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2話✴︎あるのどかな日

夏の終わり、エソール村はのどかな午後を迎えていた。

遠くで羊が鳴き、小麦畑には柔らかな風が吹き抜ける。

カフェのテラス席に腰掛けたクラウディアは、レモンハーブの紅茶をゆっくりと口に運んだ。


「……平和だなぁ」


フィンがテーブルの上でナイフを器用に回しながら、空を見上げる。

やがて、ふと問いかけた。


「でもお嬢様、本当に良かったのですか?あのまま王都に残ってもよかったのでは…」


「戻る場所は、ここだって決めたの。それに……」


クラウディアが何かを言いかけた、そのときだった。


――ドゥウウン……!


空が唸ったような重低音とともに、大地がかすかに揺れた。


「な、何の音だ……!?」


アレクが素早く立ち上がり、笛の入ったポーチに手を伸ばす。

直後、空を裂くようにして村の上空に巨大な黒影が現れた。


村人たちは騒然となり、子どもたちは泣き、羊飼いたちは柵を越えて走り寄る。


「ちょ、ちょっと待ってアレク……あれって――!」


「……あぁ、間違いない。ニブル・アドゥム、だ」


黒き竜は翼を広げ、村を見下ろしながらゆっくり旋回すると、村外れの丘へと降り立った。

空気を震わせる重厚な着地音が響く。


クラウディアは静かに立ち上がり、仲間たちに向かって言った。


「行こう。……あれは、私たちを呼んでる」


ーーーー


丘の上。

そこには、漆黒の鱗を持つ巨大な竜・ニブル・アドゥムが、堂々と横たわっていた。

だが、その金色の瞳には、わずかに陰りが差していた。


「クラウディア。フィン。セレナ。そしてアレク……」


名を呼ばれるたび、4人の表情が引き締まる。


「……頼みがあって、来た。私一人ではどうにも成し得ぬことだ」


ニブルはわずかに頭を下げた。

その仕草に、クラウディアは驚きを隠せなかった。竜が――助けを乞うような目をしている。


「我ら竜の誓いにより、踏み入れぬ“場所”がある。そこに、いま――一つの命が取り残されている」


「…命?」


セレナが風のような声で問いかける。


「竜の卵だ。かつて、我が同族の一体が命を遺し、そのまま戻らなかった。

通常、卵は親の魔力を浴びねば孵化できぬ。だが、あの卵は……」


「……ずっと、ひとりで」


クラウディアが呟いた。


「そうだ。そして……あまりに長く放置されれば、あの卵は狂ってしまう。…親の魔力を得られぬまま、自力で魔を吸い込もうとする。そして、やがてそれは災厄の核となるだろう」


ニブルは重く瞳を閉じた。


「私は行けぬ。だが――お前たちなら、きっと」


クラウディアが一歩踏み出す。


「私たちにできることなら、なんでもする。けれど……なぜ、あなた自身が行けないの?」


しばしの沈黙ののち、ニブルは再び口を開いた。


「……そこは、かつて竜と人が戦いを繰り広げた地。旧ラズハルト公国。

君たち人の歴史ではあまり語られぬ、忌まわしき戦地だ」


風が止んだかのような静寂が訪れる。


「私はあの戦争の終盤に生まれた。血と炎、空を裂かれる仲間の叫び。

そして、あの地は戦後、“禁域”として封じられた。竜も人も入れぬよう、結界と呪法で閉ざされた」


「封印……誰が?」


「竜と人、両者の代表が交わした誓いだ。これ以上の流血を望まぬという、痛みと喪失の上に立つ協定。

相互不可侵――それが今も生きている」


アレクが目を見開く。「じゃあ……君たち竜にも、結界は有効なのか?」


「……ああ。破れば、我らの長でさえ魂を裁かれる。誓いは、我らにとって命より重い」


ニブルの声には苦味が滲んでいた。


「けれど、その禁域に卵を託した仲間がいた。

重傷を負いながら、最後の力で飛び、まだ封じられていなかった一瞬の隙に、希望を残した」


フィンが小さく呟く。「……竜の、子ども」


「そう。卵は死んだ親の“魔力遺構”――死後も残る魔力の場の中にある。

そこは瘴気に満ちて危険だが、君たちなら……」


「行くしかないわね」


セレナが静かに微笑む。

クラウディアもまた、強く頷いた。


「私たちは……あなたを信じてる。

そして、あなたが信じた命を、見捨てたくはない」


「ニブル、私たちはもう“友達”よ。なら、友が背負う哀しみも、私たちのものだわ」


ニブルの喉奥から、深く震えるような吐息が漏れる。

それは、長い孤独の果てにたどり着いた信頼の響きだった。


「ありがとう。私は行けない。けれど――君たちなら、あの子を救えると信じている」


その金の瞳は、確かな決意の光を湛えていた。


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