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後悔に苛まれながら王都にあるフィオーナのいる公爵邸に着いたのは、翌日の昼頃だった。
突然平民の格好をした王太子が裸馬に跨り汗だくになって押しかけて来たのだから、公爵邸は3年前に男を連れて行った時以上に騒ぎになった。
『お待ち下さい王太子殿下』という制止を振り切り、『フィオーナに会わせてくれ!』と押し入った。
慌てて出て来た公爵にフィオーナの居場所を尋ねれば、この時間なら中庭で琴を奏でているはずだと教えられて、案内も待たずに駆けて行った。
かつて何度も訪れた事のある公爵邸を迷いなく進み、中庭へと出れば、琴を奏でる姿が遠くに見えた。
そこでやっと気がついた。
(平民の格好をどう説明したらいいんだ………?)
頭に血が上りすぎて前後不覚に陥っていたらしいと今更気づいて二の足を踏む。
(突然押しかけてきて自分は彼女に何を言うつもりだというのか?)
男の言葉が確かなら、フィオーナから見た王太子は婚約者とはいえ暴力でねじ伏せて手籠めにしたような男であるのだ。
そんな男にいきなり会いたいと押しかけられては怯えさせてしまうだろう。
どうすべきかとその場に立ち止まり、フィオーナの前に踏み出す事も、さりとて去る事も出来ずに久しぶりに見た彼女の姿を見つめた。
愛おしい彼女の姿。
こんな状況だというのに胸の高鳴りを抑えることが出来なかった。
(ああ…ますます美しくなった………。)
辛い思いをしたからだろうか、表情は憂いを帯びていたが、3年前よりも更に美しく、匂い立つような色香は大人の女性を感じさせた。
3年前は微かに残っていた少女の部分は消え、大人の魅力を纏い咲き誇る彼女の姿はそれだけの月日が経ったことを実感させツキンと心に痛みが走った。
(何故俺は彼女をおいて城を出てしまったのか…………。)
久しぶりに聴く彼女の調べが耳に届く。
彼女の奏でる琴の音は、まるで悲しみを堪えるように淋しげに聞こえてジクジクと胸が疼き出した。
(全て俺が愚かだったせいで………………。)
(フィオーナに会いたい一心でここまで来てしまったが、これ以上彼女を傷つけてはいけない。)
(一度城に戻り状況を整理し、彼女の心情を確認してから出直してくるべきだ。)
自分の気持ちを優先して先走ってしまったことを恥じ、一旦王宮へ向かおうと踵を返した。
しかし足元の小枝を踏んでしまい、パキリと音が鳴り『まずい!』と思うと同時に、琴の音が止んでギクリとした。
「王太子殿下……………?」
俺に気づいたフィオーナが琴を置いて、ゆっくりと近づいてくる。
どうしたら良いのかと冷や汗を吹き出しながら逃げることも出来ずに彼女に向かい合った。
「フィ、フィオーナ……その……。」
こうなれば男が彼女にしてきた狼藉を自分の過ちとして、まずは誠心誠意謝る事から始めるしかないだろう。
腹を括り彼女に謝罪の言葉を口にしようとて………
言葉を紡ぐことは出来なかった。
あと数歩まで近づいた彼女の美しい瞳から、ボロボロと涙が溢れ出し、瞬く間に頬を濡らしたから。
「!!!!!!!!!!」
(どんな時も美しい微笑を崩さなかったフィオーナが泣いている!?)
初めて見るフィオーナの泣き顔に、王太子の顔を見るだけで泣くほど傷ついてしまったのかと胸を引き裂くような痛みが走った。
フィオーナを傷つけた男に対して腸が煮えくり返るほどの怒りが込み上げて来る。
(あの男………殴るだけではなく…殺しておくべきだった!!!)
