俺でもできる・・・いや、やらねばならん。
今日ガツクはべリアル帝国軍との定時合同訓練のため、ドミニオンの北、大小の崖や岩石が連なる山岳地帯へと来ていた。
何時ものように過酷な訓練を終え、ガツクお待ちかねのランチタイム。
というのも・・・彼の片手にはその誰もが凍りつく容貌とは真逆の、それはそれは可愛らしいピンクの風呂敷に包まれたお弁当箱があった。
先月漸くの事で式を挙げた愛しい愛しい妻―――モモコの手作りである。
明日は少し遠い場所に訓練に行くので昼は一緒になれないとガツクがため息を付くと(魔王なりに頑張って裏工作・・・取り止め、延期、施設へと移しての実地、モモコを何とかして同行させよう云々・・しかしいつもいつも思い通りにさせてたまるかと大将達と優秀な補佐官達が一致団結し、魔王の野望は潰えた)愛し過ぎて毎晩抱き潰し・・・いや可愛がっている妻から嬉しい提案がなされる。
「じゃあ お弁当作ろっか?」
「・・・弁当?」
「うん。ガツクさんだとすごいおっきいお弁当になるねーアハハハ」
何がおかしいんだモモコ。
「・・・モモコが俺に・・・」
「でね、作るなら朝早いでしょ?だから今夜はゆっくり寝かせて欲しいなーって」
「・・・・・・・・・・・」
「・・ガツクさん?聞いてる?」
いや聞いてないよ。
「モモコっ・・・・」
「んむぅう!むむ!!?」
という感じでガツクは嬉し過ぎて襲・・・いや感謝の気持ちを爆発させたのであった。
そしてその翌朝、モモコはよれよれと朝早く起き、よれよれしたまま弁当を作り、よれよれしたまま仕事へと行った。その後ろ姿に涙。いつか彼女は過労死するかもしれない。
じ―――ん・・・
モモコの過労の原因である夫ガツクは弁当箱を感慨深げに見た。
初の愛妻弁当である。たとえ昨夜の晩飯の残りとか冷蔵庫にある物でなんとか作った感に見えなくてもガツクには関係ない。愛しいモモコが、己の為に、作ってくれた事が大事なのだ。
(俺はなんて幸せな男であろうか。モモコに感謝して食わねば)
ガツクは合掌してから手を付ける。と、見た事もない・・おそらく食材であろうが・・・奇妙な物体を発見する。
ガツクはソレを箸に取りじっと見つめた。
そこには白く、平べったいものが引っ掻かっている。匂いを嗅いでみる。知っている匂いだ。
素材は海苔であろうかその白い物体には丸い鼻先が描かれ、にっこり笑った愛嬌のある顔を表している。世間では森で女の子を追いかけたり、只の古ぼけたぬいぐるみが非常識な値段で売られていたり、髭面のガタイのいいおっさんの仇名になっていたり・・・要するに彼が繁々と凝視しているのはクマの形をした蒲鉾であった。
(これは・・・・擬人化されているが何かの動植物・・・いや哺乳類だろう。多分)
しかし何の動物かまでは動植物音痴のガツクにはわからない。
しばし悩む。
キュートなキャラを箸に持ち、首を捻るその姿は周囲に満遍なく公平に混沌を渦巻かせた。
(・・・さっぱりわからん。もう食ってしまうか、何時までもこうしていては食が進まん。・・・しかしモモコは弁当の感想を聞いてくるかもしれん。その時この蒲鉾について聞かれるかも・・・)
一体どうすればと余人には全くどうでもいい事で思い悩むバカ・・いや妻想いの夫がここに一人。
と、クマの蒲鉾に気を取られて背後の人物に全く気づかなかったガツク。不覚の事態が起こった。
バンッ!
「ガツクっ!!先程の陣っ采配が見事であったなっ!!」
現れたベントに思い切り背中を叩かれよろめいたガツクの箸から・・・
クマの蒲鉾が。
目の前の谷底に。
なぜよりによってそんな所で食うんだみたいな。
谷底にある川が糸みたいに見えるくらいの。
深いふか~い谷底へと。
落ちた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
ギョッ!!
それを唖然として見ていた隊士達は再び目を見張った。
何故なら・・・彼等の大将が蒲鉾の後を追って飛び降りたから。
何処まで落ちただろうか。ガツクは真っ逆さまに落ちる体を更に加速するように真っすぐにしてペラペラ舞う蒲鉾を箸で捕まえた。
と同時にブレードを開いて岩肌に突き刺さす。
ガガッガガガッガガガガ・・・
落下は岩肌に4mほど縦に傷を入れて止まった。ガツクはひょいとブレードの上に乗り風光明媚?な谷底の中ほど(・・・・・)でまたクマの蒲鉾を見・・・やっと口に入れた。うむ、正しく蒲鉾の味だ。
(やはりわからん。しかし今からベントを殺す事はわかっている)
そして突出している岩に手を掛け、ブレードを引き抜くと人間とは思えない早さで谷底を上り始めた。
しかし・・・今日のガツクはとことんついていないようであった。
飛び降りて5分もせずに現れたガツクを待っていたのは中身がすっからかんの空の弁当箱。
唖然とするガツクに傍に立っていたベントから衝撃的な一言が。
「愛妻弁当を途中で放りだすとは何事だガツク!!好き嫌いは良くないぞ!しかしてこの俺がお前の代わりに食べてやった!!家庭円満の為モモコには己が食べたというが」
バキィッ!!
