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Driving All Night

作者: 牧高城

 街角の白い街灯がとても優しかった。

 ファミリーレストランの一番隅の席に座り、肩肘をつきながら窓の外の水銀灯の白色の光が真夏の暗闇に抗うように煌々と照らす深夜の幹線道路を見ていた。

 時々自動車が幹線道路を行き交うことで、静止して見える窓の外に動きを与えていた。同時に、ロードノイズとエンジン音がガラス越しに僕の耳を震わせた。

 店内には、僕の他に、僕と同じくらいの年齢の大学生とおぼしきカップルが雑談していた。そのふたりは歳相応にみずみずしい恋愛感情を抱き、お互いに愛し合っているように見えた。

 その男は、テーブルを挟んで対面に座る恋人の手を握っていた。

 僕にも、手を握り締めたいほど愛している人がいるが、彼女とは絶対に結ばれることはないだろう。彼女は、僕にとって初恋の相手であり、同時に恩人であった。しかし、彼女には、他に愛する人がいた。だが、そのことに何の悔いもなかった。

 彼女が愛している男は、彼女と共に恩人であったし、何よりも、とても素敵な彼女から愛されるのに相応しい人物だったからだ。

 そして、彼も彼女を愛していた。

 僕は彼女を愛しているのと同時に、その彼を尊敬していた。それ以前に、僕ら三人はとても仲の良い三人組だった。そんな彼に対して妬ましく思えるはずがない。むしろ心の底から祝福しているぐらいだ。

 そんな思惟を巡らせながら、じっとシートに座ったまま高校時代の大半を、多くの物語を一緒に演じた大切なふたりの友人を待っていた。

 僕は窓の外で道路を照らす水銀灯の固い光から目を逸らした。そして、目を閉じ、僕らが友人となるきっかけとなった過去への家路を辿った。

 

 

 

 高校に入学し、春が過ぎ、夏が訪れても、僕には友達も仲間もできなかった。特定のグループに入れないまま孤独に過ごすしか選択肢はなかった。

 春が過ぎるまでに友人や仲間を作った他の生徒達は、午前の授業が終了を告げるチャイムが鳴ると同時に、弁当箱を持ち教室内を行き交い、机を繋げて同じグループ同士で固まって談笑しながら食事をする。

 対して、僕はひとりで自分の席に座り、売店で買ってきたパンを食べ、紙パックのオレンジジュースを飲むしかない。

 そんな環境に身を置くと、ひとりで黙々とパンを食べる僕に対するクラスメイトから哀れみの視線を感じてしまう。

 誰にも相手にされなくてかわいそう、という憐憫の情。友達すらいないなんて惨めだね、という嘲笑。

 僕はクラスメイトからのネガティブな視線から逃れるために、毅然と机から立ち上がり、ビニールと紙パックをゴミ箱に捨て、ドアを開いて教室から出て行った。

 いつものように図書室に行くと、ソファーに座り、ジャック・ケルアックの「孤独な旅人」を読み始めた。読み進めるうちに、「山上の孤独」で書かれている通り、山奥でひとり山火事の監視をしているケルアックのような環境に憧れ始めた。孤独であることに居心地の悪さを感じなくて済む場所で生きていきたいと衷心から思ったのだ。

 ケルアックを読み進めていくうちに、誰かが僕のソファーの前に現れた気配がして、文字に対する集中力が途切れた。本から目を逸らし、まわりを見渡すと、複数の学生が僕を取り囲んでいた。

「おい」

 と、目の前の人物が僕を見下しながら声をかけてきた。反射的に読みかけのページにしおりを挟んで本を閉じると、僕は顔を上げて声の主をまじまじと見た。

 男は屈強な体つきを誇示するかのように胸を張って僕の前に対峙していた。たしか、柔道部に所属するクラスメイトだったはずだ。

 そして、僕のソファーを取り囲むほかの男たちも柔道部に所属するだけあり、相応に屈強だった。

 そんな不穏な連中に囲まれていることに不安と苛立ちを覚えたが、つけ入る隙を見せないために、

「何か用?」

 と、僕はあえて飄然と答えた。

 僕の周りを取り囲む柔道部の男たちは女子更衣室を覗いて興奮している変態のようにニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら僕をじろじろと眺めていた。その笑はさながら痴漢で逮捕されパトカーで連行された男がマスメディアのカメラで見せるような薄気味悪い、病的な笑みに思えた。

「お前、いつも独りだよな?」

 と、クラスメイトの男は言った。

「え?」

 と、僕は反射的に答えた。

「お前ってさあ、いつ見ても、ひとりで飯食って、そのあと図書館で本を読んでいるよなあ?」

 触れられたくないことに言及されたうえ、初めて言葉を交わす関係でしかないのに、「お前」と偉そうな言葉で呼ばれたことに思わず立腹し、

「で? だから何?」

 と、僕は顔の右半分を思いっきり歪めて悪意を込めて言った。

「それって、何か寂しいよなあ?」

 と、男は僕の表情を見て不愉快に感じたのか、語気を強め、怒りを若干含めたシリアスな表情で言った。

 僕はその男の言動から、直感的に身の危険を感じた。図書室内を見たら、図書委員を含め何人かこちらの様子をうががっていたが、知らん顔をして本を読んでいて、僕と柔道部の男たちの間に介入してくる様子はなかった。剣呑な柔道部の屈強な男たちに関わり合いになりたくないので僕を見捨てていることが見て取れた。

