10.C
屋敷に戻ったマリーは、カルロスが孤児院の運営費を横領していることを、ローズの父、トリスタン伯爵に伝えた。
眉が吊り上がったが、トリスタン伯爵は「そうか、すぐに対処する」と言っただけだった。感情を表に出さないところが、ローズと似ている。
イグナリエル神の像の偽物が孤児院に持ち込まれることを伝えると、トリスタン伯爵は王立警察への手紙をしたため、執事に渡した。仕事が早い。これで、孤児を犯罪に巻き込むCは捕まるだろう。
寝室に戻ったマリーは、落ち着かなかった。窓のカーテンを開ける。夜の庭園に丁寧に刈られた木が並ぶのが見えた。木は月の光を受けて、影絵のように揺れる。
ローズは思い詰めていた。孤児院の運営費が足りないのは、カルロスに資金を預けたローズの責任だと考えている。ひょっとしたら、孤児の犯罪もローズの責任だと考えているのかもしれない。ローズは誠実だけど、責任感があまりにも強すぎる。
雲の切れ間から流れる星が見えた。流れ星は命の終わりを告げる。
ローズが孤児院に行こうとしていたら? その不安が、ずっと頭の中から消えない。
今は9時、馬車なら30分で孤児院にいける。不安になるくらいなら、孤児院にローズがいないかを確かめればいい。急いで動きやすい服装に着替えた。
「サラ、いますか? 馬車を用意してください」
部屋に入ってきたサラは、マリーを見て目を大きく見開いた。
「こんな時間に、どこに行かれるのですか?」
「孤児院です。確認したいことがあります」
焦っていたのか、語気が強くなった。マリーの気迫に負けたのか、サラは「かしこまりました」と出ていった。
**
御者を急がせ、馬車は9時50分に孤児院に到着した。明かりの消えた孤児院は、外灯に照らされた輪郭が淡く浮かんでいる。昼間の喧騒が嘘のように静かだった。
取引まであと10分。サラを待機させて、マリーは馬車から降りた。倉庫が見える位置に移動する。
目を凝らすと、隣の建物の壁際に人影が見えた。誰なのかは暗くて見えない。
倉庫の扉が、軋む音を立てて開いた。中の明かりが壁を照らす。ローズだ。作業着姿で、壁際に屈んでいた。
念のために、壁に立てかけてあった棒を手に取った。足元の砂利を鳴らさないように注意を払い、ゆっくりと倉庫に近づく。
「ローズ様、何をしているのですか?」
不意に現れたマリーに、ローズは肩をビクッと震わせた。口に人差し指を当てて、「静かに」とささやく。
「王立警察を呼びました。すぐに駆け付けるはずです。あとは、王立警察に任せて、帰りましょう」
「まだ来ていません。王立警察が来るまで、責任をもって見張ります」
ローズは倉庫の入口に向き直った。帰る気はないらしい。
10時になった。王立警察は来ない。取引に間に合わなければ、犯人を取り逃がす。
“ガタン”
門が開く音が聞こえた。犯人に見つからないように、マリーは壁に隠れた。
急いで屈んだから、ローズと肩が触れ合った。息遣いをそばで感じる。ローズを意識しないように、マリーは深呼吸した。
犯人は3人。男のようだ。暗くて顔は見えない。
男が倉庫の扉を叩いたら、扉が開いた。明かりが男を照らす。
「カルロス?」
カルロスは二人の男に木箱を持たせている。容姿端整なカルロスと比べると、二人の人相は悪い。どこかで見たような……思い出した。貧民街で絡んできた男たちだ。
カルロスは辺りを警戒しながら、倉庫に入った。
「ローズ様、犯人が分かりました。現場を取り押さえなくても、王立警察がカルロスを調べれば、証拠が出るでしょう」
ローズは遠くを見つめたまま動かない。
婚約者のカルロスは、孤児院の運営費を横領しただけでなく、イグナリエル神の偽物の像にも関わっていた。それに、ローズが大金を運ぶことを知っていたカルロスの指示なら、路地裏で金を奪ったのもうなずける。
「私……どうしたら?」
「ローズ様が気に病む必要はありません。あとは、王立警察が対処してくれます」