ガツクはベントに皆まで言わさず最大限に体のバネを生かして回し蹴りを喰らわした。
巨体が有り得ないスピードですっ飛んでいき、大岩に激突。そして大破した大岩の下で物言わぬ屍となったベント。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
静まり返る大地にピヨピヨと鳥達が戯れる声がする。
「モモコ・・・すまない。少し目を離した隙に・・・くっ・・・一生の不覚だ」
片膝を着き、ギリギリと歯を噛締め口惜しがるガツク。
その後の訓練では執拗にベントのチームを狙い、これもう実戦では?な有様になったという。その鬼気迫る姿は後の軍部の語り草となったとさ。
* * *
「ガツクさんお帰りー!お疲れさまでした」
満面の笑顔でガツクを迎えたモモコ。だが肩を落としたような常にない雰囲気のガツクに心配そうに眉を顰める。
「ガツクさん、どうかした?何かあったの?」
訓練が芳しくなかったのだろうか。もしかして怪我人でも出たのか。モモコはごく当たり前に聞いた。
ある意味昼食後の訓練は通常とは違ったし、怪我人こそ出なかったものを隊士達の精神の大部分に切り込んだナニカがあったのは確かだが終わった事なのでなかったという事にしておく。
「いや・・・訓練自体は問題ない」
「そう、なの?でも・・・」
「大丈夫だモモコ」
ガツクは苦しい胸の内を押さえモモコの頬をそっと撫でた。(弁当を食い損ない)ささくれた彼の心をモモコの頬の熱が癒してくれる。
「うん・・・わかった。じゃ、はい」
モモコはまだ戸惑うようにしていたが、ガツクが断言すると笑顔を見せて両手を差し出した。
「?」
今度はガツクが首を傾げる。
「出して」
「出す?何をだ?」
「お弁当箱だよ。今日持ってったでしょ」
ぎく――――ん
モモコの頬を撫でていたガツクが硬直した。
「ガツクさん?」
モモコが両手を出したまま小首を傾げる。
ガツクの背をタラ・・・と汗が伝う。
・・・だが何時までもリビングに突っ立っているわけにもいかず、ガツクはやけにゆっくりと(中身がベントによって亜空間に消えた)空っぽの弁当箱を差し出した。
モモコはいそいそとキッチンの流しに行き、弁当箱を開く。
「あのなモモコ・・・実はな」
「わぁー!ガツクさん全部食べてくれたんだね!嬉しい!慌てて作っちゃったからちょっと心配してたんだよーでもよかったー」
言えない。
この笑顔の前で実はベントに99.9%食われたなんて言えない。
おのれベント、ふん縛って谷底から命綱なしバンジーさせてやれば良かったなんて思っても言えない。
「あ、ああ・・・美味かった・・・」
平素は他人の気持ちなど頭から無視だが相手がモモコなら次元が違う。モモコを気遣うガツクは魂を搾り取るような声で真実を隠した。
我らが鈍感天然モモコはそれに全く気づかず、それどころか
「えへへー照れちゃうなー あ、何が一番美味しかった?」
ガツクの心臓を簡単に貫通する切り返しを放った。
・・・・・・・・・心象的なもので心臓をぐりぐりされながらガツクはリビングの天井、隅っこを見詰める。
心頭滅却せば火もまた涼し・・・くはならんな。
「・・・蒲鉾が・・・」
2秒ほど現実逃避を行った後で小さく呟く。
間違ってはいない。多分。それしか食ってないというのもあるが。ていうかほぼそれなんだが。
「えー!あのクマの蒲鉾なのー!?」
恐ろしげな外観しか持たないガツクからまさかの食材の名が出てモモコはびっくりした。それを見ていた隊士達はもっと吃驚していたんだが。
(あれは熊だったのか・・・・・)
ガツクが思いつく(おぼろげな)熊の像とは似ても似つかない代物だったがモモコが言うならそうなのだろうと無理やり納得。
「へー・・・ガツクさんって意外なものが好きだったんだねぇ。あ、じゃあまた今度入れるよ。蒲鉾」
「・・・よろしく頼む・・・」
奥歯に物が挟まったような物言いのガツクにまたまた小首を傾げたモモコであったが後日、
「でやっ!これを見よガツクさん!」
10連切りになったネコの蒲鉾を弁当に入れてやった。
それをガツクがたっぷり10分見詰めた後もそもそと食べた事実は・・・・多分知らない。
ガツクもね・・やればできる子なんですよ。
モモコ限定だけどね・・・うん。