 それを見て、誰も信用できない、と僕は思った。それじゃあ、信用できるのは……。

 さりげなくズボンの右ポケットに手を突っ込み、忍ばせていた、僕が唯一信用していたある物体を手探りで握りしめると、

「それがどうした?」

 と、すました顔を作り、目の前の変態的な悪魔に立ち向かうべく必死に声を張り上げて僕は答えた。

「ひとりで寂しく本を読むしかないなんてみっともないよなあ」

 男はひとり呟き、

「お前らも、そう思うだろ?」

 と、男の取り巻きたちに相づちを求めた。

 うんうん、と取り巻きの男たちは首肯した。しかし、男の言っていることに心底同意しているわけでもなく、自分達よりも格上の存在である男に逆らえずに、ご機嫌取りで頷いているにすぎないような空気を彼らの態度から読み取ることができた。でも、彼らが男の従僕である以上、僕の敵には違いない。少なくとも味方にはなりえないだろう。

「だから何だ?」

 と、僕はつけ込まれないよう強気に反駁した。

 男は軽蔑の視線を増幅させ僕に浴びせかけながら再びへらへら笑って言った。

「『だから何だ?』じゃないだろう? とっても優しい俺たちは友達すらいない孤独なキミを俺らの仲間に入れてあげようと思っているんだ。感謝されこそすれ、文句を言われるようなことじゃないんだよ。俺たちは本当に君のことを考えてあげているんだ」

 男の饒舌を聞いた取り巻きの男たちは、まるで自分が本当に優しい人間であると思い込んでいるかのように何度も頷いていた。僕は毛虫程度が抱き得る情すら持ち得ていない連中のその態度が癪に触ったので、

「それはありがたいなあ」

 と、どう見てもありがたくなさそうに答えた。

「だからキミにトモダチとしてお願いがあるんだよねぇ」

 と、再びいやらしい笑みで言い、僕の手元に千円札を投げた。

 しおりを挟んだ、「孤独な旅人」の表紙の上に夏目漱石がひらひらと降ってきた。

「アンパン10個買ってこい」

 ここが偽善者によって弱者を嬲る物語のクライマックスと言わんばかりに、取り巻きたちもやはりへらへらとした表情で僕を見、どう対応するのか興味津々に注視していた。

「……」

 僕は答えない。

「どうした? トモダチのために一肌脱いて買い物してきてくれや」

 と、男は先程から変わらない嗜虐的な笑みを一層濃くして言った。

「わかった」

 と、僕は言い、右手で握ったモノから手を離し、ポケットから手を出した。その手で本の上に置かれてある千円札を手に取った。

 それを見た男は、僕に恥辱を与えたことに成功した喜びなのか、顔をほころばせた。

 刹那、僕は千円札を両手で摘むと、左右に引き裂いた。

 二枚に引き裂いた千円札を重ねて同じように引き裂いた。

 何度も繰り返して引き裂き、紙吹雪のように小さな正方形状の紙片にした。その紙片を男に投げつけた。男の頭に夏目漱石の紙片が無数に降りそそいだ。

「これが答えだ」

 と、僕は決然と言い、素早く右ポケットに手を入れた。

「お前、ぶっ殺すぞ!」

 と、男は僕の思わぬ抵抗に対し、怒りに震えて大声で叫んだ。図書館にいて、何も見ていないふりをする僕らのことを見て見ぬふりをする傍観者も、男の野獣のような咆哮に思わず顔をこちらに向けた。

 男は僕の胸ぐらを左手で掴み、右手で首の襟元を締め上げた。周りの男も僕を身動きさせまいと体もあちこちを掴み押さえつけようとした。

 今のままでは、怒り狂う男とその取り巻きたちから嬲られるのみだろう。体を組み伏せられ、右手を押さえつけられないうちに、右ポケットの中で握っているモノを使って反撃しよう、と決意した。