だがフィオーナから見れば、今は自分こそが殺したいほど憎いあの男なのだ。
全ては己が蒔いた罪なのだと、怒りを押し殺してフィオーナの前に跪く。
「フィオーナ……今日はこれまで君を傷つけてきた事を詫びに………!!!」
しかし突然、頭を抱え込まれるように抱きつかれて、またも言葉を続けることは出来なかった。
ギュッと抱きつかれ彼女の柔らかな胸にフワリと包まれ、心臓がドクドクと早鐘を打った。
「フィ、フィオーナ……?」
動揺して真っ赤な顔で見上げれば、頬に両手を添えられた。
彼女の夜空に浮かぶ綺羅星のような瞳が俺を覗き込む。
美しい瞳に見つめられ、俺は吸い込まれたように目を離すことが出来なくなる。
しばし無言で見つめ合い、
そして
「ああ………殿下…………本物の王太子殿下だわ…。」
ヒュッと喉の奥が鳴った。
血の気が引いて行くのが自分でも分かった。
「ど…うして……………。」
"まさか"という考えに声が震える。
「……まさか……知っているのか?……俺が……俺達が…………。」
緊張しながらフィオーナの顔を見つめれば、涙を流しながらもフィオーナはしっかりと頷いた。
「入れ替わりの事ならば存じております……。」
脳天に雷が直撃したような衝撃が走った。
(まさか、あの男がバラしたのか!?)
カッと頭に血が上りそうになるも、次のフィオーナの台詞に更なる衝撃が走る。
「最初から気づいておりましたから………。」
「!!!!!?????」
続けざまの衝撃のせいで頭の中は真っ白になる。
(最初から………最初から…………!?)
フィオーナの言う最初からが一体いつのことを指しているのか見当もつかない。
そもそも、彼女が気づいていた事自体が受け入れられない。
なんとか気持ちを落ち着けようと、フィオーナへ疑問の声を絞り出す。
「さ、最初からとは?……そ、それは……一体いつの事を言っているんだ……?」
恐る恐る尋ねれば、彼女がはっきりと答えを返す。
「はじめて殿下が勇者様を連れてこられた日。聖剣を携えた勇者様と殿下がこの公爵邸にいらしたあの日からですわ。」
「まさか!!!」
思わず声を荒らげてしまう。
だって、そんなことはあり得ない!
あの日まったく気づく事のなかった彼女の姿を覚えている。
ずっと一瞥すらされなかった苦い記憶を。
「だって…だって君は……あの時まったく気づいてはいなかったろう!!」
だからこそ俺は城を出た。
フィオーナが気づいていないと確信したからこそ、生涯の入れ替わりの覚悟を決めたのだ。
それなのに到底信じられるはずもない。
しかし否定する俺に、フィオーナはまたも静かに首を振る。
「いいえ……いいえ殿下……私は気づいておりました。
信じていただけないかもしれませんが……本当です。
殿下と勇者様が入れ替わってらっしゃる事は、一目見た瞬間から分かっておりました………。」
「一目見た瞬間から!?」
いくらなんでも信じられない言葉が飛び出してきて、俺の頭の中は疑念に埋め尽くされた。
俺と男は今も昔も鏡で写し取った様にソックリだ。
見た目だけでは俺自身ですら区別がつかないほどに。
それなのにフィオーナが一瞬で気づくなんてあるのだろうか?
一瞬で見抜けるほど彼女が俺を知ってくれていたとは思えない。
あの最初の日、長年の婚約者としての絆のようなもので気づいてくれないかと淡い期待を持ってはいたが、あの時でさえ一瞬で見抜けるなんて期待すらしていなかった。
気づいて欲しいと思う気持ちだって、期待というよりも惨めったらしい願望に近かった。
彼女は俺に興味すら持っていなかったのは一目瞭然だったのだから。
信じる信じない以前の問題だろう。
しかし彼女の涙を堪える瞳は切実で、虚偽を述べているようにも思えない。
思えないけれど……過去を振り返ればやはり彼女の言葉は不可解すぎて、正直なところ困惑するしかない。
「何故そんな……………(嘘を)。」
思わず『嘘を』と言いそうになって慌てて口を噤んたが、言おうとした言葉は伝わってしまったのだろう。
フィオーナの顔が一気に曇る。
彼女の暗い顔に胸が痛み、『さすがに嘘はまずかった』と、何か言おうと口を開いたが、声を発したのはフィオーナが先だった。
「……では私が…幼い頃より殿下をお慕いしていた…と言ったら信じていただけますか?」
「………………?」
「ずっと殿下を見つめて来たから……入れ替わりに気づけたと言ったら…納得していただけますか?」
「え………………?」
「殿下を愛していると言ったら受入れて貰えますか………?」
「は………………?」
縋るような眼差しで、フィオーナが俺を見つめてくる。
何を言われたのか理解が追いつかなくて、俺は呆然とフィオーナを見つめ返した。
ここまでお読み頂き有り難うございます。
多忙の為なかなか時間がとれず、ちまちまと書いてはいるのですが、次回の更新は少し間が空いてしまうかもしれません。
気長に待って頂けたら幸いです。




