3話✴︎禁域
ニブルの金色の瞳が、ふたたび遠くの空を見つめた。
「……お前たちは、“魔物の森”と呼ばれる場所を知っているか?」
クラウディアは小さく頷く。「サマールの西方……国境のさらに外、辺境の地にある森よね。人が近づくにはあまりに危険だって、記録には書いてある…」
フィンが眉をひそめた。「魔物の発生源だとも言われていますね。けど、森の先がどうなってるかは誰も知らない…。…誰も…戻って来たものがいないから…」
「そうだな。あの場所こそ“禁域”への道だ」
ニブルの声が静かに響く。
「かつてそこには、ラズハルトという国があった。だが、竜と人との戦争によりその地は滅び、魔物と瘴気に覆われた。
国は地図から消え、道は封じられ、そして“禁域”とされた」
セレナがそっと口を開く。
「…でも、どうして? どうやって、そんな広い領域が“なかったこと”にできたの?」
ニブルは頷くように瞳を細めた。
「それは、“封印”によるものだ。結界や結界呪法といった小さなものではない。
我ら竜と人間の大賢者が手を組み、記憶と認識を曖昧にする長期術式を張った。
“この先には何もない”と、人々に思わせる術だ」
アレクが小さく息を呑む。「……じゃあ、人々は禁域があること自体を知らない……?」
「そうだ。知る者は古き王家と、竜の長、そして術式を設計した一部の術者のみ。
だが、年月とともに術者たちは亡くなり、記録も隠され、いまや真実を知る者はほとんどいない」
「それって……記憶操作に近い?」
「近いが、“操作”というより“封鎖”だ。触れようとした思考が靄に覆われ、言葉にできなくなる。
魔物が集う森と恐れられることで、人は自ら距離を置く。……そのように、術式は今も生きている」
クラウディアは紅い瞳を細めた。「だから竜も入れないのね。侵入は誓いに反するし、結界に触れればその魂をもって裁かれる……」
ニブルは静かに頷く。
「私たちはその禁域を侵犯できぬ。だから、そこに遺された卵にも触れられなかった。
だが、君たちなら――入ることができる。封印術式は、竜にしか効力を持たない」
「…では…行くしかないようですね」
フィンが、軽く拳を握った。
「でも危険よ。魔物が出るだけじゃない。結界の残滓が今も残っていれば、精神や魔力を蝕まれる可能性もあるわ」
セレナが鋭く言ったが、その目には揺るぎのない意志があった。
クラウディアもまた、静かにうなずいた。
「禁域の結界を突破する方法……少しでも何か、手がかりがあれば教えて」
ニブルは短く息を吐き、語り出した。
「禁域の最奥には“印”がある。かつて封印を完成させた術者が、緊急時の“鍵”として設置したものだ。
だが、鍵を動かすには、“魔力と記憶の両方”を揃える必要がある。人の記憶と、竜の魔力。……この二つが、門を開く」
「竜の魔力なら……あなたが、与えられる?」
「与えよう。私の力の一部を“印”に刻んでおく。これを…持って行くといい。……だが、記憶のほうは、君たち人の側に眠るはずだ。
旧ラズハルトに縁のある者――あるいは、かつてあの地を知っていた家系の記録。探し出すしかない」
アレクが目を上げる。「…その記憶を持つ人物を探す必要がまずはあるってことか……」
「その通りだ。記憶なき鍵は動かない。たとえ君たちが卵の元へたどり着けても、結界の中心を解かねば卵は解放されない。
そして――すでに、禁域内部の魔物たちは“あの卵”に気づき始めている」
「……時間がないのね」
クラウディアの声に、誰もが黙って頷いた。
風が再び吹き抜ける。夏の終わりの静かな午後に、かすかな決意の炎が灯る。