 モノを握った右手をポケットから出そうとした瞬間、

「やめろ」

 と、言い僕と襟元を締め上げて体を押さえつけようとしている男らの間に割って入る人がいた。端正な顔をした優等生風の感じの良い人だった。

 男は闖入者に割り込まれて僕の胸ぐらと首から手を離した。

「実にくだらない」

 と、優等生風の人は言った。どこかで見た気がしたが、この学校の生徒会長をしている人だと思いだした。

 この時点で、この人が僕の敵なのか味方なのか、それとも僕を助けてくれるのか、それとも男と結託して別の物語を展開させようとしたのか判断がつかずに警戒していた。

「こんなところでうだうだと揉めている暇があるのなら自分で買いに行ったほうが早いぞ」

「その程度のこと、他人にやらせるよりも自分でやったほうが明らかに早いでしょうに」

 と、生徒会長に少し離れた場所で腕を組んで立っている女の子は言った。確か、この人も生徒会の関係者で、副会長をしているはずだ。

 変わった闖入者に僕も男らも困惑した。

「何がくだらないんだよ!」

 と、男は憤懣やるかたなく言った。

「お前みたいに、弱い者を支配下に置くことで、己を人望豊かな大人物に見せようとするせこい自尊心がね」

 と、会長は言った。

「あなたみたいに、人を支配していることをあからさまに見せびらかすことで、あなたの取り巻きたちに自分の支配力の強さを誇示しようとする態度がよ」

 と、副会長も続けた。

「お前らは何様のつもりだ?」

 と男は両手をズボンのポケットに入れ、不遜な態度でふたりに凄んだ。正鵠を得たことをふたりの生徒会員に言われたことに内心で苛立ちを覚えたように見えた。

「生徒会長だけど何か?」

 と会長は屈強な男の威嚇に何の反応を示さず飄々と言った。

「生徒副会長だけど何か?」

 と副会長はそんな脅しには動じないと言わんばかりに作り笑顔を男に見せて言った。

「生徒会風情が偉そうに口挟んでんじゃねえよ。こっちは千円損しているんだよ!」

 と、男はそれまで韜晦していた粗暴な性格を剥き出しにして怒鳴った。取り巻きの男も会長や副会長に対して睨みつけて、威嚇していた。

 図書室で本を読んでいた他の傍観者は、激昂する男らを恐れ、こちらに目を合わせないように隅で寝たふりをしたり、本に集中しているふりをしていた。下手に関わってとばっちりを食うのがよほど嫌らしい。あの男のような傲岸不遜で嗜虐的な嗜好のない一般人としては当然の態度だろうと納得した。

「生徒会風情でも、あなたの部活の担当教員に告げ口出来る程度の権限はあるのよ」

 と、副会長は粗暴な男たちに屈することなく堂々と言い放った。

「そうなると困るのは君たちだ」

 と、会長は追補した。

 それを聞いた男が確固とした態度を崩さず会長らを睨みつけている反面、取り巻きの男たちはたじろいだのがわかった。本当の恐怖とは物理的な暴力によって示威されるものではなく、権力によって誇示されるものなのだということがわかる。

 取り巻きの男たちは、柔道部の担当教員に叱られることに、リーダー格の男から誹りを受けることと同等の恐怖を感じていたに違いない。

 弱者を嗜虐することで快感を得る悪趣味な男の小道具に過ぎないことは自分でわかっているはずで、そのために教員に目を付けられるのは割りに合わないことぐらい、鳥頭しか持ち合わせていない彼らでも計算できるだろう。

 逆に、男だって、内心では顧問から叱られるのは不本意だろうし、そのデメリットは計り知れないものになるだろうが、屈強な柔道部の男を束ねるリーダーとしての面子が、男が会長らが示唆した権力による非物理的な暴力に屈するのを許さない。弱者を嗜虐する快楽を得るためには、自分が常にヒエラルキーの頂点に立っていなければならないのだ。

 仲間を率いて悪事を働くリーダーとして、簡単に他者に屈服する姿を見せるわけにはいけないのである。

「そんなことをしてただで済むと思っているのか?」

 と、男は会長に凄んだ。計算ずくの脅しではなく、苦境に立たされた悪者による単純な恫喝にすぎない。

 確かに、このシチュエーションにおいて、男には物理的な暴力によって示威し続けるしか選択肢がないだろう。

「ただで済まないというのは、どういうことかな? まさか学校内で暴力を振るうつもりかい?」

 と、会長は男を煽った。

 彼のその言葉使いからは勝者の余裕を感じさせた。

「ああ、怖い怖い。おしっこが漏れそうだよ」

「そんなに殴られたいのか? 生徒会のモヤシ野郎!」

 と、男は口の端を歪めながら拳をつくった右手を左手の手のひらに叩きつけた。

「殴りたいのならばかかってくればいい。力自慢しか特技のないゴリラさん!」

 と、会長は相手を侮蔑する笑みを浮かべ、手を振って男を煽った。

 男は頭に血を上らせるほど怒り狂い、会長に掴みかかった。会長は制服の襟元を男の左腕で握られて首を痛そうに曲げていた。男は勢いで開いた右手の拳で会長の顎を一発殴った。

