2.伯爵令嬢の婚約者
昼下がりの表通りは、馬車と人で騒がしかった。その一角、石造りの建物の一階に小さなカフェがある。異国から輸入した紅茶、パティシエの作るケーキが貴族夫人や令嬢に人気の店だ。
マリーはローズに連れられて、カフェに入った。入口の扉を開けると、焙煎された豆の香ばしい香り、焼き菓子の甘い香りが鼻をくすぐる。窓には白い麻布のカーテンが揺れ、店内には木と革張りの椅子が並ぶ。
カルロスはローズの婚約者。カルロスのミルズ子爵家は、トリスタン伯爵家とともに孤児院を援助している。ローズはカルロスに、孤児院の運営費を渡す約束をしていた。
店の奥から手を振る男がいた。
「あれがカルロスです」ローズが小さく囁く。
ミルズ子爵家の次男。マリーはダリオ商会で何度かカルロスを接客したことがある。ミルズ子爵家に配達したとき、侍女に横柄な態度で接していたのを覚えている。さわやかに見えるけど、裏表のある青年だ。
カルロスのテーブルには着飾った女性が5人座っていた。隣の女は特にカルロスと親しそうだ。女はローズの姿をしたマリーを見て、片方だけ口角を上げた。嫌な女だ。
「ローズ、遅かったですね。何かあったのかと心配しました」
カルロスに近づくと、布袋をテーブルに置いた。
「通りで泥棒に遭いまして。この人に助けていただいたのです」
愛想笑いして紹介すると、マリーの姿をしたローズは会釈した。
「君はたしか、ダリオ商会の……ローズを助けてくれて、ありがとう」
カルロスが手を差し伸べたら、隣の女がシャツの裾を引っ張った。女が小声でささやくと、カルロスはうなずいた。
「ローズ、申し訳ないのだけれど、予定があるのでこれで失礼するよ」
カルロスは女性5人をエスコートして、店を出て行った。外から笑い声が聞こえる。ふと見たら、さっきの女が見下すような目つきでマリーを見ていた。
婚約者をカフェに残して、女性を従えるカルロス。丁寧な物言いだけれど、ローズを馬鹿にしている。
「ローズ様、行きましょうか」
二人がカフェから出ようとすると、給仕が「あの」と申し訳なさそうに会釈した。
「なにか?」
「いえ、お会計をいただいておりませんで……」
マリーの眉が吊り上がる。
「きっと、忘れてしまったのですわ」
ローズは首をすくめた。給仕から伝票を受取るローズを見て、腹が立った。紅茶を一口も飲んでいないのに、なぜ、カルロスたちの飲食代を支払う必要があるのか。納得がいかない。
「払う必要はありませんよ」
マリーの語気が強くなった。ローズはマリーをじっと見てから、にこりと笑った。
「貴族は貴族らしく振舞わなくてはいけません。ほら、お店の人にご迷惑がかかりますよ」
バッグから袋を出すと、「おつりは要りません」と銀貨を給仕に渡した。
ローズは怒らない。人が良過ぎる。マリーは無言のままカフェを出た。
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「さて、次はあなたの用事でしたね。どちらに?」
ローズはそわそわしながら、弾むように言った。
商品の配達先はミルズ子爵家、カルロスの実家だ。ローズに伝えていいものか。腕を組んでじっと黙りこむ。
「言いたくないのであれば、無理には訊きません。でも、私の姿で配達すると、目立ちますよ」
ローズに覗き込まれた。体が動かない。ローズはとても穏やかに見える。自分の顔が、こんな表情をしていることに驚かされる。
短いため息をつくと、「ミルズ子爵家です」と事務的に伝えた。
「分かりました」
ローズは小さくうなずくと歩き出した。
石畳の道は陽を受けてかすかに光る。二人は並んで歩いた。ローズは風に揺れる黒髪を指で押さえながら、あたりを見回す。
「いつもと見える景色が違うわね」
マリーの身長はローズよりも頭一つ分高い。いつもより目線が高いから、嬉しいのだろう。
「あの、代わりに配達していただいて、本当にいいのですか?」
「構いません。それに、配達なんて初めてですから、楽しみですわ」
ローズは目を輝かせた。
屋敷の高い門は光を鈍く反射していた。ローズの姿で近づくわけにいかないから、マリーは門から死角になる建物に隠れた。マリーが配達の手順を伝えると、「分かりましたわ」とローズは笑顔で門に近づく。ドアノッカーを叩きながら、声を張り上げた。
「ダリオ商会です。お届けに参りました」
しばらくすると、屋敷の門が音を立てて開いた。侍女のリディアが出てくる。ローズは伝票とともに小包を渡した。中の宝飾品を見て、リディアはため息をついた。
「また、カルロス様ですか」
ミルズ子爵家はダリオ商会の得意先。カルロスは女性と店にやってきては、宝飾品、ドレス、バッグなどを買っていく。商品を買ってくれるのはありがたいが、ローズの立場を考えれば、素直に喜べない。見たところ、ローズの持ち物にダリオ商会の商品はない。
「女性への贈り物ですか?」
ローズはリディアに尋ねる。
「ええ、来月誕生日の女性への贈り物と聞いております」
リディアは愛想笑いを浮かべた。
「気に入っていただけるといいですね」
ローズは深々と頭を下げると、屋敷を立ち去った。
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