6.過去
─────あれは1年前の春、私とあなたが高校3年生だった時。あなたと同じクラスになったのは初めてだったから、同じクラスになっても特に話したりすることはなく、互いの素性なんて全く知らなかった。
私はそれまで、“敗北”を人生で一回も経験したことが無かった。教師である母から教え込まれた学力と、刑事である父から叩き込まれた身体能力を活かして、毎年学級委員長や生徒会長を務め、どの分野でも1位しか獲ってこなかった。
でも、高校3年生の春の期末テストで事件は起こった。
私はいつものようにテストを終え、後日、掲示された成績上位者トップ10の貼り出しを見ると、1位に書かれていた名前は、私ではなく…………「新道琉人」。あなたの名前だったのよ!!そして私が2位!!
私は愕然としたわ。今までは、2問や3問不正解でも当たり前のように余裕で1位を取れていたのに、しかも今回のミスはたったの1問!!つまり、こいつは全問正解で1位になりやがったのよ!!!
これが私の初めての“敗北”。そして初めての“屈辱”だった。
でも不思議だった。このレベルの実力がありつつ、どうして今まで私と張り合うほどの成績ではなかったのか。正直、私より下位の人間なんて眼中に無かったから新道琉人が今まで何位だったかは知らなかったけど。その日のうちに彼の周りの友人たちに聞くと、大体トップ10には入るものの、上位3人までにはいつも行かないらしく、今回で初めてのトップ3ランクインにして1位だったらしい。偶然なのか今までずっと手を抜いていたのかは知らないけど、私が1位の座から降ろされた事実に変わりはない。
悔しくて悔しくて仕方がなかった。恥ずかしいけれど、テスト結果が掲示された翌日から3日間も発熱して寝込んでしまったの。でも、その時決めたのよ。“次は絶対私が1位を取る!”、そして“新道琉人に勝ってギャフンと言わせてやる!”ってね。これを機に、私は勉学もスポーツも何事も油断せずに常に完璧を目指した。
そして、遂に私が体調不良から復帰して次のテストで、私は1位を奪い返したのよ!!
もちろんそれ以外でも全てにおいて1位を獲ったわ。そして「新道琉人に勝った」という優越感に浸っていた。
しかし、少し気になったことがあったの。彼はあっさりと1位の座を明け渡したのよ。私が必死になって1位を獲ろうとしたのが馬鹿らしく思えるくらいあっさりと。
別にそれから極端に彼の順位が低かったわけではないけど、それでも彼はどの分野においても1位にはならなかった。というより“なる気がなかった”のかも知れない。どこか手を抜いているように感じたから。
この時からね。彼に対して違和感を覚え始めたのは。
私が学校に復帰してから“新道琉人に勝つ”ということしか考えていなかったから、最初は特に気付いていなかったのだけれども、日を重ねるごとに、段々その違和感の輪郭が明らかになってきた。
そして少しして気付いた。
彼は一日中誰とも会話をしていなかった。
意識して思い返すと、確か今まで彼は常に数多の取り巻きと一緒にクラスの中心にいて、騒がしい存在だったはず。他人に興味のない私でもその認知はしているくらい目立っていたもの。私の友人も「彼は社交性がとても高く、誰とでも分け隔てなく話す」と称賛していたことも思い出した。そんな彼が誰とも喋らない...?