 殴られた会長は痛そうに顔を歪めた。

 副会長は苦笑しながら会長が殴られるのを見守り、図書室内の傍観者はあくまで知らぬ存ぜぬといった態度を崩さないものの、緊張した面持ちでこちらの様子を伺っていた。

 多少筋書きが変わった物語は別のクライマックスを迎えようとしていたのだ。オペラグラス越しでも覗かずにはいられないだろう。

「いたいいたい! そう力まないでくれ。君の勝ちだよ。君たちのことを教師に報告しない。千円も僕が立て替えよう。それで妥協しないかい?」

 と、会長は大仰しい態度で男に問いかけた。僕も取り巻きの男も、そして図書室の傍観者は豹変した会長の態度を見て唖然とした。

 そして、会長はズボンのポケットからしわくちゃの千円札を取り出して男に差し出した。

「貧弱な男だな」

 と、男は言い、取り巻きの男たちを見て視線で同調を求めた。

 取り巻きの男たちはそれに応じて皆会長をあざ笑った。渇いた笑い声が図書室内に響き渡った。

 男は会長からしわくちゃの千円札を乱暴に奪い取ると、片手で思いっきり突き飛ばした。

 床に尻もちをついて倒れた会長に、追い打ちをかけるように腹に蹴りを入れ、顔を上履きでぐりぐりと踏みつぶした。

「これで赦してやる」

 と、嗜虐的な欲望を発散した快感に酔いしれ、同時にかろうじて面子も守ることに成功した男は満足げに言い、踵を返して図書室の出入口へと向かった。

 取り巻きの男たちも勝ち誇り、男に追随した。

 ある者は床に倒れたままの会長の顔面に唾を吐きかけたり、蹴りを入れたのち、去っていく男を追って図書室から退室した。

 男とその取り巻きが去ったのち、会長はまるで何もなかったかのようにすっくと立ち上がり、尻や背中についたほこりや、夏服にくっきりとついた上履きの足跡をたたき落とした。

 図書室の傍観者は、男が去ったのと同時に物語が終幕したことを感じ取り、安心したのか各々が読んでいた本に集中し始めた。

「大丈夫?」

 と、副会長は会長に言い、ポケットからハンカチを取り出して、会長の顔面に吐きかけられた唾を拭っていた。

「正直、あまり大丈夫じゃないな」

 と、会長は正直に答えた。

「あの体育会系馬鹿は一応手加減したのだろうが、それでも殴られた顎や蹴られた体が痛む。馬鹿ほど力が有り余っているのだろうな」

 僕は、目の前で起きた出来事に対してなすがままに傍観していたので、右手のポケットでモノを握ったままだった。

 会長は身なりを整え、居住まいを正すと、副会長と並び僕に向きあった。

「いい子だから右手に握っているものをおとなしく差し出しなよ」

 と、会長は言った。

「俺が千円札を用意していたように、君も右ポケットに何かを用意しているだろう?」

「悪いことはしないから、出してくれないかな? お願い」

 と、副会長は言った。

 僕は内心を見透かされていたことに狼狽していた。その上、先程までの男と会長との漫才のような珍妙なやり取りとは異なる、彼らが発するシリアスな気迫に完全に押されてしまっていた。僕はおとなしく頷いて右手で握られたモノをポケットから取り出して会長に渡した。

「こんなモノを持ち歩いてはいけないな」

 と、会長はそれを見て手に取り、僕を怒るでもない口調でたしなめた。

 ひとしきり眺めると、会長は僕がポケットから差し出したサバイバルナイフを副会長に渡した。軍用で使われるような、鞘に入れるタイプの、刃背に鋸刃を持ち、グリップ部にコンテナを持つタイプのものだった。インターネットの通販サイトで入手したケー・バー社の一万円近い価格の人気商品だ。

「立派な銃刀法違反だな」

 と、会長は呟いた。

「こんなモノで刺されたらあんな馬鹿でも死んじゃうよ」

 と副会長はナイフを持て余しながら僕に向いて言った。

「あなたはなぜこんなモノを持ち歩いているの?」

 僕は上級生、しかも生徒会の人から囲まれたことに緊張してもじもじしながら口を開いた。

「自主防衛のためです」

 会長は呆れたのか、呆然とした顔をして、

「自主防衛?」

 と、反復した。

「まるでスイスのような言い草だな」

「スイスに同盟国がないように、僕には友達や仲間がいません」

 と、僕は言った。

「孤独なんです」

「たしかに見た目、そんな感じがするわね」

 と、副会長は会長とは違い努めて冷静に言った。

「人は派閥というグループを作り群れることで、他者からの攻撃に対して集団で防御しリスクヘッジします。僕には群れることで安全を保証されたいとは思いません。孤独であることが僕のポリシーです」

 と、僕は持論を述べた。

「常夜灯に集まる蛾の群れみたいに、似たもの同士で算盤勘定だけで群れることにとても違和感を感じます」

 と、僕は言った。

「だから僕はあくまでひとりでいるのが相応しいと思えるのです」

「日本国は憲法で戦争を放棄すると決めた。で、君は孤独でいると決めたんだね」

 と、会長は言った。

「孤独でいることは、あくまで自分だけで敵から身を守らなければならない、ということね」

 と、副会長は言った。

「スイスで言うところの自主防衛とはそういうことになるわ」

「そうです」

 と、僕は答えた。

「僕はひとりで敵に立ち向かわなければなりません。群れだと仲間が味方となって加勢してくれますが、ひとりでいることに決めた僕には味方はいません」

 と、僕は言った。

「だから、僕に対して向けられる精神的な蔑みや肉体的な暴力からひとりで身を守るためには確固とした牙が必要なんです」

「それで、あなたはナイフを持って武装して身を守っているつもりなのね」

 と、副会長はシリアスな顔をして言った。

「はい」

 と、僕は決然と答えた。刹那、頬に痛覚を感じた。

 副会長は冷徹な顔をして、僕を手のひらで殴ったのだ。

 僕のことを愚か者だと言わんばかりに。

 僕は殴られた頬に手をあてて唖然としていた。

 副会長はじっと僕の目を見、僕の手を握ったあと、叩いた僕の頬に彼女の手を添えて優しく撫でながら語った。

「いい? そんな大義名分でナイフを持っても何も守れやしない。ナイフなんて誰かを傷つける事しかできないの。誰かを傷つけなければ守れないものなんて何の存在価値もない。そんな価値観はとっとと捨ててしまいなさい。

