新幹線からの脱出
そうして、今度こそ、客車の一番前の乗降口までやってきた。
客室側の扉が開かないように、乗降口に寄って。
これ以上はもう逃げられない。
名古屋から京都までは約30分。
3号車から8号車まで行って、さらに8号車から1号車までやってきたので、それなりに時間は経っている。
スマホを確認してみると、今は7時46分。
「あと23分あるね。」
抱っこされたまま、横からスマホの画面を覗き込んだ日向が言う。
体感ではけっこう経ったようなつもりになっていたが、思ったより時間が経ってなかったようだ。
伊織がちょっとがっかりする。
「そんなにあるのか。
まあ、仕方ない、ここで約20分、籠城戦と行くか。」
「いくらお兄ちゃんでも厳しくない?」
心配そうに日向が聞いてくる。
それに、伊織は笑み・・・を浮かべたつもりで、目を細めた。
「ま、なんとかなるだろ。
そんなことより、京都で降りた途端、鉄道警察隊に囲まれた、なんて展開が嫌だな。」
「さすがにそこまでは手を回さないと思うよ。
ほら、今まで、深夜にしかあたしを捕まえに来なかったでしょ。
きっと、誰にも見つからないで捕まえたいんだよ。」
そう言いながら、日向もちょっと不安そう。
「その割に、今はずいぶんと派手なことをしてるな。」
「電車内でなんとかしようとしてるんじゃないかな?
ほら、それならこの新幹線に乗ってる人しか知らないわけだし。」
「最近はSNSですぐに拡散されちまうけどな。
ほら、もう投稿されてるぞ。」
伊織がスマホを操作して、日向に画面を見せた。
そこには、『始発ののぞみで人攫いが出てるんだが』という投稿が出ている。
「ホントだ。
途中で写真取られなかったのラッキーだったね。」
「確かにな。
写真と一緒にこんな投稿されたら、俺なんか一瞬でお縄につくことになっただろうな。」
そんなことを話しているうちに、客室の扉が開いた。
先ほどの男と一緒に、車掌が出入台に入って来る。
「もう逃げられませんよ。
早く女の子を開放しなさい。」
車掌が言ってくる。
その時、日向が伊織の股下からひょこっと顔を出した。
「いや、どこから顔出してんだよ。」
思わず伊織が日向にツッコミを入れるものの、日向はそれを無視して、ついでに車掌も無視して、男に話しかけた。
「ねえ、おじさん。
おかしいと思わない?
犯人を捕まえるなんて、車掌さんがすると思う?
車掌さんがすることは、次の駅で鉄道警察隊を待機させて捕まえてもらうことじゃない?
たぶん、マニュアルにそう書かれてると思うんだけど。」
いっそ気軽な調子で話しかけてきた日向に、男はむ?と首を傾げる。
「さっきも言ったけど、あたし、お兄ちゃんに助けてもらったの。
今もほら、拘束なんかされてないでしょ?」
日向が太ももを広げるように押すので、伊織は脚を広げた。
そうすると、日向は伊織の脚の間からもそもそと出て来た。
それから、伊織を護るように両腕を広げて立ち上がった。
「お客様、我々を惑わそうと言わされているだけです。
聞く必要はありません。」
車掌がそう言って、日向に手を伸ばそうとしたところを、男がその腕を掴んで止めた。
「いや、少々状況がおかしい。
先ほどは疑ったが、確かに攫ったにしては少女が普通にしすぎている。
それに、君のその言葉は少女の話を私に聞かせたくないように聞こえる。」
男はそう言うと、車掌を睨んだ。
車掌はその迫力に圧されたように口を噤んだ。
「お嬢ちゃん、助けてもらったってどういうことだい?」
男が日向を見て尋ねる。
どうやら、話を聞く気になってくれたようだ。
「あのね、あたし、何者かに追われてるの。
それを会ったこともなかったお兄ちゃんが助けてくれて、一緒に逃げてくれてるの。」
日向の話に、男が顔を顰めた。
「いきなり突拍子もない話になったな。
追われてる?
お嬢ちゃんが?」
「うん。」
『まもなく、京都です。東海道線、山陰線、湖西線・・・』
その時、京都駅に到着のアナウンスが流れた。
「誰に?」
「知らない。
夜に起きたらお母さんに抱っこされてて、公園の繁みに隠されて、そこから出たら黒いスーツを着た人に追いかけられたの。」
男が真偽を見抜こうとでもするように、じっと日向を見つめる。
日向もそれをまっすぐに見返すと、男は頷いた。
「とても信じられん話だが、嘘はついてなさそうだな。」
「騙すつもりなら、もっと本当らしい嘘つくよ。」
日向にそう言われて、男はきょとんとした後、笑みを浮かべた。
新幹線が京都駅のホームに入っていく。
「確かに、その通りだな。
と、すると、だ。」
男は車掌の腕を締め上げた。
「お前の方が怪しいってことだな。
お前、何者だ?」
そんなことをやっている間に、新幹線が停車し、プシュ、と乗降口が開いた。
「行くぞ、日向。」
「うん!」
それまで動きを見せなかった伊織が日向を再び抱き上げると、乗降口から駆け出して行った。
「あ、ちょっと待て!」
男の大声を背中に聞きながら。
これで、ストックが尽きましたので、しばらく投稿はお休みさせていただきます。