これはおかしいと思い、それから彼を観察していると、あることに気付いた。
「この新道琉人に誰も違和感を抱いていない。」
不安になって彼を称賛していた私の友人にこのことを聞くと、
『ねぇ、新道琉人って前と性格変わらなかった?』
『シンドウ…ってどんな人だっけ?』
『え?いやそこの席の…あなたも称賛していたでしょ...?』
『あんまり記憶にないや。』
やはり彼女もおかしい。今度は彼の取り巻きの男子たちにも話を聞いてみた。
『あなた、新道琉人と仲良かったわよね?』
『誰そいつ?』
『お前、知ってるか?』
『いや...。聞いたことない...。』
まるで、私以外の人間が新道琉人に関心を持っていない、そして彼も他人に関心を持たなくなったかのようだった。
この異様な状況が怖くなって、私は一度だけ彼本人に聞いたことがある。
『ねぇ、何かあった?前と比べて大分雰囲気変わったみたいだけど。』
『別に。何もないけど。』
私のことを一切見ずにこの吐き捨てるような一言を呟いただけだった。でも、このたった一言で背筋が凍るような感覚に陥った。言葉の全てに血が通っておらず、まるで世界に絶望しているかのようだった。いや、正確には、この世の全ての事象を諦めているように見えた。私が誰かなんてどうでも良いのだろうと思った。
私はこの時、得体の知れない何かに支配されているような彼に恐怖を感じてしまった。だから、それからは自分から関わりに行くことはやめたの。それでも、「私が彼に負けた」という事実は消えないから、「永遠に彼に勝ち続けてやる」という気持ちは変わらなかった。だから彼と直接接触はしなくても、勉強もスポーツも何事にも手を抜かず、全てにおいて1位を獲り続けた。
この大学を選んだのだってそう。彼の進路希望を盗み見...いや、情報を手に入れて、私にしては少しレベルが低いけど、彼と同じ大学に入学したんだから。どうして彼がこの大学を選んだのかは私には分からなかったけど、常に新道琉人に勝ち続けていたかったから、私に迷いはなかったし、後悔もしていない。
「─────これが私が知っている新道琉人の過去よ。」
「琉人くんを追って同じ大学に入学までしちゃうって可愛いね笑」
「いや七瀬さんだって人のこと言えないだろ。」
「“私も可愛い”ってこと!?ありがとう!!!」
「確かに思考回路は同レベルだね。」
「優秀な植松さんと同レベルの思考って最高じゃん!!」
「ちょっと、ちゃんと私の話聞いてた??」
「要は、俺と植松さんは高3の時に同級生で、テストで俺がたまたま勝っちゃったらそれが植松さんの初敗北だった。でも何故かその直後に俺の性格が変わってしまった、ってことでしょ?」
「ちょっと!せっかく私がシリアスな雰囲気を作って過去を回想してあげたのに何でそんなに軽すぎるのよ!!ここは『嘘だ...。そんな馬鹿な...。』って膝から崩れ落ちなさいよ!!」
「いや、記憶に無いことだから全く現実味が無いし...。」
気丈に振舞ってはいたが、内心はかなり動揺していた。
植松さんが語る俺の性格が今の俺とあまりに違いすぎている。
ただ、現実味が無さすぎてどういうリアクションをして良いか分からないのも事実だ。
とにかく、俺の過去に何かあったのかも知れない。
植松さんだけでなく、七瀬さんのことも覚えていないことに何か理由があるのだろうか。
「でも、春休みを挟んでこの大学であなたに再会した時は驚いたわ。友人が多かった社交性の高い“私が知っている新道琉人”でも、誰も寄せ付けないような“冷徹で孤高に見えた新道琉人”でもない、言わば“第三の新道琉人”になっていたのだから。」
「え?“性格が変わった俺”って、“今の俺”とも違うの?」
「言ったでしょ?“誰とも喋らなかった”って。あなた、思いっきりしゃべっているでしょ。でも気になっていたわ。いつからそんな喋るようになったの?昔のあなたとも違うから記憶が戻っている訳ではなさそうだけど。」
「いつからって言われてもな...。特に気にしたことなかったし...。でも、大学に入ってから少し自分が変われている気はするよ。」
「やはりターニングポイントは大学入学なのかも知れないわね。」
「琉人くんが大学で知り合いになった人って何人いるの?」
「えっと...。まず七瀬さん、怜さん、植松さん、そして佐保...の4人かな。」
「………それだけ?」
「少なすぎない?」
「うるさいな!!別に良いだろ!!量より質なんだよ!!」
「はは〜ん?私たちは質が良いと??」と七瀬さんのニヤニヤが止まらない。
「はいはいそうですね。」
「認めたよこの人!!」
「私は別に嬉しくなんかないけど...。」
「二人とも素直じゃないんだから!!」
「それより、この人たち何とかしないとでしょ?」
俺は一箇所にまとめておいた植松さんの誘拐未遂犯たちを指差した。
「あっ!忘れてた!!」
