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(この男の言っていることは真実なのか?)
俄には信じられないが、確かに男がわざわざ嘘を付く必要はない。
男に対し大変な重責と役目を引き受けてさせて苦労させてしまい、申し訳ないと感じていた思いと、立派に責務をやり通した男に抱いていた尊敬の念がガラガラと崩れていく気がした。
しかし仮に男の言う通りだったとしても、魔王を打倒した事と王国の気質を変えてくれた実績が消えるわけじゃない。
何より男がフィオーナに心惹かれていたのは間違いない。
「だとしても……それが王太子を辞めたい理由にはならないたろう。
それにフィオーナは?フィオーナの事はどうするつもりなんだ?
お前はフィオーナと結婚したいんじゃなかったのか!?」
フィオーナを見つめる目は間違いなく恋する男の目だったはずだ。
直接この目で見たのだから、それは間違いない。
だからこそ俺も安心して彼女を託して城を出たのだから。
「あ〜フィオーナね。アレはもういいの!」
「もういい!?」
本当に理解出来なくて目を見開く。
「ああ、飽きたから。」
「飽きた!!!????」
到底受け入れられない言葉が出て来て、『どういう事か!』と思わず一歩男へ詰め寄ろうとした時だった。
突然入り口の扉がバタンと開き、茶髪でセミロングの華奢で可愛らしい、垂れ目がちの顔つきの少女がパタパタと家に入って来て男に抱きついた。
「もう〜〜〜〜!勇者様ったら遅いぃ〜〜〜!!サミ〜馬車で待ちくたびれちゃったぁ〜♡」
「ああ、悪い悪い。コイツが中々言う事聞かなくてな。でももう話は終わったから。」
甘ったる声を出しながら男の腕に絡みついて媚びた上目づかいで男を見つめる少女。
対する男も甘い蕩けるような顔で少女を見つめ返す。
「……だ、…………誰だ…………?」
驚きで固まる俺を他所に、男はドヤ顔で少女の肩を抱き寄せるとフフンと鼻を鳴らして俺を見た。
「見てわかんないか?俺の運命の恋人『真実の愛』で結ばれた俺の伴侶だ!」
「きゃ〜〜♡『真実の愛』なんて照れちゃう〜〜♡
でもサミ〜も勇者様の事愛してるぅ!!!」
「し、真実の愛!?伴侶だと!?」
「そう!俺のハニー!未来の奥さん!」
「ああん!勇者様ぁ♡サミ〜嬉しい!」
キャーキャーと騒ぎながらイチャつく二人にガツンと脳みそを殴られた様な衝撃が走った。
まさか男が心変わりするなど思ってもみなかったから。
確かに顔は可愛らしい少女だとは思うが、先程からベタベタと男の腕に絡みついて甘ったるい声を出して媚びる姿からは知性も教養も品位も感じられない。
心変わりするにしても、フィオーナからこの少女へ乗り換えるとはどういう了見なのか。
沸々と怒りが湧いてきた。
「何を言っているんだお前は!
お前にはフィオーナという婚約者がいるんだぞ!
フィオーナの何処にその女より劣る部分があるというんだ!
そんな女俺は認めんぞ!」
「酷〜い!何コイツ超ムカつく〜!
ふぇ〜ん勇者様ぁ〜♡
コイツってばサミ〜のこと見下してくるの〜!」
「お~ヨシヨシ!てめぇ俺の女にケチつけんじゃねえよ!
てめぇが認めようが認めまいが俺が愛してんのはフィオーナじゃなくて、このサミーなんだよ!」
「ふざけるな!お前が真剣にフィオーナを愛していると思ったからこそ、お前に託したのだぞ!
それを今更心変わりなどと納得いくか!フィオーナを捨てるつもりか!」
「グチャグチャうるっせぇな!だからもう一度入れ替わろうって言ってんだろが!
だいたいフィオーナの婚約者は元々アンタだろが!
あんたが王太子に戻って幸せにしてやれば問題ないだろ!?
どうせ入れ替わったって、また気づきゃしねえよ!
それともアンタは何か入れ替わって困る問題でもあるのか?
ああっ!もしかしてあんたもフィオーナと結婚したくないとかか!?」
「!!そんなわけないだろ!!!」
フィオーナと結婚したくない理由など俺にある理由がない。
子供のころから恋焦がれてきた女性なのだ。
元に戻れるなら戻りたい気持ちは俺にだってある。
「じゃあ、いいだろが!アンタこそなんでそんなに嫌がってんだよ!」
「そ、それは……………………。」
こちらに問題があるわけでも嫌なわけでもない。
だが…あまりにも想定外の展開に戸惑っていたのだ。
男の気持ちがフィオーナから離れてしまったのなら、男にこれ以上彼女を託すことも出来ないと頭では思う。
だが男の功績の上に厚顔無恥にも胡座をかいて彼女の隣に立つ資格が俺にあるのだろうか?