 殴られたから、嘲られたからといって即物的に危害を加えてきた相手をナイフで刺しても意味がないの。殴られても、蔑まれても、そんな暴力から正面から立ち向かって堂々と対峙することが大事なの。相手に悪意を向けられても決して屈服しないという決然とした決意こそ身を守る牙であるべきよ。そういった自主独歩の精神が大事なの」

 副会長は僕に悪意のない暴力を向けた。悪意なしに僕を叩き、悪意なしに僕を戒めた。肉体と言葉の優しい暴力。僕にとっての暴力とは悪意によって向けられるものでしかなかったので、初めて優しさによる暴力を相手に向けられたことに狼狽した。

「あなたが独りで頑張って生きているのはとても立派だと思う」

 と、副会長は続けて言った。

「孤独を恐れずに自分と向き合っていることもね。そしてあの男から渡された千円札を引きちぎって対抗したことにもね。とても立派で勇気がいることだと思う。

 でもね、それはあなたがナイフという最終兵器を持っていたからこそ奮い立たされた勇気でしかないのよ。それは本物の勇気ではないわ。あなたはあくまで丸腰であの男の理不尽に挑んで戦うべきだったのよ」

 僕にナイフなしであの男らの悪意に立ち向かえる決然たる勇気がはたしてあるとは思えなかった。ナイフという物質的な矛によってしか自分を守ることなしに、蔑まれたり殴られたりすることから逃れられない気がしていたのだ。

 しかし、彼女はそれを間違いだと言った。

「わかるかい?」

 と、会長は言った。

「俺みたいに無様に殴られて千円取られたとしてもそれは恥ではない。恥ずかしいのは他人を殴って支配欲を満たすあの男のような俗物の方だ。

 恥とは暴力の強さによって測られるものではなく、論理の正しさによってしか測られない。君はあの男の暴虐に対し、自尊心を守るためにナイフを使うことで相手を傷つけようとした。主張の正否は兎も角、結末が決定的に間違っている。

 君は正しい主張をしていたが、不必要な道具を強引に使用することで間違った結末を迎えるところだったのだよ。暴力をもって問題や課題を解決しようとしている点では君もあの男も同じだ」

 あの男と同じだという事実を突きつけられた途端、今までの浅慮が恥ずかしくなって、僕は黙って頷くしかなかった。

「わかってくれたみたいだね」

 と、副会長も満足そうに頷いた。

 副会長の手にあるナイフを会長が手にとって言った。「このナイフは俺が千円で買い取ることにするよ。君が破って俺がかわりにあの男に渡した千円でね」

 僕は再び頷いた。

「君はいつも独りで本を読んでいるの?」

 と、会長は訊いた。

「はい」

 と、僕は答えた。

「ご飯も独りで食べているのね?」

 と、副会長は訊いた。

 僕は頷いた。

「まさかトイレでご飯を食べてたりするの?」

 と、副会長は続けた。

「いいえ」

 と、僕は否定した。

「どこのクラスに所属しているの?」

 僕は所属するクラスと名前を教えた。

 そして、副会長が僕の頬に手を添えて言った。「さっきは殴ってごめんね?」

「怒っていません」

 と、僕は首を振って否定した。

「むしろ僕を止めて、殴ってくれてとてもうれしかったです。いろいろと悟ることが出来ました」

「良かった」

 と、副会長は言って僕に微笑みながら頭を撫でてくれた。

 副会長の手のひらで頭を撫でられるのは、とても心地良かった。




 翌日も、いつもと変わりがない、孤独を咀嚼する生活が始まっていくと思っていた。昼になると、いつものように、ひとりで食事をするために売店に行ってパンと牛乳を買った。しかし、教室に戻って扉を開いた刹那、僕は茫然と自分の席を眺めざるを得なかった。僕の席に、会長と副会長が隣の椅子と机を集めて椅子に座り、僕の机と隣の机をくっつけていた。副会長は値の張りそうな風呂敷に包まれていた重箱を机の上に並べていた。

 会長が僕に気付いて手を振った。「来たか。待ってたぞ!」

 僕は自分の机に近づいた。

「何をやっているのですか?」

「飯だ」

 と、会長は言った。

「ひとりでご飯を食べるのは寂しいでしょ?」

 と、副会長は言った。

「それに仲良くなるには一緒に食事するのが早道なのよ」

「ぼうっと突っ立っていないで座ったらどうだ?」

 と、会長が僕に言った。

「夏だから早く食べないと腐るぞ」

 僕はいわれるがままに自分の席に着席した。

 副会長は僕の目の前に豪奢な取り皿と塗り箸を差し出して言った。

「どうぞ召し上がれ」

 僕たちは料亭で使われていそうな漆塗りの重箱に収められた正月のおせちを思わせる料理に次々と手を伸ばした。僕はなすがままに目の前の事態を受け入れるしかない。六本の箸が重箱に伸び、料理が皿に乗り、口に運ばれた。僕たちは何も言わずに黙々と箸を動かすのみだ。僕は何が起きているのか十分に把握できないまま料理を腹に収める行為を続けていた。クラスメートが僕たちを見て囁く声が僕の耳に聞こえた。

