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婚約者である公爵令嬢のフィオーナに初めて会ったのは俺と彼女が共に8歳の時だった。

緩くうねり曲線を描く長い黒髪は艷やかで、金色の瞳は夜に瞬く星の様に煌めき、透き通るように白い肌は新雪の様で、花の蕾のように愛らしい唇からこぼれる声はカナリヤのように美しく澄んでいた。


幼いながら『この世にこんなにも綺麗な女の子がいるのか。』と驚いたと共に、彼女が自分の婚約者になるのかと胸が高鳴った。


更に彼女は美しいたけでなく非常に優秀で、マナーも立ち居振る舞いも子供とは思えないほど洗練されていて優雅だった。


勉学もさることながら芸事にまで長けていて、特に琴を奏でさせれば典雅な調べに誰もが足を止めて聴き惚れるほどで、俺も時間を忘れて聴き入ったものだ。


長ずるごとに秀でて美貌にも拍車のかかっていく婚約者は、俺の自慢であり憧れだった。


だからそんな彼女に見合う男になろうと俺も必死で努力した。


しかし彼女にとっては俺は取るに足らない婚約者だったに違いない……。


週に一度、婚約者とは顔合わせの茶会が開かれていた。

俺は彼女と仲良くなりたい一心で、毎回一生懸命話しかけた。

勉強したこと、面白かったこと、(ちまた)で流行りの話題など様々な話をふっては彼女との会話を弾ませようと頑張っていた。


彼女は俺の話をいつもお行儀よく、美しく微笑みながら静かに聞いてくれていた。

だけどどんな話をしても、何を言っても、完璧に作られた彼女の優美な微笑が崩れることは一度としてなく、返してくれる言葉は、ほとんどが以下の最小限の返答ばかり


『はい。』

『いいえ。』

『そうですか。』

『分かりましたわ。』

『ありがとうございます。』


基本的には『はい』か『いいえ』、相槌には『そうですか。』何か頼めば『分かりましたわ。』プレゼントをあげれば『ありがとうございます。』の繰り返し。


毎度毎度俺が一方的に話しまくるだけで終わり。

会話のキャッチボールが続くことは決してなかった。


せめて彼女の好みを知ろうと、花や宝石、好きな食べ物など、色々聞いてみたこともある。


だけど答えはいつも同じ。


『特に好き嫌いはございません。』


結局彼女の好きな物すら知ることが出来なかった。


当然、彼女から話題が振られることも、俺について質問が来ることなども一度もなかった。


いつしか話すことも無くなると、彼女が奏でる琴の調べを聞くだけで顔合わせは終わってしまうのが(つね)になっていった。


『フィオーナは………俺が婚約者で本当は不満なのではないだろうか…。』


そう思って思い切って訪ねてみたこともある。


しかし


『いいえ。王太子殿下の婚約者に選ばれましたこと臣下としてこの身に余る栄誉だと存じております。

不満かどうかなど考えたこともございませんわ。』


お手本のような美しい礼をしながら、臣下として完璧な解答を一ミリも変わらぬ綺麗な微笑で返されて、本心はまったく読み取ることは出来なかった。


" 彼女にとってこの婚約は不満ではないが嬉しくもない "

" 臣下としての貴族の義務でしかない "

ということなのだろうと寂しく思った。


不満はなくとも彼女の目に俺自身が映っていないことは明らかだった。


だから俺が男と入れ替わっても問題はないだろう。


きっと気づかれる事はないと確信はしていた。


実際、冒頭の会話から分かる通り、気づかれずに入れ替わったわけだが、それでもこの時の俺の中には、ひょっとしたら長年の付き合いで多少なりとも絆のようなものがあるかもしれない………と淡い期待があった。


その日のうちに聖なる森を後にした俺と男は、彼女が入れ替わりに気づくかを確かめるために王都にある彼女の生家である公爵家を訪ねた。


戦場にいるはずの王太子が突然聖剣だという剣を携えて訪ねてきて、公爵邸は驚きに少しばかり騒動になったが快く迎え入れてくれた。

フィオーナも珍しく目を見開いて驚いてはいたが、それも一瞬のことで直ぐにいつもの微笑みに戻った。


『……………聖剣を手にされたのですね。おめでとうございます。』


チラリと男が手に持つ聖剣に目をやりフィオーナが祝辞を述べた。


『あ……ああ……。』


男はフィオーナの美しさに当てられたようで、なんとか返事を絞りだしてはいたが、目が離せないとでもいうように真っ赤な顔で食い入るように彼女を見つめていた。


男がフィオーナに好意を持ったことは一目瞭然だった。


俺はというと、王太子の護衛騎士という名目で鎧兜に全身を包み、男の後ろから二人の様子を眺めていた。


一度だけ彼女が俺の方を見て、俺について訪ねられ、トクリと胸が跳ねた。


『………この者は?』


『あっ……ああ……俺…いや…私の新しい護衛騎士だ…です。』


『…………………そうですか……。』


あからさまに様子の可怪しい男の態度に、ほんの少しはひっかかりを覚えたようだったが、フィオーナがそれ以上俺について言及する事はなかった。

護衛騎士だという言葉に納得したのか、それ以降は一度もこちらを見ることすらなない。


(やはり…気づかないのだな……。)