例え本人が入れ替わりに気づかなかったとしても、2度も身勝手に結婚相手を取り替えるなど許されるのか葛藤が渦巻いた。
それにもしかしたら………この3年間でフィオーナがこの男に多少なりとも想いを寄せている可能性だってある。
時折聞こえて来ていた王太子の婚約者の話は、彼女が如何に献身的に婚約者である王太子を支えているかを物語るものばかりだった。
もしフィオーナがこの男を愛していて、万一にでも真実を知られてしまえば、どれ程傷つけてしまうか分からない。
「俺に否やがあるわけじゃない………。
しかし許されるとも思えない………、それに…もし……フィオーナが……フィオーナの気持ちを考えると………。」
何が最善なのか分からなくなり、どうしたものかとぐるぐる頭を悩ませた。
男は頭を抱えて悩む俺の様子を見ていたが、『ああっ』と何か思い至ったのか胸の前でポンッと手を叩くと
「まあよ!中古品を手にしたくないって気持ちは分からなくもねえぜ。」
「………………………はっ?」
「やっぱ嫁にするなら他の男の手垢がついてない娘がいいもんな?」
「まて!お前何を言っている!?」
ウンウンとしたり顔で頷く男の言葉に戦慄する。
「何ってフィオーナの事に決まってんだろ?
3年も使い古したお古じゃ抱く気も失せるよなって話なんじゃねえのか?違うのか?」
「なっ……………………………!」
一瞬にして心臓が凍りついた。
「お前……まさか…まさかフィオーナに手を出したのか……?」
「手を出す?抱いたかって事ならそうだが?
おいおい、まさか3年も婚約者やってたのに抱いてないとでも思ってたのかよ?脳ミソ目出た過ぎないか?」
ヤレヤレと小馬鹿にするように男が肩をすくめた。
「彼女は公爵令嬢だぞ!!!!」
貴族の令嬢は純潔を重んじる。
婚姻まで婚約者であろうとも身を許すような真似は絶対にしないし、してはならない。
公爵令嬢という高貴な身分のフィオーナならば尚更だ。
まして淑女として完璧なフィオーナが自分から身を委ねるような真似をする筈がない。
「……………フィオーナが婚姻前に身体を許すとは思えない………。
まさか……まさかお前……彼女を…凌辱………した…のか…………?」
喉がカラカラに渇き、声が上手く出てこない。
男の答えは分かっているのに、信じたくない心がこみ上げた。
「凌辱って何だよ人聞きの悪いな!婚約者だったら当然の権利だろが!
………………まぁ、でも最初は嫌がったから、一、ニ発軽く叩きはしたがな。
公爵令嬢だか何だか知んねえが勿体ぶりやがるから痛い目見んだよ!
最初っから素直に股を開いてりゃ、俺だって手荒な真似はしないで済んだんだ。
それにあの女、顔は確かに綺麗だったけど婚約者に抱かれてるっていうのに喜ぶどころか、いつも泣きながら震えてるだけでちっとも楽しくねえんだよなぁ。
やっぱ女はサミーみたいに可愛くて素直に抱かせてくれる女が一番だわ!」
「ヤダー!もう〜勇者様のエッチィ〜♡」
怒りで視界が真っ赤に染った気がした。
「まあ使い古しで抱いても大して楽しめない女だけどさ、顔は綺麗なんだし大目に見ろよ!
それに王族って一夫多妻制も許されてるって聞いたぜ?なんなら側妃とか妾とかにしたって…………。」
「もういい黙れ……………。」
生まれてこの方感じたことのない怒りの炎が理性を焼き尽くすように吹きだし、気づけばありったけの力を込めた拳で男の頬を殴りつけていた。
ガツンッと音立ててふっ飛ばされた男が、椅子をカタガタと派手になぎ倒しながら後方へと吹っ飛んでいく。
「ぐはっ!!」
「!!キャアアアアア!!勇者様ぁ!!!」
男が転がり、女が悲鳴をあげ男に駆け寄ったが、俺は目もくれずに二人に背を向け走り出した。
外へと飛び出し庭に繋いでいた馬に鞍もつけずに飛び乗ると、馬の腹を思い切り蹴った。
「ハッ!!!」
|追い立てるように掛け声をかければ、嘶きとともに、風のように馬が駆け出していく。
跡にした家から男の罵声が小さく聞こえて来たが、振り返ることもせずに馬を飛ばした。
『フィオーナ!!!』
(一分一秒でも早く彼女に会わなくては……。)
その時の俺の頭にあったのはフィオーナに会いたいという一心のみだった。
駆けて 駆けて 駆けて
丸一日かけて王都まで馬を走らせた。
王都に近づくに連れて自責の念が込み上げて来た。
(何故あんな男に彼女を託してしまったのか!)
『泣きながら震えてるだけでちっとも楽しくねえんだよな……。』
男の言葉が割れ鐘を鳴らすように頭の中にグワングワンと響く。
(殴られ襲われてどれ程恐ろしかったことだろうか……。)
フィオーナが感じた恐怖を思うと胸が張り裂けるような痛みが走った。
それも全て自分が見誤ったせいだと思うと、苦しさに血の味がするほど奥歯をギリギリと噛み締めた。
(何故あんな男を信用出来ると思ったのか!)
(たった数日共にいただけで奴の何が分かったというのだろうか!)
(どうしてあの男がフィオーナを大事にしてくれると、生涯愛してくれると信じていのか!)
(何故盲目にも一度も男を疑うことすらしなかったのか!)
何故 何故 何故
何故こんなことになったのかと悔恨の念が次から次へと浮かんでくる。
神に勇者として選ばれた男なら非道な真似などするはずないと思い込んでしまっていたのかもしれない。
いやもしかしたら、己の代わりに王太子なるからには、男の方が優秀であってほしい、人格も優れてあって欲しいと願う気持ちが働いたのかもしれない。
そうでなければ平民になった自分を納得させられないと無意識に考えてしまっていたのかもしれない。
フィオーナを託した事は間違いではなかったと思いたかったのかもしれない。
答えは出せないまま、ひたすら王都への道を駆けた。




