6.貧民街
※本話には別の物語が挿入されています。
「ここに隠れて、やり過ごしましょう」
暗い路地裏。アルバートは息を吐きながら、壁際に背を押しつけた。女はこくりと頷く。
追手の足音が聞こえた。近づいているのか、遠ざかっているのか、判別が難しい。二人は息を殺し、身を寄せ合った。
「ごめんなさい」
「大丈夫ですよ」
アルバートは頭をかいた。
女が謝るのは何度目だろう? 女は悪くない。一緒にいたいと言ってくれた、それだけでアルバートには十分だった。
追手の足音が離れていく。路地に静寂が戻った。
「行きましょう」
アルバートは女の手を握った。
◆◆
貧民街をドレスで歩くわけにはいかない。目立つし、揉め事に巻き込まれると、動きにくい服装は命取りになる。ローズの体には大きかったけれど、動きやすい服と靴に着替えた。長い黄金の髪を隠すため、帽子を被った。これで、遠目からは男に見えるだろう。
陽が差し込まない路地は薄暗かった。路地の石畳はひび割れ、あちらこちら水が溜まっている。腐った臭い、焦げた臭いが鼻を刺す。
人影はまばらだった。壁にもたれた男が、ヤニで黒くなったパイプから煙を出し、虚ろな目で二人を追う。絡まれると面倒だから、目を合わせず、足早に通り過ぎる。
「幽霊はいないわよね?」
ローズが小声で尋ねた。
マリーは「ええ」と苦笑いをする。
「本当に?」
「本当です。ネズミはいますけど」
「きゃっ」
足元を大きなネズミが横切った。後ろに飛びのいたローズは、マリーに身を寄せる。
「ネズミでしたね」
ローズは「そうね」と目をそらした。
路地を進むと、道端に商品を並べた女がいた。
「あれは?」
「闇市です。偽物や盗品を売っています。正規の業者から仕入れるよりも安いので、ここで盗品を買って市場で販売する商人もいます」
短剣、指輪、鞄、葉巻、商品が所狭しと並ぶ。ローズは一つの像に目を止めた。
「気になるものでも?」
「これは、イグナリエル神の像ですわよね?」
「そうですね。でも、これは偽物です。教会の像は番号を入っています。どの像がどの信者のものかを管理するためです。ほら、ここを見てください」
像を手に取って、ローズに見せる。
「番号がありません。つまり、教会の像ではないということです」
値段を尋ねると、女は「銅貨一枚」と言った。
教会から買うと銀貨一枚。貧民街の偽物は10分の1。安い。偽物だと知っても、買う者はいるだろう。
「イグナリエル神の像を販売できるのは、教会だけなのに」
ローズは像の隅々まで観察する。
「おい、うちの商品にケチをつけるのか?」
振り返ると、人相の悪い男が二人立っていた。
「この像を教会以外が販売するのは違法です。誰の許可を得て、売っているのですか?」
ローズは男たちを睨みつけた。突然のことに、息を呑む。正論だが、貧民街で法律を守る者などいない。ここで揉め事は避けたい。
「誰の許可だと?」
男が腰の剣に手をかけた。緊張が走る。マリーは路地を見回した。物陰に隠れている仲間はいない。この二人だけだ。
「ええ、そうです。誰の許可を得ているのですか?」
ローズは再び男を睨みつけた。
「あぁ?」
男はローズに向けて剣を振りかざす。マリーは長いため息をついた。争いを回避する方法はなさそうだ。
マリーの棒が、剣を払い、柄の端で男のみぞおちを突いた。呻き声が上がる。
「このガキが!」
もう一人の男が刃こぼれのある短剣を振りかざして、突進してくる。マリーは棒の先で男の手首を打った。短剣が乾いた音を立てて落ちる。続けざま、男の膝を横薙ぎし、顎を下から突き上げた。男は倒れ込んだ。
男二人は立ち上がってこないが、仲間を呼ばれるとまずい。「走りますよ」とローズの手を取った。石畳に溜まった雨水を踏むと、水しぶきがとんだ。汚水が体にかかるけど、気にせずに走った。
