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【短編小説】標本の残り香 ―春を待つ二人の物語―

作者: 霧崎薫

# 標本の残り香


## 第1章 標本の部屋


 窓から差し込む春の陽光が、無数のガラスケースを透過して床に落ちる。その光は幾重にも屈折し、虹色の模様を描いていた。ケースの中には、大小様々な昆虫の標本が整然と並んでいる。


「千穂子おばあちゃん、お茶が入ったよ」


 皐月の声が、静謐な空気をそっと揺らした。


「ありがとう。ここに置いておいてちょうだい」


 千穂子は振り返ることなく、作業机の上の標本に見入ったままだった。その手元には、ひときわ美しい蝶の標本が広げられている。淡い群青色の翅が、まるで今にも羽ばたきそうな生命感を湛えていた。


「わあ、綺麗……! これ、新しい標本なの?」


 皐月は思わず息を呑んで、祖母の肩越しに覗き込んだ。茶色がかった長い髪が、千穂子の肩に触れる。


「ええ。オオルリアゲハよ。先週、奈緒ちゃんが持ってきてくれたの」


 千穂子は優しく微笑んだ。奈緒――椿原奈緒は、孫の皐月の親友で、地元の女子大で生物学を専攻している学生だった。昆虫に興味を持つ若い女性が珍しいこともあり、千穂子は特別な愛情を持って彼女の訪問を受け入れていた。


「奈緒ったら、また珍しいものを見つけてきたんだ」


 皐月は少し拗ねたような声を出した。


「あら、妬いてるの?」


「そんなことないもん! ただ……」


 皐月は言葉を濁し、窓際に並ぶガラスケースに目を向けた。そこには、千穂子が60年以上かけて収集してきた昆虫標本が所狭しと並んでいる。日本各地はもとより、世界中から集められた貴重な標本の数々。それは単なるコレクション以上の、千穂子の人生そのものだった。


 春の陽射しが標本を透かして作る虹色の模様が、静かに部屋の中を泳いでいく。


「私ね、このごろよく考えるの」


 千穂子は静かに切り出した。


「何を?」


「この標本たちのことよ。私が死んだ後、どうなるのかしらって」


「おばあちゃん! また変なこと言わないでよ」


 皐月は眉をひそめた。今年の春、千穂子は肺がんを告知された。幸い、抗がん剤と放射線治療の効果は上々で、今は小康状態を保っている。しかし86歳という年齢を考えれば、残された時間は決して長くないだろう。