淡い期待は脆くも崩れ去り兜の下で気づく事のなかった彼女に苦笑した。

彼女は俺に興味などないと思っていたから予想はしていたが、現実を突きつけられると流石に心が疼いた。


たが彼女にとってはその方がいいだろうと安堵もしていた。


気づいてしまったなら、婚約者が平民のこの男に代わるか、婚約を解消して貰うかの選択を迫らなければならないのだ。


気づかないならば、彼女にとっては何一つ変わらない日常が続いていくのだからその方がいい。


(……わざわざ煩わせる必要もないだろう……。)


(それに10年以上も共にいて何の想い入れも持てないような俺よりも、もしかしたらこの男の方が彼女を幸せに出来るかもしれない……。)


痛む胸に蓋をして、俺は彼女に何も告げずに入れ替わる事を決めた。



『………なあ、あんた本当にいいのか?このまま俺が王太子になったら、あんたの婚約者は貰っちまう事になるぜ。』


『ああ……元より彼女と俺の間には愛情があった訳じゃない。お前が幸せにしてくれるならそれでいい。』


『ふ〜ん、そんなもんかね。………よし!わかった。それなら俺があの()の婚約者になる!後で返せってのは無しだせ!!』


よほどフィオーナに心を射抜かれたのだろう。

それから男はあれ程嫌がっていたのが嘘のように、入れ替わりにやる気を出した。


王太子(あんた)の代わりなんて面倒だと思ったけど、あんな美人(べっぴん)と結婚出来んならマジやる気出んな!こうなったら魔王なんてさっさと倒して結婚してやるぜ!』


さすが勇者に選ばれるだけの男と言うべきか、やる気を出した男の適応能力は凄かった。 


入れ替わりのサポートをする為、数日間は護衛騎士に扮装したまま王太子として必要な立ち居振る舞いやマナー、知っておかなければならない事などを教えたのだが、本当に平民なのかと疑うほどスムーズに、ほんの数日で覚えてしまい驚嘆させられた。

肝心の魔王を倒す為の剣の腕前も、冒険者だと言うだけあり、試しに何合か打ち合いをしてみたが、悔しいことに王太子として物心つく前から訓練されてきた俺よりも秀でていたくらいだった。

一週間もすれば、傍から見た姿は俺からみても紛うことなき王太子(おれ)そのもので、多少おかしな発言や行動があったとしても、いまや聖剣の勇者となった王太子の正体に疑問を持つものは誰一人としていなかった。


(…………これならば問題ないだろう………。)



一抹の寂しさを感じながらも大丈夫だと確信した俺は、男との約束通り一生を平民として過ごす為に城を後にする事を決めた。


男には城を出る際にもう一度たけ確認された。


『本当にいいんだな?あんたが出て行ったなら、俺は遠慮なんてしねぇぜ。

フィオーナは俺の物だぞ……。』


その目がやけに真剣だったので、俺の口からは思わずクスリと笑みが溢れた。


(フィオーナの事を手に入れたいなら、俺にわざわざそんな勧告する必要ないのに……。)


最後に確認するあたり、存外善良な男の本質を垣間見た気がして可笑しかった。


『………幸せにしてやってくれ。』


それから俺は王国の片隅へと住み着き農夫となって暮らすことにした。


男との約束は平民として生きることだったので、他国へ移り住んでも良かったののかもしれないが、元王太子としては魔王軍との戦いが気がかりで国から出る気にはなれなかった。


時折聞こえてくる王国軍の情報に一喜一憂しながら、魔王が打倒される吉報が届くのを待ちわびる日々。

王太子でなくなった俺に出来ることなど何もなく、それどころか慣れない平民の暮らしは、暮らすだけで毎日が四苦八苦の連続だった。


只々歯がゆい思いで知らせを待って3年間。


魔王が討ち取られたという待望の知らせが俺の住む片田舎のこの地に届けられたのがほんの一週間前だ。


『あの男がとうとうやり遂げたのか!』

と万感の思いでいた矢先だった。


男がひょっこりと訪ねて来て冒頭の話となったのは。

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