「葬式じゃあるまいし、何か喋らないか?」

 と、会長が教室に流れる重い沈黙に対して、そんなものは存在の耐えられる重さだといわんばかりに軽口を叩いた。

「そうね」

 と、副会長は言った。

「話をしましょうか」

「質問です」

 と、僕は肘を直角に曲げた右手をささやかに上げて訊いた。

「なぜおふたりがここに来て、料理を振る舞ってくれたのですか?」

「それよ」

 と、副会長は言った。

「それが問題の中核だよ」

 と、会長は言った。

「君のことが心配でね」

「僕ですか?」

 と、僕は首を傾げて訊いた。

「そう」

 と、副会長は言った。

「あんなとんでもないことをしでかそうとしたあなたが孤独でいることがとても気になったのよ」

「わたしたちは君と仲良くなりたいと思っている」

 と、会長は言った。

「純粋な動機であなたと仲良くしたいと思っている。ひとりの人間として君のことに興味を持ったんだよ」

 それを聞いて僕は自虐的に言った。

「僕でもいいんですか?」

 それを聞いた副会長は呆れたように笑って言った。

「あなたねえ、もっと自分に自信を持ったらどう?」

「自信ですか?」

 と、学校すら無事卒業する自信のない僕は訊いた。

「君はきっと人から騙されたり、罵られたりして、人のいうことを信用出来ない体質になったんだと思う。だから僕らが『友達になりたい』といっても何か裏があるのではないかと勘ぐっているんだろう」

 と、会長は言った。

「君の気持ちもわかるが、僕らの気持ちもわかって欲しいと思っているのさ。君は人に疎まれて生きてきたのだろうから、君こそ僕らを疎まないで欲しいんだ。君はまるで、君自身がされてきたことと同じことを僕らにしているに過ぎないことに気づいて欲しい」

「信じていいんですか?」

 と、僕は強く念じるように言った。

「あなたが本気で私たちを信じたいと思っているのなら、その嘘偽りのない気持ちに自信を持つべきなのよ」

 と、副会長が会長の言に続けて言った。

「あなたのまわりの人間が、あなたに悪意を持つ人間ばかりでないことを信じて。そして自分の直感に自信を持って」

 僕は変わったランチタイムを過ごしている僕たちを取り巻くクラスメイトを見渡した。僕から見た彼らは群れることで人間関係を維持することしかできない一種の調整型政治屋にすぎない。しかし、彼らから見れば僕はどこにも属さない孤立した変人だと思われているだろう。だから僕は彼らを一切信じてないし、これからも信じることはない。

 しかし、時々信じてもいいのではないかと考えた人間と出会ってきたこともある。そのたびに僕はその考えを却下してきた。そして、彼らを僕の自閉した世界から遠ざけてきたし、彼らも僕から去っていった。

 今の僕は、このふたりなら信用できるのではないかという気持ちを抱いている。いつもの僕なら却下するであろうその考えに、自信を持つべきなのかもしれないと思わせる何かを彼らが掴ませてくれた気がした。

 だから、

「よろしくお願いします」

 と、言って僕は手を彼らに差し出した。

 まず会長が手を伸ばし僕の手の甲に彼の手を載せ、そのあと副会長がその上に手を載せた。

「成立だな」

 と、会長は言った。

「よろしくね」

 と、副会長が僕に言った。優しげな笑みを見せていた。

「こちらこそ」

 と、僕は答えた。

 そして僕たち三人はお互いの顔を見て微笑んだ。




 レストランの玄関に取り付けられた赤外線アラームのチャイム音が鳴った。その音の後に制服に身をまとったパートの店員が、いらっしゃいませ、と言った。僕は顔を入り口に向けた。

 会長と副会長がファミリーレストランのフロアを見渡して誰かを捜していた。僕は会長に向かって手を振った。会長は僕を見つけると、副会長の肩を取り誘導して僕の席へ向かってきた。二人は僕の正面の席に並んで座った。

 そして会長は言った。

「とりあえず何か食べよう。夏の暑さにへばって腹が減ったよ」

 会長は机の隅に立てかけられているメニューを取り、ろくにメニューを見ないでベルを鳴らし、店員を呼び寄せてサイコロステーキの洋食セットを注文した。副会長もメニューを開き軽く一瞥してチーズハンバーグの和食セットを注文した。僕はメニューを見ずに「カツカレー」と店員に言った。