「変なことじゃないでしょう。これだけの数の標本をどうするか、考えておかないとね」


「大学に寄贈するって話は?」


「ええ、話はしているわ。でも、ね」


 千穂子は立ち上がり、窓際まで歩いていった。春の柔らかな日差しが、しわの刻まれた横顔を照らす。


「これは単なる標本じゃないの。私の人生の記録なのよ」


 その時、階下でインターホンが鳴った。


「あ、奈緒だわ! 約束の時間だもの」


 皐月は階段を駆け下りていった。


 千穂子は微笑みながら、再びオオルリアゲハの標本に目を向けた。艶やかな群青色の翅が、春の光を受けて輝いている。


「こんにちは、先生!」


 奈緒の明るい声が部屋に響いた。黒のセミロングヘアに、すっきりとした白のワンピース姿。知的な雰囲気を漂わせる大きな瞳が、部屋に入るなり標本棚を探るように見渡す。


「いらっしゃい、奈緒ちゃん。先週のオオルリアゲハ、きれいに標本になったわよ」


「わあ、見せてください!」


 奈緒は千穂子の作業机に駆け寄った。皐月も後に続く。


「ねえ、奈緒。今日はどこに連れていってくれるの?」


「そうそう、今日は面白いところを見つけたんです。先生も、よかったらご一緒に」


 奈緒は両手を胸の前で組み、期待に満ちた瞳で千穂子を見つめた。


「ありがとう。でも今日は私はパスするわ。午後から病院でしょう?」


「そうでした。ごめんなさい」


「気にしないで。それより、あなたたち若い子が楽しんでくるといいわ」


 千穂子はそう言って、作業机の引き出しから一枚の紙を取り出した。


「これ、持っていきなさい。下手な地図だけど」


 それは手書きのスケッチで、近くの里山の地図らしきものだった。


「えっ、これは?」


「そこにね、珍しいギフチョウの生息地があるの。私が40年前に見つけた場所よ」


 奈緒の目が輝いた。


「ギフチョウ! 春の女神と呼ばれる蝶ですよね」


「そう。でも、標本にはしないで」


 千穂子は静かに言った。


「生きたまま、その姿を心に留めておきなさい。それがね、本当の標本になるの」


 二人の若い女性は、その言葉の意味を測りかねるように顔を見合わせた。


## 第2章 春の蝶


 新緑の匂いが、柔らかな風に乗って漂ってくる。皐月と奈緒は、千穂子から受け取った地図を頼りに里山を登っていた。


「ねえ、本当にこんなところにギフチョウがいるのかな」


 皐月は少し不安げに周囲を見回した。確かに美しい里山の風景ではあるが、特に変わった様子はない。


「先生が言うんだから、きっといるはずです」


 奈緒は自信ありげに答えた。白のワンピース姿は、この山道にはそぐわないようにも見えたが、彼女は意に介する様子もなく、軽やかな足取りで登っていく。


「奈緒って、本当におばあちゃんのこと信頼してるよね」


「だって、先生はすごい方じゃないですか。あんなに素晴らしい標本コレクションを作り上げて……」


 奈緒は目を輝かせながら言った。


「でも、昨日言ってたの。標本にしないでって」


「はい。あれ、どういう意味だったんでしょうね」


 二人は考え込むように歩を進めた。やがて、地図に示された地点に近づいてきた。


「あ!」


 突然、奈緒が立ち止まった。その視線の先には、小さな空き地があり、薄紫色の可憐な花が咲いていた。


「カンアオイ! ギフチョウの幼虫の食草です!」


 奈緒は駆け寄り、花を観察し始めた。皐月も後に続く。


「ということは、本当にここに……」


 その時だった。薄い黄色の、優雅な翅を持つ蝶が、二人の前をふわりと舞った。


「ギフチョウ!」


 二人は息を呑んだ。蝶は風に乗って、ゆっくりと舞い降りてくる。その姿は、まさに「春の女神」の名にふさわしい気品を漂わせていた。


「綺麗……」


 皐月は思わず手を伸ばしたが、蝶は優雅に身をかわし、再び舞い上がった。


「捕まえないんですか?」


 皐月は奈緒を見た。普段なら、珍しい昆虫を見つけたら即座に採集に取り掛かる彼女が、今は静かに蝶を見つめているだけだった。


「先生の言葉を、少し理解できた気がします」


 奈緒はつぶやくように言った。


「この瞬間、この場所、この空気……全部含めて、これが本当の標本なんだと思います」


 春の陽光が木々の間を縫って差し込み、二人の周りで舞うギフチョウを照らしていた。


「奈緒……」


 皐月は親友の横顔を見つめた。いつもの知的な印象に加えて、どこか詩的な雰囲気が漂っていた。白いワンピースが風にそよぎ、黒髪が春の光を受けて艶やかに揺れる。


「皐月さん? どうかしました?」


「ううん。なんでもない」


 皐月は少し頬を染めて視線をそらした。


 二人はしばらくの間、ギフチョウの舞う様子を見つめていた。やがて蝶は、木々の間に消えていった。


「帰りましょうか。そろそろ先生の診察の時間です」


 奈緒が静かに言った。皐月は無言でうなずいた。


 下山する道すがら、二人は時折立ち止まっては、周囲の草花や飛び交う昆虫たちを観察した。それは、これまでとは少し違う視点での観察だった。採集や分類のためではなく、ただその生命の営みを感じ取るための、静かな観察。


