9話✴︎共同保護
サマール王宮の広々とした謁見の間に、重厚な足音が響く。その音に、王妃は軽く眉を上げ、クラウディアたちは驚きの面持ちで振り返った。
扉の向こうから現れたのは、長身で背筋をまっすぐに伸ばした壮年の騎士――アーリントン侯爵、レオンハルトだった。
「お父さま……!」
クラウディアが思わず声を上げる。その顔には、驚きと共に、どこか安堵の色も浮かんでいた。
一方で、玉座に座していたアゼル王が笑みを浮かべ、ゆっくりと立ち上がる。
「……懐かしい顔だな、レオンハルト。お前とは、あの黒い砂の峡谷で剣を交えたのを思い出す」
「その頃よりも膝の痛みが酷くてな。今剣を振れば、自分の骨が先に折れるかもしれん」
老将たちの軽妙なやりとりに場が和む。ふたりはかつて敵として剣を交え、いまは信頼を交わす盟友として、しっかりと握手を交わした。
ひとときの昔話のあと、レオンハルトの表情がわずかに硬くなる。
「……クラウディアは、すでに竜の卵と魔力の適性を得ているようです。ですが今後、その育成を進めるには、信頼できる環境と慎重な保護体制が必要です」
彼は一歩前に出て、真摯な声で告げる。
「もし許されるのであれば――この卵を、我がアーリントン家にて預からせていただけないでしょうか」
一瞬、場に静けさが訪れた。王妃がちらりとアゼル王を見やり、クラウディアたちも息を呑む。
だが、アゼル王は迷いなく頷いた。
「お前たちならば、心から託すに値する。竜の命を軍事利用する意思など、そなたらには微塵もないだろう。それに何より……お前の娘が、あの卵に選ばれたのだ。ならば、それに応える責任もまた、君たちにある」
その言葉に、王妃も安堵のような笑みを浮かべ、フィン、セレナ、アレクも静かに頷いた。
「ただし、一つ問題がある」
アゼル王は少しだけ顔を曇らせる。
「サマールとシュタインの間には、山々と乾いた荒野が横たわっている。卵を運ぶには、あまりにも危険が多すぎる」
その言葉に、今度はレオンハルトが静かに口を開く。
「……一つ、手段があります」
その声音には、長年封じてきた何かを語る覚悟が滲んでいた。
「アーリントンの領地には、古の時代に築かれた“転移魔法陣”があります。そしてその魔法陣は……サマール王宮へと通じているのです」
一瞬、全員が息をのんだ。
「それが本当なら、なぜ今まで……?」
王妃が問うと、レオンハルトは静かに答える。
「それほどの力を持つ魔法陣の起動には、尋常ならざる魔力が必要です。我が家の魔力系統者の中でも、それを使えるのは数代に一人。そのため、実在を知る者も少なく、私自身も長年……あえて封じてきました。もし誤って使用すれば、命に関わる魔力消耗が起こり得る。だが――今ならば、私か、クラウディアなら起動可能です」
「起動後の移動も、魔力量の少ない者では気絶すらあり得るでしょうが、私たちなら、問題ありません」
アゼル王はしばし目を閉じて考え、やがて深く頷いた。
「……わかった。君たちの誠意と覚悟、しかと受け取った。この竜の卵は、サマール王家とアーリントン家の“共同保護”という形で託そう。必要な支援は惜しまぬ。どうか、命をつなぐ役目を果たしてくれ」
クラウディアは、父と王の信頼に応えるように深く一礼した。
「……ならば、卵を迎える準備を進めましょう」
アゼル王が立ち上がったそのとき、アレクが一歩前に出た。
「――その前に、一つお願いがあります」
「ん?なんだね?」
「俺たちの……いや、この卵の“守護者”を、紹介させてください」
そう言ってアレクは、腰のポーチから銀細工の笛を取り出すと、そっと唇に当てた。
静かな宮廷に、澄んだ音色が響く。鳥のさえずりのようでいて、どこか異世界の風をまとったその音は、天井の高い玉座の間を満たしながら、外へ、空へ、呼びかけていく。
そして数瞬ののち――
重く、空気を震わせるような風の音が響いた。
「……なにかが」
王妃がそっとつぶやいたそのとき、大広間の天窓越しに、巨大な漆黒の影が差した。
控えていた騎士たちが思わず剣に手をかける。だが、アゼル王は静かに手を挙げてそれを制す。
天窓の外に、ゆっくりと飛翔してくるその姿は、まさに威厳の具現。
ーーー漆黒の竜、ニブル・アドゥム。
翼をたたみ、静かに着地したその巨躯は、玉座の間の広間を満たすほど。
だがその金の双眸は、どこまでも澄んでいた。
「……ニブル・アドゥム。私たちの友であり、この卵の保護者です」
クラウディアが静かに言うと、ニブルは軽く頭を垂れた。
「サマール王、アゼル殿。竜の名にかけて、我が卵を託すこと――心より感謝する。私はクラウディアたちの傍にあり、この命が再び空を翔けるその日まで、見届けよう」
アゼル王は少し目を見開いたが、やがて柔らかな微笑を浮かべて頷いた。
「竜と人とが、再びこうして語らう日が来るとは……長く生きた甲斐があったというものだな。ようこそ、我が王宮へ。ニブル・アドゥムよ」
ニブルがゆるやかに頭を下げ、金の瞳を閉じた。
それは、かつて血を交えた者たちが交わす、誓いの印。
卵は、確かに新たな絆の中に迎えられた。
クラウディアはそっと卵に触れながら、胸の奥で静かに誓った。
――この命を守る。この絆を、次の時代へとつなげる。




