12話✴︎誕生
アーリントン公爵家の古い離れ、竜の卵が安置された部屋には、魔術的な障壁と結界が張られていた。だが、そのすべてが無意味になるほどの「何か」が、静かに胎動していた。
――グゥン……。
深く、低く、地鳴りのような音が床下から響き、窓の外にある森の木々が、一斉にざわめき始める。
クラウディアは、夜の見回りを終えて戻ってきた矢先だった。
卵の上に広がる空間が、波打っていた。
光でも熱でもない――魔力の「圧」が空間そのものをねじっていた。
「フィン、来て!」
声を聞いたフィンとセリーヌ、そしてレオンハルトが駆けつける。
ニブルも、巣から目を覚まし、黙って部屋の外からその様子を見つめていた。
「……始まるな。気をつけろ、クラウディア」
ニブルの声は低いが、どこか緊張していた。
クラウディアがいつものように両手を卵に触れると、今まで以上の「吸引」が起こった。
一気に、深く、骨の奥に眠っていた魔力までも引き出されるような感覚に、息が詰まる。
「クラウディア……!」
フィンが止めようとするが、彼女は静かに首を振った。
「……大丈夫。これは、“呼ばれてる”だけ」
その瞬間――
卵の殻に、音もなく細い亀裂が走った。
とたんに、周囲の空気が爆ぜる。
魔力が炸裂するように吹き荒れ、部屋の障壁が軋み、家具が浮き上がるほどの嵐が巻き起こる。
レオンハルトが即座に魔法障壁を張り、セリーヌとフィンがクラウディアを守るように構える。
「……来る!」
バリィィィンッ!
雷鳴のような音とともに、卵が砕けた。
金色の光の奔流が部屋を満たし、全員が思わず目を閉じた。
その光がやんだとき、そこにいたのは――
黒曜石のごとき滑らかな鱗。細く、しなやかな尾。
まだ頼りなさの残る手足、そして何より――
金の瞳が、まっすぐにクラウディアを見つめていた。
「……あ……」
その瞳には、言葉ではない「確信」があった。
クラウディアは膝をつき、そっと手を伸ばす。
竜は迷うことなくその手に顔を寄せ、細い喉から、幼く澄んだ鳴き声を上げた。
「こんにちは、やっと会えたね」
そうクラウディアが呟いた瞬間だった。
ふわりと風が吹き、誰もが聞こえるはずのない声が、部屋の中に響いた。
──ありがとう。願わくば、この子に“名”を。
それは、封印を見守っていた精霊の残滓か。それとも、竜の古き記憶か。
ニブルが、低く鼻を鳴らす。
「……あれは、クラウディアの前に魔力を注いでいた、おそらく親竜の声だろう。思い残していた最後の祈りだ」
静寂が戻る。
嵐は止み、部屋の空気はどこか澄んでいた。
命がひとつ、ここに確かに芽吹いたのだ。
クラウディアはそっと、まだ柔らかい竜の身体を抱き上げた。
クラウディアの腕の中で、かすかに温もりを帯びた竜の子が目を開ける。
まだ小さく、はかなげで、それでも確かな命の光を宿しているその瞳は――
まるで深い夜の中で輝く星のように静かに瞬いていた。
「この子は……“ノクティス”。闇の中に生まれた、小さな命」
闇を怖れる者たちにとっては脅威。
けれどクラウディアにとって、闇とは“力”であり“温もり”であり――
この竜がそれを証明してくれる存在になる。
フィンやセレナ、アレク、そしてニブルがそれぞれの想いを込めて見守る中、
新たな“契約”の象徴となる命が、ゆっくりと羽ばたきを始めた。