「おばあちゃん、何を教えてくれたんだろう」


 皐月がつぶやいた。


「きっと、生きることの意味……かもしれません」


 奈緒は真剣な表情で答えた。


「生きることの意味?」


「はい。標本は、生命の一瞬を永遠に留めるものです。でも、本当の生命は、そんな風に留められるものじゃない。刻々と変化して、やがて消えていく。でも、その儚さの中にこそ、本当の美しさがある。そんなことを、先生は私たちに教えてくれたんじゃないかと思うんです」


 皐月は黙ってその言葉を聞いていた。確かに、祖母の千穂子はよく似たようなことを言っていた。生きることに意味を求めすぎてはいけない、と。


 二人が山を下りきった頃、春の陽は傾きかけていた。病院に向かう道すがら、皐月は時折、横を歩く奈緒の横顔を見つめた。親友の、いつもと少し違う表情に、どことなく胸が高鳴るのを感じていた。


 病院に着くと、千穂子は既に待合室で二人を待っていた。


「どうだった? ギフチョウに会えた?」


 千穂子は、まるで昔からの友人の消息を尋ねるような口調で訊ねた。


「はい! 本当に綺麗でした」


 奈緒が目を輝かせながら答える。


「でも、標本にはしませんでしたよ」


 千穂子は満足げに頷いた。


「そう。それでいいの」


 診察室に呼ばれる直前、千穂子は二人に向かって静かに言った。


「あの蝶は、40年前から、あの場所で命をつないでいるの。決して数は多くないけれど、それでも春になると必ず現れる。人間の都合で意味づけしなくても、ただそこにいる。それだけでいいの」