速度を緩め、後ろを確認した。男たちは追ってこない。呼吸を整えるため、深くゆっくりと息を吐く。このまま、占星術師の居場所まで行こう。
「あなた、強いのね」
ローズは緊張が解けないのか、髪を触る。
「相手が短剣だったので、何とかなりました。長い得物を使われたら、この体だと厳しかったかもしれません」
相手の得物が間合いの短い剣で助かった。棒や槍を使われたら、男のほうが有利だ。ローズの手足の長さ、筋力では、男の攻撃をしのぐのは難しい。
「それよりも、貧民街では揉め事は避けてください。仲間を呼ばれると、面倒なことになります」
「ごめんなさい」
ローズが首をすくめた。少しは反省しているようだ。間違ったことはしていないのだが、貧民街では常識は通じない。
**
占星術師の家は、貧民街の外れに建っていた。前の道は石畳が崩れ、歪んでいた。
木造の藁葺き屋根、都市部では火災の危険から建築が禁止されている。薄汚れた壁は、泥と木で補修されているが、獣の爪で引っ掻かれたような傷がある。小さな窓は、布で塞がれていて、中を窺うことはできない。
ローズは壁に吊るされた薬草に興味があるようだ。じろじろと観察している。
「在宅でしょうか?」
ローズは「ふっ」と鼻で笑った。
「何かおかしなことでも?」
「いえ。それを私に訊いてどうするのですか? 在宅でなければ、帰ってくるまで待つだけです」
ローズはノックした。何度かノックすると、老婆が「誰だい?」と扉を開けた。
老婆は二人を見て目を丸くすると、「中に入りな」と案内した。
部屋の壁には、乾いた薬草、動物の骨が紐で吊ってある。木製の粗末な棚には、瓶が並び、中には得体の知れない液体が入っている。机には古びた羊皮紙が散乱していた。鼻を刺す刺激臭がする。瓶の液体の臭いだろうか?
占星術師よりも魔女と呼ぶのがふさわしい。
「そこに座りな」
老婆は古いソファーを指した。腰を鎮めると、埃が光に照らされて舞う。きっと、老婆は何年も部屋を掃除していない。咳込むのを堪えて隣に目をやると、ローズは目を輝かせて部屋の中を見回していた。
「あの」といいかけたら、老婆は右手を上げて制した。
「魂が別の肉体に入っている。久しぶりに見た」
老婆は片方の口角だけを上げた。笑顔を作ろうとしたのだろうけど、表情はぎこちない。
「50年前にも同じ現象が起きて、あなたが元に戻した。そう聞きました」
「わしは同じ現象が起こる場所を教えることはできる。だが、お前たちが元に戻れるかはわからん」
「元に戻れないのですか?」
老婆は腕を組んで黙った。どこを見るでもなく、ぼんやりと前を見ている。
「50年前は元に戻ったのですよね?」
再度の質問に老婆は長いため息をついた。
「口止めされているのだが、お前たちには話したほうがいいだろう。二人は元に戻っていない」
「えっ?」
「平民と入れ替わった貴族令嬢が男と逃げたのだ。だから、二人は元に戻れなかった」
逃げた女がどこに消えたか、老婆は知らなかった。貴族令嬢の失踪を隠すため、二人が元に戻ったことにした。実際には、元平民の女が貴族令嬢として代わりを務めたそうだ。
「……というわけだ。わしにはお前たちが元に戻れるかはわからん。なんせ、初めてのことだからな」
二人に入れ替わった場所と日時を尋ねると、老婆は不思議な器具を使って計算を始めた。
老婆が机に向かっている間、ローズはカップの縁を指でなぞっていた。
「できたぞ」
老婆は次回入れ替わりが起こる日時と場所を教えてくれた。20日後の深夜0時、二人が入れ替わった場所のすぐ近くだった。
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