 注文を終えるとしばらく顔を合わせていなかった僕たちはお互いに近況報告をし、とりとめのない話をした。

 しばらくして店員がサイコロステーキとチーズハンバーグとカツカレーを器用に持って来てテーブルの上に並べた。僕たちは箸やフォークを器用に扱いながら食事を始めた。

「会長はそうやって、男の面子を立てつつ事を丸く収めることにしたのですね?」

 と、僕が言った。

「体裁を気にしてあくまで張り合い続けることで事を大きくさせることよりも、無様な姿を晒してでも事を丸く収めることのほうがずっと難しい」

 と、会長は鉄板の上に載せられたサイコロステーキのかけらを転がしながら言った。

「目的を達成するためにプライドを捨てて醜態をさらすことで笑われることを容認できるかといった精神的な難しさなんだ」

「この人はね」

 と、言って副会長は会長を指し示した。副会長はチーズハンバーグを箸で切り刻んでいた。

「体裁とか面子とか気にしない性質だから。だからといって恥知らずなわけではなくてね。譲るべき所は譲るといった判断をして適切な行動をきちんと取れる人なわけ」

 それを聞いた会長は笑って肉片を口に放り込んだ。

「俗物の権化たる男は体裁とか面子にだけこだわって事を大きくさせることに対して配慮することが出来なくなっていたのよ」

 と、副会長は続けた。

「この人はあなたの安全と名誉のために適切な判断をして適切な行動を取った」

「会長が男に暴力をけしかけ、男が振るった暴力に会長が軟弱に屈するふりをすることで男は体裁を保ったまま撤退させたわけですね」

 と、僕は言った。

「それは買いかぶりすぎだね」

 と、会長は言った。

「俺はもともと軟弱だよ。暴力に対して暴力で応酬できるほど俺は強くないんだ」

「弱い人間は弱いなりに、非暴力的な手段で暴力に挑むべく努力し、戦術的に暴力を回避する術を使ったというわけ」

 と、副会長は言った。

「そして会長は僕の思惟に及ばないほどの、人の気持ちを理解できるだけの能力があったわけですね」

 と、僕は言った。

「男が僕に絡んで来たとき、僕が右手で何を握っていたかを会長は理解していたほどの洞察力という能力が」

「俺は君が問題児として扱われてしまうことに耐えられなかったんだよ」

 と、会長は言った。

「世の中の大人は、子供を図書館の本を分類するのと感覚で分類基準を設ける。三つのタイプにね。優等生と普通の子と問題児、といった具合に」

「もしもあのとき会長たちが止めてくれなければ、僕はその分類における問題児になるところでした」

 と、僕は謝辞を込めて言った。

「僕は致命的に社会の枠から外れるところでしたし、社会の枠から外れることが人生にどれほどのデメリットを及ぼすか、そのときの僕には思いつきさえしていませんでした」

「孤独なあなたがあんな救いがたい男から嬲られているのを見ているうちに、わたしたちはあなたを絶対に止めなくてはならないと決意させる何かをあなたから感じ取ったのよ」

 と、副会長が言った。

「僕はそんなおふたりの配慮に感謝しています」

 と、僕は礼を言った。

「僕が男たちに嬲られていたとき、右手に持っていたあれを使って行おうとしていた愚かな行為を、ふたりが止めてくれた遣いとともに」

 それを聞いたふたりは軽く微笑んだ。

 食事が終わると、会長と副会長はテーブルの脇に立った。

「あまりかまえないですまないが、これで失礼するよ」

 と、会長は伝票を振って言った。

「俺からのおごりにさせてくれ」

 僕は椅子から立ち上がり黙礼した。

「元気でね」

 と、副会長が僕に問いかけた。

 僕は黙ってうなずいた。

「非営利的かつ非功利的な相互依存によって、僕たちは強固な見えない鎖で繋がっている」

 と、会長は言った。

「俺たち三人はどこにいてといつも繋がっていることを忘れるなよ」

 僕は再びうなずいた。ふたりは会計を済ませると、僕に手を振りファミリーレストランのドアから出て行った。僕は再び窓の外を見た。さっきと変わらずに街灯が真夏の幹線道路を照らし続けていた。光が闇をつんざいていた。そして闇が光を包んでいた。僕は幹線道路に降り注ぎ拡散する街灯の光を見つめながら惚けた。




 放課後、学校の校門を出て左に曲がると、川の土手が見えた。まっすぐ歩いて土手の下を走る道路を横断し、階段を上って土手の頂上へと歩いた。土手の頂上には遊歩道があって、犬を連れた散歩途中の女性が糞を処理するためのビニール袋とスコップを持って歩いていたり、ランニングをする他校の運動部員が行き交っていた。僕らは川側の土手に生える草に座り、真夏の太陽が浴びせるやわらかい光を浴びていた。

「平和だな」

 と、会長は言った。

「平和ね」

 と、副会長も言った。

「そうですね」

 と、僕も首肯した。

「君は孤独だと自分で言っていたけど、本当は人間はひとりで生きていけないものなのよ」

 と、副会長は言った。

「ひとりだと日光浴さえ出来ないでしょ」

「僕ら三人はまるでアルプス山脈の氷河から流れ出した水を汲んだミネラルウォーターみたいに清らかだ」

 と、会長は言った。

「水に味がなく、そして塩素臭い水道水のような不純物がないのと同様、対立関係や利害関係がない」

「対立関係や利害関係のない友好な関係のことを友情とか愛情というのよ」

 と、副会長は僕に言った。

「孤立しないためという政治的理由による派閥の形成のような利害集団とは違ってね」

 会長は土手を勢いよく下り河川敷の向こうの川辺まで走っていった。

 そして会長は川に向かって小石を何度も投げた。投げた小石はろくに跳ねずに川の底へ沈んでいった。会長はムキになって石を投げ続けた。僕と副会長は並んで座り、そんな会長を見て笑った。

