1.日常
「おはよう!琉人!」
朝からやる気に満ち溢れている脳に突き刺さるようなこの声は、クラスメイトの佐保奥人だろう。彼は唯一俺に話しかけてくる人物だ。
大学入学初日で顔合わせの時に偶然一緒になり、なんと俺が愛してやまない伝説の覆面インディーズバンド『Secret Virus』を彼も好きだというのだから勢い余ってこちらも熱く語りすぎてしまった。逆に彼からしてもSecret Virusをここまで愛している人に出会うことも中々無かったらしく、自然と共に過ごすことが多くなった。まぁ、Secret Virusへの愛は俺の方が上だが。
しかし彼はたった3日でこの距離感だ。コミュニケーションスキルが尋常じゃない。茶髪でキリッとした目つきだが、抜群のスタイルで愛らしい笑顔を振り撒く社交性の化け物。俺も彼から交友関係の秘訣でも学ぼうか。
「あぁ、佐保か。おはよう。」
「“あぁ”ってなんだよ!お前に挨拶する人なんて他にいないだろ?」
前言撤回。これは満面の笑みを浮かべながらの発言である。根は悪くないのだが、たまにこうやってサラリと心を抉ってくる。こいつには絶対頼りたくない。
そもそも何故俺に友人がいないかって?そんなこと俺が知りたい。別に他人を避けているわけではないのに誰も寄ってくれないのだから仕方がない。
「そんなことよりさ、なんかお前のこと嗅ぎ回ってる女子がいるらしいぞ?名前なんだっけな...。」
俺が返す言葉を待つ前に話し出している。そして俺の深刻な問題を「そんなこと」で片付けやがった。…って待てよ。聞き間違いか?
「俺のことを嗅ぎ回っている女子?本当かそれ?」
「おっ!流石の琉人くんも女の子に興味を持ち始めましたか!?俺と出会った時は『Secret Virus命なんで女子なんて関わり持ちません〜』って感じだったのに!」
そろそろこいつを殴っても良いか?
「いやお前と出会ったの3日前だろ。それにそういう興味じゃなくて、“今まで女子とは全くの無縁だった俺のことを探している女子”なんてどう考えても訳ありだろ。何の事情があって俺を探しているのか気になるんだよ。」
「なるほどね〜。あっ!思い出した!確か『ナナセ』って名前だった!可愛い名前だなって印象に残ってたんだよ!」
人づての話を思い出しただけで鼻の下を伸ばしているとは完全に頭のネジが外れている。何故俺はこんなやつと交友関係を持ってしまったのだ。
「『ナナセ』...?そんな人いたっけな...。」
次の瞬間、頭の中に「ナナセ」なる人物との幾つもの場面がフラッシュバックした─────────────気がしただけだった。何も覚えていない。
「全く記憶にないな...。一体誰なんだろう...?佐保は知らないのか?」
「高校違うっぽいしな。結構離れたところからわざわざ来てるらしい。一人暮らしだっけな?」
「何でお前はそんなに色々詳しいんだよ...。」
「やっぱ入学したてだとみんなそれぞれ自己紹介するから情報が入りやすいんだよね。琉人くんももっと人と会話しなさい!」
「母さんみたいなこと言うのやめろよ。」
と言っても直接は言われていない。俺の母さんは海外に仕事で出張に行っている。心配して1日1通はメールを送ってくるからそこでのやりとりだ。
「キョーちゃん先生も言ってただろ?『まず入学して最初の一週間は幅広い交友関係を形成するためにより多くの人と接しなさい』って!」
「麻生先生ね。趣味や波長の合わない人間と交流を持っても時間の無駄なだけだよ。」
麻生恭二先生。年齢は比較的若めで確か30歳だったかな?いつも気怠そうにしているが、年齢が近いこともあって周りの学生からは親しみを込めて「キョーちゃん先生」と呼ばれている。ちなみに俺は絶対呼ばない。
「せっかく良い素材を持っているのにもったいないな〜。こんなんじゃその“ナナセ”ちゃんに愛想尽かされるぞ?」
「うるさいな。それより佐保、昨日その“キョーちゃん先生”から何か朝の用事頼まれてなかったか?」
「やべっ!忘れてた!じゃあまた1限で!」
本当に彼は嵐のようなやつだ。彼が去った後は静かで心地が良い。だが少し寂しくもある。こんなことは彼の前で意地でも言わないが。
大学に向かって再び歩き始めると、一瞬視線のようなものを感じた。
周りを見渡したが、どれも友人同士やカップルで埋め尽くされていた。おいおい、まだ入学3日目だぞ?今時の大学生はこれが普通なのか?上級生もいることは分かっているが、今の俺には到底理解出来ない。本気で佐保から社交性を学ぼうか。
恐らく先程の視線はこんな俺を嘲笑う連中の誰かだろう。
自己解決の後、俺は足を進めた。
「ようやく見つけた...!」
この作品はフィクションです。実在の人物、団体、事件等とは一切関係ありません。