第1話:第一停車駅《ヴェルナード》 ――旅のはじまり、そして“最初の困窮”
魔導列車《オリエント=クロノス》。
その長く黒い車体が、霧の中から現れたとき、
村人たちは皆、亡霊でも見たかのような表情を浮かべた。
それも無理はない。この第一停車駅には、
五十年以上、列車が来ていなかったのだから。
しかし列車は確かにそこにいた。
霧を割きながら、静かにホームに停まった。
やがて、扉が開く。
そこから現れたのは、白い旅装束に身を包んだ、一人の女性だった。
「おや……歓迎の拍手もございませんのね?」
涼やかな声。堂々とした立ち居振る舞い。
その美貌と気品は、かつて王都社交界を賑わせた貴族――
断罪された悪役令嬢、セレスティア=フロレンティアその人だった。
村は、静かだった。
人の気配はある。だが皆、家に閉じこもり、窓を閉ざしている。
門番らしき老人が、恐る恐る声をかけてきた。
「……嬢さん。まさか、その列車を……動かしたのか?」
「ええ。技術顧問の免許は今も有効でしてよ。帝国法の登録、消されておりませんもの」
老人の目が、驚愕と、ほんの少しの期待に揺れた。
「……今、村は困っておる。盗賊に食糧を奪われ、病人も出てる。
だが王都もこの村を見捨てた。どうにもできん」
セレスティアは、ふっと目を細めた。
「ちょうど良いです。私、この駅に“泊まり”を入れることにいたします。
魔導列車、災厄収拾のため、臨時停車――」
それは彼女にとって、単なる“停車”ではなかった。
世界に自分の価値を証明するための、最初の実績だった。
列車の厨房を開放し、非常用の保存食を調理。
診療室を改装し、軽い治療ができる設備を整える。
かつて彼女が魔導研究所で指揮していた兵站部隊は、
いまや“列車1本”で代行されていた。
村の子どもたちが、列車に惹かれて集まってくる。
「すっごーい! これが本物の“魔導列車”なの?」
「乗ってみたい! ねぇ、いい?」
セレスティアは軽く口元をほころばせた。
「……身元確認と安全教育が済んでからです。
魔導構造を理解しないで乗るには、まだ早いですもの」
子どもたちは嬉しそうに「はーい!」と叫んだ。
誰も、彼女を“悪役令嬢”などとは呼ばなかった。
だがその夜。
村に火が放たれた。
――盗賊団《黄牙》、再襲来。
「列車に積まれた保存食を渡せ。さもなくば村を燃やす!」
セレスティアは、村の広場に静かに立つ。
そして、誰にも聞こえないほどの声で、列車へと命じた。
「《クロノス》。モード・リミッター・セミリリース。車体前部、魔導照準起動」
【起動完了】
【ターゲットロック】
【威嚇射線――照射】
列車の車体前部から、真紅の魔法陣が浮かび上がる。
轟音と共に、空気が振動する熱線が盗賊団の真上、空に向けて発射された。
……誰も動けなかった。
「これが、古代帝国式の“威嚇射撃”です。
次は、本当に、当たりますよ?」
盗賊たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。
翌朝。
セレスティアは、子どもたちに焼きたてのパンを配りながら、駅のベンチに腰掛けていた。
そこへ、村の老人がやってくる。
「……嬢さん。わしら、もうあんたを“魔物”なんて言わん。
列車が来てくれて、本当に助かった。ありがとうよ」
彼女は静かに笑って、答えた。
「魔導列車は、“役立たずの廃物”ではありません。
私も――同じです。」
汽笛が鳴る。
列車の扉が開く。
セレスティアは、ホームに手を振る子どもたちに別れを告げる。
「さあ、次の駅へ参りましょうか。
次は、どんな事件が待っておりますことやら」
そして、魔導列車は再び走り出す。
次なる停車駅へ――ルクサリアへと。