 そんな副会長の笑顔に胸をときめかせた。えいっ、といった具合に勢いだけで僕は彼女にとんでもない質問をしようと決めた。

「副会長に好きな人はいるのですか」

 と、僕は訊いた。

「いるよ」

 と、少し翳った笑顔で答えた。

「他の好きな男性がいるのですね」

 と、僕は訊いた。答えを聞くまでもない質問だった。

 彼女は黙ってうなずいた。

「僕にはあなたが誰のことが好きなのかわかっていると思います」

 と、僕は言った。

「その人があなたの恋人になってくれるとしたら僕は心から祝福します」

「ありがとう」

 と、彼女は言って僕の髪を撫でた。

「でも、あなたがあの人のことが好きで、僕もあの人が好きです。あの人ならあなたを幸せにできるでしょうし、それが一番望ましい解だと思います」

「もっとも望ましい解なんて数学以外には存在しないのよ」

 と、彼女は言った。

「必ずしもあの人がわたしを幸せにするとは限らないのよ」

「本当の解なんて存在しないでしょうし、それに今の僕に与えられた解の候補にはあまり選択肢はあり得ません」

 と、僕は決然と言った。

「僕は孤独から救い出してくれた、おふたりに感謝しています」

「あなたは私たちと繋がることができた」

 と、彼女は言った。

「はい。あなたと会長と深く繋がることができました。あなたはあの人、会長のことを愛している」

 と、僕は言うと息をすべく言葉を区切った。

「どう考えても僕には会長とあなたが恋愛的に繋がって幸せになるのが僕にとってもっとも望ましいことだと思えます」

「もしもわたしが幸せになれなかったら」

 と、彼女は言った。

「あなたが私を救い出してくれる?」

「もちろんです」

 と、僕は断言した。

「もっともその必要は永遠になさそうですが」

 彼女はうなずいて言った。

「ありがとう」

「どっちにしろ、僕はもう孤独に耐えられる体でなくなりました」

 と、僕は言った。

「おふたりに出会ってからというもの、おふたりに対する複雑な感情を抱くことになって、そんな寂しい感情を抱いて生きて行くにはひとりでは辛すぎます」

「私もあの人や、あなたに出会ったのだけど、もしもあなたたちを抜きにして生きていくとしたら、それはきっと辛いことでしょうね」

 と、彼女は言った。

 むこうまで届かない石を投げるのに諦めたのか、やっと会長は踵を返してこちらに引き返してきた。

「あの人って、時々あんなふうに無邪気になるのよ」

 と、副会長は会長を見ながら言った。

「そんなところが好きになったわけですね」

 と、僕は言った。

 彼女は肯定するときの微笑みを僕にみせた。

 会長が僕たちに合流した。

「何の話をしていたんだい?」

「特別な関係になった私たちが孤独に耐えられるのか? という話よ」

 と、副会長は言った。

「そりゃ無理だな」

 と、会長は言った。

「孤独に耐えられなくなるほど君たちとの間に強いつながりを持ってしまったからね」

 僕たちは土手を北に進み、川にかかる橋の欄干に沿って僕たちは無言で歩いた。河口近くにかかる橋に海からの風が激しく吹きつけた。

「さっきの話だけどね」

 と、会長から口を開いた。

「君はもう孤独ではないんだよ。僕たちは強固な見えない鎖で繋がっているから。だから孤独であり得ないんだよ」

「わたしたちは友達なのよ」

 と、副会長は言った。

「正真正銘の友達よ」

 僕はひとりではない、と黙唱した。もう孤独ではない。

「僕にはすごく素敵で、立派で、勇敢な友達がいます」

 と、僕は声を出して言った。

「そうよ」

 と、副会長は言った。

「わたしたちは仲のいい三人組よ」

「結局、民主的で自由が保証されていると自称するこの国において、実はきわめて不自由な人生の選択肢ときわめて不明瞭な未来への道筋しか与えられていない俺たちに残された行動は、眼前に立ちふさがる障害を乗り越えてひたすら前に向かって走り続けることしかないんだよ」

 と、会長は言うと、橋の上をダッシュするように走り出した。

「お前らもついてこい!」

「行きましょう!」

 と、副会長は言い彼女も全力で走り始めた。

 僕も彼らにつられて続いて全力で走った。会長は全力で橋の上を駆け抜けた。副会長は少しバテたのかペースが落ちて走るスピードが落ちた。僕が副会長に追いついて彼女の背中を押した。会長も走るペースを落として副会長の手を取り引っ張った。副会長を押したり引いたり、副会長が押されたり引かれたりする僕たちは心底楽しそうに笑っていた。

 みんなこの橋を死にもの狂いで走った。


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