女神様、飛ぶ
女神アリアは、深いため息をついていた。
机の上には山のようなエラーログ。
内容はすべて、こうだ。
【報告】:世界変数が改変されました。
【ユーザー】:アパン
【操作内容】:金貨生成/領主BAN/孤児院修繕完了/幸福度+9999
「…………」
額を押さえる。
天界の光がやけにまぶしい。
まだ頭痛が残っていた。
というか、現実が頭痛の原因そのものだった。
「よりによって、あの転生先……よりによって、アドミン権限……!」
彼女は泣きそうになりながらモニターを見た。
そこには、スラムの孤児院に金貨の山を築き、
子供たちにパンを配る黒髪の少年の姿。
――アパン。
地上では英雄扱いらしい。
“金貨の聖人”“孤児たちの神”などと呼ばれている。
「……神って、私のポジションなんだけどなぁ」
ぼそりと呟く。
でも、画面の中で笑っているアパンの顔を見て、
なぜか胸が少しだけ温かくなった。
「……ふふ。人間のくせに、いい顔するじゃない」
作業のように行っていたここ数百年の転生作業。
考えてみれば、人間の笑顔なんて最初に担当した数十年しか見ていなかった。
それ以降は、作業に追われてただのタスクとしてしか見ていなかった。
だがどうだろう、人間の笑顔は……やはり素晴らしい。
アリアはふっと笑った。
けれどその瞬間、背後から冷たい声が降ってくる。
「アリア、また勝手に下界観察してるの?」
現れたのは上司の神――“天界管理局・監査部”の女神だった。
スーツに似た服装、目が死んでる。
天界は上から下までホワイトではない。(控えめな表現)
「い、いえ! これは監査です! 不正な転生管理の調査を――」
「言い訳はいいわ。次の転生案件、三十件溜まってるから早く片づけて」
「……はい」
女神は深いため息をついた。
心のどこかで思った。
――あの子みたいに、自由に生きられたら。
「飛ぶかぁ」
その夜。
アリアはこっそり、地上へ降りた。
◇
スラム街の夜は静かだった。
崩れた石壁の上で、アパンが空を見上げている。
その手には、1個のパン。
俺が出した現代日本の菓子パンだ。
誰かが言っていた。「神のパン」だと。
「じゃあ神様も呼べるのかね」
そこに、風が吹いた。
月明かりの中、光の粒が舞い、
さっきまで居なかったはずの小柄な女性がそっと姿を現した。
「……っ!」
アパンは立ち上がり、警戒する。
「待って。敵じゃないわ」
手を挙げて制止するアリア。
その姿に、見覚えはあった。
「……その格好、天界の?」
「ええ。……私はアリア。あなたを転生させた女神」
「は? あの寝落ちしてた神様!?」
「……はい、すみません」
頬を赤くしてうつむくアリア。
アパンはしばらく呆然としたあと、吹き出した。
「そりゃまた、派手にミスしてくれましたね。おかげで今、俺がこの世界のシステムいじってます」
「知ってます……ログで。あなた、貴族をBANしたでしょう」
「不正ユーザーだったんで」
「……理由が運営っぽいのよね」
アリアはため息をついた。
けれど、怒る気にはなれなかった。
孤児たちが笑ってるログも見てしまったのだ。
そして本来のシミュレート結果も。いずれも凄惨な結末が彼ら彼女らを待っていた。
色々と問題はあれど、この世界で、アパンは“救って”いた。
「……ごめんなさい。本当は、あんな権限を渡すつもりじゃなかったの」
「でしょうね……まぁ、結果オーライですよ」
「でも、このままだと世界の均衡が崩れる。あなたが管理者権限を使うたびに、他の領域が歪むの。勇者のシステムとか……」
「勇者?」
「ええ。この世界には、周期的に“魔王”が現れて、“勇者”が召喚されるシステムがあるの。……本来なら、私が制御するはずだった」
「つまり、それも俺のログに入ってるわけだ」
「そう。あなたの操作一つで、世界が変わる」
アパンはしばらく黙った。
やがて、静かに言った。
「……ねえ、アリアさん。世界の運営って、そんなに辛いの?」
アリアはハッとした。
彼の声には、あの時と同じ――人間界で死んだあの青年の、
疲れた優しさが混ざっていた。
「辛い、っていうか……終わりがないの。人が死ねば魂の処理、祈りが増えれば願いの処理。
バグ報告は山のように来るのに、人手は減らされて、残業は無限」
「あー……完全に俺の前職と同じだわ」
アリアは目を見開いた。
そして、ふっと笑った。
「あなた、なんか神様臭い」
「お互い様ですよ。女神のくせに、まるえデスマに疲れてるエンジニアだ。クマできてるし」
「うるさいです!」
月明かりの下で、ふたりは笑った。
その笑い声が風に溶けて、夜の街に響いた。
◇
それからというもの、アリアはときどき地上に降りた。
アパンが孤児院を改修したり、下水道を作ったりするのを手伝いながら、
“神界の仕事”を忘れていた。
――だが、その代償は少しずつ積み重なっていた。
世界のログには、異常値が出ていた。
「勇者召喚システム:エラーコード#MAO1」
「魔王出現フラグ:暴走」
アリアがそれに気づいたのは、もう遅かった。
夜空に赤い光が走る。
空が裂け、地平の向こうから、巨大な影が立ち上がる。
「魔王、出現……」
アリアは青ざめた。通常の閾値よりも大幅に魔力量が大きい。
その横でアパンはため息をつく。
「ま、そろそろ来る頃だと思ってましたよ」
「あなた、知ってたの!?」
「そりゃログに出てましたからね。勇者召喚、俺がやりますよ」
「え……でも!」
「大丈夫。俺、神様の代わりですから」
アリアが何か言おうとしたその瞬間、アパンは指を鳴らした。
ピコン。
【勇者召喚プログラム 起動】
【召喚対象:ランダム】
【付与権限:[✓] default(administrator)】
……あれ、間違えてアドミン……?
アリアの顔が真っ青になった。
「アパン、それダメ!! そのチェック外さなきゃ――!」
光が爆発した。