 その言葉が、二人の心に深く沁み込んでいった。


## 第3章 夏の光


 真夏の日差しが標本室に降り注ぐ午後、皐月は祖母の千穂子が机に向かって何かを書いているのを見つけた。


「おばあちゃん、何を書いてるの?」


「ああ、皐月」


 千穂子は振り返り、微笑んだ。


「遺言書よ」


「え……」


 皐月は言葉を失った。


「そんな顔しないの。この年になれば、当然のことでしょう」


 千穂子は穏やかな表情で言った。机の上には、数枚の便箋が広げられている。


「でも、標本のことは書かなかったわ」


「え? どうして?」


「だって、意味がないもの」


 千穂子は窓の外を見やった。夏の陽光を受けて、庭の木々が眩しいほどに輝いている。


「私が死んだ後、家族がどう思うか、今の私には分からないの。だから、あれこれ指示を残すのは、むしろ迷惑になるかもしれない」


 その時、階下でインターホンが鳴った。


「あ、奈緒だわ。今日は標本の整理を手伝ってくれるって」


 皐月が階段を駆け降りていく音が響く。しばらくして、二人の話し声が近づいてきた。


「先生、こんにちは!」


 奈緒は、いつものように爽やかな笑顔で部屋に入ってきた。今日は薄いブルーのワンピース姿で、首から小さなカメラをぶら下げている。


「今日は写真も撮らせていただこうと思って」


「あら、いいわね。でも、その前に……」


 千穂子は立ち上がると、奥の棚から一つの標本ケースを取り出した。


「これ、見てちょうだい」


 ケースの中には、鮮やかな緑色の羽を持つ蝶の標本が収められていた。


「これは……アオスジアゲハ!」


 奈緒が目を輝かせる。


「私が大学生の時に採集したものよ。もう65年も前かしら」


 千穂子は懐かしそうに標本を見つめた。


「この標本には、ある思い出があるの」


 二人の若い女性が、興味深そうに耳を傾ける。


「当時、女性が昆虫採集をすることなんて、珍しかったのよ。でも、私にとっては自然なことだった。虫が好きで、観察するのが楽しくて。ただそれだけ」


 千穂子は静かに続けた。


「世間は変な目で見てたでしょうね。でも、私は気にしなかった。そうやって生きてきたの」


 奈緒は、自分の胸に響くものを感じていた。彼女自身、生物学を専攻する女子学生として、時に周囲の理解を得られないことがある。


「先生……」


「だから、あなたたちも自分の好きなようにすればいい。人の目なんて気にしないで」


 千穂子の言葉に、皐月は奈緒の方をちらりと見た。親友の横顔が、夏の陽光に照らされて輝いている。


「さあ、標本の整理を始めましょうか」


 午後の時間は、三人で標本の整理をしながら過ぎていった。奈緒は時折カメラを向け、標本や作業風景を撮影する。シャッター音が響くたびに、皐月は何故か胸が高鳴るのを感じた。


 夕暮れ時、作業を終えた二人は帰り支度をしていた。


「あの、先生」


 奈緒が声をかけた。


「実は、来週の学園祭で、昆虫写真の展示をすることになったんです。その時、先生の標本も写真で紹介させていただきたいんですが……」


「もちろんいいわよ。でも、一つ条件があるの」


「はい?」


「展示の時は、標本の解説だけじゃなくて、あなたが感じたことも書いて。ただのデータじゃない、あなたの心が映った展示にしてちょうだい」


 奈緒は深く頷いた。


「分かりました。私なりの標本にします」


 その言葉に、皐月は何か温かいものが胸に広がるのを感じた。


## 第4章 秋の風


 学園祭の会場に足を踏み入れた皐月は、すぐに奈緒の展示を見つけた。一角の壁には、美しい昆虫写真が何枚も飾られている。


「皐月さん、来てくれたんですね!」


 奈緒が嬉しそうに駆け寄ってきた。今日は珍しく、薄いピンクのワンピース姿だ。


「もちろん。奈緒の展示、楽しみにしてたもの」


 二人で写真を見て回る。どの写真も丁寧に撮影されており、昆虫たちの生命力が伝わってくるようだった。そして、各写真には奈緒直筆の短い文章が添えられている。


「これ……」


 皐月は足を止めた。祖母の標本室で撮影された写真の横には、こんな言葉が記されていた。


『標本は、命の記憶。でも、本当の命は標本の中だけでなく、今を生きる私たちの中にもある。先生から教わった大切なこと』


「どう……でしょうか」


 奈緒が少し緊張した様子で訊ねる。


「素敵」


 皐月は心からそう答えた。


「私も、少しずつ分かってきたの。おばあちゃんが教えてくれようとしていることが」


 秋の陽が、窓から差し込んでくる。二人の影が、並んで壁に映る。


「ねえ、皐月さん」


 奈緒が静かに言った。


「先生の標本、私たちで受け継いでいきませんか?」


「え?」


「もちろん、全部を保管するのは難しいかもしれない。でも、先生の想いは、私たちで引き継げると思うんです」


 皐月は黙って奈緒の言葉を聞いていた。


「標本は命の記憶だって、さっき書いたでしょう? その記憶を、私たちなりの形で残していきたいんです」


 奈緒の瞳が、決意に満ちて輝いていた。その表情に、皐月は胸が高鳴るのを感じる。


「でも、どうやって?」


「まだ具体的には決まってないんです。でも、例えば写真で記録を残したり、観察記録をデジタル化したり。それに、私たちにしかできない方法もあるはずです」


 皐月は深く考え込んだ。確かに、膨大な標本をそのまま維持していくのは現実的ではない。しかし、祖母が残してくれた大切なものを、形を変えてでも残していきたい。そんな思いが、強く湧き上がってきた。