「後は任せて。父に頼んで処理してもらうわ。今回は助けてくれたお礼にあなたの特殊能力のことは黙っておいてあげる。」
「ありがとう。変に詮索されるのは面倒だからね。俺自身もまだよく分かっていないし...。そういえば、結局こいつら一体何者だったんだ?」
まだ気絶している誘拐犯の所持品を調べると、社員証らしきものを見つけた。
「これ社員証じゃない?えっと...『ムイカコーポレーション』......ってあのムイカ!?」
「それって、総資産300兆円って噂の超超大企業じゃん!確か『LENI』の運営会社の親会社でもあるよね?」
『ムイカコーポレーション』は、当時弱冠25歳の若手敏腕社長が起業し、たった5年で食品産業から宇宙事業開発まで幅広い分野の総合企業として日本中にその名を轟かせ、その後10年間日本のトップに君臨し続けているモンスター企業である。七瀬さんの言う通り、俺たちが日常で使用している『LENI』を運営している会社はムイカの傘下にある会社だ。そんな超大企業の社員が、怨恨なのか金目当てなのかは知らないがわざわざ植松さんを誘拐しようとするなんて信じられなかった。
「父が警察官だから誰に逆恨みされてもおかしくはないと思っていたけれど、まさかムイカの社員が私を誘拐しようとするなんてね...。これが公になったらあの社長は何てコメントするのかしら。」
ムイカの社長といえば向井王翔だ。名前からしてカッコ良い。
アッシュ系の暗めの髪色に少しパーマが当てられた髪をセンター分けにしており、現在40歳とは思えない美男子のような容姿端麗さを持ち、芸能人でもない一会社の社長が自身のグッズを数多く展開し、「独身女性が選ぶ結婚したい男性有名人」的なランキングで5年連続で1位を獲り、殿堂入りを果たしたこともあるという。つい先日、夜のバラエティ番組か何かで見た気がする。
「“あの社長”って言い方...。向井社長のこと嫌っているの?」
「あの会社、規模が規格外すぎて怪しいのよ。好き嫌いは別として、あの社長のことを信用はしていないわ。“刑事の娘の勘”ってやつね。」
「それ、長年積み上げた刑事の経験から導かれる“勘”に使うべきセリフでしょ。植松さんが言っても説得力が無─────痛っ!!!!」
「何か言った??」
「琉人くん、少しは学ぼうね。」
何で七瀬さんまで植松さん側なんだよ...。というか踵の高いピンヒールで足を踏むかね普通!?どうして俺の周りの女性たちは気が強い人ばかりなんだ...。
「ねぇ、さっきから気になっていたんだけど、あなた、その性格になってからは“植松さん”って呼ぶのね。高校時代、全然話したことなかった私に対してもずっと“照愛”って呼び捨てだったのに。」
「私も中学の時は“七瀬”って呼び捨てだったよ!!」
「えぇ!?植松さんと七瀬さんのことを呼び捨てで!?昔の俺ってどんだけコミュ力高かったんだよ...。」
「ちょっと、何でこの子は名前呼びで私は苗字呼びなのよ。」
「いやだって、そう呼べって言われたし...。」
「嫌々呼んでいる感じで言わないでもらえます!?」
「じゃあ私のこと“照愛”って呼んで?」
「いやどうしてそうなる!?俺のこと目の敵にしてたでしょ!?」
「単純なことよ。この子には名前呼びなのに私には苗字呼びって、この子に負けた感じするでしょ。それが嫌なのよ。」
何ていう理屈だ...。先程の言葉を訂正しよう。どうして俺の周りの女性たちは気が強くて面倒臭い人ばかりなんだ......。
「じゃあ七瀬さんと同じく“照愛さん”で良いね?」
「今日のところはまぁ良いわ。いつか呼び捨てにさせてやるんだから...!」
「琉人くん!呼び捨てにするなら私が先だからね!!順番でしょ!?」
「物凄い今更なんだけど、さっきからあなたに引っ付いているこの子は何なの?」
「百川七瀬です!!琉人くんの中学校からの同級生です!!」
「ふーん、まぁこの子のことはどうでも良いけど、この子が“琉人くん”って呼ぶなら、私は“琉人”って呼ばせてもらうから。この子には負けたくないわ。」
「何これデジャブ?さっきそのくだりやったでしょ。」
「じゃ、じゃあ私も“琉人”って呼ぶ!!」
「いや無理しなくて良いから。」
「じゃあ琉人、連絡先教えなさいよ。そして家に帰ったらあなたの履修科目全て教えなさい!私が全ての科目でコテンパンに叩き潰してあげるから!!」
こうして、俺は照愛さんとLENIを交換した後、照愛さんが呼んだ警察の人たちに誘拐犯を引き渡した。
俺と七瀬さんも事情聴取を受けたが、照愛さんが事前に詳しく話しておいてくれたおかげでスムーズに聴取を終えることができた。こういう所はさすが刑事の娘って感じで凄いと思う。時々言葉遣いが汚くなるのが玉に瑕だけど。
これで事件は一件落着─────
─────かに見えた。しかし、この誘拐未遂事件は一切メディアで公表されることはなかった。
「遂に覚醒したみたいだな。新道琉人。」