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死の律動、生の余白

イシドールが去った後の廃屋には、焦げ付いた魔力の臭いと、絶望に近い沈黙が立ち込めていた。

俺の右腕は、依然として熱を帯びて脈打っている。ハンスが施した「不格好な治療」が、イシドールの「完璧な法」によって引き裂かれようとした衝撃を、いまだに神経の奥底が覚えているのだ。


「……解析。深度三。自己の状態確認……。神経接合部の炎症、拡大。魔力伝導率、不安定」


俺は、自分の震える指先を見つめながら、視界に走る青白い数式をなぞった。

今の俺では勝てない。

イシドールの魔法は、この世界の「正解」を押し付ける力だ。それに対し、俺の『創造』は、ただの「偽物の提示」でしかなかった。


「……いつまで、自分の傷跡を数え続けている。そんなものは、ただの過去の記録だ」


背後から、低く、冷淡な声が響いた。

ハンスだ。彼は部屋の中央にある頑丈な木机の上に、いくつかの奇妙な物体を並べていた。

それは、乾燥した薬草でもなければ、医療器具でもない。

――剥き出しの、何かの心臓。

いや、それは生身の臓器ではなく、魔力伝導率の高い鉱石と、複雑に編み込まれた極細の銀糸で構成された「魔導心臓」の試作品だった。


「……なんだ、それは」


「帝国がかつて、死んだ兵士を再び戦場に立たせるために開発しようとしていた『失敗作』だ。構造は完璧だが、一度も鼓動を刻むことはなかった」


ハンスは俺を机の前に招き、冷たい指先でその銀色の塊を指し示した。


「アルド。君の『解析』で、これの中身を識れ。……ただし、成分や形状を追うな。この静止した金属塊の中に、本来流れるはずだった『リズム』を想像しろ」


俺は戸惑いながらも、左手をその冷たい物体に翳した。

視界が青白く反転し、設計図が展開される。


(……解析。対象:人工心臓。

 構成物質:銀、ミスリル、竜の血の結晶。

 構造:二重螺旋式の魔力ポンプ。流路、三万二千箇所。……複雑すぎる)


読み取れば読み取るほど、その精密さに目眩がした。

一分の隙もない。イシドールの魔法と同じだ。帝国の技術の粋を集めた、美しすぎるほどの「完成品」。


「……完璧だ。どこにも欠陥はない。……なのに、なぜ動かない?」


「『完璧』だからだ、アルド。……完璧なものは、変化を拒む。だが、命とは、常に壊れ続け、狂い続けることでしか維持できない『エラー』の連続なんだ」


ハンスは俺の隣に立ち、その鋭い瞳で俺の視界を見透かすように言った。


「君の『創造』も同じだ。君は、自分の解析結果に忠実すぎる。一ミリの狂いもなく物質を配置しようとする。……それは、『死』を創造しているのと同じだ」


ハンスの言葉が、脳を直接殴られたような衝撃を伴って響いた。

死を、創造している。

村で作ったあの肉塊。イシドールに一瞬で霧散させられたあの盾。

それらはすべて、静止した「データ」の出力でしかなかった。


「……じゃあ、どうすればいい。俺に、狂えと言うのか」


「理解の仕方を変えろ。……構造と構造の間にある『隙間』を見ろ。そこには数式も、名前もない。ただ、命が命であろうとするための『余白』がある。……その余白に、君の意志意志(ノイズ)を流し込め」


ハンスは、机の脇に置いてあった小さなナイフを手に取り、俺の右腕を指した。


「今日から一週間、君に課すのは『創造』ではない。……この人工心臓を、一度バラバラに解体し、君の魔力だけで、再び組み上げろ。……ただし、一度でも鼓動が止まれば、君の右腕の神経をすべて焼き切る」


「……本気か、あんた」


「私は医者だ。無意味な手術はせん。……始めろ。エレナ、アイリスの食事の準備を」


ハンスはそれだけ言うと、部屋の奥へと消えていった。

残されたのは、凍てつくような静寂と、冷たい金属の塊。


俺は奥歯を噛み締め、解析回路を最大出力で回した。

視界が真っ赤に染まる。脳が過熱し、鼻の奥から鉄の匂いが漂ってくる。


(……隙間。余白。ノイズ……。そんなもの、設計図のどこにも書いていない……!)


三時間が過ぎた。

俺の周囲には、分解された心臓の部品が何百と転がっている。

右腕は激しく震え、魔力のバイパスが悲鳴を上げている。


「……お兄ちゃん、大丈夫? ……すごく、苦しい音がしてる」


アイリスが、部屋の隅から不安げに声をかけた。

彼女は俺の「魔力の音」を聞いているのだ。解析に没頭しすぎて、周囲を顧みない俺の、荒れ狂う内面の音を。


「……大丈夫だ、アイリス。……すぐに終わる」


嘘だ。終わるはずがない。

部品を組み合わせても、それはただの「精巧な置物」に戻るだけだ。

イシドールに見せつけられた「法」に勝つためには、この静止した世界を動かさなければならない。


(……待てよ。……構造の『一点』ではなく、その『繋がり』に意識を向けろ……?)


俺は、ハンスが俺の腕を繋いだ時の、あの泥臭い縫合を思い出した。

あれは、解剖学的に正解な位置に肉を置いただけではなかった。

神経を、血管を、無理やりではなく、お互いが「求めている場所」へと導いていた。


(……解析。再定義。……これは心臓ではない。……これは、『流れ』そのものだ)


俺は目を閉じた。視覚情報を遮断し、魔力の「触覚」だけで部品を捉える。

部品一つ一つの表面にある微細な凹凸、銀糸のたわみ。それらが互いに触れ合い、干渉し合うことで生まれる、小さな摩擦の熱。


「……繋げ。……いや、混ざれ」


俺は、自分の右腕から溢れ出す魔力を、一点の構造に固定しなかった。

あえて「不完全」なまま、魔力の糸を心臓の奥深くに潜り込ませる。

正解をなぞるのではない。

この金属が、再び脈打ちたいと「願う」ための、最初の歪みを与える。


――ドクン。


小さな、しかし確かな振動が、俺の左手に伝わった。

視界に走るエラーコードが、一瞬だけ黄金色の光に変わった。


(……動いた。……解析不能な、命の律動)


人工心臓が、微かな光を放ちながら、俺の魔力を吸い取って拍動し始めた。

ハンスの言っていた「揺らぎ」。

完璧な設計図を、俺の意志という名の不純物で汚した瞬間に、死んでいた物質が「生」へと裏返った。


「……できたぞ。ハンス」


俺は荒い息をつきながら、背後に立つハンスを振り返った。

ハンスは、いつの間にか俺の後ろに立っていた。彼は拍動を続ける心臓を一瞥し、わずかに目を細めた。


「……合格だ。……だが、忘れるな。……その鼓動を維持するために、君は何を削った?」


ハンスの言葉に、俺は自分の右腕を見た。

包帯の下から、ドス黒い血が滲み出していた。

何かを得るためには、何かを壊さなければならない。

『創造』の代償は、魔力だけではない。俺自身の「構造」さえも、この力は食らい尽くそうとしている。


「……エレナ。アルドに止血剤を。……明日からは、この心臓を動かしながら、屋外で『魔法使い』の戦術を叩き込む」


ハンスの過酷な言葉が、新たな地獄の始まりを告げる。

俺は意識が遠のきそうになる中、拍動し続ける金属の塊を、強く、強く握りしめた。


俺の『解析』は、ようやく世界の「表面」を突き破り、その奥にある残酷な美しさへと手を伸ばし始めたのだ。

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