「奈緒……」


「はい?」


「私も、協力する」


 その言葉に、奈緒の顔が明るく輝いた。


「ありがとう! 二人なら、きっと何かできるはずです」


 秋の風が、窓から吹き込んでくる。二人の髪が、風に揺れながら交差した。


「そうだ、これから標本室に行きませんか? 先生に、私たちの決意を伝えたいんです」


「うん」


 皐月は頷いた。この瞬間、奈緒との間に強い絆を感じていた。それは、単なる親友としての関係を超えた、何か特別なものだった。


 二人は学園祭の会場を後にした。空には、秋の雲が流れている。


## 第5章 冬の贈りもの


 冬の日差しが標本室に差し込む午後、千穂子は静かに目を閉じていた。ベッドに横たわる彼女の横で、皐月と奈緒が付き添っている。


「先生、私たち決めたんです」


 奈緒が静かに話し始めた。


「標本の記録を、私たちなりの方法で残していくことに」


 千穂子はゆっくりと目を開け、二人を見つめた。


「そう。どんな方法を考えているの?」


「まず、全ての標本をデジタル写真に収めます。それから、先生の採集記録やメモも全部デジタル化して」


 奈緒が説明する間、皐月は祖母の手を優しく握っていた。


「素晴らしいわ」


 千穂子は穏やかな笑みを浮かべた。


「でも、ね。それ以上に嬉しいのは、あなたたち二人の心が通じ合っているってこと」


 その言葉に、皐月と奈緒は顔を見合わせた。


「私の標本は、ただの標本じゃない。私の人生の記録であり、そして……」


 千穂子は一旦言葉を切り、窓の外を見やった。庭の木々は葉を落とし、冬の光を受けて静かに佇んでいる。


「人と人とを結ぶ、架け橋でもあったのよ」


 その時、一羽の小鳥が枝に止まった。その姿が、影絵のように窓に映る。


「皐月」


「はい?」


「あなたはね、いつも奈緒ちゃんのことを見ていたわ」


 皐月は顔を赤らめた。


「おばあちゃん!」


「奈緒ちゃんも同じよ。二人とも、お互いのことを想い合っている」


 千穂子は優しく微笑んだ。


「それが私にとって、最高の贈り物だったわ」


 静かな空気が流れる。やがて千穂子は、か細い声で言った。


「ねえ、窓を開けてくれない?」


 皐月が窓を開けると、冷たい冬の風が部屋に流れ込んできた。


「先生?」


 奈緒が心配そうに声をかける。


「大丈夫。ただ、この風を感じていたかっただけよ」


 千穂子は目を閉じ、深くため息をついた。


「昆虫たちは、今、冬眠しているわ。でも、春になればまた飛び立つ。そう、あなたたちのように……」


 その言葉が、静かに部屋に満ちていく。


 数日後、千穂子は永眠した。静かな冬の朝のことだった。


 葬儀を終えた後、皐月と奈緒は標本室で二人きりになっていた。窓からは、優しい冬の日差しが差し込んでいる。


「始めましょうか」


 奈緒が静かに言った。


「うん」


 二人は、丁寧に標本の撮影を始めた。一つ一つのケースに、それぞれの物語が詰まっている。それは千穂子の人生の記録であり、そして今は、二人に託された大切な記憶だった。


「ねえ、奈緒」


 皐月が声をかけた。


「なに?」


「私ね、ずっと言えなかったんだけど……」


 皐月は言葉を探すように、一瞬黙り込んだ。


「好き」


 その言葉は、まるで蝶が羽ばたくように、静かに部屋に広がった。


 奈緒は、ゆっくりとカメラを置き、皐月の方を向いた。その瞳には、涙が光っていた。


「私も」


 二人は静かに見つめ合い、そっと手を重ね合わせた。


 その時、一筋の冬の日差しが標本を通り抜け、二人の間に虹色の光を描いた。それは、まるで千穂子からの最後の贈り物のようだった。


 春になれば、また蝶たちは飛び立つ。二人の新しい物語も、そこから始まるのだ。


(了)



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