエム並の黒歴史だ。ティンダロスの猟犬でも送りこんで、過去の自分を抹殺したい気分だ。
彼女の問いに答える代わり、僕は今できる最高の笑顔を返してやった。あの時の造りものの笑顔ではなく、心の底からの笑顔。
もう頬の筋肉もろくに動かず、表面的には大した変化はなかっただろう。しかし、僕の返答は確かに彼女に届いたようだ。彼女もまたいつもの素敵な笑顔で返し、いつもと違って眼の端から一筋の涙が零れ落ちた。
――ああ、最高に笑える。感激感謝雪雪崩天上天下大満足な終幕だ。
僕が異世界から召喚されたのは二年前。
ただの高校生だった僕は、異世界では神様扱いだった。よくある異世界もの小説と同じで、気づけばチートくさいとんでも能力を身につけていて、その気になればなんでもできた。
世界の支配者・伝説の英雄・美女を集めたハーレム。まさに薔薇色の人生。努力も苦労も経験も必要ない、絶対王者としての生き方。元の世界では少年Aでしかなかった僕は、全知全能絶対最強酒池肉林な主人公様になっていた。
そのことに気づいた僕は真っ先にこう思ったのさ。
ふざけるな、と。
どこの誰とも知れない相手に与えられた力で強くなれたからといって、それのなにが嬉しいというのか。そんなもの、恋人の金で好き勝手に遊び歩いているヒモ男となにが違う。
そりゃ確かに、今までの人生はつまらなかったさ。
特に山や谷があるわけでもない生活。勉強も運動も平均的でなにかが突出しているということもなし。恋人がいたこともなければ、義理の妹や近所に住む幼馴染の美少女がいたりなんかもありゃしない。
それでも、確かに僕はそこにいたんだ。
泣いて、笑って、恋して、憎んで、生きて、死ぬ。人生なんて、それだけで一大ドラマじゃねえか。そこになにかを加えても、ピザにタバスコ一本丸ごとぶちまけるような過剰演出だ。そういうのが好きなら、紛争地帯にでも行けばいい。
僕は元の世界では少年Aでしかなかった。
少年Aという名の主人公で、目立たなくってもつまらなくってもつらくっても世界の中心はいつだって僕自身だった。
僕という主人公は、チート能力を与えられた時点で死んだのだ。残ったのは、ちょっとばかり強い力を持った巨大な虫に過ぎない。
だから、僕は、僕自身の仇討ちのため、この世界に求められた行動と正反対のことをしてやった。
案の定、そんなことを世界が許してくれるわけもなく、こうしてあっさり死に掛けているわけだが……まあ、後悔はしてないさ。
思えば、濃密な日々だった。
それまでの人生がスポンジのように軽かったのに対し、こちらに来てからの二年間は刀剣のように鋭く重いものだった。
きっと本来あるべき人生が圧縮されたのだ。何十年もかけてのんべんだらりと歩く予定だった人生を、たった二年で駿馬のように駆け抜けた。それを喜ぶか悲しむかは人それぞれだろうが、少なくとも僕は満足さ。
「っ……!?……!」
周囲の音が急速に遠のいていく。そろそろお別れの時間のようだ。
こんな僕について来てくれた、愛すべきバカどもに思いをはせる。目の前に大体揃っているのだが、視界が滲んでいるため、そいつらの顔を脳内で思い起こす他ない。
ちょっと世界と神様に喧嘩売ってみようと思うんだが手伝ってくれないか?、なんて言ってみて、本気でついて来たような連中だ。まさにバカの鏡とでも言うべき存在だ。俺にとって、もっとも辛いのは、周囲の人間がそんなバカばかりだったことだろう。
……ああ、ちくしょう、こんなバカばかりでなけりゃ、あっさり死ねたのにな。覚悟はしていたつもりだったのに、やっぱり死にたくないとか思っちまうのはおまえらのせいだぞ。
一人くらい泣いてくれればいいなとは思ってたけど、揃いも揃って、役立たずなバカ男が死んだことを悲しむ大バカどもばかりだった。
――なんだ、僕、こっちの世界でもちゃんと主人公できてるじゃないか。まったく、趣旨一貫できないなんて、かっこわるいったらありゃしないぜ。
……ああ、でも、神様よ。だからといって、僕はあんたを許したわけじゃないんだぜ?
僕を殺したからといって、ハッピーエンドだと思ったら大きな間違いだ。あんたが思い描いているようなエンディングには、絶対にさせない。なぜなら、俺が死ぬことに大した意味はないからだ。
エジプト風に言うなら、『死は始まりに過ぎない』ってやつだ。
意味がわからない?はっ、それで結構。わかったときにはあんたの思惑はすべて潰れてるんだ。
それに、もう、語る時間もないみたいだしな。
じゃあな、バカども。愛してるぜ。おまえらも後悔しない生き方をしろよ。
その日、異世界から来た人間、此花銀花は息を引き取った。
神に等しい力を持っていた彼がこの世界に与えた影響は、決して小さなものではなかったが、それ以上の波乱が起こるこの世界において、彼の死は微々たるものだった。
彼の死は、ほんの数ヶ月で日々の生活の忙しさに埋没する。もはや彼の名は人々の記憶の片隅に残る程度の存在に過ぎなかった。
まして、彼がなにを思い、なにをしようとして死んだのかなど、人々が知る由もない。
彼のことを決して忘れず、その遺志を継ぐ者たち以外は。
はじめまして、とらきょうです。
このたびは読んでいただき、ありがとうございます。
プロローグは伏線ばかりで、???な部分が多いと思いますが、本編の方でがんばって回収していく予定です。
本番は次からなので、よろしければ引き続きご愛読いただければと思います。
初心者で拙い文章ですが、生温かい目で見守っていただけると幸いです。