ローズの手をとって、門へ向かって歩く。ローズの震えが、手から伝わった。
「大丈夫です。さあ、歩きましょう」
頭一つ大きなローズを支えるために腰に手を回した。温かい。自分の体がこんなに温かいとは知らなかった。
**
「誰だ?」
門を越えようとしたら、男の声がした。振り向くと、貧民街で会った男。もう少しだったのに……ため息がでた。
「お前は、あのときの!」
男も気付いたようだ。顎にはマリーが付けた痣がある。
「あら、こんばんは。ここで何を?」
「お前こそ、ここで何をしてるんだ?」
「昼に訪問をしたときに、忘れ物をしてしまって。それを取りに来たのです」
マリーたちが像の取引を監視していたのを、男は知らない。自然に対応すれば、この場をやり過ごせる。
「それでは、ごきげんよう」
軽く会釈したら、「この前の借りがあるんだ。行かせるわけねえだろ」と男は短剣を抜いた。血の気の多い男だ。
男は怒りにまかせて突進してきた。刃先が月光を帯びて光る。刃を受け止めず、棒を滑らせて剣の軌道を逸らした。男の体勢が崩れる。棒を突き出して、喉元で止めた。
「まだ、やりますか?」
男は抵抗するのを諦めて、短剣を地面に置いた。マリーは剣を遠くに蹴り飛ばす。
「何の騒ぎだ?」
倉庫から別の男が出てきた。カルロスだ。
「C、こいつです。貧民街で商売の邪魔をしたのは」
男は大声で叫んだ。カルロスは目を凝らして、男の前に立つ女を見る。
「ローズ……なのかい?」
「あら、カルロス。ごきげんよう。深夜に孤児院を訪問するなんて、仕事熱心ですね」
「まあ、そうだね。君はどうして孤児院に?」
カルロスは愛想笑いを浮かべた。棒を男の喉元に突き付けた婚約者。何が起こったのか、カルロスは状況を見定めようとしている。
「忘れ物を取りにきたのです。そうしたら、この方が襲い掛かってきて。正当防衛ですわ」
棒を喉元から離すと、男は門へ駆けていった。
「そうですか。屋敷までお送りしたいところですが、まだやることがありまして。お気を付けて、お帰りください」
カルロスはマリーが偶然やってきたと結論づけた。カルロスが会釈して倉庫に戻ろうとしたら、ローズが前に出た。緊張からか、髪を触っている。
「ええっと、君はダリオ商会の。こんな夜更けに僕の婚約者と一緒にいる。君とローズはどういう関係なんだい?」
カルロスは見下すような目つきで見た。
「カルロス、どうして? 孤児院の運営費を盗んだり、偽物の像を売ったり。誠実な人だと信じていたのに」
「なんだと?」
カルロスの語気が強くなった。ローズを睨みつける。
「ローズ、こんな卑しい男を信じてはいけません。僕は何も法に触れることはしていません」
カルロスは手を広げて、笑顔をつくる。
「身分は関係ありません。彼のほうが、あなたよりも信じられるわ」
「僕はローズと話をしているんだ。平民は黙ってろ!」
話しているのがローズであることに、カルロスは気付かない。カルロスは腰に差した長剣に手をかけた。抜き放った長剣を、ローズに振り下ろす。
「ローズ様!」
マリーは棒を斜めに跳ね上げ、剣を弾き返した。乾いた音が夜に響く。
一歩踏み込んで棒を突き出し、カルロスの手首を打ち据えた。剣を落としたカルロスは、苦痛に顔を歪めた。棒をカルロスに向けた。
「ローズ、なぜ平民の卑しい男をかばう?」
マリーは平民の卑しい身分なので、何を言われても構わない。でも、ローズを侮辱するのは許せない。やはり、カルロスはローズにふさわしくない。
喉を一突きすれば、カルロスを殺せる。マリーは深く呼吸をした。
そのとき、
「王立警察だ! 武器を捨てて、手を挙げなさい」
防具を着用した警察隊が走ってくる。警察隊はカルロスを取り囲んだ。
これで解決する。ふっと肩が軽くなった。
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